* どっちに失礼?
 猿の赤ちゃんの「シャーロット」の命名問題で、家内が『私も失礼だと思う!』
と言った時、思わず出たジョークが、『どっちが?』  だが、反応はゼロ。
そのジョークを即座に理解出来る玉?ではないらしい。直ぐにブログに取上げ
ようとしたが、その辺の世間びとに配慮して自重した。 獣を軽くみるのは、
人間のエゴの思い上がりである。 朝日の天声人語が、上手い解説である。
≪ イギリス人はユーモアが好きだ。苦しいときほど必要だと考えるらしい。
 第2次大戦中、ロンドンはドイツ軍の空襲を受けた。動物園に爆弾が落ちた
ときは、タイムズ紙が「しかし、猿たちの士気はいささかも衰えていない」
と書いたそうだ ●考えてみると、これは「猿たち」が利いている。
猿山を眺めれば、彼らがわれわれに最も近い動物であるとよく分かる。
ゾウやキリンではあまり面白くない●古びた話を、大分市高崎山自然動物園
赤ちゃん猿の命名騒動に思い出した。英王室に誕生した王女と同じシャーロット
と名づけたら、「失礼だ」という批判が山と届いた。これも猿ゆえだろう
●ウサギやカピバラなら、騒動にはならなかったと思われる。ではカバはどうか
と問われると困るけれど、ユーモラスではある。英王室の広報は鷹揚に
「赤ちゃん猿の命名は動物園の自由」と語る。結局、名前はそのままと決まった。
「失礼」を案じた人たちも、先方の対応に少し気が楽になっただろうか
●ロンドン空襲に話を戻せば、半壊したある百貨店は「本日より入り口を
拡張しました」という看板を出したそうだ。やせ我慢で繰り出した泣き笑いの
ユーモアに、お国柄を見る思いがする。そういえばきのうは、英国にとって
対独戦の勝利から70年の日だった●健やかなプリンセスの誕生から世界注視の
総選挙と、英国発のニュースが続く。日本の皇室ともゆかりの深い王室である。
美しい5月の慶事を、遠くより祝福申し上げる。≫
▲ 今回の騒動について、文化人類学者は「人々の深層にある獣に対する
 差別意識が表れた」と。 また「一部の人たちが英王室の王女の名前に
日本の皇室を重ね、敏感に反応したのだろう」と。「(失礼なのは)どっちが?」
のジョークも、渡しながらの人類への皮肉である。 同じ島国でも歴史が違うと・・
   * 連休での渋滞原因とは
 連休での観光地の車の渋滞原因は、意外なところにある。高速道のトンネルを
抜けたときの陽光に、直ぐに眼が馴染めずスピードを落とす。その小さな積み
かさねが、数百、数千台が積み重なって渋滞になってしまう。その上、登り坂で、
少しスピードが落ちてしまうが、それに気づかないことの積重ねも渋滞原因に
なっている。要は、それぞれの小さな減速の重なりが、原因とか。 
それと、普段、遠出をしたことがないドライバーの不慣れが重なるため。
・・・・・・
4804,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー2
2014年05月10日(土)
       「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
  * ある逸話
   ー‘あとがき’に、以下のような逸話があった。まず、その抜粋からー
《「サザエさん」の原作者の長谷川町子のマンガで、小学一四年生のときに読み、
 今なお覚えている作品がある。それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と
悪い神様の話だ。何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。
これを知った悪い神様は、どうもこれがおもしろくなく、この男の子の人生を
惨たん憺たるものにしようとシナリオを練る。そして、「男の子の身には次々と
不幸が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な嵐に遭遇して、
最後は絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」というシナリオをつくり
あげた。はたして、男の子の身に次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様が
それに気づいて彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。
ところがその臨終の場で、彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生
だったと言い出すのである。そして、自分の夢は船乗りになって、どこかの島で
人生を終えることだった、と述懐して息を引きとるのだ。二人の神様は、人間
とはよく分からないものと言って去っていく。これが私の人生の原点である。
幸せな人生とはあくまで本人が決めることであり、まわりがとやかく言う問題
ではない。もとより、記憶のざまざまな性質や、生かしかたを知ったからと
いって、幸せになれるわけではない。もとより、記憶の様々な性質や、その
生かし方を知ったからといって、幸せにはなれない。ただ、知らないよりは、
知っておいたほうが、みすみす損をしないだろうと思われるだけだ。・・ 》
▼ 何か、現在の複雑な気持ちの解釈に、大きなヒントになる内容である。 
 3年前の節目の数ヶ月前までは考えられない、「まさか、自分が!」が、
正直な気持ち。しかし、現在に至って、これが私の物語の終わりには、丁度
良いのでは?とか、こういうのも面白い?とか、何でまた?等、色いろ複雑な
気持ちが入り組んでいる。 絶海の孤島ではないが、結末がハッピーエンド
より、せっかく創業をしたのだから、倒産の終わりの方が、この筋書きとして
面白い?とか、この物語の解釈がある。これが私らしいというか、何だろう? 
要は、30年間、転身しなかった結果でしかないが。ストーリーの面白さは、
これで充分。「ああ、面白かった!」と、言えるだけでも有難い。 
神様は、丁度良いオチをつけたようだ。
・・・・・・
4437, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー7 
2013年05月10日(金)
     ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
  * ルート6 幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道)
《 幸福になるための因子は、自己実現と成長、つながりと感謝、楽観性、他人
の目を気にしない生き方。それを満たすのは、自己を捨て、無我、無私を実現
する達人の生き方。欲にも、生死にも、他人との争いごとに拘らず、達観して
静かに生きる姿勢。ここに達成した人は、持続的至福に達することが出来る》 
これが、幸福学の結論。 現在の状況を冷静にみると、
「これが人生、で、もう一度同じ人生を歩みたい」という現在の心境と同じ。
  ー他人と比較しないことによる幸せこそ、人生の要諦。 その辺りよりー
≪ 幸福学とは、要するに、幸せに効く主観的な要因は何かを明らかにする研究。
 その結果、僕たちの行ったアンケートの範囲では、幸福の要因は大きく
 四つの因子に分けられることがわかった。
・一つ目は、自己実現や自己能力に関する因子。目標を持っているか、直近の目標
  と将来の目標に一貫性があるか、自己統制感が高いか、自尊心が高いか、など。
・二つ目は、つながりに関する因子。他人に対して親切か、様々な出来事に
  感謝しているか、多様な知人がいるか、など。
・三つ目は、楽観因子。楽観的か、ポジティブか。
・四つ目は、他人と自分を比べない因子。他人と自分を比較しない傾向が高いか。
 ここでは、四つ目の因子に注目しよう。 すなわち、「他人と自分を比べない
  ことによる幸福」について。 自分を他人と比較しない人には、長続きする
 幸福が訪れると考えられる。千五百人への調査結果も、それを表している。
つまり、千五百人の回答者のうち、他人と自分を比較しない傾向が強い人は
幸福である比率が高く、他人と自分を比較する
傾向が強い人は不幸である比率が高かったのだ。
 自分と他人を比較しない人々には二つのタイプがあると考えられる。
他人を見ないタイプと、自分を見ないタイプだ。前者は、自分だけを見て他人
を見ないタイプ。周りのことを気にしないマイペースタイプだ。 我が道を
行くから、周りなど関係ない。場合によっては、独りよがりだったり、わがまま
だったりするかもしれない。自分は幸せでも、他人には迷惑をかけている
「自分勝手」タイプかもしれない。後者の自分を見ないタイプは、逆に、
世界は見るが自分を見ないタイプ。何が欲しい、こうなりたい、などの自我の
欲求があまり強くないから、他人と自分を比べることにそもそも興味がない。
悪くいえば向上心や競争心がない。なすがまま、自然のまま、だ。
 たとえば、武道の達人をイメージしてみていただきたい。茶道、華道、座禅
などでもいい。 凛として、姿勢がよい。何かあっても、動じない。静を以て
動を制す。普段は静かだが、実は相手を倒す力を秘めている。無駄に力んだり
せず、相手の力をすっと利用して、自分の思いどおりに世界を動かす。しかし、
私利私欲はない。判断は大局的。全体が見えている緊張感のある空気を醸し
出すが、自分のためには怒らない。思考の対象は常に世界だ。世界のために
行動する包容力。名声を得ていたり、人望が厚かったりするが、決して自慢など
しない。 もちろん、他人と自分の比較などしない。≫
▼ どうも世の中、嫉妬と苛めの糸で哀れなほど。私住む城下町は長年の柵
 で、雁字搦めの蛸壺社会。8割以上が地元出身者で占められ、それが全社会。
学校関係者以外は殆ど付き合いがないが、垣間見えてくる世界は箱庭のようで
面白い。知識を持たない人の無意識の科学は、身近の人との比較しかない。
不幸になって当然。それも私の主観による思い込み。「横を見ないで、縦
(今、ここ、自分)を見て生きる」と割切ってしまえば、良いが。
・・・・・・
4063, 本当は怖い抗うつ剤 ー2
2012年05月10日(木)
  * うつ病になったら、どうしたらいいのか。      
              { 浜松医科大名誉教授 高田明和 }
 倒産の惨劇を身近で見ていたので、二年間は落ち込むのは避けられないと判断。 
最小にするためスポーツジム通いと、打ち込める対象を加えることを考えた。
一つ間違えると欝に伴う暴発か、破滅になっていく。それがiPadとシネマと
 蔵書の再読と、世界の潮流の鳥瞰などを、逆に徹底的に楽しむことであった。
それと、中村天風の「積極一貫」の思想書を、身近に置いて何度も読み返した。
二年にまだ一年あるが、一息ついた後半の方が危ないのかもしれない。
 その私が予防策でとった方法がそのまま、治療法として研究されていた。
運動と、考え方、受け止め方をプラスにすることだ。
≪ うつ病の治療法として確立しているのが「運動」である。体を動かすことが
精神によい影響を与えることは様々な研究で示されている。第二は「ものの考え方」
である。私たちは競争社会に生きている。競争とは相手に勝つことを目的とする。
もし負ければ落伍者になる。一度敗北すると、将来がないように思うのだ。
さらに大事なことは、どのような分野でも自分より勝れた人がいるという事実。
 例えば野球にイチローがいて、ゴルフには石川遼がいるのと同じようなものだ。
努力は大事だが、自分が及ぼないからといって自分を責めていたら人は決して
心の幸せは得られない。・・・堀口大學は自身の『座右の銘』という詩で
「暮らしは分が大事です。気楽が何より薬です そねむ心は自分より 以外の
ものは傷つけぬ」と詠んでいる。自分以外とは社会的ランクのことである。
今の自分のランクを受け入れ、それでよいのだとする以外に心は楽にならない。
禅では「不思善 不思悪」といって、思い出さないことをもって最も尊いとする。
といって、無理のことなら、思い浮かんだら、しばらく放っておいて手を出すな、
必ずその思いは消えると、禅では教えている。 実際に、どのような思いも
5秒で消える。・・・ ≫
▼ 「どんな思いも5秒で消える」は、言いえて妙である。出るのは仕方が
 ないが、なるべく、そこで切るように心がければよい。全ては二年で落着くし、
目先は五秒のフラッシュで出てきた思いの延長を考えないこと。特に寝付けない
布団の中での苦悩の嵐は、訓練で最小にすることが可能。 そのためにiPod
を枕元に置いている。最近は、ほとんど夜半、使うことはないが、音楽は効く。
・・・・・・・
3697, 自己を見つめる −18
2011年05月10日(火)
  * 老いについて ー�    
            〜P270「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
ショーペンハウアーが言ったように、そうした老年の実りが熟するためには、
 まず何よりも、人は、健康と生計の維持に、早くから留意して、みずからの
人生設計を築き上げる努力を怠ってはならない。生計もままならない病気がちの
老年は悲惨の一語に尽きるから。そうではなしに、比較的健康に恵まれ、また、
なにほどかの金銭を蓄えた老年は、少なくとも社会生活全体の安寧が保たれた
条件下では、むしろ静かで、平穏な人生の実りの時期になるであろうと、
ショーペンハゥアーとともに人は言うことができるかもしれない。生の本能の
激しい渇望も静まり、社会的責務もいちおう果たし終えた、比較的自由な老年は、
自己を振り返り、世界を見つめ、知性の働きを純化させて、洞察と実りを結び
うる最良の時期だと、たしかに言えるであろう。しかし、そのためには、人生に
対する過剰な期待や野心に惑乱された、思い込みの激しい混乱した想念から解き
放たれて、冷静にこの世の営為をその真相において見つめる知恵の魂が熟成して
こねぽならない。ショーペンハウアーが言ったように、人生の表側だけでなく、
裏側もすっかりよく眼のなかに入った老境においてこそ、初めて、人生の虚妄と
空しさが会得され、所詮はいかなる人生も五十歩百歩であるという事態が得心
されてくる。 そうした人生の有限性への徹底した悟りが、老境の平静さを
築く基底とならねぼならない。実際、誰しも、老年とともに、そうした悲愁
みちた諦念を学び取るものであろう。
 老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと
気づかないうちに自分に忍寄ってきて、自分を支配するに至ったことを理解する。 
自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
老年になってからである。 老境に至って、ようやく、自分の歩いてきた人生が、
その意味と射程において、誇張も、卑下もなく、ありのままに見つめられ、
自己の人生の限界と特性、その意味と無意味とが、過不足なく凝視される萌芽
が生い育ってくる。この世の中の名誉や名声や栄誉などが当てにならず、他者
の身勝手な憶測に依存した評価に過ぎないことも、すべて見抜かれている。】
▼ 新潟で事業を事業を立ち上げた時、近隣の土地のオーナーの老人に建築確認
 の判を貰うため交渉をしたときに、心底、驚いた。優位の立場を利用して、
自分の人生の鬱憤を晴らしている姿が老醜そのものに思えた。これは沼垂界隈の
特性と当時は思ったが、最近分かったのは、実は老人全般が持っている性癖と
いうことである。内面を見つめる力のない人は、その鬱憤を外に向けるしかない。
それを長年かけて培ってきたため、心の底には、怒りと憤りが底なしの泥沼の
ように深く蓄積され毒ガスのように湧き出ている。そのガスの対象を次々と
探し出し、他虐、そして自虐として爆発を始める。それが老醜である。 
老年は、その道を一歩ずつ歩いていると割り切った方が良い。そうすると、
長生きは、ほどほどということになる。それにしても老醜という奴は、である。
 ・・・・・・
3332, 全然人種が違う「携帯世代」
2010年05月10日(月)
  ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー 大前研一 (著) ー5
  * ぜんぜん違う携帯世代
この7〜8年で、ブログと携帯電話が我われの生活を激変させた。
携帯電話とブログが、これだけの機能を持つとは驚異的といえば驚異的である。
さらに、ツイッターと、iPadなどが爆発的普及を始めようとしている。
第二次大戦後の電話とTVの普及から始った情報革命がデジタル化などで、
人類そのもののあり方を変え始めた。情報端末によって、その世代の性格、
能力まで既定をするほどになっている。で、次は携帯電話世代である。
  ー まずは、その部分を抜粋してみる ー
 ゲーム・キッズに続く世代が、この章の冒頭で述べた、いわゆる
「ケイタイ世代」である。この「ケータイ世代」は、これまでの日本人とは、
また全然人種が違う。この世代の特徴をひとことで言えば、彼らは私たちの
見えないもの、私たちの見ていないようなものを空想できるカは持っているが、
まったく無欲だということである。 たとえば彼らは「モバオク」や
モバゲータウン」を平気で信頼して、モノを売り買いしたコミニティを形成
したりしている。これは上の世代からすると、ある意味信じられないことだ。 
ここまでサイバー空間を無条件に受け入れることは、おそらく私たちにはできない。
10年前に携帯電話が普及し始めたころ、誰が、ここまで携帯が進化し、私たちの
日常生活に入り込むと考えただろうか? それが、いまやメール、ネットアクセス、
テレビ視聴、ゲーム、写真、動画の撮影、スケジュール管理、ショッピング、
切符予約・購入、決済など、全てがケータイで済む時代になった。 前記した
「モパオク」だが、これは2004年にディー・エヌ・エーが立ち上げた携帯電話
からのオークションサイトで、売りたいものをケータイで撮り、DenAのサイトに
送るシステムである。現在では1日1600万のべージビューがあると言い、その
利用者の6割以上が女性という。また、その後導入されたケータイゲームサイト
モバゲータウン」は1日2億ページビューがあるというから驚く。 
忘れてはならないのは、この携帯文化は日本特有のものということである。
外国は、せいぜいチケットやメールくらいである。
 〜〜
 さらに、これが進化してパソコン機能まで付いたモバイル携帯電話に変化を
始めてきた。それと兄弟的機能を持ったiPadが次の主役になる。現在の
5〜10歳の子供たちは、ツイッター・iPad世代と、後々になっていわれる。 
「情報機器からみる世代分類」というテーマを立つ。それは、後のテーマにする。
  いずれにしても、別世界が出来てしまったのである。
 ・・・・・・・・
2957、世界はパンデミックに入ったのか!
 2009年05月10日(日)
新型インフルエンザの拡大が、警戒「5」に入ったが、近々に最悪の「6」が
宣言される可能性が出てきた。今のところ鳥インフルエンザのような猛毒では
ないが、世界中に拡大していく中で猛毒に進む可能性が大。
 ≪字数制限のためカット 2011年5月10日≫
・・・・・・・・・
2593, 閑話小題
2008年05月10日(土)
 *地元スーパーの社長の死
地元長岡のスーパー原信の社長が亡くなったと新聞で報じていた。40数年前に
セトモノ屋をしていたが、先代と供にスーパーを立ち上げ、一部上場までもって
いった。20年ほど前に胃癌になったと聞いていた。享年73歳。チェーン理論を
教える「ペガサスクラブ」のセミナーでよく、顔を見かけていた。30年ほど前に
会計事務所の所長の紹介で会ったことがあった。40過ぎの温和な人という印象が
残っている。スーパーを立ち上げた直後に私の父親のところに創業を供にした
先代の父親と、衣料品の仕入れ先とか、産地とかを聞きにきたと父から聞いた
ことがある。 ・・・私には関係ないことだが。 何時も人様が亡くなると思う
ことだが、仕事の質量より、どれだけ人生を楽しんだかを推し量る。
あまり楽しい人生ではなかったように思えたが、それは私の想像でしかない。 
しかし、生きていることが90%、それをフルに利用して多くを学び、楽しむ
ことを加えれば99%の価値がある。他人様の死は、そのことを自戒させてくれる。
弟と供に途中まで会社を伸ばしていたが、子息が大学から卒業する辺りを
狙って追い出したのは驚いた。その前後に、弟と故人は二人とも癌で倒れた。 
そして大よその20年後に鬼籍に入ったのである。
その弟の方が余程、人生を味わったと思われる。 
         ≪字数制限のためカット 2011年5月10日≫