『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
    * 退屈と孤独を越えて
 退屈とは、何ら楽しみを見つけ出すことの出来ない状態で、楽しみの準備が
出来てない状態をいう。身辺を見ていると、本当に多い。楽しみは、10年、20年、
40年かけての準備を要する。それがないから退屈になる。目先の気晴らしと、
楽しみとは、似て非なるもの。 
≪ 退屈は、気晴らしを唯一の頼りとする人が避けることのできない宿命である。
 その人は、人生を一つの大きな娯楽と捉えるが、見世物が終わった瞬間に惨め
になる。退屈は、時間に価値を見出さない人の罹る疾患である。
 反対に、時間には計り知れないほど大切な価値があることを理解する人は、
日常的な活動や外からのさまざまな刺激からの、わずかの休憩時間を余すこと
なく活用し、どの瞬間にも備わっている、芳しく澄んだ音色を味わう。
その人は、退屈の意味も味も知らず、精神的に枯渇することがない。
 孤独にも同じことが言える。米国人の15%が、週に一度は強度の孤独感を
経験している、という報告がある。人間関係または世の中との接触を断つ人は、
エゴの幻想に陥り、群集の中で孤独を感じる。あらゆる事象には相互依存性が
あることを理解する人は、決して孤独に陥らない。 
 隠遁者を例にしよう。たった一人で過ごすにもかかわらず、宇宙のすべてと
調和し、一致していると感じることができるのである。
 注意力が散漫で集中できない人にとって、時間は、混乱した心に入り込む
物憂げな環境音楽のようなもので、まったく無為無益なものになる。
このタイプをセネカは次のように表現している。その人は、長く生きたのでは
なく、長く存在したに過ぎない。航海に出た途端に嵐に遭遇し、あらゆる方角
から絶え間なく吹きつける強風に翻弄され、同じ誹をぐるぐると回鄭している
状態を、長期航海と言えるだろうか。そのような人生は、航海ではなしに運命
による翻弄と呼ぶに相応しい」。≫
  * 楽観論の真の意味
≪楽観論には非常に深い次元がある。すなわち、人間の置かれた状況の如何
 を 問わず、あらゆる人間には変革への可能性があり、それを現実化できる。
その次元を指している。他ならぬこの可能性が、生きることに意味を与えて
くれるのである。人生はほとんど価値がない、と考えるのが究極の悲観論で、
逆境であれ歓喜の時であれ、一瞬一瞬が宝であることを理解するのが究極の
楽観論である。両者の違いは、単なるニュアンスの違いではなく、物事の見方
が根本的に違うという点が強調されるべきだろう。人間がどちらの見方をする
ようになるかは、心に平和をもたらし、それを強めることができる充足感を
自分の中に見出しているかどうか、で決まるのである。≫
▼ 一瞬一瞬が宝ということは、歓喜の瞬間こそお宝ということ。感動は、
 人を変える力がある。その蓄積は、決して減ることがなく、歓喜を呼寄せる
力を持つ。
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5103,悪夢の21世紀 ー7
2015年03月05日(木)
    * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜?
   ー価値は、すべての観点から見たものに過ぎないー
 「価値」を、一つの点に修練される「遠近法」の、それぞれの立ち位置
 の観点でしかない、というのも面白い! 今まで「価値」の意味の解釈で、
 最も合点がいく。情報化で、それぞれが違った立居地から情報の受発信が
 出来るため、それが逆にニヒリズムを起因する。 
(13) ≪ 誰もが、広い意味で、何かの「専門家」になってしまっていて、
 特定の論点にしか関心を持てなくなってしまった。それぞれの観点を総合
 することが出来ないのである。かくて、我々の世界像は、巨大なピカソ状の
 壁画のようなもので、そこには統一もなければ、まともな論争も生じない。
 全てがちぐはぐだ。それこそ、ニヒリズムの特質で、ニーチェも言うように、
 ニヒリズムとは、統一も、目的も、真理も失われた状態である。≫
(14)≪『ではどうすればよいのか。このニヒリズムの時代には、残念ながら
 容易に答えなど見つけられるすべもないのです。ニーチェは、価値は、全て
 ある観点から見たものに過ぎない、といいました。確かな真理などという
 ものはない。ただ、様々なパースペクティヴ(= 観点、見方)があるだけだ、
 というのです。われわれは、結局、特定のある「パースペクティヴ」から
 見ているに過ぎない、というわけです。その意味では、誰もがある特定の
 専門家もどきにならざるを得ません。それはそうでしょう。そのことが悪い
 わけでもないのです。・・ 「パースペクティヴ」といったときには、
 すでにおぼろげながら、ある遠近法が忍び込んでいるのではないでしょうか。
 ある特定の観点、という自覚そのものが、おぼろげながら遠近法を想定して
 いるのではないでしょうか。少なくとも、様々な「パースペクティヴ」が
 バラバラになっては困るのです。それらの観点が文字通り、ひとつの点に
 収斂してくれなければ困るのです。・・この遠近法の収束点を与えるものは、
 やなり、我々の構想力以外には無い。この構想力は、決してグローバルな
 市場競争や大衆化した民主主義や新しい技術革新の延長上に置かれるもの
 ではありません。それらは、世界を一層混沌へと落し込むでしょう。』≫
(15)≪『そうではなく、われわれが、われわれの歴史的経験と文化を確認
 しつつ、しかも日常の常識(コモン・センス)に立ち返って将来の社会像や、
 よき生というものを構想する力というほかないでしょう。それは決して
 専門主義からは出てこないものなのです。一種の総合力と構想力なのです。≫
▼ ニヒリズムでは、世界は救われない。やはり総合力、構成力が必要である。
 民主主義、自由主義が正しいと信じてきて、今さら何を信じろ!というのか。
長くとも、10年先に生きているかどうかと、考えると虚無になるが、せっかく
地球に奇跡的に生を受けたのだから、知る限りの知識と経験を貪欲に求めて
やろう、と生きるべきだが。 
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4738,<つまずき>の事典 〜   ー6
2014年03月05日(水)
* 据え膳食わなねど高楊枝の後悔と・・ <つまずき>の事典>中村邦生編著
人生の黄昏時になると、若い時の愚行と共に、
絶好の機会でありながら、犯さなかった愚行の悔い?が交差する。
  ーここで紹介している内容からー
《「男が最も悔やむ愚行は、絶好の機会でありながら犯さなかった愚行です。」
                    ヘレン・ローランド『男への案内』
ヘレン・ローランドは、アメリカのジャーナリスト・作家・主に若い女性への
愛と結婚をめぐるユーモラスで、皮肉な寸言を得意とした。例えば、「結婚前、
男はあなたの言ったことを夜中あれこれ考えて眠らずにいるが、結婚後はあなた
の話がまだ終わらないうちに眠ってしまうものなんです」といったように。
 o(・`ω´-+) --☆Wink…o(;-_-;)oドキドキ♪ _+)(/_;) 
 引用の警句「絶好の機会でありながら・・」を読んで、忸怩たる思いが込み
上げてこない男はいないだろう。もちろんこの種の「愚かさ」は、特に男だけに
限られたものではないが。しかしこれはやはり男のもの。つまり「悔やむ」
という未練の引きずり方のだらしなさにおいて、男独自のものである。
そもそも「絶好の機会」などというものからして、常に後になってみなければ
気づかないようにできている「機会」なのだ。》  (“o(>ω<)o”))オシイー!! 
▼「あの時、もし、愚行をしてしまったら、どうだったか」を考えると、
 やはり留まる理由があったから。逆に「愚行の失敗の結果が現在の自分」
と思うと、これまた複雑な心境である。「踏みとどまって良かったのか、踏み
とどまらずに云々・・」などを考えることが、引きずっている男の哀しさ。
結婚を考えると、解りやすい! 男は強力な下半身のエネルギーによる愚行で
結婚相手の判断を狂わせ、一生かかって後悔する。その結果が世の男たちの、
 姿だが。「若気のいたりの愚行が無いのが一番の愚行、若気のいたり!」と、
今東光が身の下相談で言っていたが。
「いい女、いい男」は、「いい女、いい男に見えるため、思えるだけ!」
というのが解らず、家庭内離婚を含め、大部分が一生かかって後悔する。
人生の大部分が愚行で成立している。「絶好の機会」は「絶体的危機」だった。
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4371, 歳を取りそこねる人たち ー3
2013年03月05日(火)                  
    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦(著)
  * 嫌なジジイの自覚 
 人は歳をとるにつれ、嫌なジジババになっていく定めにある。肉体と精神が
緩んでくる結果である。自分で気づかないが、世代の違う人から見れば、60歳
過ぎればシッカリした老人である。 ーシビアに述べている部分を抜粋するー
≪ おそらく、わたしは老いていくに従い偏屈で意地悪で寂しい老人となって
 いくであろう。ひと筆描きの描写で事足りそうな「いやなじじい」で片づけ
られてしまうだろう。いやなじじいであることはその通りであるにしても、
そのようにタイプ分けされてオシマイー そんな呆気なさが付いて回る老人たち
の孤独感や屈託には、そうした粗雑な決めつけを受けがちな立場に由来している
部分が予想以上に大きい気がしてならない。 とはいうものの、たとえば人品
卑しからぬ「かくしゃく」とした老人がアンフェアなことをすると、わたしは
必要以上に失望し立腹してしまう。イメージに忠実でなかったから、と。
強がりを言ってまでも独りぼっちの生活を送っていた井杉あやが、風邪を契機に
急に弱気になったりすると、左知子は裏切られたように感じてしまう。
勝手なものである。老いることとは、自身の在りようを一方的に決めつけられ、
それを甘受させられることなのである。つまり物語を押し付けられることに
他ならない。しかもその物語は、なべて安っぽく底が浅い。
不良少年にまつわる物語のように。 P−66≫
≪ 60歳あたりで急に妄想的になったり、精神的に不安定になる人が結構いる。
 改めて考えてみると、彼らの胸の内に若さに付随する筈の楽しいことや
充実感を享受し損ねたという未練や不満が「損をした」という感覚で漂っている
のではないだろうか。その恨みの気持ちが、世の中から取り残された、見捨て
られたという実感と合体すると、そこに被害者意識が生まれることになる。
それは往々にして「だから自分は何をしても許される」といった放漫さや尊大さ
につながる。そうした心の動きが、異様なほどの自己中心的な行動として顕現
することになるのではないか。たとえば暴走老人や高齢者の万引きとか。P−208≫
▼ 噂話そのものが、安っぽく底が浅いもの。その物語が、さらに書き加えられ
 魔女狩りのようになっていく。特に老人は、その手の名人になっていて、歳を
重ねるにつれ嫌なジジ、ババに色濃くなっていく。往々にして人生の総括期に、
思いもよらないことになり、それまで全く気付かない肯定すべき材料が一挙に
自己嫌悪の対象に下落してしまう事態になる(私も)。癌だったり、連れ合いの
喪失、初老性欝、事業の倒産など生々しい事態が急に圧迫する。
円熟などの妄想は一瞬に吹っ飛ぶ。いきなりオセロゲームのように人生の
行蔵が裏返しになってしまう。それも、こういった事態は幾つか重なる。 
不幸論は、こういうところから成り立つ。問題は、独りに成りきれるかどうか。 
孤独に徹っし、受け入れるかどうか。それらも含めて、人生を味わう心掛けが
最後の一里に必要になる。他人に嫌しさは見えても、自分のそれは見えづらい。
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3997, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー3
2012年03月05日(月)
 ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ー キングスレイ・ウォード著
 この本の中で7人の人が提唱している「若いための十の秘訣」がある。
その共通点は、次のようになる。これは年齢に関係ない人生の秘訣でもある。
 * 若いための十の秘訣
1、人生に好奇心を持ち、冒険を恐れない ー自主的であること
2、あらゆる年代の人たちと接する場を持つ
3、何ごとも最善を尽くせ ー諦めず、忍耐強くあれ
4、楽天的であれ、これは考え方の訓練で可能になる ー障害を挑戦と受け止める
5、ユーモアのセンスを持つ 
6、運動をする。散歩、ヨガと、スポーツジムなど。 ー健康が一番の財産
7、教養を身につける。そうすれば、いろいろな人たちと気楽に付き合える
8、家族、友人を大切に ー友好の関係を当たり前でなく、
             壊れやすいものとして維持とメンテに心がける。
9、自分自身の最大の長所を見つめ、自分を好きになれ 
             ー本来の自分を受け入れること
10、今日一日を大切に生ききること
▼ どれもこれも、老化は逆の力が働くもの。ここには書いてなかったが、
 これらを実現するための少々のお金が必要である。それと思いやりと、家族。 
 一つバランスを崩すと、誇りない人生になってしまう。
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3631, 入試投稿漏えいには驚いた!
2011年03月05日(土)
 韓国で数年前に摘発された入試漏えい事件からしばらく経つが、
日本でも似た事件が発生した。起こるべくして起こった問題で、氷山の一角か
どうかは誰も今のところは分からない。中国ではビジネスとして成立っていると
マスコミで報じている。眼鏡などに超小型の撮影機を埋め込んで、それを
近くの受信機で受け取り、回答をメールにして携帯電話などに送り込めばよい。
犯人は逮捕されたが、これらから大掛かりな不正合格ビジネスが成立してくる?
機器の高度化に防犯がついていけるかどうかだが、無理だろう。
本人にすれば、カンニングにネットを使っただけで、これほどの大騒ぎになる
とは思ってなかったようだ。 せいぜい、学校当局の厳重注意ぐらいしか考えて
いなかったのでは。この手際からすると、帯電話を使ったカンニングのキャリア
ではないか?と疑われる。過去の分まで記録が残っているはずだから、キャリア
なら情状酌量の余地はなくなる。そうこう考えると、かなりの受験生が、
これまで入試投稿で合格をしてきたと疑うことができる。こういう暗記した
問題を解く入試方式はアジア特有のもの。そろそろ、入試そのもののあり方を
考える時に来ている。高校までの、本人の総合評価と、大学独自の能力検定
などを加味した判定方式など・・ それより大学の選定によって、その人の
人生が大きく変わることも間違いはない。京大が早稲田、同志社より、よい
とは限らないが、そこで出会う教授、先輩、友人等から受ける影響は膨大。
学校のブランドは伊達ではないことも確か。一流大学のビリの方が、三流大学
のトップより格段に良いことは、周知の事実。「田舎の学問より、京の居眠り」
という諺がある。
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3266, 大阪市の支出の半分が生活保護
2010年03月05日(金)
 昨日の朝のTVで「大阪市税の6091億の半分近くが生活保護
(2863億)に消えている」と報じていた。大阪は他より生活保護を受け
やすいとは、聞いてはいたが・・ 13世帯に一世帯が給付を受けており、
アパートの前に「このアパートに入居すると生活保護がもらえます」
という看板が出ているのがあるとか。 他と比べると5倍以上である。
人口230万人で国の2%で、国の1割の生活保護費である。ネットによると、
大阪市の予算は1兆7千憶円。国や大阪府交付金、その他税収で、公債発行は
千二百憶で済んでいる。市債合計は5兆円))夕張の次の、市の破綻の候補。
「これは日本の将来の姿?」とキャスターがコメントをしていた。
これでは厚生年金や国民年金などかけないで、最後は大阪市に移住して生活保護
を受ければよい。大阪は、社会党共産党の支持基盤が前より強い地区。
これが成れの果てといわれても仕方がない。民主党自民党の自壊のため政権を
取ったは良いが、綺麗ごとを並び立てた22年度の予算。税収の二倍以上の予算。
国家破綻へまっしぐら。 大阪市の拡大版を国家として、やろうとしている。
もう国家としてのコントロールが不可能と市場が判断をすれば、
国債と株式の暴落圧力が一挙に高まる。