『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著
  * 「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション!
 昨日、「人生でもっとも大切な技術ー①」 をテーマに書いた。
ところが、去年の同月同日の{5052,生と死をめぐる断想 ー5
 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、
 リカールの幸福論につながる丁度よい答えであった。
< 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が
「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。>
何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で
はないか!と。・・> 
 ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、
帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を
書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の
対比が死の恐怖を鮮明に表現されていた。幸福感とは、未来のある群集の中に
感じた「いのち」を体現している感覚。至福に至った感覚、「至高体験」の
経験が蓄積され、何時でも、その感覚を引出せることこそ、幸せの理想。
秘境旅行の大自然との邂逅や、本を通した作家との融合で、感動した至福感
などの蓄積は、目先の現象などでは壊れたりしない。しかし、それさえも、
余命3ヶ月の宣告で、バラバラに破壊される?それほど、自己の死の確信は
恐ろしい? ガンで怯える岸本嬢が、玄侑氏と往復書簡をするうちに、
<「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、「わたし」<「いのち」という
発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた
何かもっと全体的な何かがあるらしいことを感じるようになってきた。>
 リカールは、幸せの獲得の妖術?に、瞑想を勧めているが、これは、
後でテーマとして取り上げる。毎日、夜半、4時間の爆睡の後、4時間の
半睡を瞑想の一つ?として味わっているが、これは時々「魔の時間」に
なることがあるが、大部分は「至福の時間」になっている。
それにしても、同月同日に「意味ある偶然の一致」が、あまりに多い!
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5053,閑話小題 ー古希ですか!
2015年01月14日(水)
  * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ
 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。
よくぞ無事?に到達したもの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が
70歳前半までに亡くなる。それでも生きているの人は、刃物が入っている人?
 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。
仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは!
気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。
 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩
 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。
(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 
1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲
ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」
との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、
あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。
9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」
という思いは意外と少ない。
 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした
閑吟集 四九〜五五』を思い出した。
  世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり   (49)
  何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50)
  何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51)
  ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
                   あぢきなの世や (52)
  夢幻や 南無三宝(53)
  くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54)
  何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ     (55)
現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、
うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、
『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
 あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん!
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4688, 閑話小題 ー高校サッカー勝戦の劇的結末!
2014年01月14日(火)
   * 奇跡的逆転勝ち
 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 
特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で
追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 
 ーまずは、ネットの記事よりー
【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 
  富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 
 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝
を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一
は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ
一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって
富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。
延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが
クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて
MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘
に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一
は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】
▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、
 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま
勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。
ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝
として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦
同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会
の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。
 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。
この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。
下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。
  あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
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4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック  「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という
ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。
この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。  
  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため)
 8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、
 短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応
 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 
 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの
 ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、
 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って
 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年
 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の
 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は
 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の
 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、
 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。
 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える
 のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。
 決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品
 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品
 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。
 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
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3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
2012年01月14日(土)
  * 陸と海のたたかい    「終わりなき危機」 水野和夫著  
ヴァスコ・ダ・ガマコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。
これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」
の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20
世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、
「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、
米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。
そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。
膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、
大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、
リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 
「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って
いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、
第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊
の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、
「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、
日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま
一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。
その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。
9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。
 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。
その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、
その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。
その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル
として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。
それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って
攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。
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3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解
しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。
恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える
力が以前に比べ少しついた。毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返して
いると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。 そこで、その範囲でしか
理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を
深めておかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶
することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに
唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに
見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが
普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。
知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で
消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、
無ければ、情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案
を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、
沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 
一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島
に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は
広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。
今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、
中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される!
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3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 
ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。
ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、
ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え
文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。
キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど
「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け
可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う
とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している
というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。
どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)
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2841, 雲頓庵 −2
 2009年01月14日(水)
 とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。
勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子?
に収まり、副住職になっていた。この坊主が面白い人物だった。
次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・
 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー
夜十時、本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。
我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。
誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も
手伝い恐怖のどん底に落とされました。人生で二回の超恐怖体験の一つ。
大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきた。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、
恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、猫位の大きさの獣物だった。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。
再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と
“モモンガ”だった。そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、
途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。野生の獣と直接対峙したのは
初めてでしたが、その殺気には驚いてしまった。その時騒ぎを聞きつけた
老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺した。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男
が四人逃げまわっているのに、九十近くの禅師が何のためらいもなく一撃!
私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力に
ショック。結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。
禅師の一面をみた事件でした。
−−
当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すこと。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、
それが網のようになり、多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば
4年も40年も同じである。
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−1968年8月31日日記帳より
今日、雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。
早速座禅をくんでみる。足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が
求めていたもののヒントを与えそうだ。ここに慶応大学を卒業して弁護士の
試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。
面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。
これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。
朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺
の後見人という人と話す。午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと
「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。集中力が足りないのがいらだつ。
明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。
誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命
を後半100頁を読み終える。そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。
二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。
中央公論の流通の切り取りも読む。何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって
座禅をくむが、何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。
一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたい。皆を呼びにいく。全員でそれを
追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、
顔をあらっていると、住職が昨日の動物を退治しようと棒を持ってやってくる。
そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。よく見るとイタチ
でなくモモンガであった。顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。
昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。それが結構面白い!
かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。急に将来のことを考えると、
不安が押し寄せる。 相変わらず、読書のペースが遅い。
ーー
40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。
書いてあるからである。
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008年01月14日(月)
2476, 閑話小題       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。
それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、
大きく取り扱われているタイミングもあり異様な感じが漂っていた。
幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、有望なのは
旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、
一〜二年後に三役間違いない力士が4〜5人、横綱間違いないというのが、
二人もいた。そのうち、半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の
厚みが、全体のレベルにつながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)