* 日常性と非本来的な生き方
 人間は一般的に、規格人間の生き方を良しとし、平均的に、責任を持つこと
なく、生きようとする。世間とは、こういう生き方を良しとし、人と違った
生き方を蛇蝎のごとく嫌う。人生は非日常の中から、新しい世界が広がる。
しかし、人は日常の繰り返しを好しとする。ハイデッガーは、人間の持った、
その習性を真正面に取上げている。 〜ネットで、「世人」を検索すると〜
≪ ハイデガーによると、我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけでは
 ない。我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのか
を真剣には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日
その日を他人や物(道具)との関わりの中で生きている。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と
呼び、人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きている
とする。人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じ
ように物事を考える個性のない平均的な生き方をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。 世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は、人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 世人の特徴は次の二つにまとめられる:
① 平均性 Durchschnittlichkeit
② 免責 Entlastung:この語には、責任免除、責任回避という
 二つの意味が含まれている。
  この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、
 特定の行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。
 この免責の好例は、おそらく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛。
 それは一向にはかどらない。その理由は明らか。私ひとりがやめても、どう
 にもならない。皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を
 転嫁し、自分の行為に目をつぶる。 ≫
▼ 知性とは、教養とは、規格人間に埋没した己に気づく知識の質量のこと。
 決して、同調するための情報ではない。常々、「世間」を取上げ、埋没して
いる自分を何とか救い上げてはいるが、平均性を求め、責任回避をしている。
『和同の精神』という、長岡高校の精神がある。和すれど、同じない心がけ。
「世人」にも、その属している質もあろうが。情報化社会が、「情報世人」
(いま、私が創った言葉)たる、何も考えられない俗人を生み出している。
しかし、最も格差を生む、情報の質量の格差は大幅に改善されることも事実。
「世間の、どこが悪い」「世人のどこが悪い」というと、小さい世界の中に
閉じ込められている自分に気づかないこと。いや気づかない方が良いのかも。
 で、また偶然だが、丁度よく、以下の内容に続く。

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5173,人生相談という気晴らし! 〜④
2015年05月14日(木)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道
  * 周りと同じ「普通」であることが、果たして善か?
「世間びと」の典型事例が<普通の人>である。普通であることが善と信じる
大部分の一人が、この質問者。少し外れた弟を勝手に見下す普通の人である。
無知だから仕方がないとしても、私の姉4人を見る限り、同じような思考範囲。
で、私は最たる愚弟であり、自認している。身辺からしても、当然、異物である。
≪ Q: 〜41歳になる弟が稼げません。将来が心配でなりません〜
 私は53歳の主婦です。私の41歳になる弟のことで相談があります。
弟は大学卒業後、証券会社に入社し、バブルの絶頂期に社内結婚、しかし
バブル崩壊と同時期に離婚、そしてリストラされています。子供はいません。
それ以来、何か気が抜けてしまつたようで、40代になっても独身生活。
社会保険労務士、ファイナンシャル・プランナーなど資格取得にチャレンジし、
その資格を活かして働いているようですが、所得はアルバイト程度で(国民
年金も払えていません)、父親からの援助なしでは暮らしていけないようです。
身内の私が見た限りですが、弟の性格は悪くなく、独身女性にもモテるように
見えるのですが、このままでは弟の未来が心配です。
弟を一人前にするにはどうしたらよいでしょうか。
  A: 〜まず、あなた自身が弟さんを見下す姿勢をやめなさい〜
 回答を裁判の判決形式にしますと「主文、放っておきなさい」となります。
あと判決ではぐだぐだ「判決理由」が続くのですが、今回の場合、何と理由
づけようと(たぶん)五体満足で精神病に陥っているわけでもない41歳の男を
一人前にするために姉が(いや、ほかの誰でも)口を挟むことはありません。
ご相談の内容を仔細に見ても、別に弟さんに何の問題もないじゃありませんか?
むしろ、私はこういう相談をもちかけるあなたのほうに問題があると思います。
世の中には、周りの者(とくに家族)が「普通」でないと、きわめて居心地が悪い
「善人」という名の一群の人々がいますが、あなたもその一人のような気がして
なりません。その「普通」の中心に仕事と結婚がデンと居座っている。
あなたも、弟さんがしっかりした職業についてしっかり金を稼ぎ、しっかりした
家庭を築けば、それでいいのでしょう? しかしーあえて原則論を言いますがー
さまざまな生き方があっていいのではないですか? 現代日本、組織に入らなく
ても食っていける道はいろいろありますし(弟さんはいまそれを模索している
のではないですか?)、結婚しなければならないという規則はありません。
というわけで、自分の弟であっても自分とはまったく別の人格であることを
尊重して、今後弟さんの人生に対してあれこれ干渉するのをいっさいやめる
ことをお勧めします。なお、親が彼を援助するのは勝手です。・・・ ≫
▼ 私が何時も非難する『世間びと』で、世の中の大部分が、善人で普通を
 求める方々で占められている。そういう私も、いざ息子になると、似たような
思考形態から抜けてないことも事実。振返ってみると、弟思いの善人の姉たちに、
いつも、「普通であれ!」と洗脳されていたようだ。見下している世間は、実は
普通の人たちで、普通になれない悪人たる自分が作りあげた幻想でしかない。
逆に、普通こそ据わりが悪いのも確か。「われ、普通を笑う」も、「目くそ鼻くそ
を笑う」の類のこと、ということ!「大変な人」と「普通人」、どうでもよいか!
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 4808,閑話小題 ー年寄りの愚痴
2014年05月14日(水)
   * 年寄りの愚痴
 親戚の法事で、いつも愚痴を言っている一回り少し年上の人がいる。
今回も、前回同様に酒が入ると愚痴が始まった。今回は「昔は良かった!」から
始まり、山本五十六の家系の話から、掛軸の絵の知識の披露と、講釈が続いた。
年を重ねると知らぬ間にクドくなるのは、自分も同じ? 長く生きてきたため
だろうが、これは合せ鏡で、自身を思いやるしかない。酒もまわっていたため、
私も二度「本当に昔が良かったですか?」と、クドく話に割り込んでいた。
 愚痴は、老人性うつ症の特徴の一つの現れ。 そこでネットで検索してみると、
《 65歳以上の高齢者が全人口の23.1%(平成22年)を占める高齢社会になって、
 当然ながら老人性うつ病も増えてきた。高齢者のうつ病には若年層で発症する
のと比べると、いくつか特徴があります。若年期、壮年期に発症する場合には
患者の口数は少なくなり、行動はむしろ不活発にみえますが、高齢者の場合では
逆によくしゃべり落着きのない印象を与える。若年期のうつ病では身体的な症状
を強く訴える場合は、仮面うつ病と診断されますが、同じように老人性うつ病
でも身体の不調を訴える傾向があります。うつ病を発症していなくても老年期
には、個人差はあるにしろ変化を嫌い、意欲を失い、適応力の低下、周囲への
関心の喪失という行動的、心理的な面でいろいろな変化が起きやすい時期です。
特に注意したいのは、老化に伴って性格が変わっていく点です。
一般的傾向をまとめてみますと、
①自己中心的になる  ②疑い深くなる  ③何にでも口や手を出したがる  
④保守的になる ⑤自分の健康を必要以上に心配する  ⑥愚痴が多くなる  
⑦感動しなくなる  ⑧気分や気持ちの切り換えがスムーズにできなくなる 
⑨ストレスにうまく対応できなくなる ・・・》
▼ 肉体的衰えが、精神の衰えを加速し、それがウツ症状をきたす要因になる。
 週に5日は運動ジムに通い、1〜2時間のミニサイクリングをしているので、
何とか落ちこみそうな気持ちを保っているが、この楽しみと、週一の映画館通い
と、自宅のドラマや映画の鑑賞と、この随想日記を書上げる面白味が無ければ、
おそらく、ウツ症になっているはず。先ほどの9つの老人の傾向、どれも
これも、日々、強くなっている現象である。これが連れ合いにも起こり、
その矛先が自分に向かってくるため、二重三重苦になる。で、愚痴が深くなる。
しかし、老いてからの連れ合いの喪失は、それより遥かに厳しくなる。
そして、攻撃先を探し出し・・ 意地悪ばあさん、じんさんになっていく。 
「転がる石には苔がつかない」で、転げまわるしかないのか?
・・・・・・
4441, 四つの時間
2013年05月14日(火)              
 * 四分割の時間割 〜「早朝坐禅―凛とした生活のすすめ 」山折 哲雄(著)
  宗教学者の著者が、この本で勧めている生活が奇しくも私の時間割と酷似
  していて驚いた。
 �デカルトの時間、�イエスの時間、�ブッダの時間、�涅槃の時間、の四分割
だが命名がユニークでよい。( )は、私。�のデカルトの時間は、早朝座禅と
読書や執筆などに充てる時間。(4時半〜6時にブログに掲載する文の添削と
完成、そしてアップ。6時過ぎから7時20分がミニ・サイクリングになる。
そして朝食、新聞、風呂で9時になる)
�のイエスの時間。著者が会社勤めをしていた時は、仕事に集中。
 あたかもゴルゴタの丘を十字架を背負い歩くような時間。
(9時過ぎから12時近くは書斎で、読書か、翌日のブログに掲載する文章の
下書きなど音楽を聴きながら、独り沈潜する)
�のブッダの時間。午前中に集中した緊張から解放された時間。
 (一時間ほどTVを見ながら昼飯した後、スポーツジムへ。正午から15時が
  目安になる。帰りに図書館かスーパーか蔦屋に立ち寄り15時半位に帰宅)
�の涅槃の時間。仕事も終わり、疲れきってしまい、後は晩酌をしたり野球中継
 をみたり。そして、熟睡。(私の涅槃の時間は16時から21時になるが、
 TVの前で、野球、大相撲、録画のドラマか、書斎で読書、そして晩酌)
早朝、午前、午後、夕刻・夜の四分割になるが、書き出してみると価値の高い
順に坂を下りるように世俗化するのが見てとれる。この四分割、人生にも当て
はめることが出来る。0〜19、20〜39、40〜59、60歳以上の、20年一区切り。 
か、25年一区切り。こうみると、どうも私は��が混同していたようだ。
ゴルゴダの丘も大変だったが。そして、涅槃の時節に御隠居で、納得。
 4分割を更に8分割すると「時間割」になるので、曖昧に二つ分けて
おくと良い。成るほど、老後への長期間の準備が必要だ。
・・・・・・
4067, つれづれに ー悲観的すぎるのか
2012年05月14日(月)
 先日、一年半ぶりに木鶏クラブの会に出席した。この会の何人かは、
私のブログを見てくれているが、自分でも気にしていた、「最近の世界と
日本経済の私の見方が悲観的過ぎるのでは」と指摘をされた。読者の多くは、
「一年前に会社を潰したため、悲観的になっているだろう」と予感をしていたが、
案の定。その指摘に対して、「自分の事業の資産デフレと価格デフレの実情を
実際に見て、右下がりの移動年計グラフを10年間にわたって見てきた裏ずけ
がある。世界の株価の総額が4千兆円というが、その十数倍=6京円の不良債権
が銀行、企業、政府の金庫の中に隠されている。これは、何かのキッカケで現れ
出る日がくる。私の事業に早めに来たので、会社をたたんだが、これから世界
恐慌というカタチで、大荒れになるのは当然の理。決して、悲観的過ぎないと・・
日本政府の財政を見れば分かるはず、この有様をみて、悲観的に思わないほうが
変である。」等々、の話になった。フランスも、ギリシャも、今回の選挙で、
国民は緊縮政策に「ノー」の答えを出した。 綺麗事をいい国民におもねいた
野党の毒入りの饅頭の政策に傾いてしまった。それと現在の民主党自民党
一部の連中の、囁きは同じ。10年前、5年前に、現在の事態を予測して、
警告を発した人は、当時は変人扱いをされていた。5年先から現在に戻ってきて、
警告を発したら、私が言い続けてきたことなど、大甘の論になると確信している。
5年後は世界恐慌の渦中にあり、銀行閉鎖とか、食料の配給もありえる話。
5年前、リーマンショックや、東北大震災と原発事故を想像できただろうか。
両者とも、500年とも千年に一度の大事件である。目先の応急処理で平静を
保っているが、株式の大暴落やハイパーインフレなど大クラッシュが起て当然。 
リーマンショックという大地震は起きてしまったのである。その後の津波
1〜2年以内に押し寄せてくる。ただ、時間の問題でしかない。地方経済は
半値八掛が現実。現場は沈黙しているが。ところで移動統計グラフとは、月単位
とすると、毎月、去年の翌月から今月までの年間の売上合計をとりグラフ化した
もの。それをみると、一年単位の趨勢が見えてくる。この右下がり傾向が10年
以上も続いているのが地方の現状。 それで6〜7割減といえば・・ 
一番先に現れるのが駅周辺のホテル、居酒屋、タクシー業界。 さらに携帯、
パソコンなどの情報化が、消費者のシビアな選択を加速、競争を激化させる。
その結果としてデフレが拍車。この中で供給サイドの体力は大きく削ぎ落と
されている。 悲観的になるわ〜
 ・・・・・・・
3701, ジャズについて −2
2011年05月14日(土)
            ー 三枝成彰著「音楽の本」より
【 * スピリチュアル、ブルース、ラクタイム…ジャズのルーツは黒人音楽。 
 ニューオリンズブラスバンドだけがジャズの母体となったわけではない。
二百年にわたるアメリカ黒人の悲惨な奴隷生活の中から自然に沸き起こってきた
‘魂の歌’の営々たる蓄積が、今世紀初頭にジャズという人種の垣根を超えた
新しい大衆音楽として花開いた、ともいえるだろう。そうした‘魂の歌’が、
ワーク・ソング(労働歌)であり、スピリチュアル(黒人霊歌)であり、ブルース。
ワーク・ソングとは、その名の通り、長く単純な肉体労働の最中、少しでも気を
紛らせるために、あるいは仲間主体となってその苦行を乗り切るために歌った
歌のことである。リーダーが即興で一声うなると、それ応じて全員がコーラスで
応じるスタイルだった。これは、たとえばかって日本の酒つくりで、極寒の
酒造りの中で杜氏たちが作業中に歌った‘元摺り歌"などにも通じるものがある。
 ワーク・ソングはなにも黒人特有のものではなく、世界のいたるところで
かつては見られた労働者の風習だったといえるだろう。スピリチュアルは、
西洋キリスト教の賛美歌などに影響を受けた黒人独特の宗教歌で、これは教会
音楽を経由し、ゴスペルという形で現代に継承されている。
 ブルースについては、他のページでも融れるが、奴蒙の身分から解放された
黒人ひとりひとりが、差別や貧困に苦しむ私生活の哀歓を個人的な感情を込めて
歌ったものといっていいだろう。そして、そのブルースが持っていたミとシの
音撰半音下がる「ブルーノート」と呼ばれる音階構造は、とりわけジャズの
発生に大きな影響を及ぼした。また、黒人とクレオールの融合は、ラグタイム
というリズミカルな音楽を生んだ。ラグクイムはクラシックと同じように楽譜
遍りに演奏されるピアノ音楽で、即興性を大切な要素とするジャズとは直接の
共通点はないが、十九憧紀後半から二十世紀初頭にかけて流行した音楽で、
これもまたジャズの源流となった音楽の一スタイルであることは間達いない。
いずれにせよ、一方には黒人の魂の歌やリズムがあり、他方には、クレオール
からもたらされたといってよいラグタイムブラスバンドがあった。】
▼ ジャズのルーツはブルースやワーク・ソングなどの二百年にわたる
 アメリカ黒人の悲惨な奴隷生活の中から沸き起こってきた‘魂の歌’の営々
たる蓄積が背景にあると知って聞くと、また違って聞こえてくる。特にブルース
が、ジャズの発生に大きな影響を及ぼしていると、この本で知った。ジャズに
奥底には、黒人の差別と貧困の長年の哀歓がある。その辺を捉えて聴くと、
今まで何気なく聴いていたリズムの奥にあるスピリットを少しは感じる。
 ・・・・・・・
3336, 2010年6の月、500万人が夜逃げする
 2010年05月14日(金)
 昨日の朝の書籍の新聞広告をみていると、
「2010年6の月、500万人が夜逃げする 」ー水澤 潤著 が目に入った。
  (以下、字数の関係上カット2011年5月14日)  
 ・・・・・・・・
2961,300人のディナーショー
2009年05月14日(木)
 昨夜、地元の長岡駅近くのグランドホテルで福沢恵介ディナーコンサートに
参加してみた。前夜の知人と福沢恵介さんとのガーデンパーティに招かれ楽しい
ひと時を過ごし、是非参加してみたくなったのである。私らしからぬことだが・・
これもライフレッスン!9割が50歳〜60歳代の中年の女性で、一割が和服姿。
隣に昨夜、一緒だった同級生の席。顔見知りが数人はいたが、ほぼ見知らぬ人
ばかり。ところが、隣席の同級生が、あれは何処どこの誰、これは誰と教えて
くれると、正しくディズニーランドにいるよう??。歳をとってきたせいか、
面白おかしく姿を正視することができた。オバサンのファッションショーの
趣きも! 武士の紋付・袴には胸に二つ、背中と袖に三つ家紋が付いていたが、
あれは正しく家を背負っていることを意味していた。それと同じことが現在でも
罷り通っているようだ。家に縛られた閉鎖社会である。同級生に「あんたも、
大変だね。こういう社会で商売をしていて。よくノイローゼにならないね」と
思わず言ってしまったが。「いや、これが長岡。外部の人が長岡では中々、
仕事をするのは難しい」とか。コンサートは、福沢恵介さんのギターの弾き語り、
熱のこもった素晴らしいショーだった。一人で300人の観客を自分の歌の世界
に引き込むのだから、大変な仕事である。ところで、同じテーブルの前の席の
女性二人、歌っている最中に平気でオシャベリをしていた。隣の女性に「注意」
されても、平気で話し続けていた。何処かの老舗の??。歌の半分は彼女らの
声のバックグランド。途中から慣れて気にならなくなってしまったが、家内に
聞いたら、かなり酔っていたとか。 まあ、ディズニーランドだから、それも
ご愛嬌だが、オバサマは凄い。この二日間は、普段は経験できない楽しい
貴重な体験をしてみた。