一1人の時間を持て余す者は、二人の時間も持て余すー
 老いの大きな問題に『孤独』がある。特に独身の場合は大きな穴が
心の中にスッポリと開いているのだろう。そのためには、自分の世界を
つくり、ダンデゥズムに徹し、孤高に生きるのも人生の一つ。
≪ ◎ 質問 =このまま一人孤独に人生を終えたくはないのです…
 私はこの年になってもまだ結婚をしたことがない50歳の独身です。
仕事を離れるとほとんど人とおしゃべりする機会もありません。
飲みに行ってもほかの客とはあまりしゃべりません。
自分から心を開かなければ相手も私の心を分かってくれないということは
承知しています。会社もあと十年弱で定年ですし、その後の人生はこのまま
孤独に過ぎて、ある日部屋の中でひっそりと終わるのかと思うと不安です。
心を割った話ができる相手、できれば女性を見つけたいと思っています。
でもいままでにそのような出会いはありませんでした。
今後出会いはあるものでしょうか?、(五十歳男性) ≫
≪ ◎ 答え=孤独を孤高にまで高める生き方を目指せ
・シマジ: この前のように三十代の男性からの相談なら「書を捨てて
 女を口説け」、というところだが、五十代となるとそうともいえないな。
仕事以外ではほとんど人とおしゃべりをしない。飲みに行ってもほかの客とは
距離を保つ。おそらく、相談者はずっとそういう生き方をしてきたのだろうし、
他人に自分の領域を侵されるのが苦手で、一定の距離を保つほうが楽だった
のだろうだとしたら、この齢になっていきなり社交的になれといっても、
それは無理な相談。女性に対しても尻込みしてしまうタイプだろうな。
こういう人が人生の晩年を一緒にすごす女性を見つけようと焦ると、下手を
すると結婚詐欺に引っかかりかねない。だから、無理はしないほうがいいね
・シマジ: だからこそ、孤独を恐れる凡人を脱して、相談者には孤高を目指
してほしい。肌のぬくもりやおしゃべりの相手が欲しいなら、猫を飼えばいいん
じゃないか。猫はいいぞ、しみじみと会話ができるからな。俺の知合いの作家
の話だと、飼い猫をあんまり可愛がりすぎるものだから、結婚したばかりの妻が
怒ってね。、「猫と私とどっちが大事なの?」うていう言葉に「そりゃ猫だ」
と答えたものだから、新妻に家を出て行かれたそうだ。人間の女より、猫の
ほうが一緒に暮らしていて心穏やかでいられるというのは否定しがたいね。
・シマジ: 金と時間と情熱を注ぎこんだ一人の時間を豊かにするには、膨大
の情熱と知恵が必要だ。一人で孤独だと思うのではなく、誰にも邪魔されない
自由な時間をどれだけ豊かにしようかと真剣に考えるところから、人生の愉しみ
が広がっていくんだ。まさに人類のステキな時間。心の中に星が降る時間だね。
だから、相談者が仮に本やお酒に興味がないなら、別の手段でもいい。
自分が興味を持っているものをもっと深く探っていく気持ちを持てば一人の時間
を貴重に思えるんじやないかな。それにね一人の時間を愉しめる人でなければ、
二人の時間も愉しめないと思うんだよ。一人をエンジョイできる人間は、二人
になればますます相手と自分を愉しませられる。一人を持て余す人間は二人に
なってもやはり相手と自分を持て余して、退屈な時間を過ごすんじゃないかな。≫
▼ 家にオウム科最小のインコがいる。居間のガラス戸を隔てた先の籠に一匹、
 鎮座しているが、人恋しいため常にピーピーと呼びかけている。時どき、
餌を与えたり、頭を撫ぜてやるが、何か心が癒される。猫を飼うと、異性にも
関心が無くなり、ますます縁遠くなるというが・・ 
・・・・・・
4971,閑話小題 ー飛行機の座席にみる社会構造
2014年10月24日(金)
   * 人生を憎めば、人生は憎しみを返す
 「あなたが人生を憎めば、人生は憎しみを返す」。
これを「人生を愛せば、人生はあなたを愛し返す」と言い直すことが出来る。
現在の私の状況は、まさに、この二つの間で揺れ動いていい筈だが、しかし・・
この状況を肯定することで何とか平静を保っている。不幸系の人は、まず憎しみ
を持った受止め方をする。何でマイナーな考えを持つか? よく観察すると、
育った環境が大きく左右している。 まず、親を憎むことが、そのまま自分の
人生を憎むことなる。「相方には、両親に愛され育った上に、運がある人かを
第一にして見分けなさい」という。幼児から20歳代までに、プラス・マイナス
の両極端の世界を垣間見てきた。やはり金持ち喧嘩せず。異性に惹かれるのは、
自分と違った要素を持つ人。しかし、それは短期間だけで、長い目で見れば、
その違いが性格の不一致になる。そこから憎しみが湧き出て、争いが子供に
大きく影響し、その結果、子供は両親を憎むことになる。90%の夫婦間が
実質破綻をしている?というが、子供はたまったものでない! そこで、
「されど、妻(夫)を愛す。人生を愛す!」が、人生を生抜く要諦になる。
   * 飛行機の座席に垣間見える社会構造
 飛行機は、集約された社会構造が、そのまま露出する場所。
見てみないふりしかない。飛行機の座席のランクには、一般的にファースト
クラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがある。
  ーその料金体系といえばー  (欧州の場合)
・エコノミー: 12万〜50万(12万は格安、50万は割引の無い
        正規運賃で、サーチャージ込み)
・プレミアムエコノミー: 20万〜50万(本来はエコノミーの正規料金
             を支払っている人に対するサービス)
ビジネスクラス:   36万〜90万(90万は割引の無い正規料金)
・ ファーストクラス: 150万前後(割引料金は基本的にありません)
▼ 私のような格安パックツアーは、大型機の後部座席が主で、旅行代理店が
 年間契約で3万5千〜7万円の格安で仕入れ契約をする。だから少々、窮屈を
我慢をすれば格安旅行が可能になる。ちなみにホテルも、観光シーズンのピーク
を除けば、三分の一、五分の一の仕入れが可能。 だから、パックツアーに慣れ、
使いこなせば、結構、価値ある旅行が可能になっている。私は格安パックツアー
もあって、エコノミーだが、たまたま満席で、ビジネスクラスを5〜6回、
一度だけラッキーなことにファーストクラスに乗ったことがある。4分1の
確率で、窓側3人席に家内と2人になるが、ほぼビジネスと同じ環境?になる。
露骨な格差を目前で見せつけられても、そこは、非日常世界で、
瞑想には最適な時空である。
・・・・・・
4604, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー1
2013年10月24日(木)
   「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー(著)
 このところ、台風の影響もあり雨の日が多い。どうしても雨は憂鬱な気分に
なりがちだが、本列島は地勢的にみて、雨量の多さが豊かさをもたらしている。
著者はフランス生まれのフランス育ち。パリのソルボンヌ大学を出て、日本
在住三〇年。米国のミズリー大学、日本では佛教大学で教鞭を取っている。
彼女は、日本の多湿な雨に、特性を見出している。この本は雨読にはピッタリ
の内容。図書館の借入は、買うほどでない丁度良い本に出会えるから良い。    
  ー内容紹介ーより
 今日、雨はどんな世界に誘ってくれただろうか――
生活のリズムを少し減速して、憂鬱も希望も深く味わう、雨との付き合い方
 雨が好きな人は少ない。でも雨は私たちの精神、感情、人生を隠喩している。
ある時は私たちをエネルギーで満たし、ある時は憂鬱な気分にし、ある時は
希望、または静かな省察の時を与えてくれる。雨は私たちの生活のリズムを
減速させ、内観すること、または精神生活をより豊かに深めようにも働きかける。 
雨には意味、存在感がある。まるで生身の体と声、そして心があるみたいだ。
雨はまさに、ミクロとマクロといった二つの無限の世界が共鳴し合い、合流
する境界に在るのだ。雨を避けては通れない。それならば、いっそのこと
雨を好きになってみては?
 ○雨がもたらす感動 ○雨が奏でる音楽 ○雨の香りとその感触 
   ○自宅で雨を愉しむ ○雨の日の外出 …ほか
  [レビューより]
{ 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。
「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される雨だが、
この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り
始めた雨と土の匂い、雨は何処から降ってくるのかを確かめるために雨天のなか、
天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを選んで歩いた記憶。
それは私にとっては両親、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさ
へと導かれるものだ。この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」
というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで雨の日を
楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。
雨の休日には本棚から取り出して読み返したい本。誰でも人生は自由なのだな
と改めて思った。次回作を心待ちにしている。}
▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、
 不思議と一瞬一瞬をより深く、存在意識を持ちながら味わえるようになる。」
と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、深くため息を
つく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また
「超越」という概念にも気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、
自然の制御できない性格なども分からせてくれる。そう、自然をより美しく、
そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、
雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。ーつづく
・・・・・・
4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4
2012年10月24日(水)
「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 戦国時代の日本にティーバッグがあった!
≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、
 さまざまな種類が発売されている。ティーバッグのはじまりは一〇〇年ほど
前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉の
サンプルを絹の袋に入れておいたところ、客の一人が誤ってそれにお湯を注いで
飲んでしまった。それをヒントにして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。
一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。
もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じで。戦乱の続く当時、
刀や槍で受けた傷を治療する「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。
戦場ではのんびり薬を煎じている暇などない。そこで金創医たちは、細かく
刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が
抽出できるようにしておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも
便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、平和な時は産科医を
している者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点
で共通していた。今でも、婦人病の漢方薬に袋に入ったものがよくあるのは、
金創医が処方していた名残である。≫
▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。
 即席ラーメンが発売された当初、日清のチキンラーメンがあった。お湯を
注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、
ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの携帯食としておおいに売れたという。
彼らは戦場で、それをカジリ食べていた。学生時代の昼飯として、
よく食べていた。
 ・・・・・・
3864, 嘘みたいな本当の話 −2
2011年10月24日(月)             
 * さかさまな世界-  
        「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」     
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに
踏み込む足裏が痛い。右手をそっと後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、
左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。大学に入学
して初めてのバイト先。苛立った僕はその後、事務員の女たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと
届かないんですもん。ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、
和式はたまらなくつらいんですよ」僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは
顔を見合わせる。 ひとりの事務員が切り出した。「あの……トイレヅト
ベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」京都 サトゲン
  * シンデレラ
 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落として
しまった・・ 拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、
次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。同時に、私の足元でひざまずいて
いた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。我に返り慌てて振返ったが、
無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。 岐阜県 横山奈津子
  * 洗濯バサミ
 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。
今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミが
ひとつ入っていた。 長崎県 トンビ
▼ 片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、
 一生に一回あるかないか。 こういう思いもかけない偶然は、誰も経験して
いるが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。
「洗濯バサミ」、これもあり得る話。野生の鳥は思いもよらない頭脳を持つ。
そうでなくては、四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 
こういう話は純真に聞き入れる方だ。
・・・・・・・・
3499, 経済予測脳で人生が変わる
2010年10月24日(日)
 ≪経済予測脳で人生が変わる!―「起こりえる未来」の読み方≫中原圭介(著)
 ー内容紹介ー
 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」
の道半ば。これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を
予測して、事前に手を打っておくことが必要。経済予測脳をもっていれば、
誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。
自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が
可能になる。それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を
送ることができるのか。 〜 大まかにいえば、
≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。
特に混沌とした時代には、時代そのものの本質と、変化をジックリと見極め、
それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、
*「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けて
 どう進むべきかを考える力を養い
*「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し
 予想することができるようにして、
*「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのか
 を捉えるようになる。 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、
 人と社会は非合理的な側面が含まれるため、色いろな基礎教養をベースの
 上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。
・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、
そう見えすえれば根底から経済予測が違ってくる。その背景には本格的情報化
社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、人間が言葉を
持ちはじめた20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネット
などの情報手段の革命。そのことを、明確に把握していないと、現在の状況を
見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは言ってないが・・・ 
世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマに
しているが、それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。
そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦世界恐慌、そして第二次
世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 
  特に、茹で蛙の日本は、である。  
 ・・・・・・・
3124,生きる幻想 死ぬ幻想  ー5
2009年10月24日(土)
 ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー
以下の部分で、その原理を説明している。これでは多神教が敵うわけがない。
それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人
だからだろう。彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれて
いれば、どうもこうもない。 ー 終末論 ー  P-29
岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し
 違うのですね。終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合
 は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて律法を守ってきた自分たちを窮状
 から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから
 出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれ
 がそういう目にあわなければならないのかという不満を常に抱いている。
小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが
 降りてきて政治権力を握るということになる。そもそもユダヤ人は、幾度も
 周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる
 願いは、メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということ。
 ただし強力な国を作りたいという願いはありますが、全世界をユダヤ教}色に
 してやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教イスラームより
 はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り
 立っているのです。
岸田 ▼ユダヤ教キリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやって
 くるのは現世的な救いなのですが、キリスト教では幻想的にというか、
 非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考える
 ところです。
  Q  ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。
小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的には
 ないのです。少なくとも旧約には書かれてない。
   ーー
 ー イスラムの天国 ー  p−35
小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない
 天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。その時にアッラーの前に
 引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。
 で、死者たちは、それまでずっと眠ったような状態でいて、終末が来た時に
 生前の肉体で甦って、裁きを受けるのです。だからイスラームでは火葬は
 御法度。裁きも具体的で、ちょっと御伽話みたいですが、それぞれの人の
 左右の両肩に天使がいて、ちゃんと律法を守ったら、それが天使によって
 記帳され、さぼったら、これまた記帳されていくんです。裁きのときは
 その双方の記帳が天秤に乗せられて、右肩が下がったら天国行きで皮対は
 地獄行きです。裁きは一回かぎりで、地獄から天国に行くということは
 できません。そのときは現世はなくなってしまい、天国と地獄になるのです。
 『コーラン』には天国の様子もちゃんと描写してあります。ただし男の天国
 しか書かれていない。そこは緑のしたたるオアシスのようなところで、
 七十二人の処女が侍ってていて、いくら飲んでも酔っぱらわない
 美味な酒がしこたま飲める。 それでは女性が天国に行った場合はどうなる
 かは書かれていない。ただし、殉教者は最後の審番は免除なのです。
 血だらけの姿をアッラーに見せれば、それで天国行きという事になります。
 ですから殉教者は葬式の際には、血だらけの生々しい埋葬をします。
 偉いウラマーでも、少しは律法を破ったことがあるから、最後の審判
 怖いのです。 でも、殉教者はストレートにパスなのです。
 だから殉教したい人が多くなる。
   〜〜
これらを読んでいると、天国とは「幻想論」を絵に描いたようなもの。
ニャロメの赤塚など、この程度の天国を十二分に味わったはず。
日本のプチブルも彼らのいう天国の門前にいるようなもの。と、思うのも
多神教徒の浅はかさか! 天国はアラブの地の貧乏人の夢か!