* 人は、すべからく幸運である
 以前、書いたことばかりだが、思いのまま、「幸・不幸」について書いてみる。
・人間は、「いま、ここに、私」として存在するだけで、幸運である。
 「神様の御導きびき」といえば、それまでだが、幸運な偶然の一致の重層で、
 存在している。他者と比較が、この幸運を見えなくしている。
・自らを幸運なタイプと自認する人と、不幸と自認する人との、一生の間の
 運命の差は膨大になる。不運な人は、チェンスがあっても、自分が駄目と
 思っているため、目前にあっても気づかない。どうせ、駄目だからが無意識
 のうちに働き、そのチャンスに気づかない。
・幸運な人は、チャンス到来に、そら来た!と敏感である。何せ、幸運だから。
 幸運であるには、何があっても上位に自らを置かなくては。まずは20%に、
 そして、6%、3%、1%にと。 
・幸運な人は、幸運のある同類を呼ぶ、というより集合する。幸せ本には、
 まず、「幸運の人に近づけ」と。彼らには、幸運を自ら引き寄せる力がある。
・以前、<幸運を呼寄せる力を得るためには、『般若心教』を暗記をして、
 ことあるごとに唱えなさい>と、創造工学の先生の講義を聞いて、早速、
 二週間かけて暗記をした。「色即是空 空即是色」と、心を澄ませておけば、
 情報選択と決断も間違わない。運とは、判断し、その行為が、正しい場合を、
 「幸運」といい、間違った場合を不運という。だから、情報に対する純粋な
 視線が必要となる。特に、情報過多の現在こそ、重要である。
・生活習慣は、第二の天性である。 二ランク上の生活習慣を立て実践すれば、
 二ランク上の人になれる。その差は、時間とともに莫大になる。
・「恒産あって、恒心あり」、長年かけた蓄えが必要となる。なぜ?といえば、
 人の心を自由にも不自由にする力が、金銭の有無に厳然としてある。お金の
 心配からの解放が純粋な心を生み、それが幸運を呼ぶ。(真逆もあるが)
・自分の世界をつくって、門を開放し、取捨選択をして浄化、続けること。
▽ 過去を振り返ると、冷汗が出るほど、多くの危険が多かった。が、何故か、
 間一髪、すり抜けていた。親から引継いだ倫理観とか、学んできた知識、
情報からくる判断が、運の悪さを最小にしていた。特に、自問自答の「自答」
が大事ということ。良い本を選択、読み続けろ、そして楽しめ、ということ。

・・・・・・
5307,全球凍結(スノーボールアース) 〜?
2015年09月25日(金)
       『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
    * 海、その水深4000mの世界 
 番外になるが、全球凍結から地球上の70%を占める海に興味が向く。
「海を制するものが世界を制する」というが、各国の輸出入の多くは船による。
その海の中は如何なるものか? 〜ネット検索によると 
≪ ・海洋部平均水深: 3729 m。
・地球表面における面積比. 陸 の割合 約30%. 海の割合 約70%.
 海の中で太平洋の占める割合.50%。
・世界で一番深い海は、日本の南東に位置するマリアナ海溝
 深度は約11,000mで、世界一高い山であるエベレストも沈みます。
・海底は3000mから6000mの深さのところが最も広い。
 地球表面の70%を占める海の海全体の98%が「深海」です。
 「深海」とは、太陽の光の届かなくなる200m以深のすべての海をさし
 暗黒、低温、高圧が世界を支配します。「超深海」とは、6,000m以深の
 海域をよび、主に海溝で濃構成されています。
・深層海流=全海洋をめぐる海水の大循環があります。
 北大西洋北部のグリーンランド沖と南極海で冷やされた海水が沈みこみ、
 冷たく重い深層水になります。深海底を移動した深層水は、インド洋北部
 と北太平洋でわき上がり、海流の一部となって出発点にもどります。
 この大循環はベルトコンベアー循環とよばれ、グリーンランド沖で沈んだ
 海水が北太平洋にたどりつくには約2000年かかります。この循環は、ただ
 海水が移動するというだけではありません。海水中にふくまれる栄養分を
 運ぶ大切な役目も果たしており、海の生物の生活にも大きく影響しています。
・深海の食物連鎖=陸の植物のように、海では植物プランクトンが太陽の光と
 海水に溶けているリンや窒素を使って栄養を作り出します。その栄養を、
 動物プランクトン、そして魚が利用します。海の中には私たちの目に
 見えない微生物もたくさん生きています。細菌や原生動物も栄養の循環の
 一翼を担っています。このように海に生きるすべての生物がつながり
 あって海の生態系は成り立っているのです。 ≫
▼ 海には海の世界が存在しており、今だに知られてないことが多い。
 この海の上部1000mが凍りつき、その下が地熱のため海水で存在し、
そこで何とか微生物が生延び、真核生命に進化していった。私たちが青に
惹かれるのは、海の青さの原始的記憶からくるもの。とすると、緑は森、
茶色は大地の記憶。黒は宇宙の背景か。せっかく地球に生れてきて、平均
80年の猶予を与えられた割に、小さな固定観念の世界に押し込まれて、
何もしないで、何も知らないで、悟りきった風に消えていくのが人生! 
・・・・・・
4942,野口秀世だけが、何故?
2014年09月25日(木)
  * 偉人といわれる人も    〜「お金の正体」日下公人著より
 どこかで聞いた内容だが、偉人といわれる人も光の当て方を変えると、
そんなものかも。戦後教育、いや明治以来の国家づくりも、西欧文明の価値観
の世界の仲間入りをするため。 開国をして国際社会に、うって出なければ
世界列強の餌食になっていたのは明らかである。 ーその辺りからー
≪ 幕末、イギリスと戦争したり、四ヶ国連合艦隊と戦争したりして、
 いち早く欧化にめざめ文明開化した。だから、それを追い越すためには
旧旗本も薩長の下につくのでなく欧米と直結しなくては、というわけだ。
産地直結運動である。そこで、留学生になって欧米に行き、欧化すると自分は
薩長より上だという意識になる。だから新渡戸稲造はクリスチャンになったり、
向こうの現地人と結婚したりした。 野口英世についても、昔「文藝春秋」
に書いてあったが、ちょうど同じ時期に東北出身のお医者さんで、ツツガムシ
病の研究と治療法に一生を捧げた人がいた。なぜこっちを褒めないか。
日本人ならツツガムシ病を治してくれた人のほうがよほどありがたいのに、
野口英世ばかり褒めるとは、文部省は常識がないと書いてあった。そのとおり。
ヨーロッパをぐるっと回って、なぜこんなに熱帯病、熱帯植物、熱帯動物の
研究所や博物館がたくさんあるのかと思った。考えてみれば、ヨーロッパは
アジアや南米やシベリアを侵略して、何かをかっぱらってきて豊かになった
のだから、それをもっと盛んにするための研究をしている。アメリカも同じ。
そもそも寒冷地のロンドンやベルギーに熱帯植物研究所とか熱帯病研究所が
あるのはおかしい。その淵源は、たとえばタンザニアを植民地にしてコーヒー
か何かを栽培すれば儲かるのではないかと、大挙して白人が行ったら、風土で
半分以上死んだことがある。ここでまず風土病の治療法を研究するが、
研究も危険な仕事である。それを日本人がやってくれるから、大変ありがたい。
ともあれ熱帯病の研究所は白人により資源奪略のためのもの。それを野口英世
が学問の最先端と思って、身を投じた。フォード研究所の庭を探すと小さな
銅像が一つあるらしい。それを日本は国家的名誉としている。 
医学は西洋伝来だからそうなるのも無理はないが・・・ ≫
▼ 日本は、明治維新まで、中国文明の価値観に大きく影響されていた。
 ところが、その中国を侵略をしていた当時の実態を見て、欧米の思想、
価値観、を国家一丸として導入し、現在に至っている。世界は、肌色の他に、
地域別でみると、「アジア人 57%、ヨーロッパ人 21%、南北アメリカ人 14%、
アフリカ人 8%となっている。その黄色人種多くを占めるアジアに、重心が、
移動している。 しかし、世界にはカースト的構造があって、白、赤、黄色、
黒の肌の順に階層化された世界が厳然と存在する。
野口英世も、その価値観からみた偉人?の一人でしかない。
「人はすべて一時的世界内存在でしかない」ことを自覚すれば楽である。
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4575, ほめことば練習帳 ー2
2013年09月25日(水)                    
  第1歩 感動を伝えるほめ言葉   「ほめことば練習帳」山下景子著
「感動を多くすることが可能か?」といえば、もちろん可能である。
そのためには、積極的に大自然、芸術作品、小説、一流の人の講演会などに
接することである。 今ではTV、インターネットで、接する機会が多くある。
まずは機会を増やして感動量を多く経験するしかない。そうすると、その面積、
体積の接触面が大きくなり、大きくなるにつれ、感動対象が増えてくる。
感動の総量が、その人そのものである。感動は、それまでの自分の「分」の際
(極限)を、破壊することになる。破壊しただけ「分」が広がることになる。
  ーまずは、その辺りの要点をコピーして考えてみるー
【 ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しでほめることです。
 わだかまりなく、人をほめることができる人は、幸せな人だといいます。
ということは、「ほめるから、幸せになれる」ともいえるのではないでしょうか。
その第一歩は、自分が感じた心地よさを、素直に伝えること。つまり、ほめるとは、
「快」の気持ちを表現することにほかならないと思うからです。ところで、
心や身体が健やかな状態のときは、自然と気持ちのいい言葉が出てくるものです。
羨ましい気持ちをほめ言葉に託したり、ほめてほしくてわざと卑下したりするのは、
ちょっぴり心が病んでいる状態。そういう意味では爽やかにほめられるかどうかは、
心の健康のバロメイターといえるかもしれません。だからこそ、幸せな人ほど、
よくほめるということでしょう。その逆手をとって、ほめることによって、
幸せになることもできるのではないでしょうか。】
   第一歩の感動を伝えるほめ言葉
{凄い/素晴らしい/兜を脱ぐ/目覚ましい/見事/立派/目の肥やし/流石/快挙
/天晴れ/溜息が漏れる/拍手/喝采/ 感心/美味しい/甘露/行ける/頬っぺたが
落ちる/昧わいがある/こくがある/芳醇/口当たりがいい/口果報}
▼ 感激するような美味しい料理や、音楽や、大自然に出会ったとき、
 そのまま、言葉で表現出来ることが重要になる。記憶として残すためである。 
そのためには健康な心が必要となる。対象の波動に共振し反応した言葉の蓄積
こそ、その人そのもの。感動、感激、感謝は、心が純真で、張り詰めてこそ
大きく振動する。と同時に、それを感じるとる素養が無ければ。人生は如何に
多く、感動し、感激し、それに感謝するかである。苦しみの先に、その機会が
多くある。産みの苦しみがあるから、母親は子供に対する喜びの感動がある。
感動を伝えることも、与えてくれた対象に対し言葉として、表現することで、
対象も、自分の心にも残ることになる。ロッキーの大自然の光景に接した時、
「これを見た『前』と『後』といえるほどの感動だ」という言葉が自然と
出てきた。一級品、一流の人、絶景に接すれば、素養に比例して言葉が自然と
出てくる。それには全力で自分から近づくしかない。
・・・・・・
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
   * スマート家電
パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを
発表したが、「変?」と思ったのは私だけでないはず。外出先からの遠隔操作
でエアコンや、炊飯器のスイッチをいれたりするのが、果たして便利な生活
なのだろうか?それも付加価値と称して値段が何割、いや何倍も高いのは、
消費者ニーズとは大きくかけ離れる。発表された「スマート家電」はエアコン、
ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、体組成バランス計、
活動量計、手くび血圧計の八製品という。洗濯機や炊飯器、電子レンジは、
スマホは主に外出先からの「リモコン」として使われるもの。 スマホの専用
アプリでメニュー選択し、製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。
近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせた
コースの設定をスマホに入力し、これを洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。
こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電のコントローラーとしても
使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、致命傷になる。
これではサムスンに負ける訳だ。
   * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって16年経つが、その年月は長い。
今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。先日、倉庫で母親のアルバムを
見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念写真を
撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。
当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の人生を生きてきた。
私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから生まれることが多い。
夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者
の魂と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台。
両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。
独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
・・・・・・
3835, ツール(道具)について考えてみる ー2
2011年09月25日(日)
  ー 道具とは 何かを「日本大百科全書小学館)」でみると ー
【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の
 働きを外の世界に置換え、さらにその働きを拡大したり延長したものといえる。
たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにした
ものであり、コンピュータは大脳の働きを機械に置き換えたものである。
ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで
表現し、器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。
また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための手段であり、
創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても
機械にしても、物をつくりだすために人間の器官の働きを助けるためのもの。】と。
 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を
変えることもある。自分の目的に最適なツールに出会えるかどうかが、その人
の範囲を決めてしまうことになる。学生時代を振り返ると、努力のわり成績が
良くなかったのは、どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 
試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、
その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、
兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。
 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリは、
まさに人間の最適な機能を外に置きかえたもの。どれ一つとっても、人間の
叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、手軽に
使えるのだから驚異的である。銀行の支店の一つや二つの全機能が小さな
チップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時
にコピーされ普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前。
「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」されたベストの
ツールを使わない手はない。それもホボ無料で入手できるのだから。
現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。
・・・・
3470, 昨日は母の15回忌
2010年09月25日(土)
 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年。 
両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。
それがリアルな内容、夢から醒めても暫くはその境に漂っている。
亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。
亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、
こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。家族総がかりで24時間、
気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないため溜まって
おり、その捌け口で徘徊を始める。本人にとって、部屋や家に閉じ込めらるのは
監獄に入っているよう。それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の
10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったか。したがって、
その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティー
あずけて、出ていた。亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。
(さすが60歳を過ぎて年一回になったが)50歳まで働きづめで家庭内の問題から
悩みぬいて心筋梗塞になり死線を漂った後、そのエネルギーを趣味に切り替え、
茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにして
いった。一つ目標を見つけ、それに向かって全力を注いでいる姿は、それを
見ているだけで勉強になる。まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をし、
設定したライバルに対する競争心をエンジンとし、邁進する。その対象が違えて
しまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の末っ子で育った
ため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在に
なって分かった。冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。
この家は両親の墓場で、天国である。
 ・・・・・・・・
3095,久々にジョーク −3
2009年09月25日(金)
 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
その時の自分の心情とレベルもあるから尚のこと。ネットで調べても、
ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。
どうしたらいいでしょう?」 神様、答えていわく。「うちの息子もじゃ」
                    解)好きだね、こういうの!
*「知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「それでわかったよ。ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが」     
                    解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 
  それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『コラコラどうしたんだお前たち』
 兄 『どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ』
 父 『お前たち……』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしく
   なでて 部屋をあとにした父親。 すると、また言い争いが始まる
 兄 『お前のほうだよ!』 妹『お兄ちゃんよ!』 
         解)これも!親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
 故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 
 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃった。近所の酔払いの車に轢かれてね」
 受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 
「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知って
 たんだから。嘘でもいいからこう言うんだよ。
『キティは昨日、木に登ったのよ』って」「なによそれ。人の話、聞いてる?
 あんたの猫は酔っ払いの…」 「黙っててよ。そしたらぼくが、
『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。そしたら『みんなで助けようと
 したけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」「…」
「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。で『それからどうなったの』
 と聞かれたら『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って
 言うんだ。そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」
「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」
 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
       解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする