* シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
 全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、
【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラマッコウクジラ
 の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が
白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。
一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが
反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長
ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に
鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命
ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の
キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、
食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で
「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】
▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に
引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流
する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、
「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。
   * 4日間乗り放題の新幹線で
 一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で
乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。
当人は40回近いツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば
軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら文句は言えない。
このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ
が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。
 今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ! 
幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、
良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(笑)に抱きついて養分を
吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えれるなら、これも人生!
 『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、不思議そうな顔で、
『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』と。
 私が平然としている態度が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に
しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の
持ち帰りとか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、
一人を満喫。 「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、絶対幸福?素養?
・・・・・・
5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜②
2015年01月23日(金)
      < 本日「いいかげん」日和  一日一話 >ひろさちや(著)
   * 貧・病・争と宗教
「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、
優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と
いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、
何ごとも良い方向に運ぶということ。
≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ―
 と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、
そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく
のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が
治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しい
まま、病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。
わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。
 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった
本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と
いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、
嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。
宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。
嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが
できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫
▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを
 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方
でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん
即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω
・・・・・・
4697,末期がん、その日のための予習を ー1 
2014年01月23日(木)
        ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。
父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え
去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。いずれは通る道。
 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、
何度か、ここで書いてきた。
【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、
死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の
イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。
だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、
ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に
すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 
いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 
哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者
との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。
『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に
取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい!
   まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。
 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」
の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで
死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の
患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。
余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 
多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか
に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族
ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という
命題をつきつける。
●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている
●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い
●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ
●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか
●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな
●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 
 ▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、
 初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、5回、特別外来を開いた。
宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 
予測を遥かに超えてしまった。患者は、不安を少しでも解消したいと思っていた。
これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、講演やシンポジウム
に呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿。
末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。
がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。著者が患者に語りかけた内容は、
それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。
・・・・・
4330, 弧族の人たち
2013年01月23日(水)
  「孤族の国 ーひとりがつながる時代へ」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著)
 NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 
全国53の事例でつづった渾身のルポ。太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入
させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人。
繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。
65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と過去最高を記録 し、全世帯に占める
割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に
自殺率が急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、
定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。
  ー内容紹介(amazon)ー
急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。
高齢になったら、病気になったら、職を失ったら―その先には孤立という罠が
待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、
39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に
離散した集落、独身無職女性の苦悩など多数の事例から変容する家族と社会の
あり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死
他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。
朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 
 ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。
【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた
軽自動車の後部座席から遺体で発見された佐藤正彦さん、享年55。 
DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、
遺骨を保管。司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さん
は、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班がその足取りを追い、
浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。
▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。
 高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、いちばん低いのが独り暮らし
という。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。
ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを
紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。最後は県外にいる娘の近くの
アパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と
高齢化社会の中で、大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題。 
麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。
・・・・・
3955, 他人を責める「新型うつ」について
2012年01月23日(月)
  * 生存適応戦略だった「ユウウツ」
「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で
何度か見て、ここでも書いてきた。ある本に、次のような記述があったが、
なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・
【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在
 していた。うつ病の歴史について詳述された、防衛医大野村総一郎教授の
著書『うつ病の真実』によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である
「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために
獲得した感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、
うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという
無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点があると。
また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。
ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。
その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りをする気力もなくなるが、
あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 
生き残った悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。
このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、
かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、
マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、
悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。
人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、
ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを
得ないケースもでてくる。このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに
関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず行働に無理が生じる。
野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】
  ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より
▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得
 した感情で、適者生存のため必要な病とは、面白い見方である。人生の節目は、
大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。
それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、
独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。
しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。
これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。
それは当事者としても、ギアの切替えになる。現在の日本が、その立場にある。
「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に
集中するため、一年で引きずり下ろされる。その背後にいるアメリカも間接攻
撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。
振り返れば節目時は鬱だった!
 ・・・・・・・
3590, 戦略ネット会議システム −2
2011年01月23日(日)
 K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、
大手銀行に応募をして入社した人物の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に
対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、
掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、
その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、
探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚
が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り
入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの
ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いている
だけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに知恵を出しあえば、
多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題も
あるだろうが、互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、
内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。
その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、
新たに顕在化すること」こそ、企業にしろ、個人としても革新ポイントのコア。 
この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。
 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいること
は何? それを練り上げあげているのか?この恐慌の一番底が来年に到達しようと
する中で、どうする?」そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。
 ・・・・・・・・
3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)
 孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」
の言葉がよい。50代には、ハッキリした絶対言明があった。
 「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」。
そして、還暦をむかえて一人「もとをとった!」と、ほくそ笑んだ。
 今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦を過ぎてから、
次の絶対言明が見つからないのである。しかし「死もまた愉し」の中の、
次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を
 立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。とりあえずは1年だけ考える。
あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。
1年が無事に過ぎたら、よし、もう1年生きよう、と……。 
新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。また1年たったら、
つぎの1年を考える。こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。
これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として大事なことでは
ないかと思うんです。 ≫
 若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活
をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。ーそのような境遇で、会得したことは、
【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、
日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。私には、どうも無理のよう
だが・・。彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。内容は毎年同じで、
原稿用紙。 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
 結核療養所石田波郷福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた 
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ  ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり  ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず ・來し方の見わたすかぎりおぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり   ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
 ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
 ・・・・・・・・
2850、チベット旅行記 −1
 2009年01月23日(金)
ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。6年にもわたるチベット旅行
の記録が本になっている。内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験している
ような気持ちになってしまう。勧めてくれた人が山の手線の東京駅を(内容に引き
こまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。 ー要約をすると
≪ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット
 原典が唯一残っているチベット国に行くことを思い立つ。鎖 国状態のチベット
に、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似て
いるが、河口慧海の場合は個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。 
明治30年(1897)31歳の時の密入国である。当然に死を覚悟をしなければ
ならない。抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均
高度4500mのヒマラヤを走破する。若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会い
ながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で進退きわまる時や、
 右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。
食事は麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。想像を絶した苦難を
次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から
持参した薬と医学知識で病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。
そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、
 貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。
「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを目的にしてはいない。 
我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は
私にはない。…ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学
経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに関する様々なことを観察すできた」 
その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。≫
▼ 河口慧海チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。
 チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、1897年に船でインドに渡り、
ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、1900年
ヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼
した後、 日本人として初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を
生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に謁見するまでになるが、日本人である
ことが露見したために急遽ダージリンに脱出。 その後も中国、インド、
ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖
として知られる。1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。  
・・・・・・
2008年01月23日(水)
2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −2 オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 (字数制限のためカット 2015年1月23日)