『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   *「虎穴問答」と、余命宣言
 これまで、「虎穴問答」について何度か書いてきた。以下は4年前の内容。
『余命宣言』された本人にとって、治療余地のない、二年以内に間違いなく
死んでしまう病気が虎。いつ何時、陥った虎穴に飛びこんできて襲われる運命
の中、救われるために、自ら食われてやれば愛と誇りが残ることになる。 
 以下のスピーチは、まさに、虎穴問答の悟りと同じ。死をマイナスに捉えず、
積極的に、明るく迎えることが、虎に自ら食われてやることに、あい通じる。
≪ 所属している川口ロータリークラブの、決戦というか、人生の幕引きの
スピーチが始まりでした。会場を埋めた約八十人を前に、余命宣告を受けた
身であることを告げ、死に対する自分の向き合い方などを語り、最後に
このような話を付け加えました。
「多くのことの始まりには理由はありませんが、どう終わらせるかは
自分で考えて決めることができます。」生まれた理由は見つけられません。
しかし、終わるための納得する理由は、自分で見つけられます。自分で、
人生の終わりの意義を、明るく納得するように考えればいいんです。
 私のラストテーマ、"死を、積極的に、明るく迎える"こと。死を恐れ、
死を忌み嫌い、死を避けながら終わるのではなく、前向きに納得できる
ものとして組み立てていくのが大事だと思っています。私は、最後まで
元気を出していきたいと思います。」会場は水を打ったように静かでしたが、
私が明るく話すので、途中からは笑いも起こりました。ほとんどの方は
驚きつつも、好意的に受け止めてくれたようです。≫
 この虎穴問答、私の事業の幕引きのときも引合いに出していた。
辛い、厳しい、誰もが経験する最期の一週間の苦痛の中で、後向きにならず、
立ち向うことが出来るか否か。息が出来なくなり、最期は窒息状態でもがき、
死んでいく。ガンの壮絶な苦しみとは違った苦痛。
―――
2012/08/07
虎穴問答
 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という
衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県
知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」
の立場上、抜き差しのならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった
問答。そして自から、その会を潰すことになった。 去年の倒産劇の時も、
この問答を思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで
頑張るべきかの決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。  
 逃げまくった末に、食べられるか、自ら、早々、食べられてやるか?
 ーネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、
「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が
虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。 王仁三郎が、
「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家
だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が始まる。
<人間より虎のほうが強いから逃げようとすると殺される。刃むかっていっても
同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。どっちに
しても助からない。けれど一つだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。
こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自分のほう
から食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。
 王仁三郎はこの問答で大本事件を語ったのである。裁判長はさすがにうたれる
ものがあったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が
法廷に流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴
問答はもうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と
誇りの犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に
死地に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかう。
これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前・戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や
 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴
問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死などの四苦八苦と
例えることができる。それぞれの苦を、自ら受け入れることこそ解決の最短の道、
と考えることができる。事業断念も決意も、虎を3つの断層=9・11テロ、
9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災とみなし、
その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、
先んじて喰われてしまおうと、最後に思い出したのが、この問答。
当時、大本教を題材にしたー『邪宗門高橋和巳著ーを読んだが、これが面白い。

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5214,私のゴールデンタイム
2015年06月24日(水)
   * ゴールデンタイム
 30数年前から就寝を20時半、起床を4時(冬場は4時半)にした。
就寝して4〜5時間、爆睡後、起床するまでの4時間、半睡状態が続く。
その間、脳が活性化をして、様々のプラスとマイナスの思いが起こってくる。
このコントロールが難しいが、これも慣れると、思いの大波の上のサーフィン
をしているような感覚になる。で、時どき、睡魔に沈むが、これは自然に
任せておけばよい。そして起床をして、前日書き上げた随想日記の下書きの
当日分を、推敲し完成する。と同時に、翌日分のテーマと内容も書き始める。 
その時、0〜4時までの半睡状態で考えたことが、材料になることもある。
そして、ブログにアップした後に、一時間の自転車散歩に出発する。
 帰ってきて7時半にコーヒーを飲み、軽い食事後、風呂に入る。それまでの
0時〜9までが、私のゴールデンタイムになる。 9時過ぎから12時近くの読書
タイムも、ゴールデンタイムに加えてもよいが、9時から17時までは、シルバー
タイムに区分した方が生活実感に近い。すると、17時から20時のTVを見ながらの
晩酌やiPadタイムの時間帯はプラチナタイムになる。20時から0時は、そのまま
爆睡タイムか。 現在、週に三日間、スポーツジムで45分間の、「ヨガ」に
参加しているが、毎回、終了直前の5分間に、ヨガマットの上で「大の字」に
なって、全身を弛緩してマントラを聞きながら、「死者のポーズ」をとる。
その時のイメージを0〜4時に思い浮べて、瞑想の要素を入れたところ、
その時間帯のマイナス思考の割合が少なくなった。その時間帯のフラッシュ
バックや半睡を冷静に見つめる視線を持つことが出来る。老いは、どうしても
弱気になり、動揺が起こり沈みがちになるが、バウンドをつけるのは自分だけ!
生きてきた、そのまま、老いて死んでいくというが、なるほど。 娑婆!
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4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ!
2014年06月24日(火)
   * つい本音が出てしまう!
 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 
普通の子女史が売春する値段が世界共通で、その地区の平均給与の一週間分とか。
それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前
の2007年暮れから6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が
112円。一割しかドル安になってない。常識的にみれば、三分の一の40円
以下になって然るべきなのに。その差額は? アメリカが刷った分、何もしない
で手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、どこが違うのだろうか?
当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。これも3倍になっておらず、
不自然。 大元が、コントロールしているため。最後は、お金だが、その価値も
当てにはならないことが、これから垣間見れる。 金の本質は所詮幻想! 
としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に戦争を起こし、
ドサクサでハイパーインフレにし、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、
世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、
貧乏な中国、ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる
図式が近未来の姿。で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 
当地の住民のインタビューが的を得ている。 『最後は金だろうが、それを
担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。
本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。
   * 都議会の女性差別?発言
 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だが、偶然、マイクに拾われ、
大騒ぎになってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。
少子問題を取り上げる当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくり
をして、その範を示せ!』というのも一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。
阿部首相が、「この難局には、更なる女性の社会進出が必要」と政策を掲げて
いる中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、女性蔑視発言と、
嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 
当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかった
だろうに、言葉は恐ろしい。
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4482, 静かなる大恐慌 ー2
2013年06月24日(月)
          「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら
止めることは出来ない。それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、
乗り越えなければならない現実がある。
 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると
◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わり
 を迎えた。それを繰り返さないために何が必要かを考えることこそ、この危機
 の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁)
◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎた
 グローバリゼーションへのバックラッシュのなかで、いかにグローバル化路線
 を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。
 それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための
 「大きな政府」の必要性になる。
◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、
 「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなり
  もったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。
  ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化
  今さら変えることも否定も出来ない。この事態は何事も事前に対策をとる
  ことが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、
  何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは
  到底思えない。 これらから、以下の問題点が見えてくる。
グローバル化大きな政府をつれてくる。
  (格差や失業は福祉でカバーしなければならない)
グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。
グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。
グローバル化新興国の足かせになる。
グローバル化は地方を疲弊させる。
▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。
 パソコン、携帯電話が地球の隅々まで行渡りネット社会が現実社会の上を
覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも
民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが
全く確立出来てない。その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊して
いる「アラブの春」といわれる現象である。したがって、政治経済の混乱は、
あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、
数千年に一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのでは
なく、可能な限り静かに順応していくしかない。
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4108、パニック!
2012年6月24日(日)
 * 大恐慌、実体験談!    「大恐慌! 」スタッズ・ターケ著
 日本人の近い未来を予測させられる本である。80年前の大恐慌の経験を、
30年後の1960年後半にシカゴを中心に金持ちから貧乏人、白人、黒人、日本人
などが大恐慌時代の生々しい現実をインタビュー形式で答えている。実体験なので、
これからの暗い現実を垣間見ているようだ。直撃を受けて生活に困った人、運良く、
乗り越えた人などいろいろある。ここでは生きのびることが、その世界の掟。
世間知らずだった人々に、突然世界が押し寄せてきた当時のアメリカの生々しい
現実がリアルである。大恐慌は、バスタブの栓が抜けるように始まったとある。
それが年内に始まる可能性が大という。他人事でない、私の場合、現実に一年前に
先駆けて起こってしまった。そのため、それが始まった時の混乱がリアルに見える。
鼻声で他人事で嘲笑している顔が、海岸線にいた津波の犠牲者に二重写しに見える。
  ーアマゾンの内容紹介ー
80年前、人びとはあの“つらい時代”をいかに生き抜いたのか? 
そして今、われわれはどう生き抜けばいいのか!『仕事!』『「よい戦争」』
等でインタビューの名手と謳われたスタッズ・ターケルが、ローズヴェルト
政権の中枢部から失業者、役者、犯罪者にいたるまでさまざまな階層・職業の
人びと132人にも及ぶ声を赤裸に再現、あの“つらい時代=大恐慌時代”を
なまなましく蘇らせる。
* 「恐慌(デプレッション)」って言葉は聞いたことがないよ。
 つらい時代(ハード.タイムズ)だって、みんなは言ってた。今も。
       ーロジャー、十四歳アパラチア地方の少年、シカゴ在住
* 大恐慌っての、今なら面白いかも。ホント、すごいことじゃないかな。 
 路上生活をしたって、「ほら、家に帰って学校に行ってくれさえすれぽ一万$
 あげるから」なんて誰にも言われないんだもの。今のぼくらには選択の余地
 がある。もし選ぶことができなかったら、どんな感じかな? ートム、二十歳
* このことをおたしは記憶にとどめています。人によっては頭のなかから
 追い払ってしまうことですが。わたしは忘れたくない。自分の最高の思い出を
 それで汚したいわけではなくて、それはそこに存在していてほしいんだ、なに
しろ実際に起こったことだから。これが真実、歴史でしょ。ーシーザー.チャペス
* 彼らが愛したのは、死んでしまったわたしたち。
 彼らはわたしたちの誤りをすべて忘れた。わたしたちの名前はごたまぜにされた。
 物語は長かった。若者たちは踊った。焚き火にくべる新たな大枝を切ってきた。
 そして言った、さあ話の続きを聞かせてよ。それからどうなったの?
 わたしたちには沈黙があった… ージェネヴィーヴ・タガード、婦九四〇年
▼ 黒人のインタビューで、「貧しい俺たちにとって、大して変わりはないね」
 という言葉が印象的だった。誰かがアフリカの難民を呼びよせて福島の惨状を
 みせたが、何も言わないで帰った。彼らにとって、それが日常でしかなかった。
・・・・・・ 
3742, 世界でひとつだけの幸せ
2011年06月24日(金)
  * 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著
 学生時代にポジティブ心理を知り、多くを実践し、矛盾を感じ、最近では
考え方の一つとして割り切ってみている。その最たるものが、中村天風の「
積極的ものの考え方」である。 少しスランプ気味になると、トイレに二冊、
置く習性になっている。現在も数ヶ月前から、しっかりと置いてある。
その辺のタイミングは心得ている。あまりポジティブ思考に固執すると、
嫌なこと、マイナーなことから目を背けてしまい、重大なミスに気づかなくなる。
ポジティブ的思考には、かならず逆照射のマイナー思考を重ねる必要がある。
当然、両者の要素が濃くなるほど混乱、葛藤が大きくなる。しかし、
そのプロセスを踏まないと落とし穴に落ちるリスクが増す。ところで、この本、
読み始めたが面白い。 ここで著者は、ネガティブ志向の人が、自らの短所や
悩みを解消するのではなく、それぞれにもともと備わっている「強み」を
さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになると説いている。
 人間も動物も、細胞から進化して現在に至ってきた。現在まで生き抜いてきた
生物は、それぞれの場面で必ず、それぞれが持つ強みを発揮したから、ここまで
到達してきたのである。「自分の中にある強みの遺伝子は己の中で出番を待って
いる」という考え方は説得力がある。そこで私の強みとは何か?を、人生を振り
返って考えてみた。そこで気づいたことは、どの場面でも、「学び続けていたこと」
であった。初めは実利的なことだったが、途中で変化していった。当然といえば
当然のことだが。「僅かな地球の滞在期間を、せっかく与えられた人生、
可能な限り多くを知り、経験をし、楽しまないと」そのための学びになっていった。
その一つが、10年前にHPをネットで公開し、因縁のある人に学んだことを
晒すことを思いついた。 そして、その習慣が現在のエネルギーになっている。 
で、このザマ? それでもかまわない。その通りである。この習慣そのものが、
自分を支え、現象に振り回されながらも冷静でいられる。 
 それと、良いと決めつけたことを習慣化してしまうこと、これを重ねていく
ことも強みである。反面、悪い習慣を、そのままにしてあるが、治そうとしない、
だらしなさがある。人間の強みの最大の一つは、形而下(現象など)を、
形而上に変換し、考えることだが・・・
 ・・・・・・・
3377, 人は風呂に何を求めるのか
2010年06月24日(木)
 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れて
いればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。世界中で、汗をかくほどの
湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かる
のも日本人だけ。だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンの
シャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として半地下の小屋で火を
焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。これが、焼き石を持ち込むことに
替わり、焼き石に水をかけて蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。古代ローマも、
各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。
ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 
日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴
から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂に
なっていく。「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、
現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、汗をかいた後に、汗や
垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の
気持ちになっていた。刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。だから、日本人は
昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると温泉に長時間の療養を
してきたのである。  国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 
中学校の同級会で「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題に
なったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。
ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。
ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり美容によいという。 
一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。
 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に
30分ほどつかる。その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。
5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、信濃川岸のサイクリングか
ウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、
帰って新聞を読んで、風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、
気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。
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3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件
 2009年06月24日(水)
 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の
至近距離にあるホテルの美容室に勤務している娘が昨夜帰ってきて泣きながら、
殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」
という。 特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。
新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュースでは100万円
以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかった
のだろう。 それにしても、事務所内は血の海で、血の足跡が外まで続いていた
というから、凄惨な殺し方のようだ。月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金から
みて、極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって
決めておいて逃げたのだろう。犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの
可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、
黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 
 (字数制限のためカット 2012年6月24日)