『人生、しょせん気晴らし』中島義道
   * 半隠遁五箇条
 自分のしたくないことは一切せず、世間から半分だけ降りることにしよう。
俗世間からすべて降り切ることは、山ごもりでもしない限り無理なのだから、
妥協案として「半分」だけ人生を降りることにしようと決心、著者は、五十歳を
潮時に‘半隠遁生活五箇条’なるものを宣言した。
  1.「清貧の思想」にあらず 
  2. 趣味を追求するなかれ 
  3.不快を避ける 
  4.無理しても快適を得る
  5.金に執着しない、 とした。
・『人は誰も、もうじき死んでしまい、永遠の無が訪れるのだから、何をしても
 虚しいだけである。何をしても、何を成しても、どうせみんな死んでゆく・・』
・『生きることに意味など無い。ただ偶然と偶然が重なっただけで生まれた宇宙の
 中のちっぽけな地球も、いずれ消滅して跡形もなく消滅する。それだけのこと。
 すべては移ろい変わってゆく。永遠なるものなど一切ない。
 その一瞬の永遠の中で、人は生き、必ず死んでゆく。意味などない・・』
 ▼ 私と同じ年齢の著者は、半隠遁だが、何度も書いているが、51歳時に、
  似たような?『還暦までに、その後の30年分を生ききってしまう』という、
 逆の選択をし、実行した』 そして、4年前から隠遁生活者。だから、後悔
 の念は少なく、ただ淡々と、今日一日、無事平穏に過ごせればと生きている。 
 現状というより、目標を書くとすると、
   <私の半隠遁生活五箇状> 
1、不快は、あって当然と割り切るー不快の3倍の快を求める
2、辰濃和男著『ぼんやりの時間』 の、「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」。 
  ①、「闇」―蛍と星とダークマターをみつめ ②、「独」―独りでいること   
  ③、「閑」―逆茂木に囲まれて   ④、「怠」―怠け猿のように  
  ⑤、「懶」―心に余白を持つ    〜を意識して、世界に浸かる
3、その中でも、新しい知識、感動、感激を貪欲に求め続ける
4、想定死亡年齢を75歳とする。その淵から、一日、一日をみつめ、味わう
5、具体的な死に準備を、一つ一つ実行する 
 まだまだ娑婆ッケがあるが、現実は変な壁が低くなったためか、現実が
面白くて、少年のように好奇心で一杯である。壁が高すぎたのだろう。
それと14年間、随想日記を書き続けてきた蓄積効果と、新たなネットと、
デジタル世界の恩恵もある。 表立っては隠遁だが、内側は真逆のような。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」というところ。これもまた、気晴らし!
・・・・・・
4828,「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
2014年06月03日(火)
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり
何かの質問をする。逆質問は一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  ー
            359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初の
頃は感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に
問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時
大声で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、
繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さ
を互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的
とする。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を
見る。ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で
一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。この訓練を通して、
自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、
自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、
初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に、会社は強くあらねば!
ということを。人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。
つまり「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した
行動を柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙い。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
 実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。
・・・・・・
4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3
2013年06月03日(月)
    「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫
  * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」
という根源的問いかけになる。しかし、自分の思い込みに気づかない限り、
それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した
思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考え
ようがない。とはいえ、その事実、真実も、思い込みとすると、その立つ場が
なくなる。  ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー
≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。
 逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、思いこみでものを
いいます。では、天才でないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた
仮説をはがせばよいのでしょう ・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある
仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。
われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になり
たっている。「裸の事実」などない。データーを集める場合も、やっぱり
その仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈
するわけです。ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な
世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエータを目撃しても、
「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の
良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。でも本人には意図的に事実を捻じ
曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られている
ことに気づかない。天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついて
いる仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に
触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、
あらゆる仮説に触れることで、知的な「免疫力」をつけろ、ということ。
たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や
共産国家の「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・ 
「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」ですが、できるだけみなさん
の仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫
▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。
 気づくようでは、思い込みではないからだ。20数年前のバブルと、崩壊と、
その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の
崩壊は絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。
それが仮説=思い込みということに気づかなかった。だから突然、それが
崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、
身に沁みていたことは、「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。
舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、
万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的
にしておくこと。それさえさえあれば、如何なる事態にも対応できる。
現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」という
のが幼心から、あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が
見えているから。それも私の仮説でしかない。
・・・・・・
4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7
2012年6月3日(日)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦 (著)
 * 中年と老年の境目          
「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、
サバンナが老年と捉えることができる。私の場合、60歳を大きな目安にして
50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を
整理倒産、年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 
ことがことだっただけ、ハッキリしている。
≪ 【人生の総決算】
 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に
囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての人生の総決算といった
性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ
象徴的なものであろうと、あまりにも下らなかったり安っぽく情けなくなって
しまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎ
たくなってしまう。歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。
少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、経験に
根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者と
なっていくものと思いたい。 にもかかわらず、老いの訪れを待っていたか
のようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。
もともとの性格だとか生き方が、老いを迎えるに当たって問い直されるのだ
といった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。
暴走老人という言葉が流行り、それは老いがあるまじき暴力的で非常識で
自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚な
チンピラのような暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人で
あることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に
居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。
それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が「人生には、奇妙に
歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じ
ようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような
時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、
むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きい
のではないか。 老年を迎えるということは、あらためて運命のサイコロを
振ることを強いられるということではないのか。 ≫
▼ 心当たりのある考えさせられる一節。太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、
 45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、バブル崩壊からの
「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。
私の人生は日本国家の縮図である。リスク管理をしていたので、生活は何とか
なっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。
肉体的衰えが、精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって
半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!
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3721, ジャズについて −13
2011年06月03日(金)
   * 現代ジャズの新しい動きは?  ー「音楽の本」三枝成彰著より
 ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた
【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたった
 ジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム「ピッチェズ・ブリュー」
が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。
その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類も
できた。フュージョンとは、一言でいえば、ジャズのロック化を進めたもので、
ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽。
だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、
のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す勢いを失ったといっていいだろう。 
なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自
すべき点もある。ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の
動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。
レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうが
ラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を気持ちよく踊らせることがで
きるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」
だったことを思い起こせぱ、これは面白い現象といえるのではないだろうか。 
もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、
ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰して
いるジャズマンもいる。その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける
音楽といえるだろう。 】
▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、
誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと呼ばれるようになった。
黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合
して出来たもの。そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。
アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。
それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。
それが、そのままフュージョンとなったといえる。
  ・・・・・・・
3356, 風の画家・中島潔
2010年06月03日(木)
  「風の画家・中島潔“いのち”を描く」   
 ーNHKのHPよりー  〜NHK クローズアップ現代(5月31日19時半〜)
 日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなの歌などで
親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、源氏物語や詩人・金子みすゞ
の世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。
その中島が「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。
京都・清水寺成就院で4月末、公開された。日本画の伝統とは無縁の画家が、
1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。中島は、ここで、
終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、何度も描いて
きた金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年を
かけてひたすら描き続けたイワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。
「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。
▼ 先日、「クローズアップ現代」で、中島潔清水寺成就院の46枚の
 襖絵をみて、息を飲んだ。日本画とは無縁の漫画的な絵だが、その存在感と
溢れ出るエネルギーに圧倒され、その絵について語る画家・中島潔の言葉の一言
一言の思いの深さに引きこまれてしまった。雑誌などで何度か見たことがある画風。
その絵の暖かい風を感じていた。本人の終生のテーマが「いのちの無常と輝き」
と、番組で知ったが、それぞれの絵から湧き出してくる明るい暖かさは,母に
対する慕情という。 さらにいえば仏さまの世界とも言える。それにしても
生命感の溢れた絵である。清水寺が、童画的絵画を襖絵に取り入れる大らかさに
恐れ入る。中島潔が「金子みすず」の詩を幾か絵にしていることを初めて知った。
金子みすずの悲しみと、母への思いが、重なっているようだ。 
この人の画集は、多くは出版されてないようだ。 
 ・・・・・・・
2981,超円高社会 ー4
 2009年06月03日(水)
日本国家の財政が破綻しているのは「短式簿記方式のため」、
という論は知ってはいたが、この書に明快に表現してある。  
  ーまずは、その辺の部分をコピーしてみたー  
 * 日本国家が借金漬けの元凶は単式簿記のため
今の政権=自民党公明党に多額の借金を貸込んでいるのが、我われ国民。
この政府が抱える本質的な欠陥は、会計に単式簿記を採用していることである。
大福町会計あるいは家計簿方式といってよい。この元では、税収と借り入れを
区別することなく【歳入】と一括りに計上する。国債の利子支払いを、元金の
償還と区別も出来ず、国民に対する社会保障の支払いや公共事業などと一括して
【歳出】の一言でまとめてしまう。そういう把握しか出来ない法人である。
何故今でも行われているか。理由は簡単。明治政府が発足した時には、日本では
複式簿記を知らなかっただけ。何故に、それを改定しようとしないのか。
その方が政権を持っているほうが都合がよいからである。社会保険庁の帳簿の
改竄も、原理的に見抜くことが出来なかったのは、それゆえである。中部国際
空港を作ったのは、トヨタである。これまでは巨大公共事業は、予算も目標期日
もオーバーするのは当然と思われていた。今の大福帳会計の政権法人が行う限り、
ほぼ全ての公共事業が、必ず予算も期日もオーバーする。ところが、トヨタ
引き受けた中部国際空港は、驚くべきことに、目標よりも実際の開港が一ヶ月も
早く前倒しされた。しかも予算は7680億円に対して、実に1000億円も下回り、
国民の負担を節約されたのである。関西国際空港の惨状を見れば、トヨタ
凄腕はいっそう明らかである。関西空港は当初予算1兆676億円に対して、
1兆4582億円と、実に37パーセントもオーバーしていた。理由は他にも
多くあるだろが、最大の理由は、民間企業が複式簿記を採用しており、赤字と
黒字の理由を把握する能力が備わったいた点に求められるのではないか。 
(字数の関係でカット2012年06月03日)
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2617, 消費社会から格差社会へ −1
2008年06月03日(火)
  「消費社会から格差社会へ―中流団塊下流ジュニアの未来」   
                 三浦 展 (著), 上野 千鶴子 (著)
 とにかく面白い本である。社会学部出身ということもあり、その系統の本を
40数年読み続けてきたこともあるが、最近の格差社会については、非常に
興味があった。「下流社会」の著者が対談の一人で、かつ上野千鶴子は私が
20代の頃から、本を目にしていた。この二人の対談なら面白くないわけがない。 
面白そうなところを抜粋して、感想を書いてみる。
・上野が(今の「下流」と言われるコミュニケーション能力の低い、ノイズに
 弱い若者が出てきたことに対して)「『日本の保守本流が望んだとおりの国民
 形成を、あなたたちは3世代に渡って達成したじゃありませんか。
 これこそあなたたちが望んだ結果ですよ』って、『教育基本法改正』なんて
 いっている自民党のオジサンたちに言ってやりたい気分ですよ」
〜感想ー強烈な皮肉が政治家と現代の若者、それも下流社会の若者に対して
 言いあてている。反面、ノイズの向こう側には彼らの好む音楽の世界もある。
 これで対人恐怖症とか、トラウマとかいって、社会の面倒な世界を拒否する。
団塊中流で、団塊ジュニア下流
〜感想ー これもまた、大方三分の二が団塊世代中流、そのジュニアが下流
 何故、そうなったか、時代がそうさせただけである。
・三浦 「堤清二が破滅型経営者で、西武破綻は起こるべくして起こった。
  〜感想  堤義明は、どうだったか? 似たようなものか。
(字数の関係でカット2014年06月03日)