『人生、しょせん気晴らし』中島義道
   * 個人主義者の覚悟
 自分を、「アウトサイダー」「ソリスト」「個人主義者」と自認している。
老いるということは、孤独の重圧に押し潰されていく過程でもある。だから、
そのスタンスを取ってきたが、それでも、弱気になることがある。
今さら、「世間びと」になれないし、なる気は一切ないが、彼らの破壊兵器も
ただならぬものがある。だから、「自分とは何だろう」と考えるに丁度よい
エネルギーになる。どの道、永遠の彼方に消滅していく。老いは厳しいのです。
≪ Q: 〜個人主義者にとっての老後を生きるヒントは?〜
 現在、53歳既婚、フリーランスで仕事をしている男です。
私は元来、めんどうくさがり屋でわがままで、人付き合いも苦手です。
特に冠婚葬祭、歓迎会、忘年会など、あらゆる会合や行事に出席を拒否。
こんな利己的性格ですから当然、会社組織に馴染めるはずもなく、こうして
一人で事業をし、近隣との人間関係の希薄なマンション生活をしています。
しかし、現在、老後の問題など何となく将来に一抹の不安を感じています
(目の前にある離婚の危機による自信喪失でしょうか)。自分本位な生き方
をしてきたため、義理を欠くことも多く、自ら世間を狭くしているように
感じています。いずれしっぺ返しがくるように思います。
個人主義生活者に「老後を生きるヒント」を教えてください。
 A: 〜「自分とは何か?」という問いを突き詰めて生きることです〜
個人主義生活者」にと、その「老後を生きるヒント」とい言葉によって、
あなたが何を期待されているのかよくわかりません(そもそも「個人主義
という言葉の意味がはっきりしない)。もし、長く世間に背いて自分本位を
貫いてきたが、老境に至り身体もガタが来ているし、このまま一人で生きて
いくのも寂しいし不安だから、どうにかしたい、というのなら、あなたの言う
ところの「個人主義」をきっぱり捨ててしまえぱいいのです。前後左右の
他人の思惑に常に媚び、自分勝手な考えはぐいと抑え込み、厭なことも率先
してなし、「和」を大切にし、これから必死になって「もちつもたれつ」の
人間関係を復元するのです。それはイヤだ、やはり「個人主義」を貫いた
まま安全な老後を迎えたい、と言いたいのなら、そんなムシのいい話はない
と答えましょう。「いずれしっぺ返しが来る」ことを予見もせずに、よくも
個人主義」などに乗ってきましたねえ。失礼ながら、おめでたいとしか
言いようがありません。わが国民が、「個人主義」を蛇蝎のように嫌っている
ことを知らなかったとは! 漢然と知っていたとしても、その大量破壊兵器
の威力に対する自覚がなかったとは!あきれ果てます。しかし、もはや手遅れ
ですから、残された老後は、先に言ったように、「個人主義」をできるだけ
「緩和」して、世間との和解策に奔走するか、あるいは潔く居直って、暗く
寂しい老後を迎えるか、のどちらかしかないように思います。そして、ここ
までがんばってきたのですから、できれば「転向」せずに「個人主義」を
貫くことをお勧めします。それには、自分ひとりでできる仕事を見出すことが
絶対に必要です。単なる趣味ではなく、あなたの実存の中核に届く仕事。
例えば、「自分はなんでこうまで人付き合いが苦手なのか、利己的なのか、
自分本位なのか」という問いを、つまり「自分とは何だろう?」という問いを
突き詰めることです。そのためには、絶えず思索しなければならず、これまで
の体験を微細に至るまで想い起こさねばならず、多方面にわたる読書も
しなければならない。つまり、孤独かもしれませんが、ずいぶん充実した
老後をエンジョイできるのではないでしょうか。≫
▼ ほぼ大部分の人の心には、相談者のような恐れを抱えている。老いて、
 弱って、病気になって、疎んじられ、永遠の絶対無に吸取られ消滅するのが
人生である。個人主義を我が国民は蛇蝎のように嫌っているのは、一連の中で、
多いに実感したが、それ自体も幻想でしかない。
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4809,ある明治女性の世界一周日記
2014年05月15日(木)
   「ある明治女性の世界一周日記―日本初の海外団体旅行」野村みち(著)
 何気なく、図書館内を彷徨っていたら、この本が目につき借りてきたが、
現在の朝のNHKの連ドラの「花子とアン」の、出身校の東洋英和女学校出身と
あったことも借りる動機にもなった。そして、読んでみて、面白いこと。
ランダムに、どのページを開いても、その日その日の、本人の視線が、
そのまま直に伝わる。  ーAmazonの内容紹介よりー
「母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校キリスト教
英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、
真摯に、率直な心情を綴った世界旅行記。」 ーレビューよりー
《 元横浜YWCA会長を務めた野村みちの「世界一周日記」。若い頃から洋行に
 憧れを持っていたことが書かれていた。その「世界一周」は、1908年3月18日
から96日間にかけて行われた。冒頭に旅のルートが掲載してあり、米太平洋郵船
会社のモンゴリア号で横浜港を出港し、ハワイを経由し、サンフランシスコ、
ソルトレークシティ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、英国
ホワイトスターライン社のセドリック号で大西洋を渡り、ロンドン、パリ、
ローマ、ナポリヴェネチア、ベルリン、サンクトペテルブルク、モスクワ、
シベリア鉄道を利用してウラジオストック敦賀に帰ってくる世界一周旅行。
一行54名、女性3人。筆者の夫は、横浜の実業家・野村洋三氏で、外国人相手の
古美術商のサムライ商会を営んでいました。本町通りにあったサムライ商会は
横浜の古い写真集を見ていると必ず登場するようなエキゾチックでユニークな
外観をしています。258ページに写真が掲載してありますので。筆者の家族の
写真や世界一周時の集合写真も掲載してあり、文章だけでなく当時のイメージ
が理解できるようになっていました。旅行中の装いも和装で通す意味合いも
書いてあり、このあたりに聡明さが伺えます。アメリカのルーズベルト大統領
との謁見や、パリで名バイオリニストのサラサーテの演奏を聞いたことも記され
ています。 巻末に番外編として「野村みちとは」と題する生涯を、北川原美乃
さんが25ページにわたって紹介していました。戦後すぐマッカーサーが占領下の
日本で初めて接した民間人が野村夫妻だったことも書いてあります。
そのような生き方を貫いた女性であることが分かる書でした。》
▼ 100年前の96日間の世界一周日記、そこに女性が3人、加わっての旅行、
 それは大変だっと思われるが、幕末、明治初期の一女性の目で見た当時の、
外国への視線が面白い。長年にわたり、多くの人が様ざまな経験をして記録に
残されているのに、改めて感心する。情報端末がノートしかない時代に、その
人の記録が逆に、生々しさとして、後世の者の心に訴える。横浜で外国人相手
の古物商をしていたため、カルチャーショックは、さほど無かったようだが、
そうでなかったら、その参加自体してなかっただろう。ところで、居間の座椅子
の横に、二年以上も「世界の旅行記101」が置いてあり、毎日、数分間、読む。
2〜3ページに要約した101の旅行記が、それぞれ何人かが分担して書いてある。
ところが、どれもこれも、重いため、せいぜい、一日、数分しか読めないが、
それでも門前の小僧で、少しずつ、階段を下りるように、何とか読んでいる。 
それらから比べれば、ツアーで内容が軽いが、それ故に、親近感がわいてくる。 
世界は広く、それぞれ深い!
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4442, 閑話小題 ーリタイア後の幸せ度
2013年05月15日(水)
  * リタイア後の幸せ度
 退職後の幸せ度は、一番高いのは創業者、二番目は違う会社で勤めている人、
三番目が、そのまま再雇用している人、最後は、そのままリタイアした人、
という調査結果がある。一番高いのが創業者は自分が、そうだから分かる。
それも、私のように会社を倒産させた人がいうと、強がりにように聞こえる
だろうが、複雑な実感である。挫折感より遥かに達成感が強いことは確か。 
自己完結してキレイサッパリするから。意外なのは、完全リタイア組の幸福度
が一番低いこと。長年かけたライフワークを持ってないためだろう。
「自分が、まだ有用の存在でいたい」のか。後は、解釈になる。収入の関係も
あるのだろう。幸せの感じ方は様ざま。 鼻歌でスキップしていくしかない?
そのためには、少々のお金と、知恵と、意欲が必要である。一番の問題は、
やはりお金に行き当たるのか。
  * 節目を超えたようだ!
 昨日、もう一つのブログ《バードウォッチ》に。「一月ほど前か、現在の自分
と娑婆に対し、底知れぬ可笑しさを感じて、知らずに独り腹から笑っていた。
これで節目を乗り越えたようだ。こういうのをアップスケール(脱皮)という。
独り万歳! あとは、心置きなく流しの遊びの世界で我を忘れればよい。
割り切るのに、やはり二年。節目としての4分割の最後のシリーズ。 
心の還暦になる」と書いた。50歳になった時が、これかと思ったが・・、
もう一破壊が必要だったようだ。そして少し楽しめ!ということになる。
まだまだ重いし、最近、何事にも面倒が先に立つ。ただ、バイアスが日ごと
取れて好奇心が強くなっている。遊びに対して、まだまだ修行が足りない。 
「節目を打て」というが、なるほどである。
(後記)ところで偶然だが、去年の以下の文章が、これに連動していた。
    面白いもの。決して傷は浅くないということか!
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4068, 疲れたら憩がよい、彼等もまた、遠くにはゆくまえ!
2012年05月15日(火)
  * 挫折について   ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著より 
≪「人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事
があります、と言い切れる自覚ではないか」(太宰治・〈走れメロス〉)という
科白もある。これなぞは負の体験こそ人間に正当な自負心を与えうる唯一の立脚点
ではないかと、負をプラスに転化している。・・たえず自分の弱さや、醜さや、
愚かさを思い知らされているというが、それがしかし、自分というものを知る
第一歩なんだ。そして自分の悩みを知ることを通じて以外にどうして他人を知る
ことが出来るのだろう。その点からいえば君の悩みは、まだ浅すぎるかもしれない。
自分はもっともっと悩むべきだ、と考えてみる必要があるかもしれない。
「ひょっとして、人間が愛するのは、太平無事だけではないかもしれないでは
ないか? 人間が苦痛をも同程度に愛することだって、ありうるわけだ。いや、
人間がときとして、恐ろしいほど苦痛を愛し、夢中にさえなることも、間違い
なく事実である。」(ドフトエフスキー「地下室の手記」より) 
 ・・世に文豪と呼ばれるほどの人びとの書いたものを読めば納得できよう。
彼らが作品に描いてみせた人間的苦悩の深さは、とても凡人には耐え難いほどだが、
そういう深い苦しみ苦悩を通じてこそ彼らは、その反対に光り輝く美や愛や幸福を、
あれだけ深く生き生きと感じることができたのだった。・・「疲れたら憩がよい、
彼等もまた、遠くにはゆくまえ!」(尾崎一雄「痩せた雄鶏」)
 おそらく挫折して世に出れなかった日々、尾崎さん自身、この言葉を自分に
言い聞かせ、じっと耐えていたのだろうと思う。 ≫
▼「死ぬほど苦しんだと言い切れる自覚がプライドの立脚点」には考えさせ
られる。負の体験を現在しているが、これをプラスに転化にするには、結果から、
原因を徹底的に見つめなければならない。まだ悩みが足りないのは分かっている。
 しかし、盛んだった日々の光りがあれば闇もあって当然と思ってしまう。
幸せも、不幸も解釈次第。死んでしまえば、全てチャラ!だから人生は面白い。
負の節目が挫折になるが、プラスの節目もある。しかしマイナスの節目ほど
次のステップには効果的である。
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3702, 自己を見つめる −21
2011年05月15日(日)
  * 死について ー�      「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 元気旺盛のただなかで、突如、不治の病を宣告された人は、初めは死を、
 不条理な運命として呪誼し、憎悪し、拒否するが、次第にやがて、その苛酷な
宿命を受容し、死を覚悟し、承認するようになるという心理学的研究も存在する。
人間が死と立ち向かう心理的状況は、種々様々である。死を迎え入れ、その定め
を覚悟し、その準備を整える用意は、憂き世の終末に向けて身辺を整理すること
を含む。そこには、種々雑多な俗世間的な事柄が絡みつくが、それらはみな、
老境の責務だとも言える。 ありうべき介護や臨終、葬儀やさまざまな後始末、
それらをすべて、何らかの仕方で見越しながら、誰もが、終末に身構えざるを
えないのが、死にまといつく憂き世のしがらみである。
 たいていの日本人なら、死んだら、草場の蔭から子孫を見守り、お盆には
憂き世に帰り、生者と交わることを望み、しかしやがて年月が経てぱ、往時茫々、
すべては諸行無常のなかに消え去ってゆくのがこの世の定めだとして、それを、
詮方ないことと心得る諦念を、心中密かに保持しているであろう。あるいは、
永遠の生命の流れとしての浄土に、自己が繋がり、久遠の仏性に救い上げられる
という強い信仰をもつ人もあるかもしれない。 さらにはまた、西洋からの
宗教思想の影響のもとで、死に際して、神の恩寵と審判が下され、裁きが
行われるという終末観を抱き、神に救済されることを祈って、日夜、信仰と精進
に励んで生きる、敬謙な人々も存在するであろう。 死という終わりに直面する
私たちが抱くさまざまな不安や、懐疑や、憂悶や、希望や、希求や、欣求には、
果てしがない。それらの種々の想念と気遣いのすべては、いかに人間が、死の影
のもとに、蜉蝣のような自己の身の上を、儚いながらも、充実した有意義なもの
として構築して生きようとするかという、胸痛む事実を、告知している。
人間は、徹頭徹尾、死の影のもとに生きる存在者なのである。
この憂悶にみちた現実が、人間の生存の真実である。】
▼ 結局は、大部分の人にとって壮絶な死に際が待ち構えているが、敢えて
 知らないふりをし、日々の細事に気を紛らわせるしかない。それも、物心とも
準備を怠ってきた人は、ただ動転し、目先を辛うじて生きるしかない。
その結果、事故や、争いに巻き込まれ、老醜を曝す結果となりがちでなる。
それは、家系とか、持っている体質にも関係してくる。やはり人の死は大方
悲惨と覚悟をすべき。問題は、当の本人が、それに独り直面し、ギリギリの
極みの中で、苦痛の中で最期を向かえ、意識が消えていくことである。
 ・・・・・・・
3337, サイバーとは超格差社会
2010年05月15日(土)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著)  ー8
 * サイバーとは超格差社会
  ー まずは、その部分を抜粋してみる ー  P−236
 私は過去のコラムで「サイバーとは超格差社会」と書いたが、一方で
これは持たざる者、立場の弱い者に大きな恩恵をもたらすものだとも考えている。 
その格差といえば情報と知恵の差である。仮に判らないことがあっても質問できる
双方向性。実はこれこそがサイバーの最大の特徴でもある。そこから自然に
コミュニティが生まれ、互いのノウハウを交換しあうことによって更に自らを
高めることができる。電子町内会の誕生である。こうしたことも、かってなかった
スタイルの「恩恵」であろう。サイバー社会の格差を埋めるのもまたサイバー。
 この事実に我々はもっと注目すべきだ。なのに現状、インターネット上の最大
の産業がポルノ、またはポルノまがいのコンテンツになっているのは情けない話。
「あらゆる技術は軍事目的で開発され、ポルノ目的で広まる」ともいうから
(写真もビデオも、もちろんインターネットもそう)、ある程度は仕方がない
ことなのかなとも思う。 しかしインターネットが我々の身近なものに降りてきて
10年あまり、そろそろ次の段階にステップアップすべきなのではないか。
「次の段階」、それは前述したように人々が学び、情報武装し賢明な市民となり、
甘言を弄する政府の嘘を見抜き、健康で文化的な生活を生涯に渡って維持する
ことである。 そして、そのためにこそサイバーを有効活用することだ。
サイバー社会が人に恩恵をもたらすものである限り、私はそこを自らの
事業ドメインとして関わり続けていこうと考えている。
▼ 現在、サイバーに対してマイナーの視点で論じる傾向があるが、負け犬の
 遠吠えでしかない。弱い立場の者に大きな恩恵をもたらすが問題は知恵である。 
知恵と才覚があれば、その中で格差を埋めることが可能である。そのためには
哲学の基礎も必要になる。哲学をもってネットを使えるかどうかで、その差は
大きく左右。考えないでネットにハマッタら、底なしのバカ?になる。 
HP・ブログに10年前に気持ちを集中してなかったら、良し悪しは別にして
現在の世界観とは全く違っていたはず。これからiPadと簡易ブログのツイッター
が爆発的に普及した時に、この蓄積は何ものにも変えがたくなる。 
知らないうちにサイバーに移動していたことになる。ますます情報=通貨の
度合いが強くなる。恐慌も含めて、こんな時代が見れるとは思ってみなかった!
 ・・・・・・・
2962,若者たちは今 −2
2009年05月15日(金)
 −若者が危ない!ー
いつの時代にも「今時の若者は」と言われてきたが、少し前の経済週刊誌に
「現在の20歳代が危ない」という特集があった。 その特徴として、
・上昇志向なし        ・10歳代で「失われた10年」を経験
・二年で3割離職       ・20歳代前半の43パーセントが非正規社員
・親との同居率6割      ・職場に不満は過半数
・海外志向のない若者が半数  ・あまりモノを買いたがらない 等々である。
 今さらだが、彼らには弱肉強食の意識が欠落、若いときに辛い体験をして、
それをバネにして上を目指そうという気持ちが欠落している。韓国、中国などの
若者に比べて、全く人生に対する姿勢が劣っているようだ。
例の「ゆとり教育の犠牲者」なのである。こういうマイナスの回転に引きこまれた
世代は、何処までもマイナスがついて回るのだから、気の毒といえば気の毒。
我われの世代が逆にプラスの回転だったから、それが鮮明に見えるのである。
  (以下、字数の関係でカット11年05月15日)
・・・・・・・・・
2598, 中国の地震について
 2008年05月15日(木)
中国の地震は、死者行方不明は十万人以上の可能性も出てきた。
産経新聞が行方不明9万人と報道していたが、まだ真偽は解らない。
中越中越沖地震がマグネチュードが6・8、今回の中国の地震が、7・8。 
震度が一違うと32倍というから、いかに大きな地震だったか!が推測できる。
32年前の文革真っ只中に24万人の死者の地震があったというから、日本の最近の
地震とは規模が違う。この地震もも、マグネチュードが7・8だったという。
最近は誰もがデジカメか携帯電話のカメラや、ビデを撮ってしまうから
情報管制は難しい。連日、生々しい写真が出始めいる。スマトラ沖地震と、
ミャンマーのサイクロン、そして、この地震と大規模の災害が続いている。
それも中国にとって華やかなオリンピックの聖火リレーの最中に。
  (以下、字数の関係でカット09年05月15日)