『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 自分の歴史を記す二つの意義
 自分史は、まず自分のため、次に家族と子孫のために書くもの。数百年後の
人が現在の人が書いたブログを見たら、それは面白いだろう。逆に数百年前の
応仁の乱で、誰が勝った負けたより、個々人の具体的な日常記録が面白いはず。
個々の生の記録、生活が織りなす記録こそが貴重である。 〜その辺りから〜
≪【 恥を忍んで幼年期、少年期の母との確執を書き上げ、第一子長女死亡
 の箇所では書きなあふがら涙が溢れ、何回書くことを中断したか判らない。
家内には結婚前の私のことを余り多く語って来なかったし、長男、次女に
とっても尚更のことで、今回の私の自分史を読み、初めて私なる人間の一端を
知る事柄も多いと思う。(略)私は死後、追悼集など出版して貰える様な人間で
ないし、その必要もない。 私には赤裸々に己を書いた自分史がある。
自分史が追悼集になる。自分史のデータをSDカードに入れて保存して置くので、
私が死んだ際にはコピーしだSDカードを棺の隅に添えて欲しいとだけは今から
遺言しておこうと思う。】(継さんの自分史の中から)
 このあたりに・自分史を書く意味がよく表現されているど思う。
自分史を書くのは、第一義的には自分のため・自分の存在確認のためだが、
その次には、家族あるいは子孫のためである。家族(子孫)に真の自分がどんな
人物であったかを知ってもらうためである。
 個人差はかなりあろうが、誰でも家族との人間関係は、濃いようで、意外に
薄い側面がある。配偶者にしても、子供にしても、生きた時代のズレが相当
あるから、意識のズレが大きい。とくに人格形成期(幼年時代、子供時代、
青年前期)の自分に関しては、誰でも自分の人生の記憶としてもっとも大切な
部分がそこにあるという思いがするだろうが、彼ら(子供と配偶者)はそれに
ついてほとんどなにも知らないはずである。それは彼らにとって、自分たちが
存在する以前の神話時代に属する物語なのだ。
 だから、自分の書いた自分史を読んだときに、彼ら家族も、「初めて私なる
人間の一端を知る」ことになるだろうと継さんは言っているのだ。
人によっては、自分の子供時代のことを、家族に多少は昔話を語るような感じ
で話したことがある人もいるだろう。しかし、まとまった話を筋道立てて語る
ということは、たいていの人がしていないはずである。
 わたしにしても、父と母がどのように結婚して、新婚時代どこでどのように
暮らしていたかといったことを、ちゃんと系統だった形で聞いたのは、母の
最晩年、90代に入ってかなりたってからだった。いま聞いておかないと何も
聞けなくなると思って、ある日、60代、70代の子供3人が、しかるべき場を
こしらえて聞かせてもらった。実際、それからしばらくして母は死んで
しまったので、母からはそれ以上なにも聞けなくなってしまった。結局、
そのときまとまった話を聞いたのが、そういう話を聞く最後の機会だった。≫
▼ 母親が70歳後半になって、自分史の出版を思いたった。他人から
 みたら、何だろうかという内容だが、子供からすれば、貴重な遺稿である。
時節ごとの写真と、短歌と、辞世の句が良い。純真な魂が、そこに見て取れる。
両親の生涯と、私の生きた人生は、魂そのもの。自分史を書きたくなった!
・母の辞世より: 窓の下逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し   
・気に入った短歌: 雨後の庭靜まりかへる片隅に 目をくりくりと足元の蛙 
         南山の向うは日出づる日本なり 連なる山に紅き陽の照る  
・・・・・・
5032,ポジティブ・サイコロジー ー�
2014年12月24日(水)
ポジティブ・サイコロジー ー�
   『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * その日の終わりに、全体的評価を!   
 週一回のシネマを観た評価を、ブログの『バードウォッチ』に80点とか90点
とかを書き入れているが、この評価をダイアリーに日々、書き込めばよいと、
始めたが、もうマンネリになっている。‘平均か普通’の5点より以上の6の
‘よい’にするには、何かよいことを探さないと・・ この日記のテーマ探し
のようなもの。 それが「よい」のだろう。 ーその辺りから
≪ たとえば、よい一日というのは、あなたが電話でお母さんと話した日のこと
 だとか、運動した日のことだとか、特別に日記に書き留めた日のことだなどと
特定することができれば、そこから実践的な教訓を学ぶことができるだろう
 ―そういう日を、もっと増やして、そうではない日を減らせばよい…と。
この演習が陳腐なものにならずに済んでいるのは、「よい一日にするには
どうしたらよいのか」と今まで立ち止まって考えたことなど一度もなかった
という人が多いからかもしれない。また、よい1日とはどういう日かと抽象的に
深く考えてみたとしても、その答えは実際には正しいものではないかもしれない。
そこで、ノートかメモ用紙を用意するか、エクセル・シートを作成して、あなた
の、日の行動を記録してみよう。一時間刻みで記録するのがやりやすい人もいれば、
その日の主な活動を中心に記録する方がよい人もいるだろう。 
とにかく、一日の終わりに、その日の全体的な評価を書き込んでみよう。
 10点 =自分の ‘人生で最高の’一日だった
 9点 =‘特別によい’ 一日だった
 8点 =‘素晴らしい’ 一日だった
 7点 =‘とてもよい’ 一日だった
 6点 =‘よい’    一日だった
 5点 =‘平均か普通’の一日だった
 4点 =‘平均以下’ の一日だった
 3点 =‘ひどい’   一日だった
 2点 =‘とてもひどい’一日だった
 1点 = 自分の‘人生で最悪’の一日だった
少なくとも二週間、できれば一ヶ月間、この演習を続けてみてほしい。
演習の期間が終わるまで自分の記録を見返してはいけないが、演習が終わったら
記録に戻ってみて、何日か、そして何週間かの単位で現れるパターンを見つけて
みよう。この期間にあなたが何をやったか(またはやらなかったか}に注目して、
よい日と悪い日とを比較してみよう。 ≫
▼ 毎日書き込むダイアリーは、これまで同じ行動記録以外が空だったが、連日、
 感謝、感動、感激、印象に残ったエピソード、新知識のキーワードなどが並ぶ。
平凡にみえる中に、様々な出来事がある。その総合を判断することになるが、
考えてみれば、毎日が10点で然るべきだが、上記の要素が殆ど含まれている。
これほど時間と情報空間が満たされている日々で、心の中心点に集中さえすれば
平均7点以上になる筈だが。で、昨日は? 人生は面白い、それも平凡の祭日は!
・・・・・・
4665, 身近な貧困 ー1
2013年12月24日(火)
  * 日本社会の貧困問題 
「米国社会の貧困問題」の実態に驚いている場合ではない。アメリカの貧困率
世界で3番目の16%だが、次が15%の日本。ほぼ同じ格差社会である。このところ
急に身近な貧困化が目立ってきている。 これまでの比較的豊かだった中間層が、
2001年の9・11テロ以来、リストラや倒産でジワジワと貧困層に陥っている。 
現に私自身の事業が10年間で、売り上げが三分の一に下落、会社整理に至った。 
何とか年金で生活は出来ているが・・ 昔から日常生活を質素にしていたので、
生活の質が落ちた実感は少ないが、以前とは違う。地元の同級会では、倒産・
廃業や、借金苦?の自殺など悲惨な話題が多い。実兄も7〜8年前に実家の商売を
倒産させたが、良質だった上に夫婦して厚生年金でノンビリしたもの。
その中で、知人の何人かがバブっているが、これも時間の問題。
米国人口の三分の一が貧困か貧困予備軍なら、日本もほぼ同じ。
 気晴らしに?週に一度はランチに出るが、低価格志向は日々強まっている。
回転寿司や、牛丼はワンコインで、満足できる。私も家内の実家も事業をしている
ため失業保険はかけられない。そこでセフティネットで、夫婦とも厚生年金を
かけるのが知恵。それもあって、何とか貧困ラインより上はクリアしている。
 地方では自営業や農家が多く、夫婦とも国民年金だけが多い。夫婦二人で手取
10万少々は厳しい。特に持家では、生活保護が受けられず貧困に陥るケースが多い。 
 私自身、この十年間で、一千、6百、5百、と生活費を減らしてきたが、貧した
感覚はゼロ。これは、60歳までに遣りたいこを遣り尽くした感があって、
別に特に欲しいモノも、コトもないからだ。それと子供の養育費・教育費や、
交際費、旅行費用、家庭内装置などの経費が年ごとに減少したことがある。
あと一年で古希なら、当たり前だが! 老いただけでも汚くなるので、服装や、
身の回りは清潔に保つのが老いの第一原則。 特に服装は注意しないと。
それと精神=言葉には注意しなくては!特に、私は言葉。世間様をシラミなど!
もう一つ注意しなくてはならないのは、貧困=悲惨(不幸)の言葉から、
金持=豊か(幸福)という錯覚に陥ること。会社を整理をして実感したのが、
一般の、この妄想、思い込みの強さである。情報化社会の本格的到来で、
根こそぎ世界は変わってしまったが、既存体制は、そのまま残っている。
それでは、会社を破壊する方が先決。ダメなものダメ! 老兵は黙って去るべき! 
残ろうとするだけ? 次回は、都会の恵まれていたサラリーマンの貧困化問題。
・・・・・・
4300, 「国の借金」新常識 −3
2012年12月24日(月)             
      「国の借金」新常識 "年金絶望世代"も元気が出るー廣宮 孝信
  * 「国の借金700兆」それがどうした!
 昨夜、日曜日のゴールデンタイムで、NHKスペシャル、「700兆円の国債
について放映していた。著者は、「お金の本質を知るほど、国の借金900兆円は
恐ろしくなくなる」という。人と物が主役で、お金はあくまで脇役。
100年後には、この数字もゼロに等しくなるため。「お金は人間存在にとって、
必要不可欠ではない」ということ。2000年からの12年間で中国は220兆円を超える
金額、欧州中央銀行は80兆円を、アメリカは157兆円を創り出した。その間に
日本は48兆円しか増加していない。お金は金属片、紙切れ、帳簿上の数字記録、
コンピューター上の磁気情報でしかない。預金の実態も、もはやサイバー上の
磁気情報でしかなく、指先一つで創り出せる仮想空間上の存在でしかない。 
原理的には、即座に無限に創り出せるものでしかない。そして、最近の各国の
国債も電子化で、これまた、「仮想空間上のフワフワした存在でしかない」
ことになる。 それでは何が基本となるかというと、食である。「金は天下の
回りもの」から、「食が天下の本」になっていく。お金は特殊の事情がない限り
消えてなくならない。「あなたの収入=あなた以外の世界全体の支出。
あなたの支出=あなた以外の世界全体の収入」である。また、借金もしかり。
「あなたの貯金増=あなた以外の世界全体の借金増」「誰かの少しの預金増=
他の誰かの借金増」になる。これが、世界中の政府の借金増加の理由である。
「世界中の政府金融純負債と、世界中の民間金融純資産は、必ず釣り合う。」 
政府の借金まみれが嫌なら、あらゆる人が、自分自身が借金まみれのまま
生きる覚悟をしなければならない。それが経済である。
 〜 これを読んでいると、成るほどと思う部分と、お金そのものが持つ
危なさを感じ取れる。但し、現在の日本の貯蓄が膨大にあり、それが銀行預金
として滞っているのが不況の大きな要因というのは分かる。そこで、インフレに
強引にもっていこうとする自民党の方針が分からないでないが、どうも大きな
破綻要素があるはず。著者は、それでも現状より良いという。末期患者なら、
心臓に対する電気ショックも必要ということか。 事態は緊迫してきたようだ。
・・・・・・
3925, 精神力ーその偉大な力 ー13
2011年12月24日(土)
「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
   * 朝の黙想
《 毎朝は一つの新鮮なはじまりです。毎日は新しく造られた世界です。
 今日は一つの新しい日です。私はこの瞬間に至るまで、この日に至るまで、
私の全生涯を生きてきたのです。この瞬間、この日、は永劫のなかのどの瞬間
と等しく善い瞬間です。この日を地上における天国に造りましょう。
今日は私にとって好機の日です。今日に対処できるように神が私に与えてくれた
要具のすべてを有難く思い、可能な限り上手に使いましょう。
・・ 今朝、私の生涯に過ってあったより以上の経験に頼ることができます。
私の目の前には旅すべき最も興味ある道があります。なすべきことが多いのです。
なすべく私の前に横たわっているあらゆることを効率と、力と、勇気と、熱とを
持っておこないます。私自身に「今日は、これよりよい世界にするには何をなす
ことができるか? どう、誰を助けることができるか?いかに奉仕できるか?」
と聞きます。・・・ 深奥の潜在意識は、私を正しいところに私を導きます。
・・ 「神は私の牧者だ。私に足りないものはないだろう。神は私を静かな
水に沿って導く。彼は私の魂をよびもどす。彼は私を正義の道に私を導く。
私はなにも恐れない。神の杖や竿は私を安楽にする」と聖書に書かれています。
深奥の潜在意識は私を正しいところに導きます。それは私をとおして思います。
それは私を指揮し誘導します。私は正しい考えを持ち、力を持ちます。
恐れません。大自然は―無限の精神が、私の中に働いているからです。 》
▼ こうなると、宗教である。 早朝、新鮮な気持ちで、この言葉を
 唱えていれば間違いなく心は洗われ、すばらし一日が待つことになる。
特に老化の時節になると、肉体とともに歪んだ精神を正す役割になる。
周囲を見回すと、大部分の人の心が歪んで見える。 そうこう考えると、
朝の黙想は必要になる・・ それにしても、書き写していて新鮮に心に響く。
・・・・・・
3560, 「プレイボーイの人生相談 1966-2006」ー2
2010年12月24日(金)
 ー 今東光、今でも一言一言が光っているが、さすが福田和也の評である。
 怖いものは何もない今東光の毒が、薬の役割?を果たすことを自分がファン
としての読者だったから熟知している。鎌倉の円覚寺の管長の朝比奈宗源と
大喧嘩した逸話は次回に取り上げるが、何をしても、言っても、それが
通用するからよい。「プレーボーイ」の読者層の悩みの大半は過剰な性欲。
この本の過半数は、その類の悩みに対し、毒に対し毒を持って制する回答をする。
回答者は、ある意味でユングフロイトが仮面を被って悩みに答えている? 
そんな上等でないとしても、男なら誰もが抱えている大問題。 ある意味で、
有名人が異常?性欲者という告白をして、同レベルで答えるから共感する。
 ▲ 今東光についてー福田和也 
≪ 今東光は、スゲェ。 中学生の時に、週プレで、その核爆発的連載を読めた
 ことは、今ままでの生涯のなかでも、飛び切りの幸運だと思っている。 
谷崎潤一郎、ただ一人の弟子。谷崎はバカが嫌いで、無教養な奴を許さなかった。
今東光にそれだけのアタマがあった。とはいえ、中学を三つクビになって、
そのままというのも立派な学歴。 って、そのままという立派な学歴。
そのうえ乱暴者でね、いつも仕込み杖をもってあるいて、喧嘩は殺す気で
やらなきゃ、が信条。自宅の一階に右翼のテロリストたち、二階に共産党
運動家をかくまっていたという。左翼が二階なのは、逮捕された時の扱いが
厳しいから、少しでも逃げやすいほうへ、という配慮。戦前の話だ。
親友が川端康成。で、当時の文壇の大ボス菊池寛とケンカをして、
バカらしいっていって比叡山にいって、大僧正になった。菊池が死んだら、
また筆をとって、ベストセラーを連発。しかし、この相談にはシビれたねえ。
もう載せられないだろう、こんなの。十七のバーテンが、十六のホステスと
デキて、子供が出来たからどうしようという相談に、そんなもん、タネも畑も
悪いから、堕しちまえ、だもの。坊さんの云うことじゃないよ。面白い。
老人ホームに努めている男には、横着なジジイどもなんざけっ飛ばせ、だし。
青春の悩みをうちあける女学生には、一発ヤラセロだからね。
「よく女に手をだして、女にゆすられたり、親からねじこまれたりとか、
若気のあやまちで、とかいろいろいうけど、そんなもの、あやまちでもなん
でもありゃあしねえ。しかし、やらなかったことこそ、若気のあやまちだね」
だと。良いこというよなあ。≫ ー やらなかったことこそ、過ちか〜。
下半身が衰えてくると尚のこと思う? 息子に悪いことをしたと!
 ・・・・・・・・
3185, 坂の上の雲
 2009年12月24日(木)
 NHKで「坂の上の雲」が何回かのシリーズで放送されている。
私たちの年代が、この本に大きく影響されを受け、日本経済成長期の精神的
支柱になった歴史小説である。秋山兄弟と日清、日露戦争の中に生きる青雲の志
を持った群像に引きこまれていった思い出がある。日露戦争での兄・秋山好古
戦闘場面。そして、弟・真之が海軍の参謀としてバルチック艦隊を殲滅する場面は、
当時の私にとって驚きの連続であった。 読みながら己の卑小さに改めて自己嫌悪
を抱いたり、彼らの志の純粋性に感化したことが懐かしい。当時、日本は西欧列強
に対抗するための新国家つくりに青年が坂の上の雲を目指して必死に生きていた。
司馬遼太郎は、日露戦争は奇蹟の勝利と看破、その奇蹟の演出者の代表に秋山
兄弟を選んだ。伊予松山の人、秋山好古秋山真之である。 家柄といえば伊予
松山藩の下級武士族であった秋山家の下級武士で、秋山家の父久敬は、
「貧乏がいやなら、勉強をおし」と立身の道を説いていた。好古は陸軍で、世界
最強といわれたロシアのコサック騎兵集団を破った。弟の真之は海軍で、ロシアの
主力艦隊であるバルチック艦隊を破った。 真之は日本海海戦の開始前に
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文の起草をした。その真之と一つ年上の
正岡子規とは中学から大学予備門まで同学であった。しかし二人の性格は対称的で、
真之はガキ大将であり、子規は子供の頃、「青びょうたん」というあだ名であった。
子規も真之も勝山小学校を卒業して松山中学校に入った。 兄の好古はこの時期、
士官学校付きの勤務となっている。日本人離れした顔かたちをしていて、たびたび
西洋人と間違われた。 彼にとって男子に必要なのは「若い頃には何をしようか
ということであり、老いては何をしたか」と考えていた。彼らを中心にした
明治期の激動の中の「大きな物語」である。 この激動期に、原点に立ち返り
青雲の志を日本人に喚起する意図で放映されたのだろう。 
ドラマ自体もなかなか良くできている。
・・・・・・・・・
2820, ドバイは今 −?
2008年12月24日(水)
 ドバイが、この金融恐慌でバブルが崩壊、解雇の波と一昨日の読売新聞の一面
トップで特集をしていた。ドバイブル破裂というところだ。このまま廃墟化すれば、
歴史に残る光景になる。「悪銭、身につかず」ということか。
 ーまずは、その新聞記事ー
《ドバイにも金融危機の影 … 止まったクレーン・解雇の波》
 世界一高いビル、世界一豪華なホテルなど「世界一」を冠する建築物を
次々に登場させ、21世紀に入って猛烈な勢いで発展を続けてきたドバイ。
中東の物流・金融センターとして、200に及ぶ国籍の労働者や投資家を
引きつけてきた。このペルシャ湾岸の小さな首長国にも、金融危機の影は忍び
寄っていた。その現場を歩いた。
−−
ドバイ北東部にあるアラブ首長国連邦(UAE)労働省。「カスタマーサービス局」
待合室に、    (以下、字数制限のためカット 2010年12月24日)
 ・・・・・・・・・・
2007年12月24日(月)
2455, 歌舞伎町事変(1996〜2006) −2   
 この数年、週刊誌に歌舞伎町の泥酔客の喧嘩や、 露わな若い女性客の狂態の
写真を見かけるが、この写真家?が撮ったものだろう。私も新潟駅前のヤクザの
徘徊する足元でよく酒を飲んでいたものだ。数回ニアミスをして凄まれそうに
なったことはあったが。それよりも危ない世界と、危なくない世界の人間の
臭いを彼らが一番知っているはず。それと、隙があるかどうかもあるが。
 数年前から、ホテヘルとかデリヘルとかいう噂を聞く。私の性格上、絶対に
そういう客は当方に泊めないのが方針。今更というが性格なら仕方がない。
新潟も来年の4月から本格的に浄化の流れになるが。
 歌舞伎町の彼ら(風俗)はどうなったのか? 以下は、その変身の実態である。
先日、新潟の事務所の近くの図書館に行く道すがらラブホテルの前を通ったら、
明らかに一仕事を終えた女性が出てきてきたが、そこには、曇りガラスの車が
待機していた。P−62 以前から、「歌舞伎町に許可店のヘルスは3~4店舗
しかないといわれていた。 (以下字数の関係で、中間カット2008年12月24日)
 −−−−
長岡で何度か兄と行ったスナックの前がラブホテル。出入りが窓から見えるが、
その数に驚くと言う。それも、合法というから・・ *バイバイヾ(´∀`o)+。
 ーーーーー
2006年12月24日(日)
2091, 下流喰い −1
      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー ー 読書日記                 
銀行勤務の親戚の人から、「サラ金から借りている人の多いのに驚くばかり!」
と、聞いてから10年近く経つ。 本屋で、この本を何度か立ち読みしていたが、
<直ぐに図書館に並ぶだろう>と思いとどまり買わなかった。 ところが会社の
‘Oさん’から「面白いから読んだら」と、この本を手渡され読んでみたら、
この中味が凄い!やはり立ち読みとは違う。さっそくインターネットの検索に
「多重債務」と入れたら、「2000万人、200万人、20万人、1万人」の数字が
解りやすい!と、金融筋の人から聞いた話として、あるHPの中に紹介していた。
サラ金からの借金をしている人が2000万人、そのうち多重債務に陥っている人が
200万人、(この本では350万)。自己破産者が20万人、借金苦による自殺者が
1万人、だという。 8000万人の勤労者の中2000万人がサラ金を利用している
というと勤労者の1/4になる。
 ーまずは「下流喰い」の概要をまとめてみるー
・小泉構造改革が最終盤にかかった05年後半あたりから、「地域格差
 に加えて、「格差社会」というキーワードも話題にのぼるようになった。
 その分岐点が1980年代にあった、バブルの発生である。
 それが借金=悪という日本人の常識が、借金を如何にして土地などに投機した
 方が得という風潮に変わってしまった。消費行動も買ってからローンで支払う
 という感覚に変わってしまった。クレジットが推奨されはじめた時期である。
 この背景をもってバブルが弾けてしまった。
・日本の全産業の平均年収が500万円を下回ったとされ、
・貯蓄ゼロが24?と4分の1になり、
生活保護が100万世帯を超え、
・全体の4分の1の世帯の高額所得が、その他の4分の3に匹敵する事態、
・その他の4分の3の平均の半分に満たない人の数が、この数年で15.3%に
・いまや多重債務者は、数年で二倍の350万人以上になり、
・大都市の大阪や東京の公立小中学校の就学援助者を受ける人数は、
 04年までの4年間で40?も増え、4人に1人。足立区では2人に1人が
 受給する事態である。   (字数制限のためカット 09年12月24日)

ー2003年12月24日記
その一年後のクリスマスは、ジャスコに勤めて四日市から神戸に
転勤になっていた。神戸の垂水という街であった。凄い世界であった。
転勤直後に瀬戸物の叩き売りをやらされたり、店舗の大改築の真っ只中にいた。
クリスマスの日は、おぼろげな記憶だが寿司屋で仲間内で飲んでいた思い出がある。
神戸の場末のストリップ小屋に、現地の店の先輩に連れて行かれたりしていた。
興味より気持ちが悪いというのが実感であった。
その時は、もう靴屋ー靴部門の責任者であった。僅か八ッヶ月である。
まだ憶えているのが、年越しに宿直で年越し時間に床屋に居たことだ。
何か侘しい寂しい時間の中にいた。
何が流通革命だ!というのが、実感であった。
いま考えてみると、半分正しく半分は純粋になれなかったのだろう。
・・・
ある時間の断片
1968年
12月24日 火曜日 
9時ごろ、長岡の姉の正子さんから電話。
千葉の姉の西村、小林さんの所にクリスマスプレゼントを届けるように
頼まれる。16時に部屋を出て、伊勢丹に行って、犬の玩具と電車を買って
東京駅に行く。
西村さんと待ち合わせるが、勘違いで30分待たされる。
その足で独りで銀座に行ってみる。
銀座4丁目から、みゆき通りを歩いてみる。
人の数は思ったより少ないようであった。
市川さんの部屋ですき焼きパーテーをしていた。
相楽がきていた。私と対立して寮から出て行った男だ。
少し休んで、新宿に出る。
23時過ぎまで飲みまわる。
0時に帰寮するが、市川さんが部屋に来て、再び寿司屋に飲みに出る。
明日自分を赤坂の「ムゲン」に案内をしろという。
自分のお客に案内するのに丁度よいという。
明日の飲み代は全て自分が持つという。
 それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。
ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。
あれは誰だろう?
翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
    
 突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。
何処に行ったのだろう、皆は!
白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。
目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった。