2016年9月17日(土)  午後9時00分〜9時49分
 自動運転車は、数知れない革命的技術が必要とされ、それらが、あらゆる
分野において応用可能になる。動力の電動化も含めて、ドイツは国家単位で、
大企業はグループの総力を上げ取り組んでいる。これから考えると、10年後
には、現在の企業形態の多くが、激変することになる。これは面白い極み。
『この時代の変化を見ずして死ねるか』である。
   * 自動運転革命 〜B・各論
  〜NHKのHPより
《 日産先進技術開発センター(神奈川県)にテレビカメラが初めて入った。
Nissan Intelligent Driving」というマークが入った自動運転車がならぶ。
後部にはコンピューターがぎっしりと搭載されていた。
今までエンジンの燃費性能を競ってきてメーカーもこれからは、こうした
コンピューターソフトウエアの開発競争になるという。車の周囲にはたくさん
のカメラや近接センサーが搭載され、刻一刻と変化する周囲の状況を認識する。
20年後には生産台数の4分の1の年間3000万台を超えると予想されているため、
世界で大きなシェアを獲得すべく開発競争は激しくなる一方。
日産のカルロス・ゴーン社長も「とにかく早く実現させたい。遅れを取れば
それは「停滞」を意味する。」と意欲的だ。》
  ☆ 自動運転車に必要な技術
 コンピューターとそれを動かすソフトウェア、周囲の状況を感知するカメラ、
などが必要。しかし自動運転の実現のためには、周囲の車の状況・歩行者・
信号・交通標識等々の情報を取り込み、状況を判断して動かさなければならず、
非常に困難である。
  ☆ グーグルの野望
 自動車メーカーではないのに、自動運転車に取り組んでいるのがグーグル。
彼らは自動車メーカーとは違い、いきなりレベル4の無人の自動運転車を目指す。
テスト車両を走らせて「歩行者とはどういう形の物か」といったデータを取り
込み、それらを集めたビッグデータを使う方向で開発を行なっている。
グーグルは将来的には、OSのアンドロイドの様に、他者に自動運転の技術を
提供することを考えていると推測される。
  ☆ 部品メーカーの将来
 もし自動運転が実用化されれば、バックミラーなどは不要になってしまう。
そのためミラーメーカーはカメラの映像をバックミラーの様に写す技術とかを
研究している。また日本の自動車部品メーカーは個々の製品に特化しているが、
海外メーカーでは全てをまとめて取り扱う会社もあり、「自動運転車に必要な
部品一そろい」という形で提供可能となる。そういうメーカーが日本市場に
割り込んでくる可能性がある。
 ―――
▼ 「自動運転革命」に、ネットによるグローバル化した「個人間の紐帯」。
<今世紀に入った10数年で、農業革命以来1万年の変化が起こっている> 
という説を信じたくなる。それほど、情報科学技術の進化が進んでいる。
その渦中にいるため気づいてないのが、私たち。良いか悪いかは別問題!

・・・・・・
2015年09月30日(水)
5312,閑話小題 〜リーマンショックから、まる7年
   * リーマンショックから、まる7年
 以下にコピーした文章は7年前のもの。このリーマンショックで、まさか
自分の事業に直撃するとは思ってもなかった。 アメリカの大手証券会社が、
ほぼ吹っ飛び、三大自動車メーカーが政府の直接管理化におかれ、アメリ
経済界だけでなく日本経済も直撃を受けた。当時の殆どの上場企業は生き
残っているが、大手ほど痛んでいるはず。
 リーマンショック以来、売上げマイナス25%が3年目半ばまで続き、
合計50%の売上げダウン。2001年の9・15テロ以来、売上げが三分の
一になっていた。そして、事業整理を本気に考えだした矢先の2011年の
3・11大地震が発生した。それもあって、躊躇なく事業断念の決断ができた。
その前年度まで、手がけた事業で一度も『営業赤字』を、出さなかったが、
その最終年度は赤字が決定的になっており、丁度よい引き時になった。
悔しさとか、後悔はないのは、万一の場合の備えが幾つかあったため。
一年休館後、物件を買取った事業主が、同じホテル名で事業を続けている
ため、結果として、「前経営者と、借入金の6割カットのリストラ」になる。
追加借りで、危ない借入れをすることなく終わったので、比較的、スムーズに
事業撤退が出来たことになる。
 もし、{準備を含め45年の事業。最後まで死守をする!}と決断したら、
金融機関は、まずは、家内や、身内の連帯保証を求め、身動きが出来なくし、
次は、高利貸しに目先の資金を求めて・・と、ドブ沼に嵌って、数年後には、
何処かに蒸発か、自殺のお決まりコースに歩んでいたに違いない。
 それでも、心の傷は決して浅くはないが、お決まりコースより遥かによい。
   * 地獄の沙汰も金次第!
 TVで、中東、アフリカ難民の個々のレポートを放送しているが、リアルで、
残酷で、末恐ろしい内容になる。 特に、親が子供に戦闘現地から、逃がし、
単独で、さ迷っているケースがある。ドイツからイギリスの国境に100人は
いるという。ボランティアが、その救いの手を伸ばしているが、魔の手にかかる
ケースが多いのだろう。シリアでは、過半数が、国内と国外に難民化して
彷徨っているとか。国内、三割、国外二割。着の身着のままというから、酷い。 
難民の一人が、この逃亡の中で、「西欧の自由とは、お金!」と分かったと
いう悲鳴が耳に残った。地獄の沙汰も金次第ということ。
―――
7年前のリーマンショック直後の「論評時評」について書いた内容をコピー
します。何事も無かったようだが、3・11震災ともども、大きなツケがマグマ
として膨らんでいる。問題は爆発したときが、経済破綻が表立った状況、
ギリシャ、スペイン、韓国の現状。 韓国の海外移住希望者7割というから!
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2733, 米国金融恐慌の深層 −1
2008年09月28日(日)
朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎氏が
金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機の本を評論していた。 
内容が長いので二回に分けて掲載するが、こと、ここに至って、冷静過ぎる
内容と感じたのが私の感想である。まずは、その内容の前半を・・・
 −−−
今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の
負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。山一証券の約125倍という巨額の
負債だった。公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。
翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手
AIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、発行済み株式の約80%を
取得して、管理下で再建を図ることとした。AIGは住宅ローンの証券化商品の
元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大量に
販売しているため、元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる
恐れありと当局は認識したらしい。昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、
サププライムローンそのものの焦付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。
ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、
「金融システム危機」が予感されている。
   *真実味帯びる悲観論*
 こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、
実体経済の数字はそんなにひどくありません」「アメリカが駄目だと言われて
いるほどにドルは下がっていないのでは?なかなか打たれ強いですよ」と述べる。
しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募・増資
できている」ことが拳げられているから、悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。
・「週刊ダイヤモンド」は悲観論の郵緬を分かりやすく図式化している。
 損失計上ー>貸し渋りー>景気悪化ー>焦げ付き増ー>損失計上の
「負のスパイラル」が始動、大手だけでなく地銀・住宅公社からノンバンク、
モノライン(証券化商品や地方債の保証会杜)までがバランスシートを悪化させ、
もはや公的資金注入は不可避とする。
・水野和夫の推計によれぱ、米国の実質的な住宅価格はさらに34%は下落する。
住宅ローン残高よりも安くなると金融資産を持たない多くの家計で差額が不良
債権となってしまう。その紛額を大手金融機関の自己資本に匹敵する1・27兆弗
と見積もれは、現在4千億Fルの処理進捗率はいまだ31%にすぎない。
これからが危機の本番ということになる。公的資金の注入は避けられず、
しかしその原資を調達しようにも増税は無理だから、国債を外国人、なかでも
中東諸国や最大の貿易黒字国である中国に買ってもらうしかない。
しかし国債に償還のあてがないとみなされれは、国際通貨としてのドル離れ
さえ起きる可能性がある、と言う。 
・さらに野ロ悠紀雄は、こうしたドル危機の「原因」はサブプライムショック
であるかに見えるが、それはむしろ「結果」で真因はGDP(国内総生産)の5〜6%に
膨れあがった米国の経常収支の赤字にあるとする。物価および利子率の差が
日米間で3%あり、両国間で同一財価格が同一に、どちらの通貨で運用しても
利回りが同じになるには、ドルが円に対し毎年3%減価(円高)しなけれはならない。
ではなぜ経常収支赤字が減らなかったのか。それは円安を持続させ対米輸出を
維持するために日本が資本提供をしたからで、しかしドルがードル70円程度まで
低下する圧力はかかっていたから、いずれ何かのきっかけに解消されたはずだ
と推測する。
  −−−
 評)
 アメリ金融危機に対する多くの本が並んでいるが、
今年に入り、その最右翼の悲観論者のいう通りになってきた。ここでは最右翼
の本は扱ってなかったため、迫力に欠けた内容になってしまった。学者タイプの
人のためか生々しさにかける。初め取り上げている北野一は甘いのか、もし恐慌
になっても、それさえ乗り越える国力がアメリカには有ると言うのか?
現在のアメリカの財政の破綻は明らかだが、資源・宇宙工学・軍事・情報関連も
含めた国力の蓄積で立ち直りは早い、というのだろうか?野口悠紀雄の間接原因は
財政赤字というのも、納得できる。このところ悲観論者の本を何冊も読んでいる
ので少し冷静になることも必要だろう。ところで昨日のマスコミは一切アメリカの
金融危機のことを扱ってなかった。これも驚き。問題はあまりに深刻で恐慌を
煽り立てることも出来ないのか、日本のマスコミが呆けているだけなのか。
もう火がついてしまったことは間違いない。
 

・・・・・
2734, 米国金融恐慌の深層 −2
2008年09月29日(月)
前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評
金融危機の深層》を考えてみる。 まずは、続きの部分から
 ーーー
 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる
「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは 吉川元忠の「マネー敗戦」だが、
サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。
円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至る
この違いを、どう理解すべきか。 それは、資産の流動性(他者に受け取って
もらえる可能性)を信じるか否かによっている。楽観論も帝国循環も、国際通貨
としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。
またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて
証券化がなされ、世界に受容された。ところが暗転して安全性に対する不安が
広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に
及んだのが、今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、
何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。
 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。
 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。
   * 処方箋、どれも不完全*
 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と
社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。 金子勝はより具体的に
公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。
 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、
救済に疑義を呈している。 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も
絶対の策とはいえない。日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資
「日本政府は銀行は潰さない」というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 
しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。
資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。
 ーーー
評)以上だが、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り
 立っている世界システムアメリカ自身が自ら叩き壊してしまった。
 そして、その大混乱が、この9月15日をもって本格的に始ったのである。
 誰が一番困るか、日本と中国である。10年、20年スパンで考えると、
 当のアメリカは均衡縮小するだけで困りはしない。ただ同然で刷った札の
 価値が下がっただけでしかない。 結果として、それを持たされた日本が
 丸裸同然になるのである。日本が汗水流して得た経常黒字を、アメリカ国債
 を買わせて、ドルを回収してしまう循環をつくり強奪する「新・帝国循環」
 というシステム。 それがサブプライム問題で爆発してしまったという論が、
 的を得ている。ドルという絶対的基軸通貨が、ユーロ、元など幾つかに
 分かれて行くしかない。我われは、それでもマネーを媒介とするしかない
 のである。アメリ帝国主義の崩壊の後は、欧州、アジア、そして
 アメリカ、という多極に分かれた通貨制度になるしかないのである。 

・・・・・・
2014年09月30日(火)
4947,閑話小題 ー中古車価格は、格付け項目のチェックで決められる
  * 中古車価格は、格付け項目のチェックで決められている
 22年前のトヨタの「ソアラ」が大当たりで、大した故障もなく、これまで
満足をして乗ってきた。さすがに、この型のソアラを殆ど見かけなくなっていた。
その前も、やはり前の型のソアラを5年近く、その前はコロナを三年乗っていた。 
ところが、この5月の車検で、修理に50万かかるといわれ、乗り換えることに。
そこで、急遽、車探しになった。新車への拘りはなく、まず中古センターを
一週間にわたって探し出したのが、ワゴン車『トヨタマークXジオ』。 
ソアラに比べ出足しが弱いのが少し気になる以外は、満足している。 
それにしても中古車の車種と、在庫量の多いこと。一週間探し回って知ったのが、
「全国共通の格付けがあり、それでに比例して値段が決められている」こと。 
まず、価格と年式が、基本で、次に走行距離、車検時期があり、それに付属品、
タイヤ、人気が、加味された値段は、交渉で値切る余地が少ない。
中越地区の膨大の中古車から、個人事情で探し出すのだから、大変だが面白い!
  ー私の事情は、
・自宅駐車場の家具としての家屋敷とのバランス。
・事故も考えて、中型以上。 セダンか、ワゴンには拘らない。
・何から三年の立場?を考慮して、目立たない、人に知られてない車種。
・人生の最後の車として、数年後に後悔をしない車。  
・県外へ遠出はしないため、近場で、乗りやすく、燃費は程ほどのこと・・等々。
 以上を考慮した、車検の期限までの一週間を区切った車探しの面白いこと、
この上なかった。去年秋に生産中止で、値段は格安? 団塊の世代以降の、
車好きを狙ったコンセプトカー。燃費が月8〜9千円が4〜5千円に下がった
こともあるが、家内はお気に入り、センスが好きとか。 それにしても、
車のネット販売サイトには驚いた。「販売サイト」の格付けがあるから可能。
資金に余裕があり、世俗的謹慎の身でなかったら『トヨタ86』『スカGT』
アクセラ・スポーツ』?
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2013年09月30日(月)
4580, 2050年の世界 ー10
    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部(著)
  第十五章 バブルと景気循環のサイクル ーのまとめ
・バブルの発生期には、かならず、それを引っ張る新興産業がある。
 十九世紀は運河と鉄道。1990年代はインターネット企業。
 バブルは、新産業への投資として必要だとする考えもある。
・ただし、歴史を振り返ると、結局はバブルによって新産業に投資した投資家
 よりも、消費者が得をする。 その分野がすぐに過当競争になり、価格が
 引き下げられるからだ。
・2008年のリーンショック以来の最新のバブル崩壊によって、各国は債務超過
 苦しむようになっている。これは緊縮財政を呼んだが、しかし、それに耐え
 きれない国民が政治的な反乱をおこし、不安定化が促進される可能性がある。
・しかし、この景気後退においても、物の価格は上昇に転じている。
 これは、中国、インドという二大新興国がグローバル経済に組みこまれ、
 成長の過程で、エネルギなどの需要をより欲しているためとする見方がある。
 だとすると、現在は、長期の好景気の、とば口だと考えられる。
・日本型の鈍化した市場が、欧米などで長期間続く可能性がある。
・過去の実績のある株価を実績順に買っていくという成長株派の
 モメンタム理論。本来は過去の株価の推移は将来の価格決定にはまったく
 関係がないはずだが、それがおおむねうまくいくことの理由は、そうした 
 投資家が増えることによる割安株派のバンドワゴン効果がある。
・しかし、このモメンタム理論は、バブルの崩壊など経済に断層が生じると、
 巨額の損失を被ることがある。
・株式市場の投資家には企業に成長要因を見つけて投資する「成長株」派と、
 過小評価されている株を買う 「割安株」派のふたつがある。成長株派は、
 1990年代後半のITバブルのように、強気市場の最も勢いのある段階に関わる
 ことが多く、割安株派は、経済が景気後退を抜け出すときに実力を発揮する
 ことが多い
▼ 40年先のバブルと景気循環のサイクルを論じること自体が、土台無理。
 20世紀前半の第一次大戦世界恐慌、第二次大戦、の一連の変動期と、現在を
重ね合わせると、1933年辺りになる。とすると、第二次世界大戦が始まること
になる。時代はバブルと崩壊、そして精算の戦争が、大小生じて流れていく。
20世紀前半は、欧米の中で、欧州から米国へのエネルギーの移動であったが、
今度は、アメリカから中国、インドなどアジアへの移動になる。
・・・・・・
2012年09月30日(日)
4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている
  * 日本人の人生は、ツアーに似ている   「異郷日記」西江雅之
 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。
早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど世界の僻地で直接、
原住民と触れ合う機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。この本は4年前
に出版されたものだが、既に早大を退職し、気ままに国内外を講演などで
まわっているという。その著者の体験談の一言一言はツアーでしか、
秘境に行く機会のない者にとって、参考になることばかり。 
 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から・・
≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で
 "異郷〃との重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、
当然、その重なり合いは大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に
 味わうために金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ
少なかれ、地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇
という時間を持つ社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な
異郷感を味わわせてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも本物である
必要はない。それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、
訪れる人々にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなく
なるだろう。それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮か
べれば明らかだ。 観光には"…らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、
それを主催する側とを含めた、全体としての観光というものを話題の対象と
すれば、そこには、企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは
言うまでもない。しかし、その場合でも‘・・らしさ’は見過ごせない要素。
◎‘旅’は何よりも「道中」が主役である。古典文学を見ても、旅の話を支えて
 いるのは、目的地に至るまでの道中で出くわすことになる数々の予期せぬ
出来事だ。道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、
一段落となる。道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると
自覚する者は、本物の異郷の人である。
◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地
 までは交通手段を利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は
思い思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと
望むのは、個人的な楽しみであり、良き思い出である。
◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。
 それのみか、道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、
あらかじめ他人によって計画に組み込まれて、それなりの効果を狙った演出も
準備されている。参加客は、それらの催し物を個々にこなしてゆくことで移動
を終える。多くの場合、自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。
物足りなさも残される。しかし、全行程が保証されていて、何を見て、
何をすべきかを考えなくても安心できるという利点もある。
昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の日本人の人生は、
ツアーに似ているとも思えてくる。≫
▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。
 一応、来年中と考えていたが、年金生活者、家内の鞄持ちとして年一度が
限界か、それも無理? しかし30年近くかけて、小刻みに安いパックを
探して行っていたので、充分満足しており悔いはない。 
著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」は、言いえて妙である。 
ツアーより、むしろ観光に思える。そこでは"…らしさ"が重要と信じられて
いるからだ。それらは受け止め方の違い。やはり実感は旅である。