『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * ドーキング説について
『エゴの力』で、直ぐに浮かぶのがドーキング説。ネットで検索をすると、
以下の解説があった。
≪ ドーキングの仮説から導かれる結果が
 「究極の利己主義が利他的行動を生む」と
 「単純で気のいい戦略が進化の上では最も有利である」の2つの結論。
・前者は、人間の生き方にも通ずるように感ずる。賢い人は、他人を助けて
その結果が何倍もの自分の利益(満足感や幸福感も利益と勘定して)となって
戻ってきて幸福になっていく。 自分が不幸になるような利他的行動をする
ことは、世の中にはあまり無いのではないだろうか(不幸の定義にもよるが)。
古人も「情けは人の為ならず。」とことわざに残している。
・一方、単純で気のいい戦略というと、米国を思い浮かべてしまう。
米国は、外部から侵略されひどい目に合わされたという経験が無いため、
国家としては基本的には単純で人がいいようだ。単純で気のいい戦略が
最も生き残る可能性が高いというシミュレーション結果は大変興味深い。
ソ連は崩壊したが、米国は種々の問題を抱え込みながらも、これからも、
ずっと世界最大の一等国であり続けるのではないだろうか。
 ドーキンス説は、ダーウィン説と比べて、個体と遺伝子との優先関係が逆転
している。では、そのことに、どんな意味があるのか?それは、「血縁淘汰説」
との関係から判明する。ダーウィン説は、自然淘汰という発想を用いて、進化
という概念をかなりうまく説明した。しかしながら、この説明に反する現象が
見つかった。それは「利他的行動」である。たとえば、ミツバチやリカオン
などでは、「自分の子を育む」という行動をとらず、「他者の子を育む」と
いう行動を取る。これは、「個体は自分の子を残すことが自分の利益になる」
というダーウィン説に反する。こうして、ダーウィン説は矛盾にぶつかった。≫
▼ 学生時代に、『人は利己主義を乗越えることが可能か?』の命題に突き
当たった。そこで、教養課程のクラス担当の「文学」の教授に、コンパの席で
思いきって聞いてみた。その時の答えが、『一粒の麦は、地に落ちて
死ななければ、一粒のまま。だが、 死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を
愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を 憎む人は、それを保って
永遠の命に至る。」 (ヨハネによる福音書12 ..)の一説を言われた。
そして、『一粒の麦は泣いていたよ』を加えていた。 私の解釈は、
『自分のエゴを殺せば、多くの命を助けることができる。利己主義は人間の
本質。それを乗越えるには、弛まぬ貢献の努力が必要。』
最近、知ったのが、高名な文学研究者で、その後、新たに建てられた館に
「野口記念館」と、大学の奨学金に「野口奨学金」とあった。
 〜ネットで『一粒の麦』と検索したところ、
【聖書では「一粒の麦」とはイエスのことを指す。人はなぜ死ぬのか。
あるいは、もっと広く、生き物はなぜ死ぬのか、の問いへの大いなる答えが、
この言葉には秘められている。次の世代へ命をつなげることが、自然の持つ
「強さ」だと。個体が不老不死になると、沈滞が免れない。世代が更新される
一人の中に孤立して持たれている観念や思想はその人が死ねばそれっきりだが、
社会的に共有されていれば、どんどん広がり豊かになっていく、と。要は、
「個」にとらわれることの愚かさ、浅はかさをとがめる言葉だと思うわけ。】
とあった。 フランクルが、死の収容所で経験したことは、究極の状況で、
人のために平気で自分の命を投げ出す人たちの存在。深い信仰と、諦念と、
衝動などが、重なってのことだろうが。

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5298,『自分を超える 5つの法』とは  〜『自分を超える法』ー?
2015年09月16日(水)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * 法則 3 〜リーダーシップを高める
 ここで、 〜リーダーシップの「3つのカギ」と「5つの柱」〜が提示して
あるが、今から考えてみても納得できる。だが、これは、あくまで起業のケース。
「達成する方法が分かる目標」は目標として小さすぎる〕は、本当である。
パラシュートで、敵地の真只中に飛び降りた時、その対応は出たとこ勝負。
目先の問題を一つずつ解決をしていく、それが起業である。何も知らないで
右往左往しているうちに、解決策が自然と現われ出てくる。崖っぷちに身を
置いてこそ、その知恵が湧き出てくる。リーダーシップも同じ。先頭に立って、
踏んばればこそ、それが発揮できるが、その背後に、十二分の準備が必要だが。
≪ ーリーダーシップを発揮する3つカギー
 ❶「基準を上げる」 ❷「信仰を持つ」 ❸「ビジョンを持つ」
  ーリーダーシップ5つの柱ー
❶ 自分の価値観を知る
❷ 人間関係をマスターする
❸「状況」を変えるのではなく、「意味づけ」を変える
❹ 時間をマスターする
❺ 感情をマスターする  
 〜 法則3の章末の‘まとめ’より
● リーダーシップの有無は、育てたリーダーの数で決まる
● 訓練を欠かさず、「健康」「知性」「感情」「精神」の4つの基準を上げる
●「達成する方法がわかる目標」は目標として小さすぎる
●「自分中心」から「他者中心」の意識が感情面での成長
●「ビジョン」の真髄は、「成長」と「貢献」の中にある
● リーダーシップ能力を高める5つのキーワードが
 「価値観」「人間関係」「意味づけ」「時間」「感情」 ≫
 〜ピーター・セージの格言〜より
● 心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」です。
● 私たちは「意味づけを選ぶ」ことができます。
  できごとが意味を決めるのではありません。どんな状況においても
 「力をつける意味づけを探すこと」があなたを幸福にします
● 組織の責任者としてやるべきことは、「人々が持っている最良のものを
  出させること」で、それは「人々が持っている最良のものを発見させる
  こと」よりなされる
● リーダーシップとは「正しいことを行なう勇気」のことです
● ゴールを設定するときに「達成の仕方がわかっている」とすれば、
  そのゴールは小さすぎます。成長の余地はありません
● その人の人間性を試したければ、「力」を与えよ
● 目標設定する理由は目標達成するためではありません。
 「目標達成できる自分に成長するため」です
●「自分への無条件の愛」が最初にあり、その後「他人への無条件の愛がある」
● すべての中心は「愛」でなければならない
● あなたが何をしても、しなくても、あなたには「愛される価値」がある
 ――
▼ 話は少し逸れるが、「出身地だけは、起業をするな!」という鉄則がある。
 起業の地が新潟駅前で、新幹線で出身地から30分の距離があるが、
地元だったら、間違っても、ここに留まることは出来ないだろうに。
良質な?金融債権以外は、無かったこともあるが。それでも心の傷は深い。
 ー心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」ー
と、あるが、私は、「せめて自分自身が自分を肯定するしかない」。
ある意味で、私のバイアスで、肯定の意味づけを自身でするしかないし、
せめて自分を、まず自身が愛するしかない。 まずは自分に対する
リーダーシップと、セルフコントロールが必要になる。挫折などといって
いられないのが、実は、一番の状況か。 そこに必要なのが自身の温みになる。
その元の「愛」は、両親から受け継がれる。リーダーシップの元は自身の温み!
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4933,コトの本質 −3
2014年09月16日(火)
   * 地球システムと、人間圏     『コトの本質』 松井孝典
 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、
今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方
から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を
捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう
見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。
グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、
ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。
また、彼方から太陽や地球を見ることができる。  ーその辺りからー
≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて
 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて
みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、
この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、
私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして
考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という
概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論
から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、
まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、
これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、
私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、
なくてはならない概念です。 ≫
▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角
 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化
が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に
しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の
日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、
人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、
白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、
あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。
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4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2
2013年09月16日(月)
      「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
  * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ
 どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る
ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ
の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。
これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。
現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は
それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる
ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた
記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。
「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は
自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が
鮮明になる。30〜40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。
それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、
家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」
と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」
とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」
ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、
嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。
やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。
「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 
それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 
その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと
だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと
割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの
色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、
暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、
まずは自分を納得させるしかない。
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4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー
2012年09月16日(日)
   * カテゴリーキラー
 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって
日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た
堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、
橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の
しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。
既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店
と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、
これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路
に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ
を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを
知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の
品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン
を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を
みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。
それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? 
  * 近所の人の突然死
 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は
5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の
老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。
「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に
家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家
の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、
一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車
をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ
病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、
けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力
の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が
女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で!
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3826, 閑話小題
2011年09月16日(金)
  * 血圧か〜
 スポーツジムで血圧を測りだしてから一月ほどたつ。130前後〜150後半
が、このとこの数値。以前から、この位だった。気にすれば気になるし、気に
しなければ別に問題はない。体重は、二十年、標準を保っているし、食事も気を
つけている。ただ酒量が多いことが問題。親戚で脳卒中で寝たきりの人は少ない。
ほぼガンか老衰で亡くなっている。でも、血圧も、血糖値も気にしなければ! 
 ところで、一昨日の運動を終えた直後で158、昨日はリクライニング室の
マッサージの直後のためか128。高いのか?こんなものか? 先日、公営の
小さなジムにある測定器では120だった。状況により大きく左右するようだ。
脳卒中で半身不随は辛いだろう。頭は全く変わらないというし。大学時代の少し
メタボ気味が二人、半身不随になってしまった。
  * パソコンゲーム
 これまでゲーム歴は、ソニーPSPと、学生時代のパチンコ(数ヶ月に一度位)
以外、ほぼない。ここでiPadを購入したおかげで、さっそくフリー(無料)の
ゲームを幾つかダウンロードして使いだしたら、これが面白い。午前中は
スケジュールに追われているが、午後は時間がタップリある。それでも仮眠を
したり読書やネットで時間をとられるため、夕食後からTVを見ながらゲームに
嵌っている。2〜3時間は時間がたつのを忘れてしまうほど。止めようと思って
も、もう一回、もう一回と延々と続けてしまう。これを幼児の頃から楽しんで
いたら、現実で自分をゲームの主人公にした夢の追及とか、目標のため目先の
苦労をすることなど避け、ゲームで達成感などを味わった方が遥かに楽に思える
のだろ。 なるほどバカになるわけだ。
  * ど忘れ
 数日前に、以前に一度『哲学人』を、この随想日記に書いていたことに
後になって気づいたばかり。ところ再び昨日の朝、三年前の同月同日に、全米
NO1の弁護士の著書『議論に絶対負けない法』の感想文があるのに気づいたしだい。
これまでも、せっかく書き上げた後、何か書いていたような気がしブログ内検索
で書いていたことが判明し、没にしたことは何回もあった。しかし二回もたて
続きに気づくとは、やはり少し変か?やはり年齢のなせること? 
書いたと同時に、ハッキリいって内容は一年後に、ここで再読する以外は皆無。
その分、後で読むと面白いが・・・ 
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3461, 純粋持続 −1
2010年09月16日(木)
 ベルクソンの「純粋持続」の考察が面白い。 
まずは、ウィキペディアで、「純粋持続」を検索した。
 * 粋持続と真の時間
【たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、
 こま切れにしたりすることはできない。このように概念や言葉から離れて
内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。
その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、
止めようなき自発、能動によるもの。これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。
この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。というのも、空間化とは
数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、そ
れはもはや流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって
古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。】
〜〜 以上が、純粋時間の要点だが、
 我われのいう時間は、あくまでも決め事でしかない。日常生活でアナログ
時計や、手帳やカレンダーなど空間に時間帯が印刷され、それを見て日程をたて、
お互い、そして自分自身、その約束事に従っている。それを真の時間と勘違い
している。 しかし、人間の意識に流れる時間とは、それとは違うのは誰も
直感で知っている。日常生活の便利さに惑わされて、意識の時間が持つ性質を
忘れている。人間が作った約束事の「空間的かさぶた」を剥がしてみると、
そこには本当の時間が姿を現すかのようである。その「本当の時間」を
「眠った時間」の状態から分かりやすく説明するためベルクソンは「純粋持続」
と呼んだのである。 豊かさとは、そのような「純粋持続」を如何に確保できる
かにある。たしかに、私が秘・異郷旅行にはまるのは、その時間を濃度深く
確保できるからである。空間移動で、その色濃く感じる空間から感じ取ることが
果たしてベルクソンの、それと「純粋持続」と言えるかだが。人間は定期的季節
の変化から、一年という周期を経験的に知り、それを、それぞれ季節3ケ月、
さらに三等分して一月、そして一日、という単位を作っていった。農耕にとって、
それが大きく役立った。しかし、それは人間が作った約束事でしかない。
人間の心の時間は、それ以前から現在に至るまであった。
その時間こそ真の時間と看破したのである。    ー つづく
・・・・・・