ネットの[教えて!goo] で、「ぬいぐるみに話かける男」に対する回答が7人
あったが、ほぼ肯定的の内容。 自宅から離れた学生時代の初めての独り暮しで、
部屋の座り机に鏡を置き、自問自答をして寂しさを紛らわせていたことがあった。
誰とも話す相手が居ない都会の侘しさの極めである。自宅通いの都会育ちは、
このシェアハウスの生活が羨ましそう?でもあった。25室の寮生活の生活環境は、
トイレと、共同台所と、洗濯場がある、今でいう<シェアハウス>風で、誰かが
部屋に遊びに来て談笑するなどの温みがあった。しかしアパート暮らしの友人は、
慣れるまでの1〜2年は、長期の連休前になると、誰とも接点が無くなるためか、
帰宅恐怖症的になって、喫茶店で同類と群れていた。3連休以上はキツイらしい。
 しかし、この都会の孤独経験が貴重で良いのである。青年期の一時期、殻に
篭る生活が必要である。
 現在、書斎コーナーのパソコン横に、両親が残した小さな布袋と百万長者像、
ネパールの市場で買ったミニ仏像、マリア像、自然石の仏様の像、仏像を彫り
こんだ胡桃、ガラスの地球儀などが並べてある。息抜きに、撫ぜると、なぜか
気持ちが和む。それもあってか、ノイローゼや、落ち込みはホボ無い。 
数ヶ月前から、就寝時に、梅干大の大きさのラジウム石を握り眠っている。
真中に穴が開いており、そこに紐を通して、指に絡めているため、熟睡しても
転げ落ちない。数年前に、一年以上使っていたものだが、復活。ラジウムが手
から直接伝わり熟睡できる。岩盤浴に近い効果があるのか、気が充満してくる。 
 就寝用の「ラジウム握ぎ握ぎ」ということか。  終の入院には、これらを
持ちこみ、枕元に小さなオボンに並べて、手にはラジウム石を握り締めて。
イメージは、亡くなった家族に囲まれたイメージを持ち、虚空を彷徨いながら。

  * 「ぬいぐるみに話かけるのは変ですか」に対する返答
≪ 〜No.7 回答者:
こんにちは、いいんじゃないですかね〜、私ならキモくもないしドン引きも
しません。私もお針は得意なので、修繕してあげたいです(笑)
 以前交際してた男性がそんな感じで。20代後半のとき、百貨店のおもちゃ
売り場においてあったオレンジ色の熊のぬいぐるみに一目ぼれ。4000円ほど
だったのですが、大のオトナ、しかも男が・・ と本人は熊を撫で回しながら
悶々と悩んでいましたが、「ほんならアタシがプレゼントしよか?」と提案
したところ、大喜びでした。幼稚園児の姪が「アレで遊びたい」とお願いしても、
ダメ! と触らせないくらいのかわいがりようです。 (彼の留守中に来て、
勝手に遊んでたらしいですが・笑) そこから何に目覚めたのか、古くなった
シャツや家族の洋服をリサイクルし、テディベア作りにハマリ始めました。
パソコンで型紙から起こして作るような凝りようです。ぬいぐるみ作家って、
結構男性もいるそうですよ。そんな彼も40を過ぎましたが、オレンジ色の熊に
「みかんちゃん」と名づけ、今でも大切に飾ってあるそうです。
そんな人もいるということで(笑) ≫
▼ アブラハムの創出したラージXの『神』は、この「ぬいぐるみ」に似ている。
 それを共同幻想化したアラーの神である。問題は、人種間に分裂した仲間割れ。
人間には共同幻想が必要。コスプレは、その人形になって楽しむこと。ホテルの
ロビーで、その集団に遭遇した時の驚き。若いから出来ること。 ハロウィンは、
それを祭りにして練り歩く行事。 数年前に行ったモントリオールが、その日で、
千人近い血だらけの殺人者の仮装行列に出会ったが、その面白かったこと!
人生の砂場の遊びは、深くて、味わい深いものがある。極限では、味わえない。
その先に何歩も踏み出さないと、それらとは出会えない。
「達磨さん、こちら向かんせ世の中は、雪月花(ゆきつきはな)に、酒と三味線」
【花見酒】 世の中は月雪花に酒と三味線 酒のない国に行きたき二日酔い、
      また三日目に帰りたくなる

・・・・・・
5288,「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 〜『自分を超える法』
2015年09月06日(日)
         ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * ミツバチが教えてくれた「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 
‘考え方さえ変えれば、お金は必要ない’と、自分を超える「5つの法則」
を提示する面白い本である。その中の、色いろな寓話が良い。
ランダムだが、ミツバチの寓話がよい! 
  〜ハチミツをつくることが、ミツバチの真の仕事ではない〜
≪ ここで寓話を1つ紹介します。
 起業家のキース・カニングハムから聞いた、ミツバチの話です。
ミツバチの生きる目的を知っているかい? もしミツバチに
「何のために生きているのですか?」と尋ねたら、きっとこう答えるだろう。
「ハチミツをつくることが仕事よ。せっせと蜜をつくるの。
なぜなら私たちはミツバチだから。」 キースが続けます。
「でも、その答えは必ずしも正しくない。ミツバチには、ハチミツをつくる
ことなどよりも、はるかに重要な役割があるんだよ。その役割とは、花の
『花粉』を運び受粉の手伝いをすること。それにより花は咲くことができ、
生命が循環している。仮にその営みを取り去ったとしたら、すべての生態系
が崩壊してしまうほど、もっとも根本的、かつ絶対不可欠な役割を担っている」
 当のミツバチは、おそらくそのことを知らないでしょう。もし、今全世界の
ミツバチが自意識に目覚め、次のように言い始めたらどうでしょう?
  〜無意識でやっていることが、貢献につながる〜
「ねぇ、私。生きる目的を知りたくなってきたの。仕事を放りだして山で
瞑想するわ。生きる意味の答えが見つかるまで、山頂のバラの茂みに
しばらく引きこもるの。使命が見つかれば、充実感と情熱に満たされて、
また仕事に戻ることができるから、しばらく休むね。」
 全世界のミツバチが突如そう言い出したら、花が咲かなくなり、
生態系の循環が停止してしまいます。
 当のミツバチは気づいてないかもしれないが、
「毎日の仕事を精一杯こなすこと」で、彼らの「真の使命」がまっとう
されているのです。 私が言いたいのはこういうことです。
〈あなたが日々無意識に自然体でできていることの中には、
   実は世界に大きく貢献しているようなことがあるのです。〉 ≫
▼ 人間は、言葉を持ったお陰で、「毎日を一生懸命すごすこと」の価値を
 理解できる。とはいえ、目の前の問題に集中し続けてこそ、その先にある
「真の役割」が理解できる。人生を振り返ると、節目に大きな機会がある。
表面的には挫折というカタチを装うが、実は、生き方を変える節目時を
運命が提示をしてくれている。4年前の節目は、〔余白はさほど残されてない、
余裕を持って死に準備を始めなさい。まず手始めに、会社の整理から!〕

・・・・・・
4923,パワレルな知性 ー1
2014年09月06日(土)
   * 価値の遠近法      『パワレルな知性』鷲田清一
 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い!
  ーネットによるとー
≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。
 ① 絶対に必要なもの、失ってはならぬもの
 ② あってもいいけどなくてもいいもの
 ③ なくてもいいもの
 ④ 絶対に不要なもの、あってはならないもの
彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性を
 いろいろ示す。
「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。
四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることに
なるからだ。自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。
当然、人によって仕分け方は違うため、自らの仕分け方と他者のそれを比較し、
違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。
「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。
「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理。
いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。
さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、
とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、
不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を
仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という
勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」
野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには
 悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて
いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを
えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない>
とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の④、③、②と、一つずつ捨てて、①に絞ること。
そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 
「お金は、②、いや、①?」
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4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)           
 * 追われ追われて南米最南端 
        「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、
「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が
南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先
で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ
から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、
弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。
北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。
逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。
弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 
僻地の人間は、そのためか優しい。  ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、
 世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを
しましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない
 ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング
 海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 
 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、
 東風は風速15M以上になることが多い。  
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと
 言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら
 何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物
 がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと
 思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる
 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。
 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。
 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。
 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。
たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。
関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。
 そこで、はじき出された人がフロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も
 多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。
 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。
 そこでも人口が増えると、また弾き出される人たらが出てくる。
 だから、日本は弱い人の吹だまり。それ以上、東に行けないわけですから。
たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。
関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか
 悪いかけ別にして、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を
 制覇しようとした。だから、弱いといって、いつまでも弱いわけでない。
 弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のとき
 から、弱いから知恵を使って生きてきた。 》
▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って
 挑んだ訳ではない。弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、
変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。
脱皮できない蛇は死ぬ。
・・・・・・
4181, 呪いの時代 ー1
2012年09月06日(木)
              「呪いの時代」内田樹
 なかなか時代の特質を捉えた面白い本である。バブルと、バブル崩壊後、
日本は20年以上も下降曲線をたどっている。経済大国と言われたのも遠い
過去になりつつある中、人々は、その環境の中で互いに呪い、怒りをぶつけ
あっている。そして中流社会が崩壊を始め、総下流化社会になりつつある。
そこでは互いに呪い、一部勝ち組を呪う時代になっている。
呪いは人間としての悪い意志、否定的な情動であるが、その核心部分には
他者の全面否定と破壊と殺意が内蔵されている。自己崩壊は他者への憎悪と
なり自他とも傷つけるだけでない、未来へ希望と友愛を損傷する。
「呪いの時代」は、言い得て妙である。
  * まずは、第一章 呪いの時代より
≪「呪い」は今や僕たちの社会で批評的な言葉づかいをするときの公用語
 なりつつあります。「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、
「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な
社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども彼らはそれらの言葉が他者
のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに
無自覚のように思われます。20年ほど前、まだ僕が学会というところに顔を
出していた頃までは、学会発表後の質疑応答で、「あなたは…の論文を読んで
いないのではないか」とか「周知の…についての言及がないのはなぜか」
といった、「そこで論じられていないこと」を持ち出して、「こんなことも
知らない人間に、この論件について語る資格はない」と切り捨てる態度に出る
学者が沢山いました。僕はそういう「突っ込み」を見るたびに、どうして
彼らは「自分の知っている情報」の価値を高く格付けする一方、
「自分の知らない情報」が知るに値しないものだとあれほど無邪気に信じて
いられるのか、その理由がよくわかりませんでした。僕たちは誰でも自分の
知っていることの価値を過大評価し、自分の知らないことの価値を過小評価
する傾向にあります。だから、学者にとっていちばん最初の仕事は、自分の
所有する学術情報を適切に評価することであるはずです。でも、
「君は『こんなこと』も知らんのか」と気色ばむ学者たちは「こんんなこと」
が議論の始点でなければならない理由について、ほとんど説明責任を持てない
ようでした。・・・・ 学者というのは「知識を持つ人間」ではなく、
「自分のもつ知識についての知識を持っている人間」のことだと思います。
ですから自分の知っていることは「知るに値すること」であり、自分が知ら
ないことは「知るに値しないこと」だと無反省的に信じ込める学者のことを
僕は端的に「学者の腐ったようなやつ」と呼んでいました。しかし、
学界だけの固有種であったこのタイプの人々が今ネット上では異常増殖して
いるように僕には思われます。ディスプレイに向かって、グーグルで
キーワード検索をしながら、個別的なトピックについてのトリヴィアルな
情報を入手することそれ自体は愉快なことですし、誰の迷惑になるわけでも
ありません(僕だって大好きです)。けれども、そうやって自分が仕入れた
知識の価値を「知識についての知識」というメタレベルから吟味する習慣を
持たない人にとっては、どれほどトリヴィアルな情報を収集しても、
それは学的には無価値だということは忘れない方がいいと思います。≫
▼「呪い」が、恐ろしい結果をもたらす事例を、あまりに多くみてきた。
特に、人生に恵まれてない人のそれは酷い。起こった現象しか見えないため、
その背後の原因を突き詰める能力が無いのである。呪いは、羨望が含まれている。
そのため周囲の全ての人が対象になるから始末が悪い。国会の有様は、正に
呪いの政争である。 呪いの政治は破壊しかない。
・・・・・・
3816, iPadを買った ー3
2011年09月06日(火)
 手元にきてから二週間、iPadにますます虜。パソコンが大好きだが、
イマイチ使いこなせかった。このお陰で?アプリを比較的簡単にダウン
ロードして気楽に使えるようになったことが大きい。更にゲームをパソコン
で遊んだ経験が殆どなかった。そこで、まず無料のゲームで子供心に立ち
返って遊んでいる。「自分の人生がゲームそのもの、敢えてする必要もない」
と決めつけ、受け付けなかったこともある。このところ一日2時間は熱中。
まずは無料の小学校低学年?レベルのもの数種類だが、始めると止まらない。 
まあ、いい歳をして幸せなことだが、面白いのは面白い! 先日、初めて
デジタル雑誌をAplleから購入をしてみた。『最新iPadアプリ 特選700』。
「成るほどiPadを買ったことで、iBookが購入出来た」と一人感心。 
そこで気づいたのは、目次から一瞬で項目のトップに切り替わること。
それとitunesの音楽とは逆に、ページの下に次々と、各ページのイメージが
スクロールをすると現れてくる。 雑誌をパラパラと捲るのと同じことが可能。 
また、最後に読んだところが、次回にiBookを開いた時に自動的に開く。 
最近の録画は、最後にみたビデオの部分が自動的出てくるのと同じ。 
さらに字の大きさが親指と人差し指二本で拡大・縮小できるのも便利である。
 何よりも何時でも、何処でも、気楽に見れるのがよい。Podに数千曲入力して
ある感覚と同じ。「アプリあってのiPad」が、この本の副題にあるが、
PCでアプリを充分に活用できない者にとって、「iPadあってのアプリ」になる。
それぞれの有り難さは違って当然。 私には「iPad 様様」のよう。 
初めて携帯電話を手にしたのに匹敵する。 問題は自分にピッタリのアプリを
如何に探し出し活用できるかである。 無線で、平面で、本の大きさのため、
画面にピアノや太鼓の画面を表示し、作曲したり、演奏をしたり、
車の運転席で道路を疾走するする画面のゲームも現れている。
それもネット上で誰かと競技も可能。
・・・・・・・
3451, ニューカレドニアの休暇 −1
2010年09月06日(月)
 去年はブタインフルエンザ騒ぎで予約をしていたクロアチア・ツアーを
急遽キャンセルをした。その後、あの騒ぎは薬品メーカー(WHOに入り
こませた役員)が薬品を売るための詐欺紛いの扇動と後になって気づいたが
後の祭り。恐慌二年目も加わり、25年間、毎年行き続けた海外旅行が途切れた。
そして今年は恐慌三年目、経済的状況は二番底に向け動き出した。
さて、どうするか迷った。毎年9月以降に大きな事件が起こる傾向があるので、
最終タイムリミットは9月初旬まで。 近くで、安く、目だないツアーを
絞って盆明けになって探した。グァム島はありきたり、バリ島は家内が嫌。 
オーストラリアはイマイチ。そうこう調べてると南太平洋の中で
「7日間で8万弱のニューカレドニア」を探しあてた。ワンフライト8時間で、
滞在型で、エネルギーが最小で済むところとあいなった。しかしホテルの
一ランク上に上げたり、現地で4回のオプションツアーに参加したりで、
二倍近くになってしまった。それでも15万である。 振り返ってみて、
オプションは2回で十分で、あとはホテル近くの海岸線の木陰で日干しを
したりして、のんびりするのが正解。 二度と来ないと思うと可能な限り
動きたい気持ちに勝てなかったのである。 私の基準の採点では80点。 
フィジーが90〜95点とすると少し低いが、私の避暑的時間の
過ごし方になれてなかったこともある。フィジーと違って、ここはフランス領
ニューカレドニア。 四国ほどの面積に25万弱の人口が住んでおり、小さな
多くの島が点在している。ニッケルを主とした鉱山資源が豊富。
フィジータヒチなど年中、常夏な気候に対し、5度ほど寒い冬がある。
この時期は丁度冬と夏の境目。冬で20度、夏でも25度というから、やはり常夏。 
大まかにポリネシア系の現地人が4割、フランスなど白人系が3割、アジアの
移民が3割の比率で、フランス支配感が強い国で、地中海のフランス領の
小島にいるようである。その点、フィジーは小さいながらもポリネシア
独立国でありポリネシアの人間的特性が前面に出ている。料金はフィジー
5割高くなる。 南太平洋に行くなら、何処の国の領地か、独立国か調べた
方がよい。 植民地は白人支配が前面に出ている。現在、世界は一部の白人が
支配している厳然たる事実がある。 インドのカースト制度は、三千年かけた
アーリア人による身分制度で、裏づけにヒンズー教で心まで支配する
システムになっている。一神教ユダヤキリスト教も、ほぼ同じ手法で、
侵略の尖兵として、キリスト教で洗脳しながら乗り込んでいく。そして世界を
牛耳っている。ここで、日本がアメリカの金融被支配国が表面化してきた。
それだけでない、軍事も支配されている現実がある。 
バカではないかというほどの人の良さが小さな島国の運命である。
・・・・・・・・
3076,120年の物指し
2009年09月06日(日)
 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。