『ツイッター、その雑念のゴミばこ』横尾 忠則(著)
   * 歯がボロボロ落ちる夢
 どうも歯医者が苦手で、朝晩に丁寧に歯磨きをしてきた。それでも4〜5年
に一度は、虫歯の治療に行っていた。ところが二年前に、詰め歯がとれて、
5年ぶりに治療にいったが、4ヶ月間、毎週のように通院することになった。
ところで、この本に、歯周病についての呟きがあった。〜その辺りを抜粋〜
―― ぼくは60代まで歯医者知らずで来た。それが、2、3年前から肩がこると
 親知らずが時々痛む。今さら抜かなくてもいいでしょうと親しい歯医者に
言われているので助かっている。まだ抜歯の経験がないが、体内から頭蓋骨
の一部を抜きとるなんてこんな恐ろしいことはない。 :May6,201018・42
―― 以前、歯がボロボロ落ちる夢を何度か見た。身近の人が死ぬ予知夢だと
言った人がいたが誰も死ななかった。そういえばぼくの絵の女性は老婆みたいに
歯がボロボロに抜けている。なぜこんな絵を描いたのだろう。May6・201018;46
▼ 最近は、歯がボロボロ落ちる夢はみなくなったが、以前は、一年に一度は、
 みていたが、何か薄気味悪い夢であった。それが一般的にみられる夢と、
この書で初めて知ったが、歯周病のサインだったのだろう。〜ネットによると、
≪ 歯周疾患の有病率は「歯周ポケットを有する人の割合」で示され、
この割合は年齢が上がるにつれて高くなる傾向にあり前期高齢者で53%、
後期高齢者で62%。「国民の8割が歯周病」というが、「健全」以外の割合を
言うのであって、診査した歯のすべてが「健全」と判定された場合のみを指す。
少しでも歯石がついている場合には、健全と評価されなく、「8割が歯周病
というのは、大げさな捉え方。≫ とある。
 二年前に、診療をしてもらった時、個々の歯の歯周病の進み度を2とか3
と看護師が記録をしていたが、2,3は、まだ許容範囲とか。
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4713,<つまずき>の事典 〜「男神話」   ー3
2014年02月08日(土)
                 <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  * 「男神話」のバイアス
 森林(俗世間)から、サバンナ(御隠居)に移り住んでみて、森林生活の
思い込みが如何に主観的過ぎたかを思い知る。「男神話」のバイアス
(思い込み)への疑問はサバンナに出て初めて気づいたこと。
 ー以下の文章は、その辺りを、鋭くついている。 
《 私はいつも男であることを嫌悪してきた。男らしさに対するアメリカでの
 全般的な考え方は、憐れむべきもので、一生涯のあいだ寸法の合わない上着
を着ていなければならないことに、似ている。(対照的に、女性らしさとは裸身
を意識する耐えがたい抑圧感ではないかと私は想像している)。「男らしくしろ」
という言い方にしても、侮辱的で、人を罵倒するような感じを受ける。
その意味は、ばかになれ、非情になれ、従順で軍人のようになれ、頭を使うな、
といったことなのである。ーポール・セルー「男神話」エッセイ「男神話」
のなかでセルーがこだわっているのは、アメリカ社会の中で「男らしさ」
の追求がいかに男たちに抑圧的な役割を強いるものであるかという点である。
何しろアメリカの元大統領の例に示されるように、週末の休暇にカウボーイの
格好をしてみせて、常に強い男の演出をしなければ自らの政治生命に支障を
きたす社会なのだ。物を書くという仕事に関しても、男らしい職業と言い難いが
故に、アメリカ作家の多くは自らの「男」を証明するために、大酒飲みである
ことを自慢したり、金銭的成功をめざしたり(富は男らしさの象徴)、ヘミング
ウェイのようにライオン狩りをしたり、といったように、これまで「血のにじむ
ような努力を重ねてきた」のだ。ついにはセルーが「男であることは、特権的で
あるどころか、むしろ無慈悲で懲罰的、重荷である」と嘆くまでに至るを聞けば、
もう他人ごとに思えず、意気消沈する男たちも少なからずいるにちがいない。》
▼ 「男は男らしく、女は女らしく」は疑問の余地がないはずと信じてきた。
 しかし振り返ると、実際に男らしかっただろうか?どうだろう?「男神話」を
信じて、男らしくあろうと必死だった姿が、滑稽で可笑しく、漫画的に思えるは、
熟女?が、よい年をして、「女神話」に乗せられ、高価の化粧品を買って、
必死に化粧台に向かっている滑稽さと同じ。昨日も、ハリウッド映画をみてきたが、
男神話」そのもの。いま問題になっている「現代のベートベン」も、その虚像
を演じた男の終末劇である。そういう私も、「男神話」を信じて疑わなかった一人。 
信じて演じているが、コスプレ? その視点で世の中を見ると、全てコスプレ?
そうみれば、逆にコスプレを楽しんだ方が面白い?「男」をコスプレしてきた?
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4346, 暴力団  ー2
2013年02月08日(金)
           「暴力団 」溝口 敦 (著)
 世界で不法集団が街の真ん中に堂々と事務所を開いているのは日本だけ。
それを一般国民も認めているから最後進国並み。
10数年前になるが、個人経営の居酒屋に営業時間、堂々と組員が営業をする
のだから驚いた。それも暴対法が出来てからは、無くなったようだ。
悪しき民主主義が、こういう人たちの権利も擁護をしていることも事実。
 ーアマゾンのレビュー(感想)にあった次の要約は、分かりやすいー
≪・序盤には、日本の暴力団の概略とその活動内容について書かれています。
 シノギについても、いろんなシノギがそれぞれどういう活動で、どういう
 歴史を持ち、どういう風に行われていて、時勢にはどういう傾向が有るのか、
 どれくらいの収益を上げているのかが、具体的に書かれています。
 また、暴力団だけではなく、隣接する業界(風俗や解体、産廃業界等)が
 どういうふうに関わっているのか(たとえば、ソープやパチンコホール等の
 暴力団へのみかじめ料の基準)などが書かれている。
・中盤では、暴力団員的気質や構成員間の人間関係、刺青の意味・種類や入れる
 動機、アメリカやイタリア、チャイナやタイワンのマフィア、香港の三合会、
 などとの比較を通じて、暴力団とカタギの社会とのかかわりについても言及
 してあります。また、暴対法や暴排条例をはじめ、警察や行政組織、刑事法
 とのかかわり(ウィークポイント)について言及してあります。
・終盤では、従来の暴力団という性格の組織は維持できなくなりつつあること、
 また、それと関連して統制されなくなったアウトロー暴力団にかわる勢力
 (わかりやすく言えばオレオレ詐欺をやっている連中や、海老蔵の事件を
 起こした暴走族上がりのハングレ集団)として台頭の記述があります。≫
≪ 暴力団に会わずにすめば、それがベストだが、会うことになってしまった場合
 の対応などはとても参考になる。ICレコーダーなどの録音機をテーブル に置き、
 「録音させて頂きます」など相手の了解を得る。会っても暴力をふるまわれる
 可能性はほぼゼロ、警察に引張られるので暴力は振るってこないと安心していい。
 相手が脅してきた時は「私たちでは対応できないので警察官に立会って貰います」
 と対応、正面からぶつかることを恐れない、妥協しない相手と思わせること。
 「誰が、どの様な権利と名目を持って、主張しているのか」という点を
 見失わない様に努め、毅然と対応することが重要と。 ≫
▼ 不況の上に暴力団対策法、暴力団排除条例が次々に施行され、
 警察の取り締まりも厳しさを増す中、下っ端の生活は厳しく高齢化が進んでいる。
 台湾の「流氓」は20代前後が中心なのに、日本の広域団体の直系組長クラスは
 高齢化が進み、六代目山口組の「若頭補佐」で40代はゼロ、五代目時代は数名
 いるという。 台湾は若年化、日本は高齢化である。イタリアの「マフィア」は、
 「3名以上で構成され、危害を加える恐れのある者の集団」と人数まで、設定
 されているのに対して、日本の法律では人数などは言及がない。
 「半グレ」は暴力団とも対決できる新集団で、盛り場を変えている。
 暴走族上がりの半グレ集団の関東連合。かつては暴力団員の予備軍だったが、
 半グレは暴力団になろうとはしない。なっても稼げないからだ。
 新潟駅前には、得体の知れない若いグループが屯をし、酔い客や、若い女性に
 声をかけ、店やホステスの勧誘をしている。駅構内の新幹線のコンコースで
 5〜6人が横に並んで声をかけている姿は、もはや司法国家とは思えない。
 警察の動きを携帯で連絡をし合って神出鬼没に姿を現す。逆に4〜5人が
 若い警官二人を無言で取り囲み凄んでいる。荒んだ時代背景がある。
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3971, 閑話小題 
2012年02月08日(水)
  * 携帯とスマートフォン、複数所持7割
 TVの街頭アンケートで、携帯とスマートフォンの複数所持が7割とあった。
私自身、iPhoneのタッチ式の文字が小さくて相性が悪いこともあり、
普通の携帯に逆戻りをした経緯がある。しかし、流れはスマートフォンに雪崩
をうったように切り替わったようだ。街頭インタビューでは、携帯を電話専用に、
スマートフォンをパソコン代わりの情報収集に使い分けているケースが多かった。 
他に、会社用と個人用とか、二台にして使い分けた方がスマートフォン一台より
格安になるとか、色いろな使い分けがあるようだ。 私の場合、iPadを
簡易型パソコンと割り切って、使いこなしているので、携帯に変えたのが逆に
良かったことになる。若者達は、ネットゲームで互いに遊んだり、仲間同士、
ナビを使って現在いる位置を共有したり、テレビ電話をネットで繋げたりして
遊んでいる。 何度も書いているが、iPadで日常生活が変わってしまった。
暇さえあればiPadである。他にも多機能TVも、居間生活を変えた。 
数百の録画か、過去一週間の地上波のゴールデンタイムの面白そうな番組か、
WOWOWの中から選択できる為、面白いものばかり。家内がTVを見ている
時は、パソコンかiPad。横になってiPadで新聞、書籍が見れるのが、
カウチポテト族には有難い。
  * 三丁目の夕陽
 少し前になるが、「三丁目の夕陽」をみてきた。これで3回続けての
シネマ通いになった。こと話題になった映画に関して、外れと後悔したことは
殆どない。 所詮は、すべて夢幻。 現実も、映画も、小説も、全てが虚構。
そう割り切って楽しめばよい。世の流れを、そのまま受け入れればよい。 
ミーちゃん、ハーちゃんを楽しむ。これが家内から学んだこと。それも人生経験
を積んだ後でこそ、その味わいが深くなる。思い込み、先入観が世界を狭くする。 
高度成長期に向かって動き始めた昭和30年代半ばから後半が、時代背景。 
 団塊の世代向けにつくられた映画だが、当時は夢に向かって誰も必死に学び
働いていた、その頃の仄々とした空気が上手く映し出されていた。
そしてバブルと、バブル崩壊、そして右下がりの20年を経て現在に至っている。
暗く淀んだ不景気の中で、明るい未来の予兆が国全体に漂っていた時代を
懐かしむのも何とも複雑。
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3606, 大相撲八百長事件
2011年02月08日(火)
 結局、これも携帯電話から致命的な証拠を残してしまった。
去年7月に野球賭博で力士の携帯電話が押収された時から、一部親方衆から
八百長の記録が表沙汰になるのでは?と危惧されていた。力士は携帯の内容を
消去をしてしまえば大丈夫!と思っていたようだ。 しかし携帯の記録は
専門業者を使えば直ぐに現われてくる。 ここで分かったことは、十両の一勝の
相場が20万円。そして互いの前後の場所の貸し借りで清算されるか、違う力士
との貸し借りにも融通されていたことである。「関取の互助会組織」が暗黙の
うちに出来ていて、大関や、十両などからの陥落の際にやり取りされていた。
勝ち星の貸し借りの噂は私が子供の頃からあった。その辺を暗黙のうちに了承し
見ると千秋楽の取組みは面白く、幕下から幕内の大部分を見てきた。
本来、相撲取りに道徳など求める方がおかしい。それらのイカガワシサを含めた
スポーツ兼芸能世界を楽しむのが好角家であり、目くじらを立てる方がおかしい。 
ここで、何故に警察が野球賭博で携帯電話から得た八百長の決定的証拠を表沙汰
にしたのか? 誰もがエッと思ったはず。そんなに警察も野暮ではないはず。
そこには一部報道されている相撲賭博疑惑があるからでは?暴力団が仕切って
いる賭博組織の摘発のため?と思うのは私だけではない。その前に尻尾切りで、
ウヤムヤになるのか? その辺の筋たてを見ている方が面白い。もう一つ政変の
前には意図的に「目くらまし」の事件を立て国民の目を、逸らす力が働く。
3月政変への御膳とみると、成るほど合点する。 相撲を長年みてきた者として、
過去の関取の大部分は、何らかの形で八百長をしてきていると確信している。
最近、怪我の相撲取りが多いのは、八百長がやり辛くなってきたためともいう。
力自慢の見世物という興行世界なら、暴力団花柳界との出入りがあって当然。
芸者遊びをTVを通し楽しむ世界でしかない。その異質の世界を、一般の常識で
縛ろうという方が不自然。 「相撲取り、関取落ちれば、ただの馬鹿(デブ)」 
チョンマゲをつけ、褌姿で、裸でぶつかりあう神事を割り切って楽しめば良い。
やはり日本的ウヤムヤの延長しかないのか?
 たまたま二年前に、大相撲について書いてあった。
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2866, 大相撲が神事? 
2009年02月08日(日)
 大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが
「大相撲って実のところ何だ」というと、いかに曖昧である。「国技」?
法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権
のネタでしかない。  (字数制限のためカット 2012年2月日)
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3241, 中学同期会にて
2010年02月08日(月)
 中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」
を見ることができる。地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 
サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、家を継いでいる人
が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、
全体的に沈んだ雰囲気である。200年近い老舗を廃業した人が
「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、
語っていた。新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの
輸入品に押され県全体が悪化している。それに従い、高齢化も含めて元気が
無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。
たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、
同じ年代の置かれた状況から見えてくる。
(1)居場所がない(2)社会的役割の喪失(3) 貧困と孤独 
(4)生と死の間のさまよい(5)青春への希求ー自分に青春がなかった
 という疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失(7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)(9)ボケと過敏  
(10)成熟と衰え、その一歩手前というところ? どれもこれも、これから
  誰も直面する問題が羅列されている。還暦を過ぎてから 
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。
  それ以外は、まだだが、いずれじわじわとくるのだろう。  
  人生60、いや70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?で、
  その質が左右する。中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年の
  ように開かれているが、地方だからこそ可能なこと。
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2008年02月08日(金)
 2501, 無くてはならぬもの −8
 おはよ〜(>ω<。)!!
人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。自分の輪郭が
ハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に陥る瞬間が多くなる。これが人生の
秋口の心の風景。 早くいえば基礎教養は足りなかったのである。
俄然と読み始めたのが20歳位だったのが遅かったためだろうか。40年以上は、
一日2〜4時間は読み続けてきた。しかし思春期の読書量が足りなかった。
それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式など
法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や
兄姉から色々な教えを受けてきたし、生き様を見てきて、このレベルである。 
独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない!
ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時
の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。
 P−37 アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ
人が多いだろうと思うが、狭き門という題は聖書の有名な言葉からとったもの。
エスの言葉。「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見いだす者が少ない」(マタイによる福音書七の13−14)
この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味。
私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。
あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って自分の妻にするのであるが、
そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして
悟りをひらこうとするが、どうしても救われないでまた門をあとにして舞い
もどってしまう。諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門
からはいろうとされるだろうか門はたくさんあるようだけれども、他に道は
ないのかもしれない。「求めよ、されば、与えられるであろう。
捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」
(マタイにょる福音書七の七)とまたイエスはいうのであるが、道を求めるという
心を起こすことが先決問題であるだろう。
 P−38 「何事も人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして生きてきたことを告白している。
自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。
それなら、人々に対してもそのことをしてやるべきである。人から親切にして
もらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。
 (字数制限のためカット 2012年2月日)