『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 苦しみを最大限に利用する
 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。
父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 
ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み
をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか?
≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた
  カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。
【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛
 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。
心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。
私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で
燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福
を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ
この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを
理解したのだった。愛の他なにもない…結局は、苦しみは外と内の間の区切り、
肉体と精神の区切り、自分と他者の区切りなどが、一切存在しないことを
発見させてくれるのである。】
 苦しみの賢い利用の仕方で、人間は多くを学ぶことができる。
逆に、「仕方ないさ」という投げやりな考えに甘んじて過ごすのは、
心が大きく変化するチャンスと可能性を放棄するようなものである。
こうした変革の可能性は誰にでも備わっていて、苦しみが深刻な不幸に変わる
のを来然に防いでくれる。病気、憎悪、批判、不運などの障害に単に挫けない
だけで、事態に左右されない、とか、障害を永遠に乗り越えた、という意味に
受け取るのは間違い。それは、障害が精神の自由への道を塞がなくなった、
というレベルに過ぎない。苦しみに遭遇したくない、あるいは、苦しみの反応
を促進させるカタリスト(触媒)としておおいに利用したいと願うなら、恐れと
失望によって心を支配されるのを防がなければならない。八世紀の聖者、
シャーンティデーヴァは説いている。「治る道があるのに不満に思うことに
何の意味があるか。治らないとわかって不満に思うことに何の意味があるか」≫
▼ 5年前の会社整理時に、無我夢中に目先の事象をこなしている時、
 何とも奇妙な感覚になっていた。その苦しさの中に、痛気持ち良さが沸き
出ていた。30年間、月一回、月次監査にきていた会計事務所の担当が、
『社長、楽しんでますね? 自分の立場が解ってないのでは?』と、呆れ顔
で言われたが・・ 万一の対策を創業当初からしていなければ、そんな余裕?
は無かったことも確かだが、一つずつ、押し寄せる二度とない経験をしている
日々が内側では輝いていた。あの卑しい視線の一つずつが、かつて自分が
経験したからこそ、その底が透けて見える快感もあった。 心の内外、精神と
肉体、自分と他者の間が消えていた感覚である。 話しが少し軽くなった。 
 心の準備があれば、究極の苦痛は神の心に導いてくれるようだ。
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3230, 死は‘別れ’のとき
 2010年01月28日(木)
 昨日30年間近く毎年、行われている高校の同級会のメンバーの一人の
近藤さんの訃報が入ってきた。癌である。これで5人目、2割強が亡くなった。 
ところで、癌から死に至る恐怖心を克明の記録を残した学者がいる。
岸本英夫である。もと東京大学の教授で宗教学の学者だった。彼は彼自身の臨終
の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り
組んだ人。癌でも最も恐ろしい悪性黒色腫という転移性の早いことで致命的な癌。
あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックを、こう書ク。
「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。昼はまだ良い。夜が問題だった、
夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。癌の宣告を受けた
私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。
 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を
もたげてきたことを知った。腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくない
という強烈な欲求と、死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。
 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、
そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、
私は身をもって知らされた。」 岸本英夫が死との苦闘の末に行きつい た境地は、 
・「与えられた人生を、よく生きる」ということと、
・もう一つは「死は、人生によくある″別れのとき″の一つなのだ」ということ。
≪ 人間は一生の間に何度も別れを経験する。 それには悲しみも伴うが、
 人はそれを耐えて、乗り越えてゆく。死はつらく悲しいことだが、それは人生に
いろいろある‘別れ’の一種に過ぎない。ただ最後の大仕掛けのことでしかない。
 今までの様々の ″別れ″と本質的に異ったものではないのではないか。 
普通の別れに対しても人は準備をする。それと同じように、死に対しても心の
準備をしておけばいい。そうなりきれた時「癌のおかげで、本当の生活ができる
と感じがする」≫ という。
〜〜
 亡くなった同級生にも死の恐怖との激しい苦闘と肉体的苦痛が
あっただろう。もの静かな誠実の塊みたいな人だった!ご冥福を!
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3595, 閑話小題
2011年01月28日(金)
  * 危機感が無さ過ぎる日本
 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 
2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。
その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海
地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の好立地で起きた。
そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下り
になり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落が
あっても不思議でない事態。マスコミの情報コントロールのためか、政治的
思惑か、表面化をしない。コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では
2割は上がるだろう。現在の体制では、この難局を乗り越えることは不可能。
ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない?                     
 * 10人を11人の年金で賄う?
 先日の新聞記事を見て、目を疑った。
「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が
背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転する
だろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。
去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考え
ないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果だが、さらに
悪いことに左翼が政権を乗取りやりたい放題。いつ爆発をするか秒読みに入った。
 * チュニジアの政変について
 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと
見られていたチュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの
情報化が背景にある。その影響がアルジェリアリビア・エジプトにも波及、
暴動が多発、この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国
連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。それだけ、この世界的金融
恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。大元は、情報化。

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5067,閑話小題 ーアフォの修行したのは怖い
2015年01月28日(水)
  * つれづれに 〜雑念そのままに
― 何度も書くが、どうも老齢の心境にほど遠い。
 これは不幸なことというが、なれない不幸の方が、私には向いている。
― 現在のインコが家の一員になって、4年になるが、まあ可愛い。
 直接的接点は家内と私だが、家内は気分次第で対応が違うが、私は、
餌をやり、話しかけるのため、少しでも居間のコタツの前から離れると、
ガラス戸こしベランダで鳴き叫ぶ。 振り向くと、たった一つの芸の、
枝の前方回転を必死に繰り返す。唯一の友が、枝につけた鳥の形をした
起き上がりコブシ。突っつくと一回転をするが、これで回転技を学習した。
枝の上で、それを移動させて何時も隣に寄添っている。と同時に、欲求
不満を攻撃することで解消している。その人形?の鳥、自分に見えている。
―― 現在のTVを入換えて5年になるが、これが大当たり。
 寝室のTVも同時に入れ替えたが、居間と寝室の値段の差が10倍近く
あったが、その差が歴然としている。朝9時過ぎと、夕方4時過ぎに
30分から1時間、寝室で見ているが、ドラマなどは落着いて見れる。
今まで、居間のTVは、数回、問題が起きているが、それでも良いのは良い。
この世界、5年も経てば、4KTVなど進化しているのだろうが、店頭で
見る限り、飛躍的進化の兆しはない。
―― 白鵬が、自分の勝負の審判に異議を申立て、物議を起きているが、
「そこまで、言える大横綱になった」と見るか、「逆上せ上がり」と見るか。
次の勝負が始まってから控えに入ったのは、時間審判の意図的嫌がらせ?
何が品格? ほっておけばよいことか。何番か、疑惑の審判があったが。
―― どこかの呟きに、『ほんとに偉い先生は別だが、インテリの修行した
のは怖くないけど、アフォの修行したのは怖い。インテリは世俗の習いに
従うけれど、アフォのは、宇宙の摂理に従うから、本当に怖い!』とあった。
 もっと怖いのは、中途半端なインテリ風のアフォ! 修行した力で嫌味を
振りまわし、周囲を傷つけまわる。誰か知らないが、ったく!
恐いの意味あいがちょっと違うが! 〃゚д゚〃) *>ω<*)
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4702,漂流者たち
2014年01月28日(火)
  * 漂流者たち ー若者には未来など無い! あるのは現在のみ     
                  ー『散文』谷川俊太郎著より
  ーこれは全文であるー  
【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代)
                       の心境に似ている?】
《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者の
ことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。 若者には現在がある。
むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく
知っている。過去をふりかえるひまがないのと同じように、若者には未来を
考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。
それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、
生きようとするのだ。「仕事?つまんないなあ」 深い吐息のように、
ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を
造っているのか、よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、
牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーになりたい
んだと、はにかみながら話した。「いかすもん、なあ」活宇にすると、
こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく
生き生きとするのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、
正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、広漠とした情念
の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめて
いる。きのうもあすも、後らにとっては観念にすぎない。唯一の現実、それは
今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の
中で、若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっと
あの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。
彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港
からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。おとなから見て、頼もしい
若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、
おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに
いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康
であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば
このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、
わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。
そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。
エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世
にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。
 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない
だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を
求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛
の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、
若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。
おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》
▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を
 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。
仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と
他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望
がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった!
など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。
そして、今は家の中の漂流者?   (>_<)ゞ  (ノ_<。)うっ
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4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン
2013年01月28日(月)
   * ドラマ メイドインジャパン
 一昨夜土曜21時、NHKのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 
三回シリーズの一回目。粗筋といえば 
≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命
 で余命3か月の会社倒産の危機を回避するため再建戦略室を立ち上げる。
財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏
に集められ、リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業
タクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に渡るが、
現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫
 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニックソニー
シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。
10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では
28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。パナソニックとシャープと
サンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前
の会社の建て直しを物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、
時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。
それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから
恐れ入る。ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは
私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。方向は正しいが、
付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、
ニーズから外れるが、5割も高そう。この間違いは数年後のパナソニックの破綻
を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、
何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラー
なったタブレットPCスマートフォンのような、商品開発。1〜2人用の電気
自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気
スクーターとか、電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を
早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの別世界に
なるものなど、発想の転換カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、
中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。眠れる獅子が眼を覚まし暴れだした。
制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。
・・・・・・
3960,ファイナル・クラッシュ ー7
2012年01月28日(土)
* 日本をいかに安楽死させるか ー  
  「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾
【2011年5月下旬、アメリカの下院の外交委員会で、「ジャパンリスクという
 名の小姿員会が開かれ、そこに日本の大使が呼ばれた。アメリカ議会では、
日本国債はいつ暴落するか、そのときにアメリカとしてどう対応すぺきかという
問題を公式に研究しているのである。誰がどう見ても、日本政府の財政破綻
防ぎようがない。それは日本経済全体に波及する。日本にとって大震災以上の
津波が押し寄せてくる。その時、どうやってアメリカ経済を日本政府の破綻から
切り離し、日本を安楽死させるか、そのためのメソッドを研究している。
 彼らは、どうせ型通りの発言しかしない日本の大使から何か意味のある話を
聞けるなど思ってはいない。 日本経済の先行きについて、アメリカ政府では
すでに彼らなりの崩壊のシナリオを描いているはずだ。その内容を再確認する
一環として日本の大使を呼んだのだろう。日本を単独で安楽死させる方法として、
どのような形が考えられるだろうか。一つは日本の国債の格付けを一気に一〜
二段階下げてしまうやり方がある。寝耳に水のデフォルトでは世界経済が混乱。
しかし「投資不適格」レベルにまで格下げをした後なら、日本国債がデフォルト
しても「やっぱりね」ということになり、市場の動揺も抑えやすい。・・
 現在1・1%ほどの国債発行金利が1.6、2.0%近くに達する可能性がある。
市場の国債の価格がそれだけ下がると、長期金利が上がってくる。
5%になったら何が起こるか。この金利は、世界的に見ればごく普通の金利
既に1000兆円野金利が4%上がれば40兆円のアップである。・・・ 
それは国債と同額の金額になる。】 
▼ 危機管理が不在の日本は、今や瀬戸際に立っているが、それにお構いなく
 政争に明け暮れるしかない日本。偶然だが、去年の今日(下記)に
「危機感が無さ過ぎる日本」の小テーマで書いていた。当時、そんなことより、
自分の会社が大きな危機にあることに、まだ気づいて無かった馬鹿加減が出ている
内容でもある。「国家天下より、自分のことを考えろ!」だが、どっちにしても
同じ結果でしかなかったことも事実である。もう今さら国家天下でもないが・・ 
小高い中腹の山から大津波がよく見えるから、同じようなことを書いている。
金融関係のトップクラスの人たちは、一番よく分かっているが。何も言えない。

・・・・・
2855, ある喩え話 -自由と平等 どっち
 2009年01月28日(水)
自由主義社会主義的体制を解りやすく喩えると自由主義と、格差を嫌い
管理を優先する社会主義的体制のどちらがよいかが、今後の大問題として浮上
してきた。新自由主義をあくまで優先するか、平等を優先して規制強化かは、
人類の永遠のテーマである。それが堺屋太一の寄稿文に分かりやすい喩え話で
掲載されていた。 これは、酒飲話の余興にでも使える。
【 あるとき、慈悲深い神様が、子羊が狼に食べられるのを見て哀れに思い、
 狼の牙を抜いて羊に変えられた。羊たちは平和に暮らせるようになった。
ところが数年経つと羊の数が増え、一部の強い羊が草原を占拠。弱い羊は飢え
だした。神様は飢える羊を不憫に思い羊たちに等しい広さの草原を割り当てた。
その結果、争いはなくなったが、どの羊も飢えて死んでしまった。 
神様は草原を増やすことは出来なかった。 この神様はカール・マルクス
毛沢東とかいった。やがて神様は交代して、前の神様の失敗に懲りて逆のことを
やりだした。狼たちに羊を捕る自由を与え、いっそう強力な牙と知恵を与えた。
地上は弱肉強食の場になり羊は食い尽くされた。その上に狼同士の共食が始まり、
数年後にはただ一頭の巨大な狼が荒野を彷徨っていた。この神様をリカードとか
訒小平ともいう】 まあ、面白い例え話である。
 次のような即興の物語が思いついた。
【 羊の群れに紛れ込んだ狼どもが、知恵を使って眠り薬入りの美味しそうな
 藁をまいた。しかし薬は実は羊にとって毒であった。その結果、羊の全てを
殺してしまった。しかし、その狼は、その前に羊の毛を騙して刈り取って、高い
金で売り、羊の肉を塩づけにして自分の生きている間は楽しくおかしく遊んで
暮らしましたとさ! になる。しかし、それを見ていた神様は、狼の住んでいる
森を焼き尽くしました。焼け跡には、ただ風が吹いていました。但し罰として
狼を生かして草原に追放しました。それがハイエナとして今も生きている、とさ】
  ・・・・・・・
2008年01月28日(月)
2490, 閑話小題      才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
 *高校の同級会
 昨夜は、高校の同級会があった。15人が集まったが、何か会うたびに病気
と年金の話が中心になる。二次会、三次会などで帰ったのが1時過ぎ。ここまで
くると、肩書きとか、収入とか、どうでもよくなる。だから良いのだろう。
高校の同級会は20年ほど前から毎年のように開いていたが、発起人の4人の
中の中心人物が亡くなって、この数年開かれてなかった。
これから毎年開かれるようだが・・
 *大相撲も終わってしまえば
大相撲も終わってしまえば、予測どおり白鵬朝青龍の決定戦なり、
白鵬の優勝で終わったが、やはり朝青龍の存在は現在の大相撲には欠く
ことのできない存在ということになったが・・。
(字数の関係でカット11年01月28日)
・・・・・・・
2007年01月28日(日)
2126, タクシー運転手残酷体験記   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!