* 海外ツアーのテーマの棚卸
 51回の海外ツアーに参加してきたが、その行蔵は何ものにも代え難い財産。
知れば知るほど、世界は広く深いことが解る。10回目辺りから秘境・異郷ツアー
に重心移動をしたが、10年ほど前からは欧州中心になっている。リタイアー後、
諸事情で家内の鞄持ち?のカタチだが、何はともあれ、行けるだけで充分。
「行けるうちに、行けるところに、行っていて良かった」と実感する。
・大陸別では、アメリカ大陸、オーストラリア大陸ユーラシア大陸、インド
 大陸、アフリカ大陸があるが、万遍なく行くのと、一つに絞り込む選択がある。
・他に、テーマを、文明、文化、山脈、滝、氷河、平原、クルーズ、お祭り、
 有名ホテル巡りなどのテーマを決めて周る人がいる。 〜テーマとして・・
☆ まずは文化。 ツアーの過半数以上は、何処かの首都を経由地として一泊。
 そこには、名だたる美術館や・博物館のコースが組み込まれていて、その国の
名画や工芸品、遺跡などで発掘された国宝クラスの古美術品が展示されている。
それらを、み続けているうちに、門前の小僧、その魅力に取込まれてしまった。 
上野界隈の美術館で、その数点の展示で長蛇の列になる名画などが、数多く
展示されて、間近で見られるのが良い。 文化の一つに、各地の料理がある。
それぞれ各地の特色ある味が、そのまま染み出ていて実に美味しい。と同時に、
日本料理の美味しさに改めて気づくことになる。 文化といえば、お祭り。
北スペインのパンプローナ牛追い祭りと、リオのカーニバルの熱狂がよい。
☆ 次に文明。古代の遺跡の7割がエジプトのナイル流域にあるというが、
 これには圧倒される。他にアフリカ、中東の遺跡郡、中南米の遺跡群もよい。
圧倒的なのが、古代エジプトと、ポンペイと、シリアの遺跡群。そこには数百年、
数千の時空を超えた当時の人たちの息づかいが聞こえてくるようである。
石文明は、それが、そのまま残している。
☆ 何といっても大自然の景観! アフリカ、インド、北米、南米、北欧、
 アルプス連峰、ヒマラヤ連峰などの大自然の景観も圧倒的である。そこは、
文化・文明の数千年の時間とは違う、数万、数百万、数億単位の時間がある。
 行蔵とは、よくいったもの。 以下は12年前のテーマだから、51回と
すると、3年分、行ってないことになる。 世界的パンデミック騒ぎとか、
5年前の節目時などの件で、行けなかったが、それより、年齢からくる気力、
体力、金力?などの衰え。外側(辺境)から、内側(欧米圏)になっているが、
これはこれで、面白い! ライフワークとしての世界観光も、限界点になって
きたが、移動が動くホテルのクルーズ・ツアーがある。しかし年金暮らしには
チトきつい。「生きているうち、元気なうち」と思って、はや、20年、いや
25年になる。なら、あと5年を貫き通せば満点のライフワークになるが。

  〜以下は、11年前のツアー最盛期の文章である。

・・・・・
2004/11/19
ーー地域別分類ーー
アメリカ大陸』

中南米
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)    −1995・02  
「22」ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)         ー1996・06  
「23」べネゼイラ・(ギアナ高地)            ー1997・08
「34」メキシコ                     ー2001.01
「39」パタゴニア                    ー2002・12

ー北米
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人           ー1987・08
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス            ー1987・06
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)     −1989・04 
「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社           −1990・05
「40」アラスカ                     ー2003・07

ーーーーー
『欧州』
ーーーーー
「1」欧州30日一周                    ー1967・07
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅     ー1989・12
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)       ー1991・08 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12
「25」北スペイン パンプローナ              ー1998・07 
「30」ノルウエー・トロムソ               ー1999・12 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ            ー2001・06
「38」スイス                      ー2002・07
「41」アイスランド                   ー2003・10
「42」オーストリア                   ー2004・08


ーーーーーーーーー
『アフリカ・中近東』
ーーーーーーーーー

ーアフリカ
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)   −1996・02  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)  ー1997・12  
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「37」西アフリカーコート−ジボアール
    ・ガーナ・ベナントーゴ              ー2002・03
ー中近東
                   
「31」シリア・ヨルダン・レバノン             ー2000・04 
「28」イスラエル                    ー1999・04 


ーーーーーーーーー
『アジア・オセアニア
ーーーーーーーーー
ーアジア
「6」香港の旅                      ー1986・10  
「9」中国(北京・けいりん・上海)            ー1988.09  
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「26」北インド                     ー1998・10 
「27」ネパール                     ー1998・02
「32」パキスタン・中国                 ー2000・06 
「36」ベトナム                     ー2001・11

オセアニア
「3」ハワイの旅                     ー1978・08 
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11  
「19」ニュージーランド(クウィーンズタウン・
  バンジージャンップ・ミルフォードサウンド)      −1995・05  


・・・・・・
・・・・・・

2004/11/01
海外旅行ー履歴

「42」オーストリア                    2004・08
「41」アイスランド                   ー2003・10
「40」アラスカ                      2003・07
「39」パタゴニア                    ー2002・12
「38」スイス                       2002・07

「37」西アフリカーコート−ジボアール
     ・ガーナ・ベナントーゴ              2002・03
「36」ベトナム                     ー2001・11
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ             2001・06
「34」メキシコ                      2001.01
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「32」パキスタン・中国                   2000・06  
「31」シリア・ヨルダン・レバノン              2000・04  
「30」ノルウエー                    ー1999・12 
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「28」イスラエル                         ・04 
「27」ネパール                          ・02
「26」北インド                    ー1998・10   
「25」 北スペイン                        ・07  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)       ー1996・06   
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)      ・02   
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10  
「19」ニュージイランド
  (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)                                                        ・05  
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)        ・
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)      ー1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)        ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    ー1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          ー1988.09   
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス                ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅              ー1987・08    
「6」香港の旅                      ー1986・10          
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「3」ハワイの旅                     ー1978・08  
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「1」欧州30日一周                    ー1967・07
   * つれづれに、哲学
 10数年前から、哲学に興味を持ち、初心者用の本を、読んできたことも
あってか、少しずつ、現象を自分の脳で考えることが出来るようになってきた。
意外と、人は考えてないことが解るようになってきた。 それと、考えない
ことは罪であり、その罪で、自分が罰しられていることに気づいてない。
まずは認識だが。対象に主観が従うのではなく、主観が対象を従わせることが
自覚できない。小さな脳の主観の妄想が世界と信じきっている自覚がない。

2004/10/31
1307, 一冊のアルバム

地震に明け暮れているので、話題を変えてみる。

事務所の移動で、秘境ツアーなどのアルバムを整理していたら、
未使用の小さなアルバムが出たきた。
一面一枚の20枚しか貼れないが、台紙のあるチャンとしたアルバムである。
買っておいて忘れたのだろう。

そこで、「さてどう使おうか?」と考えてみた。その結論として、
「過去の旅行のベスト20枚」を貼り付けることにした。

そして、それが良かった。何度みても飽きない。
私にとって、どんなものより素晴らしい宝物である。

「これは!」という写真は、一回の旅行に数枚はある。
それを更に、20枚に集約したのだ。開けば、それだけでハイになる。

アルバムはそうそう開いて見ない。いちいちアルバムを開くのが
面倒だからだ。それなら数千枚の写真を、二十枚に纏めればよいのだ。

そして、常にカバンに入れておくことにした。

詩も、言葉の中に全てを集約して残すのだから、
究極の凝縮のカタチである。
母が多くの道楽の末に行きついたのが「詩」であった。

事業にしても、
お金にしても、
不動産にしても、
写真にしても、
古道具にしても、
後継者にしても、
残るのは、生きてきた実感としての
「真実としての言葉」と
「写真」
「信頼」そして
「子供」だけである。

話しが大きく逸れてしまったが、貼ってある順に紹介してみる。

パキスタン桃源郷といわれているフンザ近郊の小高い崖の上で
 一人で、足を開いて片手を上げているショット

パキスタンカラコルム・ハイウエーのがけ崩れの落石の中、
 現地人に手を引かれ走り抜けているショット

・機上から、天山山脈を撮ったショット

タンザニアの大晦日の現地運転手の特別招待のパーテーで、
 多くの運転手たちと0時を過ぎた瞬間の写真

フィンランドの登山列車で、トンネルの合間のビューポイントの滝で、
 一時停車をして写真を撮っていた。ところが、急に音楽が鳴り出して
 遠くの滝の岩間で赤いドレスの女が踊りだしたショット
 (列車のお客に見せる為のショー)

・スイスの山頂の氷河に着いたが、霧で視界はゼロだった。
 その時、霧が急に風で飛ばされ、氷河が自らの姿を現した。
 家内と二人、感動で呆然として氷河の美しさに見とれていた。
 ー帰国後、同行の人が、そのショットを上から撮っていて
 くれていて、送ってくれた一枚

・スイス・マッターホルンでの凧揚げのショットと、マッターホルン

・モロッコマラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」の夕景

・モロッコのサバクで撮った、朝日が写しでした「私たちの砂上の影絵」
 幻想的な極上の写真

・ヨルダンのぺトラの前でのショット

シナイ山の山上でのショット

・フィジーでパラ・セーリング(モーターボートでパラシュートを
 引っ張り空を飛ぶ)で、空から撮った写真と、地上からそのショット
 を撮った写真

リオのカーニバル

・北スペインのパンプローナ牛追い祭り
 最終日のファイナル・ギャザリングで、大衆が踊り歌っているショット

ギアナ高地でボートからテーブル・マウンテンを写したショット。
 それと機上から撮ったテーブル・マウンテン

・メキシコのテオティワカン遺跡の「月のピラミット」の頂上のショット

パルミラ(シリア)列柱通り

ケニアのヌーの河渡りを見たあとの帰り道、夕陽と雲の織りなす夕景

・ワニとシマウマの死闘のあと、最後にシマウマが陸に逃げ切った瞬間
 のショット(私の人生の最高の一枚である)

・ネパールのカトマンズ近郊の山から、ヒマラヤ山脈を望む

イスラエルマサダの砦の山頂からのショット。 ユダヤ
 1000人が自害した時の闘いの生々しさが、今も残っている

・そして、最後はブラジルのイグアスの滝をヘリから撮ったショット

以上だが、恐らく死ぬ時、この一冊を抱きしめているだろう。


・・・・・・
2004/09/27
1273, 2000年前のポンペイ

先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。
十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、ポンペイの街の記憶と
TVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。

ーまずはポンペイの概略を書いてみる

ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えは
ローマにひけをとらないほどだった。

悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。
ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と
火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰
の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息に
よる犠牲者の数は人口の1割にあたる2000人と考えられている。

そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい
遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、
犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップ
アウトしたようになるほど、リアルに当時の生活が残っていたことだ。
残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に大らかで
あったようだ。女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。

幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが
通りに並んでいる。売春の値段まで残っていた。今でいうと、コーヒー
一杯分位だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道。
下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。

今回のTVの特集で、全く知らないかった事実が多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された
遺体は1000でしかなかった。15000〜20000人の人口と推測されるから、
遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
爆発から、この街に灰などが押し寄せるのに19時間の時間があった。
逃げられなかった理由が遺体の様子から、それぞれ想像できた。

ポンペイとヴェスヴィオス火山の反対側にエルポラーノの遺跡がある。
この遺跡は、18世紀にある農夫が井戸を掘っていて発見したというが、
その近くの港で、300人の人骨が発見されたという。その様子から
エルポラーノの市民が、そこに逃げてきて救助を待っていて、
亡くなってしまったと推測される。

遺跡も多く見てきたが、それぞれが当時の生活や、深い因縁を秘めている。
しかし、衣服や住宅や街の様子が、火山でそのままリアルに封印されて
残っているのは、この遺跡だけである。
そこより、うかがい知れるのは「変らぬ人間の営み」である。

世界は広く、そして深い!

・・・・・・
2004/09/21
1267, 書いてなかった旅行記ー2

カナダ旅行紀ー2

バンフスプリングス・ホテルが一つの芸術作品のようである。
重厚な石造りの建物に、豪華なロビーとレストラン。
もちろんホテルとして、世界的に有名なホテルである。

その庭先にはレイク・ルイーズがある。
いや、レイク・ルイーズのほとりにホテルを建てたのだ。
朝、昼、夜(白夜)とその湖の色が大きく変わって見える。

ロビーの窓が、あたかも絵の額縁のように作ってある。
早朝、その窓から見た湖の美しさに息を呑んでしまった。

白夜の11時過ぎに、一人でレイク・ルイーズの畔のウォーキング
コースを散歩をした。よそ者は入ってくるなと脅しているように
稲妻と雷の音が鳴り響く、自リスや、ラッコが威嚇の声を上げる。
それが、その背景とピッタリなのである。

恐ろしくなり引き返そうとした。ふと人の気配するので、目をやると
若い白人女性が一人でハイキングから帰ってきたところだった。
男でも恐ろしいところをよく一人で歩くものだと感心をした。

高台から見えたペイト・レイクの美しさも心に焼き付いている。
コバルトブルーの色は、過って一度も見たことのない色であった。

右を見ても左を見ても、全てが絶景というのがカナデアン・
ロッキーの特徴である。

旅行の都度、添乗員に必ず次の質問をしていた。
「貴方の主観でよいから、一番良かったところは何処ですか?」
殆どの添乗員答えは「カナダのロッキー」であった。
次がスペイン。そして、インドであった。

そういわせるだけのものは確かにあった。

ところで現在の私に同じ質問をしたら、
迷わず、「ケニア!」と答える。

・・・・・・
2004/09/16
1262, 書いてなかった旅行記 −1

  ーカナダ旅行記

過去の旅行記は殆んど書いてきた。しかし先日、地域別ごとに
旅行記を纏め直していて、カナダと、ハワイと、中国(桂林・香港)
旅行記が書いてなかった事に気づいた。そこで早速、書くことにする。

まずはカナダである。カナダは二回行っている。
一回目を書いてみる。
この旅行は、トロントと、その近くにあるナイアガラと、
ロッキー山脈と、バンクーバーと、その近郊のブッチャーガーデンを
巡るコースである。

ナイアガラはNHKの特集を見ていたが、実際見てみて「こんなものか!」
と少し失望したのが実感であった。しかし、ボートで近くまで行ってみた
目の周りを覆った滝のカーテンの迫力は実物ならではの迫力があった。

しかし、この旅行のハイライトはロッキー山脈のジャスパー国立公園
飛行機の乗り継ぎなど、かなりの強行軍で、バスでジャスパーについた
時には疲れのため熟睡をしていた。ふと目が覚めると、今まで見たこと
ない裸の大きい山が展開していた。変な夢を見ていると思いつつ、再び
目を開けると、どうも夢でない。そこは私の知らない別世界であった。

それからは、次から次へと見える光景に目が釘付けになってしまった。
これまでの自然のパノラマを見るのは生まれてであった。

日本でも黒部渓谷や立山など、多くのパノラマを見てきたが、
そこで見たものは全く違うものであった。

「なんだ?!こりゃ!」と息を呑む景色が次々展開しているのだ。
「こんなところが、地球にあったんだ?知らなかった!」
「これを見るまでの人生と、この後の人生は全く違う。
 家を叩き売ってでも見るべき価値はある!」
等々の感激が、ロッキーにいる最中次々と出てくるのだ。

この時から、旅行は大自然派になってしまった。自然の美しさを、
これだけ数日に渡って味わって見たのは初めてであった。

この世には、やはり神がいたのだ。
自然が自然と、こういう神々しい姿を創りあげたのだ。
山々の神々しさ、そして空の青さ、湖のエメラルドグリーン
の美しさ。そこに住む地リスの愛らしさ。
あちこちで見ることができた熊とヘラ鹿。

はじめて見るものにとって、そこは違う惑星の景色である。