* 韓国が変
 今さらだが、ますます韓国が変。韓国フェリー転覆事故、そのセウォル号
オーナーの変死事件。そして大韓航空の一連が収まったら、今度は米国大使
への傷害事件。あまりに何もかもが雑。 前大統領と現大統領の素質もあるが、
政権維持のための日本に対するバッシングは見え見え。韓国は、ほぼ米国に
経済占拠をされ、殺伐とした空気。隣には北朝鮮が存在し、米国の経済圧力
との板ばさみ。国民の7〜8割が海外移住を望んでいるというが。
それらを象徴する事件。これも近未来の日本の姿? 世界が動乱期に入って、
一番弱い?朝鮮半島が、その象徴として現れ出た事件。とすると次は日本? 
南欧?中国? 大統領が換わるたび、その劣化が鮮明に見えてくるのも、
如何なものか! ところで、ネットに以下のような日本との対比があった。
1.日本人男性と女性とも韓国人より「やや小柄」
2.性格は日本人より直情的、直感的
3.日本人の平均年収は韓国人の約2倍
4.韓国は日本よりも少子高齢化が進んでいる
5.韓国の失業率は世界で2番目に低い
6.韓国の学生の読解力は世界一位
7.美容整形をしたことのある韓国人は日本人の2倍以上
8.韓国の強姦件数は、日本の40倍以上
9.窃盗事件、殺人事件ともに日本が件数が少なく、麻薬事件は日本が多い
10.韓国人の幸福度は低く、自殺者が多い。自殺率は10年世界一
 隣国のことを言ってはいられないのが日本。国家予算が、収入に対して
二倍になっても、その削減が出来ない事態。目先、5年後の東京オリンピック
に目を向けさせ、その事実から自己逃避をしているだけで、そのツケはくる。
ある日、国債と、株式相場の暴落となって襲いくる。で、「日本は、もっと変」
・・・・・・
4741,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜1
2014年03月08日(土)
    * 「ソロモンの指輪」の物語が面白い!    
  まずは、ーネット検索の内容からー
【 昔、ソロモン王は、悪をはたらく72人の悪魔たちを真鍮でできた器に
 入れて封じ、湖底深くしずめたとされます。しかし時を経て、そうとは
知らないバビロニアの民が湖底より引き上げて、封を開けてしまった。 
かくして人と悪魔がともに住む時代がやってきた。時が経つにつれ、ソロモン
王自ら望まなかった名誉をも手に入れていた。外国の女性もふくめ妻700人、
側女300人も仕えさせるほどとなっていた。賢明なソロモン王でも、長い間
ライバルもなく、一人勝ちの状態が続けば慢心する。それを見た神が罰として、
悪霊を遣わした。 その悪霊は、ソロモン王に化けて、知恵の象徴である
ソロモン王の指輪を奪い、海深くに投げ捨てた。悪霊はその後、ソロモン王に
なりすまし、本物のソロモン王を城から追い出した。指輪を失ったソロモンは、
知恵も誉れも無くし、自分を王だといっても信じてもらえず、物乞いしながら
生きながらえる毎日でした。やがて3年の月日がたち、ソロモンは、別の王国の
王宮料理人と知り合い、見習い料理人となりました。 そのうち彼の料理が気に
入られ、そして王女に慕われるようになりました。 やがて二人は結婚を決意。
しかし、王様は、料理人との結婚を許さず、二人を砂漠に追放した。
二人は砂漠を彷徨い歩くうち、運よく海岸へ出て、とある漁港へたどり着く。
空腹を満たすために、そこの漁師からなんとか水と魚を分けてもらい、魚を
調理しようとお腹をあけると、神の名が刻まれた指輪がでてきました。
その昔、悪霊に海へと捨てられた彼の指輪だったのです。それを指にはめると、
たちまち力が蘇った。ソロモンは、その指輪を着けてエルサレムに戻り、偽の
ソロモン王を倒して王座を取り返ました。 そして、ともに砂漠をさまよった
王女を唯一の妻として一生幸せに暮らしました。】
▼『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)からの三部作と、前日譚にあたる
ホビットの冒険』が3部作として、2012年から2014年にかけて2部が公開され、
2部まで、都合5作を見てきたが、これが面白い!旧約聖書外伝のこの
「ソロモンの指輪」が原型かどうか? キリスト教圏の人たちにとって、
誰も知っている物語。その辺りが、欧米と日本人の見方の違いになるが・・
ところで、生まれてこの方、指輪などしたことがなかった!
・・・・・・
4374, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー6
2013年03月08日(金)            
 * 平等も格差も遺伝子に組み込まれている    
       「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲
 チンパンジーに、既に平等が埋め込まれているとは驚きである。
長年の間の試行錯誤の結果である。ということは、それから進歩した人間は、
平等から一歩進めて「公平」という概念になる。この辺りが一番難しい。
容姿も、能力も、人種も、生まれてきた環境も、その人によって違っている。
当然のことながら、人間は不平等に生まれつく。しかし、チンパンジー
遺伝子に平等も格差も組み込まれている意味を考えてみる必要がある。 
  ーその辺りを抜粋するー
≪ 二頭のチンパンジーを、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に入れ、
 片方にキュウリを与えるえるとおいしそうに食べる。ところがもう一方の
チンパンジーにバナナが与えられると、いきなり怒り出して、手にしていた
キュウリを壁に投げつける。さっきまであんなにうれしそうだったのに。
霊長類学者のドゥ・ヴァールは、こうした観察結果から極て重要な発見をした。
平等はチンパンジーにとって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」。
 ぼくたち人間も、「平等」に強いこだわりをもっている。人種差別でたくさん
の血が流れるのも、バックパッカーがぼったくられに延々と文句をいうのも、
同じ人間として平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に
刻み込まれた生得的な価値観なら、なぜ世の中は格差社会になるのだろう。
それは、「格差」もまたぼくたちの遺伝子に刻印されているから。
 初対面の二頭のチンパンジーを四角いテーブルに座らせ、どちらにも手が
届くところにリンゴを置くと、互いに取りあう。負けがつづくと威嚇の表情を
見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に所有権があることを認めている。
 ところが同じことを何度も繰り返すうちに、どちらか一方がリンゴに手を
出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴から二頭の間で自然に序列が
生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジーは上位者にエサを譲る
ようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で遊ばせるとごく自然に
階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、この傾向は明瞭)。
サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識に支配したり従ったりする
強力なちからが働いている。人間の耳には、五〇〇ヘルツより低い周波数は
意味のない雑音(ハミング音)としか聴こえない。ところがぼくたちが会話を
すると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち
全員が同じ高さにそろう。 ひとは無意識のうちに、支配する側に
ハミング音を合わせるのだ。≫
▼ サルの研究では、サルと人間の重なる部分から、人間の本質を探っていく。
 特にサル社会の「平等」と「格差」との微妙な調整がポイントとなる。
生まれて死ぬまで、高校、大学、会社、事業、結婚相手などの選定が延々続く。
  その結果、都会では、住む地域まで格差ができる。その最たるものが皇居。
アフリカの王族国家を見れば、システムの馬鹿馬鹿しさが見て取れるのに、
自国になると分からない。
 ・・・・・・・
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたので、ほぼ休まず書いてきた。
自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標だが、
四千回を契機に、時どき休むことにする。また五千回に到達した時点で半年位は
休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した
内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し
知識として残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける
動機づけにしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いた
ため、それが、そのまま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内
そのものでもある。自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。
今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。 
書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で
奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が
無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。しかしブログに
字数制限があるため、当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。
それが、身を切る思いになる。しかし、それが好い加減な文章を書くと数年も
しないうちに、自分の手で削除することになるので、内容の質を落とせなく
なる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、
書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。 
また分類ボックスの一番下に、過去の文章の検索が出来るようになっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、
と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
 以下の、千、二千、三千も、それぞれ検索で調べたもの。 
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2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をして休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かが間違いている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)。
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、随想日記を書き始めた日を境に
自分が間違いなく変った。一日一日が充実してきた。20〜30人位?の人に
毎日読まれていると思うと、見守られているような感覚になる。作家などの
物書きが必死になって書くのも解るような気がする。死ぬ前に全てを消し去る
のもよいし、また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らない
のだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬
遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと
一番勉強になり良いのが、自分。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。ス〜と書ける日はよいが、全く書けない
日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
・・・・・・
2006/09/25
2001, 二千日の随想日記! おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも
何かの因縁である。 (字数制限のためカット 2014年03月08日)
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3634,  閑話小題   
2011年03月08日(火)
 * てっぱん
 毎朝のNHKの連続TV小説の「てっぱん」が面白い。私生児?の19歳の女性の
目を通して家族問題をテーマにしたもの。舞台は大阪と尾道。下宿先の訳あり
の住人たちが個性的で人情があり、互いを支えあっているという設定。
実際の社会は、この夢のような暖かさはない。逆に虐めと見下げの中で、
本人は崩れていく。往年の美女、藤純子がお祖母さん役で、番組そのものを
引き締めている。全体に流れている湯気が出ているような暖かさは、
家族崩壊が問題になっている中、大きな問いかけになっている。
それにしても、19歳のヒロインの持てること。逆に周囲の男たちの持てない
ことが何か不自然である。 それがTV小説であるが。それと、ここには悪役、
三枚目役が全くといってよいほど出てこない。 それも良いのかもしれない。
 * 携帯電話の買い換え
 先日、家内の携帯電話の買い替えのお付き合いをした。 私の携帯電話を
半年ほど前に、iPhonからドコモに買いかえたばかりなので、家族割引
もあるので家内もドコモにした。 私も家内も型落ちのゼロ円のもの。
しかし半年前には2〜3万はしたもの。その二つを比べると、その差に驚いて
しまった。携帯は日進月歩なのである。売り場は半分はスマートフォンで占め
られていたが、これまでの携帯電話ではカメラ機能が強化されたものがメイン。
数年で、大部分がスマートフォンになるのだろう。世界中の情報が、これら
端末情報機器から大量に流される時代。一時代前までの社会的格差は、その
まま情報格差に比例していた。それが、フラット化していけば、社会的格差が、
これまでと違ったカタチになってくることになる。これが北アフリカ、中東の
アラブ圏で起こっている変動として現れている。パソコンも、卓上、ノート、
そしてタブレット型と進化をしてきた。携帯電話からスマートフォンへ雪崩を
うって移行を始めたが、これがどの方向に変化していくのか? スマート
フォンとタブレットの境目は、どの辺になるのだろう? 35歳が子供の頃から
ゲーム器やパソコンに慣れ親しんで育ってきた年代の分岐点となる。
その人たちが社会の中心点になろうとしている現在、時代は大きく変わった。 
もう化石人間などという言葉は、誰も使わなくなった。誰もが使えるように
なってきたからだ。しかし、情報格差は、違う意味で果てしなく広がり出した。
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3269, ドル亡き後の世界
2010年03月08日(月)
   「ドル亡き後の世界 」副島 隆彦 (著)
 10年ほど前から、著者の副島の本を何冊か読んできた。
何か山師的な表現で眉唾ものだが面白い。外れも多いが潮流は的を得ている。 
この本も買おうか迷ったが思い切って注文をした。(そして、土・日曜の二日間
ジックリと読んだが、これからの具体的な恐慌のスケジュールが書いてある。)
 ー以下は、ポイントを荒筋にまとめてみた。 恐ろしいことだが、こんなもの。
FRBの「景気回復宣言」は大本営発表で、大嘘。 アメリカの景気は冬季
オリンピックが終了後の2010年3月頃から崩れ始め、いったん持ち直すものの、
2010年末にアメリカは恐慌に突入し2012年が大底となる。 
まずは株、為替、債権は世界的に暴落し「金融恐慌」が顕著になる。
一ドルが80円を割り、60〜70円代に、ダウ平均は6000〜7000ドルまで低落、
日経平均も5000円を割る。
オバマ政権は経済的な失敗から任期途中で辞任する。
・日本はいまだ米国債を購入しているが、中国は米国債を徐々に売る準備を
 している。RMBS、CMBS、CDOなどの金融派生商品のリスクが一気に顕著になる。
アメリカは借金を返せなくなり、デノミ、計画的インフレを引起さざるを得ない。
・このプロセスで、中国のプレゼンスは必然的に高まる。
 アメリカ中心の世界は崩壊し基軸通貨としてのドルは地位を失う。
・個人資金の保護のためには「金」や成長可能な日本株を底値で買うべし。
                 (株価が5000円を割ったとき)
・国家戦略において、アメリカの国家戦略に勝る国はない。軍事力は他国を
 圧倒、食料も世界一、金(ゴールド)も圧倒的に保有。ドル暴落で借金棒引き、
 穀物の暴騰などで逆に潤う。アメリカの借金や財政から考えて、ドル暴落や
 大恐慌が起こって一番得をするのはアメリカである。 結局は世界が
 アメリカは借金の棒引きをしてしまう。これが国家戦略というもの。
・1ドル=10円時代の到来も有りうる。日経平均は4,500円を割るのは二年以内?
・ドルの暴落後は、ハイパーインフレーション、そしてデノミが起こる。
 日本は米国債や外貨を溜め込んでいるので、日本国民の資産が吹っ飛ぶ
 可能性が大。既に800兆円もアメリカに貢いでいる。
アメリカは現在、増刷した紙切れドルで米国債を買う禁じ手を使っている。
 アメリカ自身がもう自国通貨を信用していない。各国の大使館に現金を
 送って現地通貨に替えている。2012年の底を経て、3年かけて世界の
 覇権はアメリカから中国に移る。したがって2015年には中国が新しい
 世界覇権国になると予言。 上海万博が開かれる5月1日から10月31日
 までは、世界経済や相場に何度か暴落はあっても決定的なものにはならない。
 上海万博が無事終わったその後にアメリカ発の大恐慌が起こり、世界経済は
 地獄を見る。その過程では、日本でも日経平均が一時、5000円を割り、
 1ドルが70円を割ると言う。
  
▼ 以上だが、100年、いや500年に一度の変わり目、
  これより劇的なことが起きても不思議ではない。
 ・・・・・・・・・
2894,厭世的時勢に、楽天であること
2009年03月08日(日)
「厭世」とは、まず自己を厭うがゆえに世界を厭う心の習性をいう。
楽天」とは、幼児の頃から両親を初め周囲から愛され、それ故に自分を
愛する心の習性をいう。人生を振り返ると、悲しいこと、苦しいこと、不安、
恐怖心など、多くの精神的苦痛があったが、なぜノイローゼや自殺に追い込まれ
なかったかというと、それ以上に楽しい、面白いこと、明るい展望があったから。
 いや、それを見守ってくれる家族・友人があったからである。そのもとは幼児
体験、そう両親の絶対的な愛情が基本。楽天性は、まずは親子関係の中でジックリ
と育てられる。基本的に親は子どもに絶対的な愛情を降り注がなければならない。
しかし家庭内にも色いろの事情がある。幼児期に父が事業に失敗してしまったり、
両親の不仲もある。最近では離婚確率が家庭内離婚を含めると過半数
その中で自分を楽天的性格にするためには、教養を自ら積むしかない。 
最近になって「楽天は意思」とつくづく思う。人間は誰でも心の底は楽天
ないと生きていけない。「自分だけは大丈夫!」と思っているからこそ、
エネルギーが、生命力が、発露してくるのである。いずれにしても、誰もが
直ぐに死んでしまうのだから、生きている間は、面白可笑しく生きること。
ただし、将来の見通しだけはシッカリと立てた上だが。だから楽天には長期的な
生存確保が前提になる。毎日、安心して日々を過ごせる生活力があり、時代の変化
に堪えられる力を持ち、それ故に互いの信頼を維持できることが基本になくては。
その前提がないと心が不安定になり、厭世家になるのである。楽天家過ぎて
ホームレスになった人はいても、楽天的なホームレスは、一部を除けばいない。
このブログをみると悲観論者と思われるかも知れないが振り返ると楽観主義者?。
(字数制限のためカット2,012年3月8日)