<「20歳からの人生の考え方」外山滋比古著>
   * マイナスが大きいほどプラスも大きくなる!
 何気なく、目を通していたら、このテーマがあった。前のテーマに、
<幸福の状態は、マイナス1対プラス3の状態>がある。
「マイナス1をカバーするには、三倍のプラスを集めるエネルギーを要する」
ということ。それ自体が、プラスの幸福をもたらす。だから好きになるまで、
徹するしかない。 この言葉を、ネット検索すると、以下の内容があった。
《 アランの言葉に、『すべてのマイナスと見える出来事は、
「縦線、つまり気づきへと至る 垂直の動きを待っている」』がある。
換言すると、マイナスが大きいほど、気づきもプラス も大きくなる。
『どんな、ささいなことでも、悩みがあるのは誰だって苦しいもの。
 悩みや挫折がない人生が、いい人生と考えるのは大きな間違いです。
悩みがあることはかえって、それをバネにして成長するチャンスで、
まずは、自分の頭で、徹底的に、次の行動を、考えることが大切です!
それができれば、他人のアドバイスに素直に耳を傾けられるし、マイナス
が大きければ大きいほど、次にやってくるプラスも大きくなるのです。』、
「人生はプラスとマイナスの交錯であり、 マイナス先行の方ががよい」
との人生観を説いている。 》
▼ この道理は、〈人生は、プラスとマイナスの交差であるが、
 人はプラスばかり望みたがる。マイナスがあって初めてプラスがある。
しかも、マイナスが先行してないと、不運である。私たちは、それを認めたく
ない心情があって、それで不幸になる。楽あれば苦あり、ではなく、苦あれば
楽あり。人間は苦から逃げられないのだから、むしろ、ありがたい先生、
と考えたほうが懸命である。〉に要約できる。 〜いま一つは、
〈無敵大敵 〜人生には敵がつきもの。無敵を謳歌しているものは、
 苦難の敵とわたり合う力を身につけないまま、転落する。敵は案外、
味方である。〉 がある。
ここで、「三代目がなぜ失敗するか」を、無敵大敵で説明している。
敵こそが、力をつけてくれるが、三代目は、それがないため失敗をする。
一見、マイナスの敵こそが、自分に力をつけてくれる。欠点こそが長所を
カバーする。逆に、信じていた味方に足を救われる。これが世のならい。

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5304,スノーボールアースについて 〜?
2015年09月22日(火)
      『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
  * 赤道域から氷河の名残りが見つかった
 二ヶ月前に、NHKスペシャルの再放送「全球凍結〜地球大進化46億年ー?」 
の感想記を書いた。その詳細が、〜新潮45・2015年5月号〜で、ビートたけし
と東大大学院の田近英一の対談『スノーボールアースについて』があった。
再放送の内容は後でコピーするが、これは、その続編のような内容。再放送では、
二度の全球凍結とあったが、実際は三度。この新説が出てから、まだ20年しか
経過してない。 人が地上に生まれてきたことを、地球への旅と譬えると、
地球誕生と、生命、人間の誕生、そして、この地球の全球凍結は、旅人として、
非常に興味を惹きつけられる。 先が見えてきた人生、振り返ると、面白い惑星
での旅路の真只中にいたことになる。 〜その辺りから (『新潮45』279頁) 
≪:たけし:宇宙から見た地球は「青い星」というイメージがあるけれど、
 ここ二十年ぐらいの研究でかつては「白い星」だったことが分かってきた。
地球全体が氷河で覆われた凍った星で、そんな地球を真っ白な雪玉にたとえて
スノーボールアース」と言われているんですね。
:たけし: 先生はその分野についての権威ですが、氷河の名残りって意外に
 身近なところにあるんですね。ニューヨークのセントラルパークに「迷子石」
というのがある。大きな岩の塊が一つだけポツンとあるので、迷子石と呼ばれて
いるのだけど、あれは氷河によって削り取られた岩石が運搬された(氷河堆積物)
だという。つまり、セントラルパークは大昔、氷河で覆われていた。
しかし、怪談みたいに、昔は石が勝手に移動してきたと言われていたとか(笑)。
:田近: 昔は多分、なんでそんなところに「迷子になった石」があるのか
 分からなかった。地球の歴史を調べてみると氷河期というものがあって、
迷子石が氷河によって運ばれてきたことが明らかになりました。ニューヨークの
迷子石はわりと最近(約2万年前)のものです。ところが、古い時代の氷河堆積物が
当時の赤道域からも見つかるようになりました。これが大きな謎だったのです。
:たけし: 赤道域で氷河堆積物の証拠が見つかった時、カリフォルニア工科
 大学のジョセフ・カーシュビンク博士が「そんなことあるはずがない」と、
誤りを証明しようとしたら、逆にその報告を立証する結果が出てしまったという。
:田近: その結果を説明するためには、赤道も氷河に覆われていて地球が全部
 凍りついたと考えればいい。これがスノーボールアース(全球凍結)仮説で、
1992年に提唱されました。
:たけし: 間違ったところを検証しようとして、かえって新しい発見に
 つながっていくのは面白いですね。
:田近: それをどうしてなのかと考え続けたことが偉いのです。そこが境目。
赤道域に氷河堆積物があった事実から、全球凍結の仮説に持っていくのは、
実はかなりの勇気がいる話で、誰にでもできるわけではないと思います。 ≫
▼ NHKの再放送を見るまでは、全球凍結の言葉さえ知らなかった。
 人類は、地球自身も、宇宙も、人間そのものもほとんど分かっていなかった。
ビッグバン理論が、2003年に宇宙観測の結果、確定してから我々の宇宙が、
10の500乗の多宇宙の一つでしかない多宇宙説が出てきた。そして、そこから、
暗黒物質、暗黒エネルギーが、この宇宙にループ上の管を通って供給されて
いる説が、有力になっている。地球では、このスノーボールアース説である。
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5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー?
2015年07月30日(木)
ー「地球大進化 第1回 知られざる“生命の星”の秘密」2004年11月22日分ー
 の再放送を先日見たが、これが、面白い! 〜まず、その内容説明より〜
《 私たちの「母なる地球」は小惑星の衝突・融合で生まれ、海洋蒸発や
 全球凍結等の大変動を経てきた「荒ぶる星」だった。40億年前に、微生物で
始まった生命は、大変動を乗り越え、酸素を作り、目に見える大きさにまで進化
してきた。そのたくましさを幅広い取材で描く。》
   * 二度の全球凍結
生命が現在に至るまで多くの試練があった。二度の全球凍結と、二度の大爆発。
(二度の大爆発は次回に取上げるが)、初めの全球凍結を乗越えるため、
「真核生物」が生まれでた。その凍りついた氷が解けて、海がうまれ、そこから
生命が進化していった。新しい全球凍結では、「多細胞生物」が生まれた。
何事も、克服できないと思われる困難に自らを劇的に変化させ(進化)、
生命は生延びてきた。  〜その辺りから〜
≪40億年の生命の歴史のなかで、80%以上の時間、私たちの祖先は微生物の
ままだった。では、なぜ大きくなったのか。その謎に迫る「全球凍結」仮説が注目を
集める。全球凍結とは、二度、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた
状態のこと。その二度というのは、22-24億年前と、6−7億年前のこと。
不思議なことに、どちらの出来事も生物進化の重要な局面と時期的に一致する。
 古いほうの全球凍結は、「真核生物」(簡単に言えば細菌以外の生物)の、
新しいほうの全球凍結は、「多細胞生物」の出現と一致するのです。
そして、そのどちらも酸素濃度の急激な上昇が生物進化の鍵を握っていたのでは
ないかと考えられています。この二回、地球はすべて凍りついた時に、光合成
による酸素が、空気中のメタンを激減させ、温室効果を低下させたからだ。
 しかしこの危機が、長い進化の停滞を打ち破った。全球凍結後、一転して高熱
になった地球では、光合成が活発化し、そこで作られた酸素を利用して、生物は
コラーゲンを大量生産するようになったのだ。コラーゲンが細胞の接着剤となり、
生命は大型化を可能にした。≫
▼ この番組で、科学者は、「地球の生命は、この2度にわたる全球凍結の
大変動がなかったら、今でもバクテリア以上に進化していなかった可能性がある。
動物は現れず、微生物だけの世界になっていたかも知れない」という。
生物黎明の太古の時から、地球は環境大変動システムで、生き延びる生命を
選別してきた。宇宙、地球、大自然、そして生命は、知れば知るほど面白い!
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4939,「あなたの家の宝物は何ですか」
2014年09月22日(月)
* 我家の宝物は私です!      〜『お金の正体』日下公人著より
「あなたの家の宝物は何ですか?」に、「わたしです!」の答えが良い。 
何度も書いてきたが、多くの兄姉の末っ子として生まれ、両親、とりわけ
父親に孫のように扱われて、幼児の頃から、法事や外出時には、私を連れ歩く
ことが多かった。また、母親も、忙しい商売の最中でも、時々だが寝しなに、
「世界で一番大好き」と抱きしめてくれていた。
その温もりが、人生の修羅場で、自分を大きな支えになっていた。
親に愛された温もりこそ、お宝になる。 ーその辺りからー
≪ 昔、伊藤忠商事の人事部長から、こんな話を聞いたことがあった。
 若い女性を採用するとき面接をするが、あらかじめ渡した質問状に
「あなたの家の宝物は何ですか」というのを入れた。そうするとたいていは
「なんでも鑑定団」に出てくるようなものを答えるが、「子供」と書いた女性が
いたという。「子供って何ですか? あなたの子供のはずはないでしょう」と
聞と、彼女は「そりゃあそうです、わたしのことです。わたしがわが家の宝です」
と答えた。父親が工場で働いているので、夜遅くまで残業して、疲れて帰って
くるが、ときどきは酒を飲んで、酔っ払ってから寝る。 そのときはわたしの
頭をなでて、『わが家の宝は子供だよなあ』と言う。父さんがそう言ってた
から、わたしは家が宝だと思っています、と答えた。 人事部長は感激して
採用したが、「はたせるかな、いい女性でした」と語っていた。つまり、かつて
の日本では、家族のため、が働く動機の第一で、お金のありがたさは、子供が
育つことにあったのだが、そういう日本がなくなってきて、お金はいったい何を
するためのものですか、ということになってしまった。だがふたたび、お金の
背後にある人間の気持ちとか社会とかを考える時代がやってきたと思う。≫
▼ やはり基本は夫婦仲の温もり。温かい人の根っこが、そこから生まれてくる。
 その割には、温みが少ないのは何だろう?終戦直後に生まれて、ドサクサの
生活環境もあったのか? 20〜30人に一人の割合で、その温もりが、そのまま
出ている人がいる。それが品位と重なった時、内なる優しさが熟成される。 
「あなたの(家の)お宝は何?」の質問そのものが、お宝。そして、「わたし」
こそが、お宝である。 その「わたし」とは、外界との触媒の中で、
「こころざし」「行蔵」「温もり」「知識」「品性」などから成り立っている。
ということは、子供に、一流の芸術作品、一流の人物、大自然の景観などに
シャワーのように浴びさせるのが、親としての勤めになる。それ以前に、
まず自分に対しての勤め。それこそがお宝である。 
とすると、やはり家系と、温もりが大事?  
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4572, ほめことば練習帳
2013年09月22日(日)
  * ほめることは、それだけで立派な行為!   
                「ほめことば練習帳」山下景子著
 これは良い本である。テクニック書でなく、幸福への玉手箱と言っていい。
 ーまずは、「はじめに」の冒頭部分からー
《「ほめる」は「秀(ほ)」を活用した「ほむ」が語源だといいます。
 「秀」は「穂」と同じで、高く秀でているものや、目立つもの、優れたもの
のこと。古くは、祝ったり、祝福したりするという意味で使われていた。
「ほめる」というと、どうしても、よい評価を与えることと思いがちですが、
そうではなかったのですね。素晴らしいことを共に喜び合うという方が、
本来の「ほめる」に近い。古代、日本人は、言霊を信じていました。
言葉には、魂がある。そして言葉に出すことで、事柄として表現する。
そういう思想もあって、素晴らしいと思ったことは、どんどん口に出して
伝えようとしたのでしょう。良いのものは、相手に良いと伝える。
優れたものに感動した時は、それを周囲に伝える。・・
 一方、ほめられるということは、嬉しいこと。これは、ご褒美にもなる。
特に上位者や権力者からのお言葉は、ありがたいご褒美となります。
そこから次第に、高い評価を与えるという意味に使われるようになる。
 ここでは、祝福し、共感し合う、そんな「ほめ言葉」を原点に、さまざまな
言葉が収集されている。題名は、ほめことば練習帳だが、練習して上手になり
ましょう、といったテクニック的内容でない。ほめ言葉という贈り物を、
6つの引き出しに分類して収集している。 それを6つステップとして
第1歩 感動を伝えるほめ言葉   第2歩 能力に敬意を表するほめ言葉
第3歩 潤滑油となるほめ言葉   第4歩 魅力を引き出すほめ言葉
第5歩 人生を応援するほめ言葉  第6歩 幸せになるほめ言葉 がある。》
▼「感動を伝え、能力に敬意し、潤滑油にすれば、相手の魅力を引き出せて、
 人生を応援し、幸せにする」のがほめ言葉。訓練のステップを踏めば、
ほめ言葉は、素晴らしい「贈り物」「褒美」になる。褒美とは、美しさを
褒めること。そのために褒め言葉の語彙を多く知って置かなければならない。
人生を振り返って、もっと、褒める訓練をしておけば良かったと深く後悔。
贈り物というより、チップとして気楽に与えれば良いことは分かっているが、
実践となると難しい。それにしては、営業関係者のそれは、まずは枕言葉
として自然と出てくる。女性の職場いた頃に気づいたことは、美人ほど、
「美人だね」、「可愛いいね」と言われないこと。だから、三回、間接的
表現で言うことにしていた。元気がないとき、「どうした?」に、
「色いろあって落ち込んでいるの」に対して、「美人は大変だ!周りと同じ
ことをしても、それだけで何か言われるからね」とか。「美人は性格が良い
のが多いから、それだけで好き」とか。「服装のセンスがいいね。姉から、
女性の見分け方は、化粧と服装のセンスを見なさいと教わったけど」とか。
殺し文句を言ってきた割に持てなかったが。 美人でも、優秀な人でも、
直接に「認証」してもらいたいのが人間。だが、なかなか言って貰えない。
そのため、優秀な人、美人ほど、大金を払う。ブランド物を身につけるのも、
そのひとつ。母の口癖「相手を認めてあげなさい!誰もが、認めて欲しい
のだから」があった。その割に実行しなかった。
「ほめること、感謝すること、それは既に行為である」が基本。
・・・・・・
4197, 呪いの時代 ー14
2012年09月22日(土)
                 「呪いの時代」内田樹著 
 * 「リスク」と「デインジャー」の二種類の危機 
               ー第10章 荒ぶる神を鎮めるー
東北大震災は想定を超えた千年に一度の事故。それでも東北は地震対策を
最大限していたので、最大規模の地震津波にしては、これでも最小の被害。 
しかい太平洋沿岸で近い将来、必ず大震災が起こるというから、大変な事態。
恐らく、日本経済を先導してきた東海地区も工場の移転が始まることになる。
日本は、ますます疲弊することになる。
 ー以下の、「リスク」と「デインジャー」が分かりやすいー
≪ リスクレというのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたり
 できる危険のこと。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない
危険のことである。喩えていえば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り
時間1分で、1点のビハインドは「リスク」である。このリスクは監督の采配や、
ファンタジックなパスによって回避できる可能性が辛うじてある。
一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは
デインジャー」である。対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれてない。
だが、そういう場合でも、周囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ
逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。
こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確寧が高い。
でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに
行くと厭なことが起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定を
キャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。 9・11テロの日も、
「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が
何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス.ベースで示すこと
は誰にもできない。・・東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、
生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」と言うような発言を
してはならない。それは死者を二重に穢すことになるからである。
私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちは
その都度「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。「他ならぬ
私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想
でもオカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件である。
だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな
気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは
当然のことなのである。そうすべきなのである。私が生き残ったことに意味が
あると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。 誰かがそう
思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。
そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、
ほんとうに「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」と
いうことを身を以て証明しなければならない。だが、私たちの社会は戦後66年間
あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察
しない習慣が定着してしまった。「デインジャー」に対処できるにはどうすれば
開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない ≫
▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、
 3・11東北大震災の「デインジャー」によるが、「リスク」レベルの要素
が無かった、とはいえない。 それでも、当初からの事業設計に万一の
デインジャー」対策を組み込んでいたので、九死に一生を得ることができたが? 
「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。
「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。
これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と決めていた。
御陰で事業をたたみ裏山に辿着いたが、下を見るとノンビリとした
世界が見える。外海の超大津波が見えない!のである。
・・・・・・
3832, 毒を溜めない! 日々 ー2
2011年09月22日(木)
  * 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物
 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。
という私も、その手になるか。 怒りは感情の動物、それは仕方ない。しかし、
その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。そのうち、
その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、「怒り」が「怨念」
に変わる。それは本人にとって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、
自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 
 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に
中村天風の「箴言集」をトイレと、書斎の机近くの本棚に置き、ことあるごとに
読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、天風の言葉は、
それを半減させる効用がある。何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが
天風の言葉。天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に
響いてくる。老化は人の心を冷やす働きがある。人間の肉体も生(なま)もの、
古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と痛み
を受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。
しかし精神が傷むからマイナーの言葉に支配される側面もある。人間で一番大事
なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。何にでも興味を
もって、その存在に驚くこと。「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。
「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまう
のが老い。若いのに老化してしまっているのが大部分? 無知は老化に極似
している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 
それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。その壁が人間の脳
には毒になる。 言葉は恐ろしい魔物の側面がある。特に他者への侮蔑の言葉は、
その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も自分を傷つける。
それは弱者の武器になるが、自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は
心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が底から沸々
湧いて出る。それを常に浄化しておかないと顔に出る。やはり宗教しかないか、
人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか?