『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の社会学 〜A:幸・不幸になりやすいタイプ'
 客観的には分からないが、私は幸福の典型的タイプと自認している。
10人家族の末っ子で、両親の愛情を一身に享受してきたことが大きな要素。
幸せのタイプといえば、家内と、その母親が幸せな人。幸せが磁石のように、
擦寄ってくるようだ。空っぽの頭にあるのは視界にある楽しみと、楽しかった
想い出のみ。幼稚園から小学校の頃、お人形のように、次々と習い事を重ねた
のが底に沈殿している。何事にも興味を持つが、直ぐに他に気持ちが移る。
 私も、家内も、不幸系の人の匂いを直ぐ嗅ぎわける。言葉にあらわすと、
品位というが・・ 「じゃあ、お前さんはどうだ?」というと、『品位とは、
言葉と行動に責任を持てるか』という基準からしたら、あるのかないのか。
 口先で綺麗ごとをいうのを、品位とはいわない。  〜その辺りから
≪ 幸福を引き寄せるのはどのような心の状態か。幸福を妨害するのはどの
 ような心の状態か。それを見分けるのが本書の主旨である。では、人生の質に
影響を及ぼす要因に関する社会心理学的な研究から、何か学ぶことがあるだろう。
 20世紀初期の心理学と精神病医学の関心のほとんどが、心理学的障害と精神病
の解説と治療にあった。ごく最近まで、科学は、人間が、「正常」な状態から、
精神的に最も健全で生気に満ち溢れた状態に変革する可能性についての研究には、
ほとんど関心がなかったが、このところ認知科学と「ポジティブ心理学」が
非常な関心を集めるようになり、状況は変わりつつある。
 人間には、幸福になりやすいタイプ、不幸になりやすいタイプ等の遺伝的素因
が生まれつき備わっているのだろうか。家庭のしつけや人生経験は、主観的な
幸福感に対して、どの程度、有利に働いたり不利に働いたりするのだろうか。
人格的な特性をどの程度まで修正することができ、どの程度まで永続的な満足感
を起こさせることができるだろうか。精神的要因のどれが変革に貢献するのだ
ろうか。 過去30年の間に、以上の問題は十分な時間をかけて研究されてきた。
70数力国で、何十万というテーマの研究が実施されており、膨大な量の研究結果
も出版されている。これらの研究結果から、大まかに三つの結論が導きだされる。
・その第一は、富、教育、社会的地位、趣味、性別、年齢、民族等々、外的条件
 その他の一般的要因が、満足度指数にもたらす影響は付随的でたいした重要性
 がなく、変動幅は10〜15%以下にとどまっている。
・第二の結論は、幸福になるか不幸は、遺伝的素因が関係しているらしい。
 幸福になる潜在能力の25%が遺伝子によって決まる、ということである。
 だが、遺伝子は状況に応じて、適応したり無視したりできる、いわば青写真
 のような機能を持つ。
・第三の結論は、人間の生き方、人生観、人生における出来事の認識と反応の
 仕方は、幸福や不幸の体験に多大な影響を及ぼす、というものである。
 この結論は朗報である。なぜなら、幸福になる能力が不変のものなら、幸福の
 現象を研究したり、持続的に幸福になるために努力したりする意味はなくなる。
これらの結論により、幸福に関するこれまでの膨大な量の理論が誤りだったこと
になる。幸福は健康にいい、楽観主義者は人生を長く楽しむ、幸福になる技術は
磨くことができるといった考え方は・作家や哲学者によって、しばしば笑い種
にされてきた。ところが、これらが立証済みの事実として認められようとして
いるのである。≫
▼ 過去を内省すると、様々な節目の危機があったが、判断と決断を大きく
 間違わなかった?のは、早朝の読書習慣を続けていたことか?その蓄積が、
何とかポジティブとネガティブの比を3対1に維持させていた。もしかして、
自分で気づかないだけで、判断と決断を間違え、ここまで生きてきたのだろうか。

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5084,閑話小題 〜夜明けのスキャット ー⑤
2015年02月14日(土)
   * 夜明けのスキャット −⑤
 一昨日の夢が奇妙! ある男、昨年、ガンになって、慌てふためいていた。
誰かの弱り目をみると、攻撃をしないでいられない性分。ビジネスでも、強者
にはヘツライ、弱者を叩くのが幸い?してか、一応はミニ成功者?で、会で顔
をあわせる度、三度続けて嫌味。その結果?ガンか、大事故?と予知したら、
ガンの結果。 ところが、その会の幹事会があると、先日、電話が入った。
 それもあって、早速、その男の夢をみる事になった。 〜その荒筋は〜
≪ その男が暗い部屋で独り座って、死の恐怖に恐れおののいていた。
 そこで急に仏心がおきて、『どうすべきか教えようか?』と、話しかけると、
『頼む!』と。そこで、『身辺整理を直ぐしなさい。始末は自分でしか出来ない
こと! 残される者にとって、死後、予め整理した分、楽になる上、その行為
そのものが、死の恐怖を和らげる。』と。ところが本人、急に表情が硬くなり、
苦悶の様子。複雑な家庭環境があるのだろうと思ったところで目が覚めた。≫  
 脳は奇妙な物語をつくるもの!(思いこみで)善意を押し付けるべきでない
ことが、ここから学べるが、まあ「身辺整理」という言語が出てきたもの。
   * この奇妙な違和感は何?
 幸福な貧乏人も、不幸な金持ちも存在する。もちろん幸福な金持ちも、
不幸な貧乏人も存在する。 実際に倒産に至って実感したことは、自分も
倒産=悪、と思い込みが、実は過ち!と、この経験であい知った。
 何事も、良い要素、悪い要素が積み重なる重層構造がある。「資金繰などで、
身動き出来なくなる前に、予め到達ラインを決めておいての決断が悪い!」
というなら別だが。倒産=悪の固定観念が中小企業の過半数近くの資金繰り
地獄を招いている。そういう人たちこそ、諸手を挙げて喜ぶから始末が悪い。
その辺が当事者として大きな違和感が生じる。「まさか(坂)自分が!」は、
企業も、個人も、避けて通ることは出来ない坂。 私も含めて、あまりに
ブラックスワンに、無防備、無準備、無知過ぎ! しても同じ? いや違う!
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4719,「余命3カ月」のウソ  ー3
2014年02月14日(金)
 * 苦しみ抜いて死に至るがん治療 ー「余命3カ月」のウソー近藤誠 (著) 
 著者は、現在のがん治療は拷問するために生かしておくようなもので、角を
矯めて牛を殺す喩えそのもの。がんを治そうとして本体を痛めつけ、死に至ら
しめる危険が大きい。ー以下は、その典型。知り尽くしているのに、であるー
《 名誉総長はこう語っています。{妻は抗がん剤のつらい治療も受けてくれ
 ました。1回目はマーカーが下り、喜びました。しかし、2回目からは効果が
なく、副作用ばかりが出てきた。薬を代えたのですが、今度は口内炎、食道炎が
ひどく、食べるのもつらそうで、かわいそうでした。医師も転移したリンパ節
1個は治せると思っていたはずで、前向きに治療していました。
 しかし、最後は敗戦処理のような感じにもなりました。抗がん剤の効果を
本当は信じていなくても、前向きに闘いたいという気持ちでした}。妻が余命
3ヶ月と思われる時期を迎えても、「緩和ケアのことは考えませんでした。
迷うことなく再入院し治療を」と、玉砕しか考えていない。ふともらした
敗戦処理」「抗がん剤の効果を本当は信じていなくても」という言葉に、
がん治療の恐ろしさが集約されています。医者はこのように「がんと闘う」の
一点張りで、効果を信じてもいない残酷な治療を患者に次次へと平気で押し
つけるのです。患者がどれほど苦しみ、弱っていようと。がんセンター名誉総長
の妻は一度だけ「こんなつらい治療を受けたのは、あなたのためですよ」
とつぶやいたそうです。・・・ 》 
▼ 老人ホームの専門医の中村仁一が、「ホームでの放置患者は、ほとんど
 苦しまず亡くなっている」という事実が、上記の名誉総長の妻の悲惨さの
逆を物語る。私の父がスキルス性胃がんになって、余命半年〜一年と身内に
宣告された。そこで当時名医といわれた東京女子医大の中山教授に執刀して
もらったが、一年で亡くなった。父は亡くなる直前、「あれほど苦しむなら、
死んだ方がまし、同じならしない方が良かった!」と、こっそり打ち明けた。
死ぬ間際の肉体的苦痛は、それは酷く、「結果はどうであれ、モルヒネ
うって苦痛を止めてくれ」になっていた。 がん死か、痴呆老人になって紐に
繋がれ死んでいくか、どうするか?と言われたら、私は前者の選択になる。
酒の飲みすぎの罰として、モルヒネの効きは飲んだ量に比例して悪くなる。 
神は生きていたくなるほどの苦痛を与え、天に召されるようだ。だから
生きている内、五感と肉体がしっかりしている内、楽しめる内に、積極一貫
に生きるしかない。成るほど、後ろに感じた死神が、そろそろ横並びになり、
数年後は正面から? 死ぬべき時には死ぬが良い!ということ。
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4352, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー4
2013年02月14日(木)
    「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
  * 独自の視点の手立て ー納得/共感/驚き・不思議
 以下は、著者が新聞や雑誌の切り抜きを、「なるほど、納得したり、そう、
そのとおりだ、と感じ入って共感したり、そんなことができるんだ、と驚いた
ことなど」を、納得/共感/驚き・不思議三つのファイルにした中から
選んだ抜粋。分かりやすく納得する。
≪ �納得 ー漫画家・黒鉄ヒロシー たとえば酒場で男女が別れ話をしていて、
 どっちの話を聞いても真実がわからない。 そこにバーテンダーが、
「2人ともバカなんですよ」と言われて問題がす〜と氷解することがある。
 取り入れなければならないのは、このバーテンダーの視座でしょう。
  �共感  ーホスピス医・徳永進ー  日常生活ほど幸せを作るものはない。 
 勤務医のころ、「死の前にしたいことは何ですか」と聞いたら、
「道を歩いてみたい」と言った女性がいたんです。きっと素晴らしい道に
違いない、とついていったら、ありふれたアスファルト道路。右に曲がると、
スーパーがある。いつもの買い物をしてご主人の酒のつまみを作る。
日常が命を支えてるんです。
  ーエッセイスト・岸本葉子ー  覚えている景色があります。
手術して一年もたたない夏の日、マンションの猫の額ほどの庭に下り、草むしり
をしました。汗をかき、終わってきれいな庭を見たらとても満足感がありました。
草むしりとがんは直接関係ありません。しかし、その時「ストレスの原因を取り
除けなくても、スーレスを軽減することはできるのではないかと思いました。」
 �驚き・不思議  ー明治大学教授・諸富祥彦ー(若いころ、ドン底の気分で、
電車にび込みそっになった。どうして思いとどまることができたを自ら語って)
心理学を勉強していてよかった。脱同一化という手法です。一歩下がって自分を
眺める。例えば、「死にたい自分はそこ、私はここ」と、大きな声で言うのです≫
▼「独自の見方」も3つに分類しておくと、自然とテーマが浮き上がってくる。 
 驚き・不思議の意識を持ち世界や、ネットを見れば、数限りない情報が広がる。
そして、共感し、納得する。驚き、感動する心こそ最重要になる。「納得/共感
/不思議・驚き」のキーワードを頭の棚につくっておき、目にふれた情報を、メモ
するか、切り取り、ファイルすれば、テーマのネタ探しのベストの習慣づけになる。
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3977, 人生を振り返る時節に
2012年02月14日(火)
 還暦を過ぎ60代半ばを越えて、そろそろ人生の整理に入る時節に入った。
一年近く前に会社も倒産し、事業人生えを終えてしまった。後悔も、未練
も全くないのが自分でも不思議である。しかし時間に余裕が出来、気持ちも落ち
着いた現在、人間は時代の波に漂う存在でしかないことに思いやられる。
 出身の長岡市が生まれる直前の戦災で、両親も含めた我家全て焼け出された。 
子供の頃の記憶は3歳位から始まるというが、私は生後三ヶ月から始まっている。 
大人数の中で育ったこともあるのだろう。 長岡の商店街の真っ只中で何時も
独りで遊んでいた。その習性が、そのまま現在に至っている。 幼児の頃から
住み込み従業員と10人の家族の中で、常に周辺の人の顔色を窺っていたが、
それが刺激的であった。そして年齢を重ねるのと同時に、経済が成長していく
右上がり社会で、その豊かさを享受してきた人生だった。それも20年前の
バブル崩壊で、一挙に右下がり経済になり、それと正比例した引き潮に私の事業
も浚われてしまった。それでも66年を振り返れば、ベストの時代に生きることが
出来たと両親に国家に天(運命)に感謝している。人生の満足度では90点以上。
しかし振り返るとフラッシュのように恥ずかしい場面が次々に思い出される。
それでも嫌なことより、良いことが数倍あった実感が気休めになる。 
時代と家庭に恵まれて、社会に出てからも独学を続けてきたこともある。 
で、これだが問題はこれから。 老齢は、おのずから病気、老い、死の問題が
背後から追い越し目前に突きつけられる。 自然と気持ちが暗くなり、慢性
老人性鬱症が付きまとう。初老の心象風景とはこんなものかと思っているうちに、
中老になっていく。人生それぞれの年齢の心象風景は、それなりに微妙な味がし
面白い。やはり、読書と芸術と自然に深く触れることが晩年の味。人生万歳!
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3612, 無縁社会
2011年02月14日(月)
無縁社会 〜新たな“つながり”を求めて」NHKスペシャル 2月11日
  =内容=
‘社会に居場所がない’―― ‘無縁’となる人たちは高齢者だけでなく、
すさまじい勢いで低年齢化し、日本列島に無縁社会が広がっている・・・。
「未婚で高齢の親と同居しています。私も無縁死するかもしれません」
「介護で仕事をやめざるをえなくなりました。日々、自分は無縁だと感じます」
無縁社会の放送を見てNHKに寄せられた一万件を超える声。多くは20代から
50代の働き盛りの世代からだ。未婚、離婚、失業、職場での人間関係の希薄化。
若い世代を無縁社会に引きずり込むきっかけはあらゆるところに転がっている。 
この世代に広がる自殺や心中。無縁化した若者たちが社会での居場所も、自分
の存在意義も見失い「無縁死せざるをえない、無縁死してもかまわない」
と考えるようになっている深刻な現状が浮き彫りになる。‘心の居場所’を
作りたい―無縁化した人たちが再び、社会とつながるための様々な試みを通じ、
無縁社会を乗り越えるための処方箋は何か、解決の道筋を模索していく。
▼ この金・土曜日の二日間にわたり、ゴールデンタイムにNHKで放送
されたが、考えさせらる内容だった。知人に孤独死で亡くなった人がいたが、
これは誰もが今後起こりえる問題。 ここでは、正社員をやめさせられ、
非正規社員をしながら食い繋いでいる中年に差掛かった人たちを追っていた。
 また自分が社会から必要とされてないのでは?という挫折感が心底の重しに
なっている。 「縁」という言葉は日本特有の言葉。 一神教の世界では、
絶対神 X を発明し、常に祈ることで神様と共に生きている。 
 聖書が常に傍らにあり、休日には教会に行けば、そこには信者仲間がいる。
しかし日本には身近な周辺の因縁社会が、その役割を果たしてきた。
しかし最近ではプライベート的には、会社も、近所の人たちとの関わりあいが
希薄なってきている。 その中で縁を作るのも並大抵でない。一神教徒から
すれば、その辺がリアルに見えてくる。しかし、彼らの切実な叫びから
聞こえてくるのは凍り付く孤独感。ふと孤独死をした知人の魂が
「御前さん分かるか、この気持ち?」と語りかけてきた気がした。
が、最期は誰もが独り死ぬ。仏様の像の小指と死にいく者の小指に赤い糸を
結んで見送る風習があるが、やはり最後は神様しかないのか。
そういえば無縁墓を両親に頼まれて、毎年、ひとつお参りしているが・・
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3247, 時事放談
2010年02月14日(日)
 アメリカの露骨な日本タタキが始った。小沢、鳩山の次はトヨタのバッシング。
国内でも時を待ったようにプリウスが槍玉に上げられた。アメリカにとって丁度
良いネタ。次はドル安、円高圧力の再開である。日本を揺さぶるなど朝飯前、
次は年度末にかけて株式あたりの揺さぶり。アメリカの海外に向けての揺さぶりは
北朝鮮かイラン。中国も上海万博までは景気を維持するだろうが、その後の反動期
に狙われる。中国人は「流砂の民」。まとめようとしても 指の間からサラサラと
落ちてしまう。大きな権力で枠組をつくっておかないと体制は崩れてしまう。
しかし20数年続けてきた「一人っ子政策」のプラス面もある。下々は底から
這い上がりたい一心に両親が二人がかりで全エネルギーを注ぎ込む。 
本人は堪ったものではないが、エネルギーが 集中されるから教育効果は大。
日本は、その間にアメリカの骨抜き政策の効果で「ユトリ教育??」が完成。 
(字数の関係でカット2012年02月14日)
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2872, 貧困率 
2009年02月14日(土)
 最近になって、「貧困率」という言葉が話題になることが多い。
 −そこでウィキペディアで調べてみた
  貧困率は、「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」とに大別される。
絶対的貧困率
 当該国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が
 全国民に占める割合の事。相対的貧困率よりも実状を反映しやすいという
 特徴があるが、逆に言えば、「生活していける水準」をどのように設定するか
 によってさまざまな基準があり、設定者の主観が入りやすいという危険を持つ。
相対的貧困率
 国民の経済格差を表す指標で、「年収が全国民の年収の中央値の半分に
 満たない国民の割合」の事。絶対的貧困率と違い数学的な指標なので主観が
 入りにくい。しかし絶対的貧困率と異なり国によって「貧困」のレベルが
 大きく異ってしまうという特徴を持つ。この為裕福な国Aにすむ人が
 相対的貧困率の意味で「貧困」であっても、貧しい国Bにすむ人々よりも
 ずっと豊かな暮らしをしている、という事もありうる。よって相対的貧困率
 「貧困率」という名前であるが、貧困を表す指標ととらえるよりも国民の経済
 格差を表す指標ととらえたほうが正しい。
 −−以上だが、貧困率アメリカは17パーに次いで、日本は15パーの二位。
 アメリカでは黒人・ヒスパニック系が25〜30パーセントに対して白人は10パー。
2000年には日米ともに13・5パーだったことから、その数字はジワジワと上がる。
社会保障の行き届いている北欧はわずか5〜6パーからみれば、異常な数字。
現在の日本の平均収入が307万円だから、大よそ150万がラインだが、実際には
月15万×12ケ月=180万辺り。総中流時代という言葉が懐かしい時代になった。
ゆとり教育」の世代が社会の中核になってきたが、ますます貧富の差が大きく
なる要素が増えてしまった。 とはいえ社会主義政策の結果の総貧困社会も困る。
社会主義者は現在でも、やり方が間違っていただけと言ってはいるが・・
貧困の恐怖が人間のエネルギーの元になってきたが、それさえ感じられない世代
を「ゆとり教育」が作りあげてしまった。結果として、能力カースト制度を子供
時代から作り上げてしまった罪は大きい。国が衰える背景には、マイナスの
重なりがある。情報社会は、格差の実態をアカラサマに露出するから鬱積が
溜まり爆発するのである。自由主義の拡大は、結果として豊かになる自由もある
が、貧困になる自由もある。「自由、平等、博愛」は人類の永遠のテーマ。 
これも動物である限り共同幻想ということ?
・・・・・・・・・
2008年02月14日(木)
2507, 地頭が良い人      b(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
 私の知人に何人か、地頭の良い人がいる。本人も自身の地頭の良いことを
自認している。これは学歴の高低ではなく、彼は常に何かを目標を立てて、
ポイントを把握して、最重要順に実行する手順に入る習性が身についている。
人生の節目を知っており、その時節には自然と変身を始めている。こういう人は、
人の話を良く聞く。そして、その話(情報)を、己の言葉に置き換え行動の手順
に置き換える。小林秀雄の「無私の精神」という文章に行動家の精神パターンを
書いていた。行動家は無私の精神構造になっていて、全てを知った上で、己を
抑え目標を達成する。ある意味で、それをゲーム化をして楽しむことのできる人。
ところで、昨日の日経新聞の新聞広告に「地頭を鍛えるー問題解決に活かす
フェルミ推定』」−という本があった。気になったので、アマゾンで内容を
調べてみた。買うほどの内容ではないが、一応、概略を私なりにまとめてみた。
 ==
 地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい
過去の経験が未来の成功を保証するとは限らない現在において重要な 能力と
定義される。まずは、IT化によって手軽な情報を安易に利用してコピーする
『コピペ族』が増加しているが、真に頭を使いこなす者は減少していると
前書きで述べている。地頭力の本質は、「結論から」「全体から」「単純に」
考える3つの思考力である。すなわち「結論から」考える仮説思考力、
「全体から」考えるフレームワーク思考力、「単純に」考える抽象化思考力だ。
地頭が良い人とは この3つの思考力は鍛えることができるものであり、地頭力
鍛える強力なツールとなるのが「フェルミ推定」である。「シカゴにピアノ調律師
は何人いるか?」。こうした荒唐無稽とも思える問いへの解答を導き出す考え方の
プロセスを問うのが、「フェルミ推定」だ。「フェルミ推定」と呼ばれるのは、
原子力の父」として知られ、ノーベル物理学賞受賞者でもある、エンリコ・
フェルミ(1901~1954)に由来する。本書では、「日本全国に電柱は何本あるか?」
といった例題やその解答例から「フェルミ推定」のプロセスを紹介しつつ、
「好奇心」「論理的思考力」「直感力」という地頭力のベースとそれらのベース
の上に重なる仮説思考力、フレームワーク思考力、抽象化思考力の3つの構成要素
とその鍛え方を解説している。」未知のテーマに向かうとき圧倒的に効率よく
対処する方法、思考力を 鍛えるための方法、仕事のアウトプットを増やす方法
として大変参考 になる。特に「完璧主義」的傾向のある人はこういう現実的な
やり方 もあるのだということをインプットしておくことはきっと自分の能力
をさらに高めるきっかけとなるのではないかと。地頭力とは「未知の領域で問題
を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証する
とは限らない現在において重要な 能力と定義される。「フェルミ推定」とは 
把握する事が難しく、ある意味荒唐無稽ともいえる 数量について何らかの
推定ロジックによって短時間で概数を求める方法です。
(字数の関係でカット2012年02月14日)