* 世界的不況が更に深刻のようだ
☆ 庭の木々の積雪は15センチほどか。これでは冬物衣料は、大打撃だろう。 
世界的不景気もあり、原油が一時的にしろ30ドルを割った。一年ほど前は、
120ドルだったから、4分の1。これは世界的デフレと産油量の供給過剰が
背景にある。世界の広がりあるテロと地球温暖化による、作物の不作もあり、
株式からも目が離せない。現役の立場だったら、かなり厳しいはず。
☆ 去年の暮れに、大学時代の同級会で、臨席の某有名な夏はゴルフ場、
冬はスキー場でリゾートホテルを経営している人に、
『万一の備えを、たとえば、夫婦して厚生年金に入っているとか、
奥さんの通帳を別立てにしているとかの万一の対策をしている?』
と聞くと、『妻は長い間入院して働いておらず、二人とも国民年金。備え
などしている余裕などない。それより目先のスキー場の積雪が心配だ! 
まだ、中国、オーストラリアなどの外国人の来客があるからよいが・・』
と、弱気な顔。それぞれ事情があり、無神経な質問をしたと反省。
地方経済は、いずこも厳しい経済環境。 
☆ 最近、太平洋側のゴルフ場が次々と閉鎖され、芝生の上には、太陽光
発電のパネルが立ち始めているとか。こんな話をきくと、バブルの時代を
知っているため、隔世の感が強い。ここで、阿部首相が、リーマンショック
規模の経済変動が無い限り、10%の消費税を実行すると述べたが、その
クラスの経済事変の可能性がないとはいえない事態である。 年初来、
株価が連日、下げて、昨日は何とか反発。 不況の影響は、
まず年金生活者など弱者を直撃するから、たまったものじゃない。
  * 今日で満70歳 
 今日から70歳の大だいに入る。50,60歳の大だいという点で、
一番、心理的にショック。この数年、いやに気持ちが老け込んできた。
そう遠くない、ある日、末期ガンと宣告され、七転八倒のうえ死んでいく。
そして、3日もすれば、忘却の彼方に消えていく。元気なうち、一日一日を
噛み締めていくしかない。いや、かみ締めてきたから今さらか。
 70代は、還暦時の感慨より、年齢の重さを実感する。
60歳代の10年間で、気持ちも、身体も、日々衰えが身に沁みていたが、
これから10年、いや5年は、更に衰えを実感する日々になるのか。
 とはいえ、老いへの不安とか、死に対する恐れは、何故か少ない。
<楽しむだけ楽しみ、やりたい事をやった> 実感があるためだ。
 なるほど、日々の気持ちを書残し、改めて読返すと、昨日、確信した
<「永遠の命」が実相で、「わたし」と思っている、「これ」はフィクションで
 しかない>と思い知らされる。過去も、いま、ここの、わたしも夢幻!
これを、その時点時点で、見ているのが、「永遠の命」の片割れの実相。
・・・・・・
2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳代!       
 今日で60歳になってしまった。 (*´ェ`*)w (⌒_⌒; タラタラ     
60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒にしてきた?ので、
感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。       
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が
「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に、『エッ!』驚いた。
サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、
そうかもしれないが。
何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
1、とにかく恵まれていた。
  時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
2、ついていた。
3、面白かった。
4、悔いはない!である。

人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして
自分の家庭、職業、趣味などの総体が自分を構成していると実感する。
人生の7〜8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。
 少しは大人しくしなければ!
それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」
それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。           
             ★:゜o( ̄▽ ̄*)>*
・・・・・・
1月15日  1969年
 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。
 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

  〜以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。
 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。
その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。
・・・・・・
5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2
2015年01月15日(木)
   * 古稀ですか ー2
 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ
気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、
同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。
 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。
当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな
文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆?
どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が
亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、
母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が
面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折?
の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。
 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、
己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、
「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・
 この程度としても、恵まれていたし、面白かった!
現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。
それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、
面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? 
・・・・・・
4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜
2014年01月15日(水)
   * 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、
同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、
それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は
マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居
になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて
いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、
情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、
もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。
他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている
自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 
誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が
いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、
自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、
「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・
〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。
今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。
そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した
・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 
こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」
であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話
になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
・・・・・・
4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
 * ネットカフェ難民から、マック難民
 * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略)
    * 67歳か〜
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。
父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、
自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、
欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
・・・・・
3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の
大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか
と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 
それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡
を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、
去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの
風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。
10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打
で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショック
地震とすると、大津波世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず
だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは
欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。
66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。
仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に
思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい
の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、
考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを
見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 
とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに
なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在
しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって
しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の
経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き
連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない!
  ・・・・・・・
3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。
二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る
ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年
を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代
に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること
にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも
深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、
見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、
還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で
一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。
父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」
として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた
というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 
それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。
特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」
この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」      
それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
・・・・・・
3207, 64歳か〜!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。
現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。
それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の
蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。
この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。学生時代の卒業
直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を
御馳走して貰った記憶がある。還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの
入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。
これも、また御愛嬌というところだった。やはり、大台を超えるのは感慨が
あるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には
65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の幹事会を開くので10人位が
集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。
加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きていればこそ。 
還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。
そして想像を絶する恐慌の大波。そして、情報化がもたらす社会の変化。
現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 
充分、狂ってきたが?!
・・・・・・・
2842, つれづれなるままに -63歳か〜 
2009年01月15日(木)
 * 63歳の誕生日か〜
 今日で63歳の誕生日になったが、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、
姉妹全てが、鬼籍に入ってしまった。そして兄姉、いとこ達の4割が亡く
なってしまった。この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、
人生に悔いは無いが、この断絶の時代、可能な限り生きて変化の行く末を
見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)
・・・・・・・・・・
2008年01月15日(火)
2477, 62歳の誕生日に     YΘ!!。  _゜ヽ(*´∀`)ノ
 今日で62歳になった。この随想日記に誕生日の感想を書いていたが、そのこと
自体を全く忘れている。だから読み返すと面白い。5年続けて、自分の誕生日の
実感を気持ちを込めて書いてあった。さらに、39年前の誕生日の日記も。
(後記してある) こころから誕生日に祝ってくれる人はいない?ので、せめて
自分に対して、実感としての言葉を残すしかない? いまさら誕生日もないが・・
所詮、それも言葉でしかない。 年越しに全員でするのだから、誕生日を敢えて
することはない!というのが、日本の昔からの習慣だから、あまり誕生日に祝う
ことはなかった。現在も、それはあまり変わってないようである。
 私は、両親の42歳と38歳の時に誕生したこともあり、二人の晩年の峠を一緒に
過ごした。その経験から、同じ峠にさしかかった現在、擬似体験をしているような
気持ちになる。熟年は過ごし方によっては、これほど面白い時期はないのである。 
親鸞ではないが、この峠の道が同行二人、いや同行三人という気持ちになる。
私の場合は仏様と同行というより、心の中の両親である。熟年は過去を抱え
ながら、だんだん峠が高く険しく空気が希薄になっていく。何故?空気が希薄
になるのかを自問自答しながら自分の過去と向かい会う。そして己と同じ年齢
の両親の当時の姿が生々しく目に浮かぶ。峠が高くなるにつれ視界は大きく
開け遠景が広ろがる。それもこれも、宇宙の彼方からみれば、この62年の経験は、
砂?塵?原子?でしかないが。その時々に、その時々の気持ちを書き残した
痕跡は、自分の宝物になる。全く同じ言葉でも、その時のメルクマールになる。
要するに時間が縦として記録されているのである。それが如何した?というが、
れが如何もしようがしまいが、良いのである。人生は生きていくだけで大事業。
どんな大事業より価値がある。その当たり前のことが解らないから平気で道を
誤ってしまう。今日は毎月の飲み会! 外で飲む理由がたつので、丁度良い?
歳月、人を待たず! か〜。 ただ、一日一日は充実をしている。                 
ーーーーーーー
2007年01月15日(月)
2113, あ〜もう、誕生日か〜 61歳ですか   
 例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。それを忘れていて、
前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、これを書き出した次第である。
それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。
他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い?
読み返すと、それがよく解る。61歳?自分が自分でないような、認めたくない
というより信じられないのが実感だ。この歳には、もっと老成していると思い
きや、とんでもない!気持ちがドンドン若くなっていくのだ。それに加え、
脳がアップスケールしていく。この随想日記を書き続けていることと、ネット
サーフィンの効果もある。それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わった。
情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が変わったこともあるが、人生の競馬
でいう直線コーナーに入ったこともある。コペルニクス的な大転換である。
元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。
人間の見方を例にとると、人間の品性をまず見るようになった。「国家の品格
という本がベストセラーになったが、人間の品位が年齢を重ねると、ますます
見えるようになったきた。そこで自分は品位はどうだろうか?不安になってきた。
いつも家内に『品が無い!』と言われ続けてきた。私の両親は間違いなく
品位があったが、私がどうだろうか?と。家内の両親も品位は充分あった。
じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか! 
明日にでも、「品位について」を書くが、ある物指しからみて、何と信じら
れないことに、家内より私の方が品位が上?であった。その基準によるが、
「目先の現象や価値観に左右されない」のが品位というらしい。
それも明日書くとして・・ 結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、
感謝して生きていれば、それで充分ということだろう!「で、どうした!」
「61!」「で、」「今日は、のみに行こうか!」 このあたりに話が収まる。