『自分史の書き方』立花 隆(著)
15年前から、随想日記として一日一文章を書上げ、ブログに公開してが、
この中で書いた「思い出話」や、50回以上に渡って書いた、「準備を含めた
45年間の事業総括」が、自分史を書上げるとしたら、そのまま資料になる。
それと多感な22〜25歳の頃の日記も、ここで公開してある。
この年齢の視線で逆照射し、俯瞰した自分は、赤面の至りのことばかり。
20歳時に志をたて、それに向かい捨身で生きてきたことは確かである。
その過程の悲喜劇の中で、何とか、日々を過ごしている小さな己の姿が垣間
見ることができる。その姿が、何とも愛おしくもある。
〜以下の、アマゾンビューの批評がわかりやすい〜
≪ 立教セカンドステージ大学における受講者の皆さんの自分史を引用しながら、
その書き方を示した本。ただし、自分史の書き方を指南した部分より、受講者
の自分史原稿そのものが実に面白い。特に「親子二代で書き上げた自分史」は、
太平洋戦争が始まる前からの個人の記憶が克明に描かれており、当時の人が
日常、何をどのように記憶していたかという貴重な記録の集積である。
「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、「書き継ぐ」ことが極めて
重要になるとよくわかる。世の中の物価やニュース、また、その当時は
「記録するに値しない」思われる「今」の日常が、わずかな時間であっと
いう間にかけがえのない記憶になることが、この本を読むとよくわかる。
もう一つは、誰の人生にもどんな人生にも、語るべきドラマやストーリーが
あるということ。「今」はただがむしゃら、必死、夢中、逆に絶望の淵という
人生で、「時間」がそのいかなる過去をも俯瞰すべき物語に変えてくれる。
「年齢を重ねていくということは大したものだ」ということを雄弁に語る自分史
の力に魅了される。 自分史を書くためには、自分についての資料が欠かせない。
自分に関する資料は、ネットでは調べられないことも重要だ。同じニュースを
100人聞いてもそのとらえ方は100通りである。そして、時間が経つと
そのとらえ方も変化していき、その人固有の記憶となる。仮に自分史を誰かの
為に書かなくとも、年齢を重ねるその度に「自分を俯瞰しなおす」という
行為・作業が欠かせなくなる。時間というのはとても不思議なもので、意識
して過ごさなければ(自分で記録をしなければ)今日という日も1年前、
5年前と同じようにあっという間に色あせてしまう。
「あれから僕たちは何かを信じてこれたかな?」という歌詞で始まる
「夜空ノムコウ」という歌がはやった時があった(これも10年以上前)。
それを確かめるべくして、執筆された受講生もいたのだろうか。
「これまでこうだったから、これからはこうだろうな」という見方あり、
「これまでこうだったから、今後はこうしてもいいのではないか」という
見方あり。自分は10年後、20年後人生をどのように俯瞰するのだろうか。
そう考えられる程、すべてのサンプルが優れている。一読を勧めしたい。≫
▼ ここで、<年齢を重ねていくということは大したものだ>とあるが、
これは「経験を重ねていくことが大したものだ」ということ。実際に経験
してこそ解ることがある。<「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、
「書き継ぐ」ことが極めて重要になる>は、社会に一歩踏出した前後に、
書いた日記を読み返すたびに、思うこと。あのまま、何で書き続けなかったか、
書いてなかった部分の詳細の「いま・ここ・わたし」は、断片的に書いていた
部分を除いて、スッポリと抜けてしまった。 実は、当時の日記帳は厚くて
余白のページが、まだまだあったため、気が向くと(数年間隔で)書き足して
ある。時おり、それを、ここで書いてみるつもりだが・・
・・・・・・
5024,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー2
2014年12月16日(火)
『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著)
* ドーキンスの『神は妄想である』
ランダムに、印象の強い順に取り上げてみる。ここで、ドーキンスの
「神の定義」が、簡潔に書かれている。何か現時点の私の考えそのままと
思わせられる内容。自然界の、動植物の美しさは誰が創ったか? 自分自身に
起こる因果応報のリアルさは、神が与えたのでは?とか、いま、ここにある
自分という存在の不思議さ等々、考えるほど不思議なことばかり。
ーまずは、その一節からー
≪ リチャード・ドーキンス『神は妄想である』は、無神論を説く本という
より、神の存在を信ずる有神論者に対する激しい批判の書。 一口に神と
いっても、さまざまな神がいるから、まず定義が必要になる。ドーキンスは
単なる宇宙創造神を信じる人にはあまり目くじらを立てない。ドーキンスが
はっきり否認するのは、創造されたあとも被造物のその後の運命をいまだに
監視し、影響を及ぼすような超自然的存在。 「人の祈りに応え」たり、
人の罪を赦したり罰したりするなど、主体的意図的に行動する神。奇跡を行う
ことで世界に干渉する神。人間のすることや考えることを常にウォッチして
それに対応して行動する全知全能の人格神。ドーキンスが信じるのは
「存在するものの整然たる調和のなかに自らを現している神であり、人間の
運命や所業に関心をもつ神ではない」というアインシュタインの神。
あるいは、「もし〈神〉という言葉によって、宇宙を支配する一連の物理法則
を意味するのであれば、そのような神は明らかに存在する。この神は情緒的な
満足感を与えてくれるものではない」という、カール・セーガンの神。
要するに、ドーキンスは汎神論的な神ないし、理神論的な神は認める。
しかし、「ここに、悪く書くことをいっさい許されない一つの考え、ないし
概念がある。けっして許されないのだ。なにゆえに? ―許されていないから
許されないのだ!」というような盲目的信仰には激しく反発する。 ・・≫
▼ 共同幻想などと、格好よいものでなく、妄想というところがよい。
所詮、全てが夢幻でしかない。死んでしまえば3日も経てば、300年前に
死んだのと同じことになる。としても、知識を持ってしまった猿は、自他とも、
共同幻想でコントロールをするしかない。せめて、自分だけは汎神論を持って、
自然界を走り回りたいもの。で、出会うのは神秘的神? 偶然だが、3年前の
3917, 精神力ーその偉大な力 ー7 <2011年12月16日(金)>
「精神力ーその偉大な力」ダン・カスター著
* 『まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと』に続く!と、
7年前の<2007年12月16日(日) 2447, 四四太郎の霊日記>に続く。
・・・・・
4657, 閑話小題 ーゴミ箱周辺で蠢く人々 ー2
2013年12月16日(月)
* ゴミ箱のネズミとカラス
古ビルは、どんなに安くとも買うものではない。それなりでしかないから。
まず内臓(設備)が腐りかけて、メンナンスのコストと、交換が莫大にかかる。
一般的に建物の撤去コストを土地相場の総額から差し引いた更地値で売りに
出されるため、一見、格安と勘違いをする。そのことが長期物件投資の経験が
少ないと分からない。バブル時に古ビルで大損をした経験があるからこそ
分かった知識。それに税制の問題がある。テナント率の低下で物件価値が
下がっても、税金は下がらない。日本のビル建設の償却は、実態の価値下落と
かけ離れていて、所有者にとって絶対的に不利。それがランニングコストを
押し上げる。(逆もあるが)これが大きい。知らないことは罪悪。
その無知のお陰で、このザマ。「万一の備えが長期投資の絶対条件!」
バブルになると、それが見えなくなる。10年前になるが、新潟駅前の古ビルを
買いまくっていた人がいた・・ 本体に火がついた今、どうなったことか?
ところで、私が手がけた六棟のビルは、売出と同時に即売。設計段階から、
転用を前提につくってあった。
・これは西武鉄道の堤義明が著書で「私が手がけたホテルは、
全て事務所に転用可能」と述べていたのをヒントに、
・私の父親からは「ビルは長期物件、時代の変化に対応できる基本設計
にすること」と教わっており、
・設計事務所の当時社長のビル建設の基本が、「ビル設計は神の代行」
の理念が建物に入っていたことで、再利用しやすい建物のため。
話を元に戻すと、山の中腹からみえる津波本体の到来を前にした海辺の人が、
何とも気の毒。ある日突然、株式か国債の暴落から始まるが、それまでは
小春日和がつづく。純資産10億以上の金持の多くは、既に外国に資産避難
を終了とか。何処かのゴミ箱ではカラスとネズミが長閑に戯れている。
国が滅ぶとは、こういうこと。あとは素ウドンを啜りながらの楽しい
東京オリンピックが待っている! 丁度、後期高齢者だが、元気かどうか?
・・・・・・
4292, 閑話小題 ーつれづれに、今日、選挙!
2012年12月16日(日)
* 今日、衆院選挙
今回の選挙ほど見ている分に興味深い選挙はない。この国難といえる問題
山積の中、結果が大きく将来を左右するからだ。終戦から67年、今だに
アメリカに実質に占拠されている状態。この間、国民が借物の民主主義で
骨抜きにされてしまった。この世界的大変動の中で待ったなしで新憲法を
つくりかえる時節になった。明らかに民主党は、この三年間で方向を誤った。
しかし自民党は、それ以前に日本を大きく弱体化させた張本人。
県内の自民党の女性候補が何と「人からコンクリートへ!」と絶叫していた
のを聞き耳を疑った。 彼らに票を与えすぎると地震対策という御題目で、
ゼネコンマフィアと組んで、建設国債を発行させ無制限に公共投資をしてくる。
彼らの景気対策は、それしか考えられない。どっちらに転んでも、救いよう
がないなら、最後の饗宴をするのも分からないでもない。 ところで、私の
スタンスは、「改憲、消費税増税、国会議大幅員削減、原発の現状維持、
原爆保持、以上が賛成。インフレ政策反対」である。今度の投票は人物第二で、
家内?ともどもに無党派だが日本維新の党へ投票予定。 石原の傲慢さは
好かないが、一番まとも。
* 今年、買った最大の物は何?
何気なく、ヤフーを見ると、今日のお題、「今年、買った最大の物は何?」
があった。ハッとして考えてみた。電波歯ブラシと、ジャケット二枚に、
ウォーキングシューズ、他に何だろう? 本が数冊。後はスーパーで酒のツマミ
と百円ショップで小物以外、心当たりがない。そうそう、電気洗濯機の買換え。
これは家庭必需品。私が買った部類に入るのか入らないか。 それよりも去年
の春以降、iPad以外、思い当たらない。何か欲しい!と大体思わなくなった
ことがある・・ いや、年金生活者は、大体こんなものか。現在、欲しいのは
パソコン。だが5年使っているiMac二台が、まだ使える。TV、パソコン、
月に数回のシネマ、スポーツジム、月に1〜2度の飲み会の世界では、
こんなもの。ところで家では「ママリッチ、パパプアー」。
大きな夫婦間格差が現実。(´;ω;TOHO!
・・・・・・
3917, 精神力ーその偉大な力 ー7
2011年12月16日(金)
「 精神力ーその偉大な力 ー 」 ダン・カスター著
* まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと
◎ヤコブは聖書に書いている、「汝が乞うても受けないのは、誤り乞うからだ」
それを別の訳にすれば、「あなたが求めるが受け入れられないのは、間違った
求め方をするからだ」ということ。「その人を許しなさい。そうすれば
天にいます貴方の父、すなわち大生命力は、あなたを許して下さる」
◎傷ついた否定的過去の記憶では、大生命力のエネルギーの自由な流れを妨げる。
それを愛と信念をもって書き換えねばなりません。「なんびとかに、また、
なにものかに反抗して抱く全てのものをゆるせ」といったキリストの言葉は、
非常に実用的である。
◎もし彼を許さなかったら、私自身を不愉快な体験に、そしてまた、その人に
結びつけておくのです。彼を思うたびに、不愉快な体験を繰返すことになる。
もし、私が誰かを傷つけたとして、彼が私を許せば、彼は解放されたことになる。
その許すということは、彼の側の精神活動です。怒りは憎しみは、恨まれた人
より、恨んだ人を傷つけるものです。賢い、常識的な考え方は、愛し、理解し、
そして許すことです。「神よ、彼に祝福を」とだけ、心の底から言いなさい。
◎私たち各自は、毎日、静かに座って自分向かって次のことを言い、それを
まじめに務めるがいい。「・・ 私たち各自は大きな無限の大生命力の一部で
あって、大生命力は実在の一部である。その大生命力の中で、すべてを生き、
動き、そして実在している。これは真理だから、私が行なったあらゆる過ちに
ついて私自身を許す。そして多少とも私を害したあらゆる人を私は許す。
許すなら、あらゆる体験から善いことのみが私に来ると知るから。
私が行なった一つ一つのあやまちは、より大きな理解と、より大きな機会への
踏み石だから、過去のあらゆる体験を私は祝福する。どんな過去の体験も、今日
あるいは未来において私を害さない。私が許れたいよう、私はことごとく許す」
▼ 自己啓発の、このようなセミナーに出席して感化を受け、日常の考え方と、
祈りに取り入れたら、心の傷は和らぐだろう。20歳代半ば何度も何度も、
この本を読んで救われていた。こういう経験があったから、何人かの鬱病の相談
にのれたのだろう。現状でも平然?としていられるのは、自分で見つけ、何度も
読んで一人で手当をした経験があるためと、再確認をしている。数ヶ月前に、
地球の芯からの声が聞こえてきたのは、こういう経験があったからである。
芯の声は大生命の声、魂の声である。
・・・・・・・
3552, 何に出会うかを、成長と呼ぶ
2010年12月16日(木)
「何に出会うかを、成長と呼ぶ」 ある雑誌の新聞広告にあった言葉である。
実際に出会った人、著書を通して出会った人、宗教的啓示で触れた何もの。
大自然の荘厳な景色から受けた感動、絵画や音楽を通して感じた作者・作曲家
の魂など、出会いそのものが成長になる。マイナーの何ものかの出会いは、
マイナー成長ということか。その中で、書物を通して崇高な教えや啓示などの
出会いは、一番身近で誰もが出会う機会になる。最近は、ネットやテレビや
映画などからも多くの出会いが可能になってきた。長年の風雪の中で、これまで
読み継がれてきた古典には、何かがある。その辺から多くのことを学ぶことも
出会いになる。65年間に多くの出会いと別れがあった。自分が経験してきた
蓄積が新たな出会いを呼び込むのである。 最後は自分の「死」の直感という
厄介な何に出会うのだろうが。それも刷り込まれたイメージでしかない。
出会いといえば、感動が伴なった経験である。人はどれだけ、感動、感激に
出会えるかで人生の豊かさが決まってくる。ところで、この出会いに関して、
本当に豊富であった。その蓄積が、さらなる上質な感動の場面を作上げる。
感動した対象に対し我われは何だろうか?と知りたくなる。それが、考える
キッカケになる。もう一つ、出会いの中で、宗教がある。知識を持ってしまった
人間は、いずれは死ぬ運命にあることを身近の人の死を通して知ってしまう。
それは二人称の死で自分の死とは違うと分かっていても、長年かけて、知人の
遺体と焼却を目の当たりにすると、二人称の死を一人称の死に重ね合わせて
しまう。出会いこそ人生であり、生き方が変る。未知との遭遇、無知との
遭遇、人生には色いろある。
・・・・・・・・
3177,デフレス・パイラルの脅威
2009年12月16日(水)
* ハイパー・デフレの始まり
どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。
それもハイパー・デフレ。ということは、二番底に向かって転がりだした
ということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある中古
プレハブ住宅の販売広告が入っていた。土地が25万、建物が20万?の相場の
家屋が何と土地15万、建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて
売るのを専門にしている。(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、その
プロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、お化粧代も大よそ分かる。)
どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。
近所の相場が、それによって暴落する。会社の人の自宅近くが半値×八掛け
で売りに出され、数日で売れたという話も入ってきた。資産デフレである。
あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが実感していること。
背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、薄型テレビも3割ダウンした。
冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネット
で2980円、3180円、3280円が出ている。安い順に売れていくが、それさえも
最近は売れ残っている。安くしないと、消費者は買わないから、競って安く
するが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。一番強い者だけ
しか生き残れないのである。そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、
今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。ハイパー・インフレが始ると、
これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・
世界は間違いなく経済も、政治も含めて大動乱に入った。アメリカも、去年
のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。失業率が、あれよあれよと
10%を超えてしまった。日本も、数年以内に、それを超えるだろう。
リーマンショックの津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?
続く。来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。
ハイパー・インフレの波も現れる。