* 単純ですから・・
 先日、横尾 忠則(著)『その雑念のゴミばこ』の ー単純ですからーを
テーマに書いた影響もあるが、一昨日朝方の夢が面白い。〜その内容とは〜
《 40数年前の金沢シリーズの夢が毎日、続く〜勤務先の売場を歩いていると、
 チーフの二人の女店員の話が聞こえてきた。『堀井さん、彼女が居ない
んだって、絶対に変よ!』と。ムカッとし、『聞こえたぞ!なら変かどうか、
試させろ!』と私。スッと逃げるかと思いきや、『私、単純なの、直ぐ
その気になるの!』という相手は、ツワモノ! しかし、第三者が聞いて
いて拙いと躊躇。チャンス!とするか、危険過ぎるので止めておくか? 》
という潜在脳が作りあげた物語。覚めてみれば? 夢の中でリスクを考え
自制した私も私!古希を過ぎて、こんな夢をみるのも若い? 程度が低い?
 この夢物語は更に複雑?に次のステージに。
《 その数ヶ月後?その女性、彼氏の子を宿し急遽「出来ちゃった婚」で、
退社場面。あの時、勢いで何?なら、私は違った男の子を育ていたと冷や汗 》
 夢に落ちまで付くところが面白いが、夢は夢。潜在意識は、おもろい物語を
創作するもの。当時、これに近いことが日常茶飯事? その一つが夢で再現? 
「君子危うきに近寄らず」だが、せめて夢なら、どうだろう? 落語に
『燗をしているうちに夢が覚め、冷酒で飲んでおけば』と後悔する小話がある。
 昔、大手生命のキャリア某さんと酒を飲んだ時、『保険のオバサンを使う時、
塀の上でギリギリの危ない状態に自分を置かないと、営業成績は上がらない!
特に40歳前後の、あと一花咲かせるか、小母さんで終わるかの女性が一番、
美しい!』という含蓄ある言葉が印象的。確かに若い女性の職場は難しいが、
オバサンは更に難しい!とか。女性職場の男の役割に、じゃれホストの要素?
がある。過半数は一つ間違えると少し危ない状態に身を置くのがコツとか?
 何事も「咽喉過ぎれば熱さ忘れる」だが、極限だからこそ面白さが増す。
峠道、全てが夢幻、夢の跡。ー何ともなやのう うき世は 風波の一葉よー
・・・・・・
4712,閑話小題  ー現代のベートヴェン
2014年02月07日(金)
   * 「現代のベートーベン」のゴーストライターの会見!
 昨日の午後、スポーツジムから帰って居間でお茶飲みTVを見ると、
ゴーストライター・新垣氏の記者会見が始まった。家内は朝から待って
いたようだ。それはTVドラマの一場面のようなシリアスな内容。 
  ーまずは週刊文春 の概要よりー
《 広島生まれの被爆二世で「全聾の作曲家」、佐村河内守氏(50)が、
実際は自分で作曲をしていなかったことがわかった。
 桐朋学園大学作曲専攻で非常勤講師を務める新垣隆氏(43)が取材に応じ、
佐村河内氏のゴーストライターをしていたことを明かした。 氏の代表作
とされる『交響曲第一番HIROSHIMA』や、フィギュアスケートの?橋大輔選手が
ソチ五輪ショートプログラムで使用する曲『ヴァイオリンのためのソナチネ
も、新垣氏が作った楽曲だった。 新垣氏はこう語った。「公表するべきか
逡巡しましたが、事実を明らかにして自分も詫びなければと思い至りました。
このまま事実を伏せ続ければ、五輪という大きな舞台までもが氏の虚構を強化
する材料にされてしまうのではないか、と」
 また、昨年3月に放送されたNHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家』
で、佐村河内氏が東日本大震災の被災地を訪ね、津波で母親を失った少女の
ために『ピアノのためのレクイエム』を作曲する様子を密着取材したが、
この曲も氏の指示で新垣氏が作曲したものだった。番組では、氏は「全聾」
ながらも「絶対音感」を持つ「現代のベートーベン」と紹介された。》
  ーネットで会見の要所を抜粋するとー
・佐村河内氏は聴力を失っているとされているが、「私の感覚では耳が
 聞こえないと感じたことは一度もありません」。「彼とは普通のやり取りを
 していた。(耳が聞こえないというのは)違うのではないかと思います」。
 作曲をする段階でも「私が録音したものを彼が聴いて(その場で)彼が
 それに対しコメントするということもありました」と具体的な例を挙げ
 「耳が聞こえないことを装っていたと思うのか」との問いにも「はい」
 としっかりと答えた。
障害者手帳は「1度だけ見せられたことがある」。その時期は
 「彼が自分が耳が聞こえないんだというスタンスを取った、ゲーム音楽
 発表された後(彼が35歳)あたり」「これからはそういう形で行くという
 話を聞いた記憶はあります」と、その時を境に、外に向けて
 “耳が聞こえない”ということを売りに音楽制作活動をするようになった。
・「最初は私にも耳が悪いことを示していたが、やり取りをしている
 うちに装うこともなくなっていった」。
・「私は佐村河内さんの共犯者です」。「最初に、耳が聞こえないのだと
 言い出した時は戸惑いました。その必要があるのか疑問だった。でも、
 それはこのような環境に立つための方法なんだと了承した。彼は自分の
 キャラクターを作り、世に出した。彼のイメージを作るために、私が協力を
 したということだと思う。私にとってもゴーストとしての役割を果たすため
 には、それ(実は聞こえるという事実)が知られてはならないので、
 なるべくそれがやりやすいような状況を望んでいたのは否めない」
 と自らも「共犯者」として偽りの片棒を担いだことへの思いを語った。
▼ これだけ派手にマスコミを賑わし「現代のベートーベン」と言われた
 「全聾の作曲家」が、ゴーストライターに、記者会見で、暴露される前代
未聞の内容。本当か嘘か、18年間に20曲で700万は、安すぎる。せめて7000万
なら分かるが。其の辺がネックのように思えるが、どうだろう。これは高橋選手
が出場する直前のタイミングを狙ったのは何故?という疑問がたつ。
自作自演の現代のベートベンを演じた佐村河内も、バレなければ、それはそれで?  
これで、オリンピックも、都知事選も、半分は、この方に目が向けられる。 
細川が全聾の作家とすると、ゴーストライターが誰?アメリカのシェール会社
あたり? 彼が勝てば、原子炉全廃に一気に世論が変わる!で、
・・それより、株価の暴落が?
・・・・・
4345, 暴力団  ー1
2013年02月07日(木)
                  「暴力団 」溝口 敦 (著)
 暴力団といえば、ホテル業など狙われやすい。植木鉢や門松の名目で一度、
払えば当然の権利?として付込んでくる。開業当初は執拗に迫ってきたが、
30年間、一度も屈したことは無かった。流しの半グレが客の立場を利用し
タカリってきたが、一度も払わなかった。些細なことでも警察の相談するのが
鉄則。「あそこは警察に直ぐに電話をする」「絶対に払わない」という
情報は、その筋では周知になる。脅された担当は「命が幾つあっても
足らないほどの恐怖」とこぼす。 まずは ーアマゾンの内容紹介ーより
【 島田紳助、衝撃の引退! 人気タレントの社会的生命を閉ざすほど、
 よくスキャンダルになる「暴力団」とは、 そもそも何なのでしょうか?
芸能界だけではなく、あなたの会社や家庭にも秘かに忍び寄っているのかも…
社会の裏にに巣食う「わるいやつら」の正体とは?  [こんな情報が本書で
とてもよくわかります]  ・暴力団はどこにいるのか? 
暴力団リクルート活動とは? ・学歴、年収、出世の条件とは?
・芸能人となぜ親交するのか? ・覚醒剤野球賭博でどのように儲けるのか?
・女はヤクザになれるのか?・なぜヒモが多いのか?・刺青や指詰めのワケは?
・警察との癒着は? ・ヤクザが 恐れる集団とは何か? ・もし出会った
 しまった時の対処法は? 無法な「わるいやつら」にペンで対峙し、
 日本最大の山口組も、暴対の強面警察官も唸らせたノンフィクション作家が、
 「現代極道の基礎知識」を世界一やさしく解説しています。】
   ー要約するとー
≪・暴力団が儲からない商売になっており、絶滅危惧種になっている。
 ・暴力団に代わり、半グレ集団の元暴走族的犯罪集団が勢力を伸ばしている。
 ・暴力団対策法が余り有効ではない一方で、昨年から全都道府県で制定されて
  いる暴力団排除条例は絶大な効力を発揮している。
読むと、いい女を連れて高級車を乗り回すかつてのイメージは完全に払拭される。 
組の若い衆が問題を起こすと組長にまで、警察の手が及ぶ現状の組長は哀れ。
暴力団は斜陽にあり、高齢化が進み、新人のリクルートが進まず、組織が硬直化し
活力を失いつつある。バブルの時は地上げや株式相場で儲けたものもあったが、
今や彼らも風前の灯。失われた20年の直撃をもろに受け、財布は限りなく軽くなり、
派手な生活は出来なくなった。かわって出てきた半ぐれ集団も置かれた状況は同じ。
彼らが持て囃された30年前は遠い過去で、暴走族そのものが全国的に
絶滅危惧種」状態。最近六本木のクラブで起きた金属バットで殴り殺す事件も、
半グレの関東連合が絡んでいたが、特定の被害者をグループで襲うという行為
自体が女々しいと・・ 本書に「政治家は悪い政治家もいれば良い政治家もいる。
警察官にも悪い警察官もいれば良い警察官もいる。しかし暴力団だけは悪い
暴力団だけで、良い暴力団はいません」とある。そこで求められる資質は、
他の職業にも言えるが、空気を読むこと、相手の顔色をうかがい、少しでも
怯んだ様子を見せれば、たちどころに居丈高になり、弱みを突いてくる。≫
▼ ネットで結ばれた緩やかな半グレ集団が、暴力団にとってかわりつつあるが、
 これとて絶滅倶種。現役のころ、こういう 得体の知れない人種が常時
7〜8人は宿泊していた。それを常に刑事が調べ、後をつけたり、職務質問
したりし逮捕する。五年、十年のホテル難民も常時、宿泊していた。
その強請りも暴対法が出来てから激減していった。
・・・・・・・
3970, 大型クルーズ船長のオソマツ!と、私
2012年02月07日(火)
 イタリアの大型クルーズ船長の言動に対して日本のマスコミは、騒がない。
世界の航空会社で最低といえばイタリアとインド。海外ツアーで旅行代理店は
イタリア航空を組みこんだものは少ない。 良くいえばラテン系の大らかさ、
悪く言えば大雑把で好い加減。その結果トラブルが非常に多い。 近隣に
サービスとは無縁のイスラム系の国があるので目立たないが、先進国といわれる
国の中ではルーズさに関しては最悪の国。 5千数百人の乗客の船長が我先に
救命ボートに乗って逃げ出す失態は、国家そのものの恥でもある。 
呆れる以前の問題で、誰も馬鹿馬鹿しく批評すらしないのが笑いを誘う。 
その言い訳が二転三転し、イタリア人らしい。 
  ー ネットのニュースーより
【イタリア中部ジリオ島沖で起きた大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号」
座礁事故で、英BBC放送は18日、伊主要メディアの報道として、過失致死
などの疑い同じルートを通ったことがあるとし「今回は転進を指示するのが遅れた」
と語った。スケッティーノ船長の捜査当局に対する供述調書の内容を伝えた。 
それによると、船長は、乗客を船上に置き去りにして先に船を離れたことを認めた
うえで、自らの意思に反して岸へ運ばれてしまったと供述。 座礁した船の上で
転び、偶然、救命ボートの中に落ちたと主張しているという。 船長はまた、
船を島に接近させすぎたことが事故の原因と認めたうえで、以前にも3、4回、
接近させたと話している。 】
▼ ここで、今回の沈みゆく倒産劇の私が、この船長に重なるところがあった? 
 という思いが出ている。私の場合、何とか二人の年金で生活をしていけるが、
従業員たちは、この時代に生活していくのが至難。 事業を始める時、「始めた
からにはリスクが伴う。全てを失っても後悔はしない」と最悪の想定をしていた
ので割り切りは早い。しかし社員の立場は覚悟が違う上に、生活がかかっている。
生活が確保されている私をみて、あの船長と同じようにみえて当然。そのブザマ
な姿が自分に重なる! これも事業の起承転結の結。リーマンショックからの
売上激減の日々が大変だったので、この厳しさには平然としていられるが、
夜半に独り、あれこれ考えると凍りつく思いがする。これも覚悟の上で始めた
こと。45年の総括は2ヶ月後に行うが、創業準備の15年間の方が、
この事業の30年の数倍の厳しさとエネルギーを要した。準備を十分にして、
時流の風に乗せてしまえば、あとは自動的に流れていく。準備期15年の満足度
80点、30年スパンは60点、45年間で均して70点。最悪の結果としても。
惨劇を身近で多く見てきて、電光石火で終えたのは、不幸中の幸。 
全ての人の人生は本来、無様・・・ 私も、その一人と思えば気持ちが楽。
あの船長、天国から地獄。マフィアからも狙われる!
・・・・・・
3605, 大行進〜中国“小皇帝
 2011年02月07日(月)
 BShi で2月5日(土)午後8:00の
「大行進〜中国“小皇帝”たちの孤独〜」が濃い内容。〜まずは、紹介文から
≪ 急激な経済発展で増加した中国の新富裕層。たった一人の子どもが大事に
 され、何不自由ない環境とモノや金が与えられる。“小皇帝”と呼ばれるその
子たちの中には、親に暴力を振るうなど、問題行動を起こす子どもたちが増加。
そんな手に負えない「悪童」らを更生させようという、型破りな民間学校が
10年前に開校した。名物授業は2週間以上も歩き続ける400キロの「大行進」。
10tトラックで寝起きして毎日およそ8時間、平均40キロを歩き、精神的な
達成感と自信をつけさせること、そして農村にホームステイさせてもらい、
社会体験を積むことが目的だ。番組では大行進する子どもたちに密着。
家庭の問題や将来への不安など、彼らの本音に耳を傾け、歩き続ける中で
自分を見つめ、成長し、あるいは葛藤する姿を追う。≫
▼ 深く考えさせられる内容。日本で似ているのが「戸塚ヨットスクール」。
 これほど厳しくはない。ここで収容されている何人かの小皇帝を通して、
それぞれの親子関係と本人の抱えている問題が浮き出てくる。
何らかの問題は家族の中にある。 集団生活の中で、日記を書くことや、
掃除、互いへの思いやりが出来ていくプロセスを淡々と映し出されている。 
家庭生活を通して父親、母親、そして兄弟から多くを学んで育っていくが、
両親が共働きで一人っ子にはモデルがない。その結果、親も子供も戸惑う。
10歳までの教育、躾で人生は大方決まってしまう。それを10代後半に修正
するのは並大抵ではない。 考えてみたら大人数の家族の中で色々の葛藤と、
教えがあった。身近に、色々な人生を見るのは刺激が非常に強い。
ある意味では、この訓練校の中のようである。中国の一人っ子政策の歪みは
マクロ的にも必ず出てくる。「流砂の民」の傾向が強くなり、エゴ丸出し
国家の要員になる。 日本人の無気力より良いか?
・・・・・・・
3240, 一日、一回でよい
2010年02月07日(日)
「一日、一回でよい!」が、一ヶ月間の諺の‘日捲り’にあった。ツイッター
を始めようかどうか迷っていた時、「まず一日一回書き込むことから始めた」
という勝間和代の言葉に触発され、まず一ヶ月間続けてみようと実施してみた。 
成るほど続けていて「広い異世界を垣間見る面白さ」に気づかされた。 
一日には、朝、昼、晩、夜半と一つのリズムがある。これに沿って一つずつの
習慣を積み上げ、第二の天性を作りあげることでプラスの変化をもたらすことが
可能になる。ウォーキング、随想日記、起床直後の仏前の祈り、新幹線車中の
読書など、一日単位の習慣の重なりがある。その一日単位の習慣の組合わせが、
その人そのものとなる。さらに週一度の習慣、そして、月、年に一度の習慣を
付け加えていく。特に朝晩にベストの習慣を身につけることがポイント。
洗面、トイレ、風呂、三度の食事も、子供の頃から習慣付けられてきたもの。
 秀才とは、予習、復習の習慣のある人。天才とは得意を遊びにした人。 
一日千回、せめて百回「ありがとう」を繰り返すとか、般若心経を唱えるとか、
考え方の意図的なカタチつくりも必要である。『まずは一日、一回の厳守から』
習慣づくりは始る。しかし、これがなかなか難しい! 年に、月に、週に一度
といえば、色いろある。それを自分の絶対言明にして、その実行をしていくこと
が自分つくりということだ。この随想日記も、出始めは同じだった。 
あと一年三ヶ月で十年になる。
 ーたまたま去年の同日に、同じようなことを書いてきた。
・・・・・・・・・
2865, 一つのことに一万時間没頭
2009年02月07日(土)
 昨日の日経で、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が
全面を使った広告で「今、若者たちへ」という次世代に贈るメッセージを
語っていた。その中に「一つのことに一万時間没頭しよう リベラルアーツ修め、
『志』を打ち立てよ」がよい。 ーそれを要約すると
・若者は「とんがる」のが20代の仕事! 
 自分の能力の限界に本気に挑戦する数年を過ごすべき。
・そのために何か一つのことに一万時間を費やすべきだという
 『一万時間説』を唱える。
・そうするとヒトカドの人物になれる。プロとして認められれば同じような
 集まりである『鉱脈クラブ』に入会できる。
・大事なことは、一万時間も費やして獲得した人脈、知識、スキルを
 その後人生にどう生かすかである。 
・そこで求められるのが「志」、30代に志磨きをすることが必要となる。
 志を磨くには、まず、自分が何のために生まれてきたか、社会のために
 何をなすべきかという『自己認識』が必要。
・そこでは、国際社会で通用する高い教養が必要になる。 
 その第一歩が自国の日本のことを深く知ることである。人間性を磨く、
 要は教養を深め、専門性を磨き、人を説得する努力が求められるということ。
 −−
 これは決して若者だけではない。我われにも当てはまることだ。
一万時間という言葉で気づいたことは、この随想日記、8年弱続けてきたが、
8年×365日×3時間=8760時間で、あと二年で一万時間になる。なるほど、
と自分で納得している。あくまでアマチュアだが、一日も欠かさず続けた効果は
絶大であった。 あと2年で10年が大きな節目である。書き続けることの深さを
体感できたのが最大の収穫である。塵も積もれば山である。20人位の人が
見続けていたようだが、いや30人か? その人たちとは、ここでいう鉱脈
クラブでつながっているのだろう。8年間で自分が大きく変化してしまった。 
 ー効果の一部を思いのまま書いてみると 
・一番の収穫は、書くことが面白くなったことだ。 
・それと自分に自信が持てるようになったこと。 
・自分の限界がはっきりと見えるようになったこと。
・プロのモノ書きの凄みが見えるようになったこと。 
・本の速読が飛躍的についたこと。 
・ものごとの本質の把握力がついたこと。などなど、あげると限がない。
 もっと分かりやすくいうと、以上の文章を三十分で書けるようになった
 ことである。 で、どうした?どうもしないが!定年後に何をすべきか? 
 これまで出来なかった何かを見つけて一日十時間、三年間集中してみたら!
 群れてないで。
・・・・・・・・・
2008年02月07日(木)
2500, 県民所得格差
 ある新聞社のHPの記事から、地域格差の問題を考えてみよう。
 −−
 地域間の所得格差を計る代表的な指標は、人口1人当たりの県民所得。
この県民所得は個人所得の他、法人所得も含まれており、個人の所得水準と
いうより地域全体の経済力を示している。2005年の上位1〜5位は、東京都、
愛知県、静岡県滋賀県、神奈川県の順である。上位5県の平均は、362万円。
事業所が集中しており、昼間人口の割に夜間人口がない東京都は478万円とやや
特別な高さとなっている。下位1〜5位は、沖縄県高知県青森県、宮崎県、
長崎県と南北の遠地で構成されている。下位5県の平均は215万7千円であり、
上位5県の平均はこれの1.68倍となっている。 高所得5県と低所得5県間の
所得格差は1961年の2.32倍から高度成長の時期における工場の地方分散などに
より1975年の1.58倍へと縮小した。 その後、地域間格差はほぼ横ばいの
状況となったが、1980年代後半のバブル経済の時期にはやや格差が拡大した。
その後の景気低迷の中で、景気対策としての地方への公共事業の重点配分など
の結果、さらに地域間格差は低下し、2001年には1.55倍と過去最低となった。
 ところが、その過程で、公共事業抑制、行財政改革地方分権改革など、
「改革なくして成長なし」を合い言葉とした改革路線が本格化し、それに
伴って、地域間格差も4年連続上昇し、2005年には1.68倍へと上昇している。
それでも高度成長期以前の地域間格差と比べるとなお格差のレベルは低く、
諸外国と比べても地域間格差の水準は低くなっている。
ーー
以上だが、数年前に長岡は東京のの6割、新潟は7割の所得と聞いていた。
しかし、2005年度で、新潟県平均で6割というから、中越地震と、中越沖地震
影響で5〜10?は落ちたので50?を割った水準だろう。物価とか、家賃とか
他に諸々を考えると20~30?は低いので、都会との生活水準は八割位であろう
とは、感じてはいた。去年、静岡県島田市に学生時代の友人のところに遊びに
行った。彼はトヨタ系の自動車部品メーカーの下請けの社長だが、静岡県
案内してもらっているうちに、新潟県との空気の違いを感じ取った。
車は中型車の新車が目に付き、家は新しい上に、道路や公園が整理されている。
ここはアメリカ?という感覚になってしまった。角栄が政治的に健在だった時の
新潟県の豊かさを見ているような・・。
   (字数制限のためカット 2011年2月7日)