〜『残酷人生論』池田昌子
   * 情報と知識の違いについて
 以下の文章は、哲学者の故池田晶子さんが20年前、Windows95が
世に出てきた頃に書かれた文章である。その後の激変したネット情報化社会
の現在でも、そのまま通用する内容。 高度をコードと捻っているところが
面白い。知識とは違った有効な生情報も、情報社会に生きるものにとって
重要な要素である。情報と知識の違いを簡潔に説いている。〜その辺りから〜
≪ 前に、情報は「しょせん」情報だと言いました。高度情報化時代なんて
 のは、要するにコード情報化時代、コードを引っこ抜いちゃえば、タダの箱。
タダの箱を前にして、人はやっぱりタダの人だと。とはいえ、そのタダの人が、
タダの人のままに広くコミュニケーション可能になるということは、やはり
画期的なことで、オンライン・ショッピングなんぞには私はもとから興味が
ないが、この点に関してならば、さしものコード情報化時代にも希望の光は
射している、と思える。
 ヒラ社員がわからず屋の部長の頭越しに、いきなり社長と交渉できるとか、
無名の新人が、阿呆な編集者をパスして、堂々作品を発表できるとか、地位と
肩書なきゆえに虐げられてきたタダの人々に、その実力を発揮できる機会が
平等に開かれるということは、文句なく素晴らしいことだ。これはほんとに
よいことだ。 それがほんとに可能になれば。
 普通に人は、とくに日本は、地位と肩書が偉ければ偉いと思っているが、
情報優先のネットの上では、そんなの何の意味もない。すると、旧態依然の
権力機構は、やがて軒並み崩壊するだろう。年功序列、性差別、情実、根回し、
御挨拶、地位と肩書ゆえに威張っていた無能な人々が、地位も肩書もないが
しかし有能な人々に、おいおとされてゆくことになるのだ、なんて愉快! 
これは革命!
 ところで、地位も肩書もないが有能な人というのは、タダの人であっても、
やはりタダの人ではない。したがって、情報ネットによって実現する平等社会
とは、裏を返せば、これまで以上に実力本位の競争社会である。
実力がなければ、たとえネットの上であれ、やっぱり何の意味もない。
 競争の現場がネットの上に移り、余分な障害物が減っただけのことであって、
何のための競争か、ということを考えずに競争している人間社会の在り方と
しては、以前と何ひとつ変わっていない。
それだから私は、やはりこう感じざるを得ないのだ。
 情報化時代  それが、どうした__と。
 人がまず理解していないのは、情報は知識ではないということだ。
情報は外から受け取ることによって流通する。しかし知識は、或るAがなぜ
Aなのか、と立ち止まり考えることによってのみ知られ得る。情報は流通するが、
知識は決して流通しない。流通する知識は知識ではない。すでに情報だ。
なぜなら、考えて知る、とは、自ら考えて知ることしか意味しないからである。
したがって、そこに在る同じAであっても、情報と知識とでは、知られる仕方が
正反対を向いているわけで、その差がまさしく、無知と知との差だ。
 さて、人は多くの情報を知ることによって、いったい「何を」知っていること
になるのか。我々は「何のために」競争しているのか、それを知っているのか、
どうか。 私は思うのだが、今後しばらく押し寄せてくる情報ネット化の大波は、
折にふれ人類を訪(おとな)う大掃除としてのあの大洪水のようなものと。
洪水の引いたあと残っているのは当然、地上に広く流通していたあれこれの
情報群ではなく、もとより流通することのあり得ない、星のように高く光る
あれら普遍的な知識だけであるはずだ。(一九九六年四月号)≫
▼ この随想日記も、押寄せる情報群の中から、選んだエキスをパックにし、
 知識化する有効な手段になっている。一度、パックすれば、毎年の同月同日
に読み返し知識の再認識が可能になる。それにしても、絶対的知識量の不足に
今さら驚いているが、それを自覚出来ているだけ、少しは、まし?
<情報と知識とでは、知られる仕方が正反対を向いているわけで、その差が
 まさしく、無知と知との差だ>は、これを書き続けて実感すること。
読みっぱなしで、忘却の彼方に消えていく内容の読書感の記録が無かったら、
「無知と知」の差ぐらいは軽く出来てしまう。無知の人間は、考えるしかない。
『世間』という、あの群れの特徴は、身近な情報を、考えないで横流しをして
いる輩たちをいう。それが、彼らの現実だからである。 で、絡めとられ
ゾンビの一員になった粗末な人生が、巷に溢れている。考えないのは罪である。
・・・・・・
5046,修羅場の極意 −1
2015年01月07日(水)
              『修羅場の極意』
  〜まずはアマゾンの内容紹介〜
 面白い本である。 人生には、それぞれの人の修羅場がある。今では、
結婚し、甘いハネムーンの後、修羅場を経験した後、4割が離婚に至り、
その過半数以上が貧困に陥っていく。 何度か修羅場に出あい、乗越えて
生きていくのが人生。 地獄は彼岸にあるのではなく、現世にある。
 −アマゾンの内容紹介と、目次であるー
≪ 敵を作り、嵐に巻き込まれた時、
   うろたえるな!  「時」を待て!  生き残りを懸命に考えよ!
 修羅場には独自のルールがあり、それに対応する作法と技法がある。
エス宇野弘蔵西原理恵子ら多岐にわたる達人から、どんな極意を学べる?
ヒトラーら反面教師の「悪知恵」とは? 外交と政治の修羅場を駆け抜け、
獄中で深い思索を重ねてきた著者が贈る、実践的アドバイス。                            
 ○目次 ーはじめに――東京拘置所での谷底生活から
  I 偉人たちのサバイバル術
1章 助言者は絞り込め【マキアベリ
2章 逆説的発想で事態を打開せよ【イエス・キリスト
3章 「偽装」というテクニック【ドストエフスキー
  II 反面教師たちの失敗学
4章 破壊的影響力の秘密【ヒトラー
5章 悪知恵にだまされるな【オットー・ケルロイター】
6章 “正義漢"の勘違い【スノーデン】
  III 「獄中」の教訓は役に立つ
7章 独房で筆者の精神を救ってくれた教え【内村剛介
8章 経済学と小説の力【宇野弘蔵
  IV ヴァーチャルな修羅場、リアルな修羅場
9章 人間関係に役立つ神学者の言葉【ディートリヒ・ボンヘッファー
10章 ノマド的〝処世術〟【安藤美冬】
11章 不作為は悪【小説『インフェルノ』のラングドン
 対談 「最悪」のシミュレーションだけすればいい【西原理恵子
おわりに――「時」を見極めるということ ≫
▼ 人生は、いずれにしろ甘くはない! 修羅場の修羅は、阿修羅が語源。
 辞書によると、【阿修羅のもともとはインド神話における「アスラ」
という名の魔神であり、インドラ神と戦いを繰り広げた鬼神であった。
一般的には戦いの神としてのイメージをもたれており、そのため激しい
争いの場を、その名をとって修羅場と呼んだりもする。】とある。
身近な修羅場といえば、夫婦間の争い。 夫側の酒癖、女癖の悪さや、
互いの粗探し、金が無いことからくる争いが、修羅場の起因となる。
そこで、〜うろたえるな!「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ!〜になる。
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4681,閑話小題 ー何だろう?この現象は ー3 
2014年01月07日(火)
  * この現象から考えさせられたこと
 ふと気づいた仮説、静かに激怒した相手が、事故とか病気になっている
ケースが多いことから、これはユングの「意味ある偶然の一致」ではないかと
思い立った。その数週間前にシネマで『キャリー』という映画も見た事もある。
静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているとすると、過去のトラブルで
多くの人が、事故や病気になっているはず? か?というと、そうでない! 
また、逆の立場のトラブルの相手が、静かな怒りのエネルギーを私に向けている
ので、私は、今頃、とうの昔に死の病か、事故で亡くなっているはず。
事業の立ち上げを幾つか経験してくれば、その分、軋轢がある。それを避けての
創業など無理。この仮説から演繹法帰納法が具体的ケースとみると解りやすい。
演繹法は、まず仮説を立て、その証明の要素を集める。帰納法は、節目時に
因縁のあった人との軋轢で激怒した相手が、その直後から3〜4年以内に事故か
病気が生じる現象。そこから、これユングシンクロニシティでは?と行き着く。 
これを書いていて、「バカくさ!」と思える部分と「偶然にしては出来すぎ!」
が交互して結論は出ないが、両方とも否定ができないところがある。
 現に、自分が、ここに、生きていること自体が偶然の積み重ねの結果。 
大気圏を持った惑星が、宇宙に存在すること自体が奇跡。さらに生物が存在し、
知識を持ったサルが、ここに存在いていること自体、奇跡も奇跡。このテーマ
自体が無知蒙昧丸出しの仮説である。自分に都合の良い要素を集めて、勝手に、
さも不思議そうに思い込んでいるだけ。それも、一時的にしろ、私自身が信じて
いたのだから。 人間は自分の言葉を持ち、物語をつくって生きていく動物。
その思いを書き出すことで、如何に好い加減な考えで日常を過ごしている己に
気づかされる。それでも一応、経験も知識も、積み上げてきて、これ??
 ここで、気づいたことは、静かな怒りの相手を改めて見つめると、怒りだけ
でなく、むしろ感謝する対象である。怒りと感謝が相まっていることに気づく。
夫婦の関係と同じである。だから、犬も喰わない。まあ、未熟ということ!
以前から怒りなどマイナーの念に囚われた枠外に出る鍵として、10回、目を
つぶり「ありがとう」の言葉を繰り返していた。そうすると、そこから一歩、
外に出ることが出来る。 感謝を間違いなく、互いに忘れている。
この人生の節目の意味を考えると・・ ひたすら、ひたすら祈るしかない!』
 /   _ノ  \
 |   ( ●)(● <おっと、それ以上は言うなよ…ったく!>
. |     (__人__)____
  |     ` ⌒/ ─' 'ー\     
  |       /( ○)  (○)\    
.  ヽ     /  ⌒(n_人__)⌒ \    
   ヽ   |、    (  ヨ)Ωチーンi~   
   /    `ー─−  厂   /     
   |   、 _   __,,/     \   
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4314, 閑話小題  ー若者たちの悲哀
2013年01月07日(月)
  * 若者たちの悲哀
 現在、日本の若者の36%が離婚しているという。アメリカでは50%、
ベルギーにいたっては70%というから、驚き。元もと結婚しない人25%
を加えると、一生涯を通して一人の相手と添え遂げる人は半分以下になる。
この不況下では、私たち世代の生活レベルに比べ遥かに劣り、現代の中枢を
なす人たちの生活形態そのものが変化している。姉兄6人の甥姪が息子二人を
含め12名いるが、独身者が4人いる。これが身近な実態である。
離婚率は、この10年、同じ曲線で上がり続けているので、5割も遅くない
将来に到達する。少子高齢化に加え、非婚、離婚の異常な増加は日本的
家族制度を解体しつつある。それは日本という国の基礎を揺るがすことになる。
  * 現代の進学事情
 隣の韓国の大学進学率は、OECD加盟国の中でも高い水準にあるが、最近
少しずつ低下している。2008年に84%で頂点に達した進学率はそれ以降下がり
続け、2010年には79%まで低下しているが、OECD加盟国の平均(2008年、57%)を
大きく上回っている 。では、日本はどうか。2010年における日本の進学率は
57%で韓国を大きく下回っているが、詳細を見ると、韓国とほぼ変わらない。
日本の進学率57%は大学や短大への進学率だけで、ここに専門学校等を含めた
高等教育機関への進学率23%をプラスすると日本の進学率は80%。
これは韓国の進学率79.0%を上回る数値。韓国には日本の専門学校のような
教育機関が少なく、専門学校の代わりに短大に進学している学生が多い。
OECD加盟国の平均は57%というから、こんなもの。高卒就職者が二割とは
時代が変わったもの。私の時代は八割だった。右上がりと右下がりの時代では
様相が激変するのは当然としても、ここまで変化するとは! 
そして、右下がりは更に続く。
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3939, iPad その後
2012年01月07日(土)
 現在でもiPadに驚きの毎日である。というより、ネット、ブログ、
アプリ、パソコンを組み合わせたタブレットPCの威力に驚き!が正しい。 
PC世代が当り前に使っていたパソコン機能を更に進化させ、我われ世代が
気楽に使えるようタブレット式PCで可能にさせてくれたのである。
こんなアプリもある、こんなゲームも出来ると水を得た魚のような気持ちに
させてくれている。起動から数秒で使えることと、何処でも使えるのが良い。 
先日、ネット上のアップル・ショップで、「Fotopedia国立公園」
という北アメリカの国立公園の写真集を85円で購入した。さっそく開くと、
2000枚の、素晴らしい写真が次々と出てくる。何で、これが85円と不思議。 
が、直ぐに電子本を手元のパソコンにダウンロードしたのではなく、ネット上の
書籍にアクセスをして見るシステムだった。ネット辞書のウィキペディア
ネットを有料でみるようなもの。ネット環境さえあれば、パソコンに全てを
ダウンロードなどする必要はない。 もう一つビューンというのもある。
月に450円を払うと、数十種類の週刊誌、月刊誌を読むことが可能になる。
更に数種類の週刊誌の数ヶ月分がダウンロードが出来、それはネット環境下で
なくとも読むことが出来る。他にも版権の切れた文庫本などの小説集を80円
で購入したが、これはダウンロードをし、ネット環境外で見ることが可能。
したがって少しの時間でも退屈する事はない。私のような暇人にとって、
理想的IT端末といえる。購入前に、iPadにするか、ドコモの携帯電話機能
のついた7インチのタブレットか迷ったが、ドコモはネット環境下でなくとも
見れる利点がある。何を選択するかである。 去年はスマートフォンが爆発的
ブームになったが、今年はタブレット式パソコンだろう。TVにしろ、パソコン
にしろ、スマートフォンにしろ、これだけ膨大の情報が隅々まで流れ出ると、
既存ののシステムは対応できなくなって当然。これが、この大混迷の原因に
なっている。 誰もが数年前の自分が他人(馬鹿)に思える時代が面白い!
・・・・・・・
3574, 10分ルールと、30、60、90秒ルール ー1
2011年01月07日(金)
時間ルールに、「10分ルール」「90分ルール」、そして30、60、90秒ルールがある。
 * まず、「10分ルール」と「90分ルール」から
   ー10分ルールー
 10分ルールは、理性的に配慮して安全な状態なら、10分じっと耐えると、
その環境や行動に脳が順応することをいう。弱点だと思い込んでいた性質が、
この10分ルールで変えることも可能になる。最近、テレビのバラエティーでよく
あるのは、最初の10分間に一番面白そうな情報を流して引きとめてから、
オープニングが始る場面に多く行き当たる。 これは10分間、視聴者に予告を
含め馴染ませれば、チャネルを変えないという「10分ルール」を利用したもの。
 このルールを知っているといないのとでは大きな違い。既に亡くなったが、
ある知人に「とにかく一晩寝てから、怒りなさい!一晩で、怒りの大部分は
消えてしまう。」と諭されたことを思い出した。これは半日だが。
これは突発的なことに直面した時に、まず90秒、そして10分間、ジッと耐える
ことをルールと捉えた法則。これまで決断するまでに、計画が固まった後に
時間をおき、判断し、その後に決断をする。それは計画段階のことだが、
目先の思いもよらない事態に出くわした時に、90秒ルールと、10分ルールを
知っていると良い。考えて見ればヤクザの脅しは、逆の立場で、その辺の
人間の弱みを知っていて、即効がが勝負と知っていて脅しをかけてくる。
だから、ある時間耐えれば良い。
 次は、ー90分ルールー
 映画は、人間の生理的なサイクルが90分ということを知っており、
大よそ90分であった。最近は120分を越えるものが多いが、90分を過ぎると
実際に嫌になるが、その辺から飽きさせないようストーリーが組み立ててある。
テレビの特集なども90分もの。人間の身体は一日24時間のサイクルに合わせて
出来ている。その中に、90分のサイクルがある。分かりやすいのが睡眠で、
90分周期で浅い眠りがくる。それが一晩に4〜5回繰り返している。
大学の授業時間も、会議も90分が通り相場。休日など終日、読書をする時は、
90分で休憩を入れ、違った分野の本に切り替えると良い。
  ・・・・・・・・・
3199, 閑話小題
2010年01月07日(木)
  * 善は悪より生まれた!
 誰が言ったか忘れたが、「善は、悪より生まれた」が、妙に気になった。
「悪は、善より生まれた」なら、合点がいく。キリスト教倫理からすれば、
エスの教えが善なら、悪は、それに反する思いや行いになる。人間が社会を
形成する時に、一つの規範が必要になる。国家創りにまずは憲法、そして法律、
それを守らせる内の警察という暴力装置、そして外に対しては軍隊。 
それを、統治する象徴としての日本なら天皇、欧米なら大統領の存在である。 
孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、民を内側からコントロールする教え。
古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に有効に働いた。
 それらの法律や規範を守ることを善というなら、それに反することを悪という。
ということは、それができる前は、(その規範の視点で振り返るから)悪が
まかり通っていたことになる。 で、「善は悪より生まれた」ということになる。
しかしキリスト教倫理からみて、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』
という疑問が生じる。  女性の哲学者『シモーヌ・ヴェイユ』は
『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。 
悪は神とわれわれの間にある。 愛は、そのうえを通過せねばならない。』
彼女は悪を二元論的に見ないで神様と自分との間を裂くものとみた。
神様の愛の力を説き、愛こそが悪を征する力であると。 これは、キリスト教
倫理的な見方でしかない。悪党ほど善の価値を知っているのだろうか。
悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉えかたもできる。
親鸞の悪人の方が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方に近くなる。
  * 呉服の衰退
 TVのレポートで、呉服チェーン店の「さが美」が、ポリエステルだが
一万円の和服セットを紹介していた。普通、呉服のセットは30万というから、
30分の1である。 若い人が呉服を着なくなり、不景気も重なり、5年間で
呉服の売り上げが業界全体で半分に減ったという。 何処も同じである。
「さが美」は高度成長期より呉服チェーン店として飛ぶ鳥落とす勢いで急成長、
現在300店舗あるが、必需品以外は、こんなものだろう。先日、静岡のトヨタ
関連の部品メーカー関連の仕事をしている友人に景気状況を電話で聞いたところ、
エコカー補助金のお陰で何とか息をついているが、二輪車を扱っている
ヤマハ」の関連企業は、回復の兆しはない」と言っていた。オートバイは、
呉服と同じで嗜好品?だからである。
・・・・・・・
2834, 不況の景色 −6
2009年01月07日(水)
  *ウェッジウッドが倒産
ウェッジウッドが倒産した。ウェッジウッドといえば、英国王室御用達の
「女王の陶器」として人気を集めていた。ところが中国製などの安価な製品に
押されて低迷、さらに金融危機を契機とする世界的な景気後退で売り上げが低迷。
そして一昨日に倒産のニュースが世界に駆け巡った。 グローバル化のウネリに
押し流されたのだろう。12月初旬のイングランド・ツアーで、本社に立ち寄って
何点かのコーヒーカップを買ってきたばかりだった。 本社は近代的な建物で、
多くの製品が展示されていた。まさか一ヶ月もしないうちに倒産など考えられ
なかった。従業員が世界各国に8000人、負債総額が500億という。
  *トヨタ系の孫会社の友人に電話をしてみた
 学生時代の静岡の友人が実家のトヨタ系の部品メーカーを経営しており、
そのサービス部門の子会社を任されている。家内と供に、一昨年の夏に静岡まで
遊びに行って親交を暖めてきたことがある。その前年、私のところに遊びに来た。
 そこで自動車業界の不況がどうなっているか電話をしてみた。緊張が解けた
のだろう、一挙に実情を教えてくれた。
・9,10,11月は緩やかなダウンだったが、12月に入り一挙に三割ダウン。
 2年〜3年かけてダウンしたのではない、一月でダウンは呆然自失だったという。
・本体の550人の従業員のうち150人近くの季節工、アルバイトの契約解除
 をし、現在は正社員のみ。 
・夜間作業を全てカット、残業は一切中止、今月は二日間の工場閉鎖するが、
 それは国からの休業補償が出るという。
・レクサスやクラウンなどの高級車が売れなくなったようだ。
トヨタは世界一位を目標に、この数年間は1000万台突破という拡大路線をとって
きたが、リーマンブラザーの倒産以来の円安と、大型車の急激な売上げ減、そして
アメリカ市場の冷え込みは、彼等の想像を遥かに超えた事態。
 (字数の関係で中間カット  11年01月07日)