『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
 この本は立花隆の読書案内書で、06年12月から13年3月までに300冊の書評。
著者・書評シリーズの4冊目だが、どれも読みごたえがある。ここでは娯楽本や、
フィクションを排除してある。冒頭は、東大付属図書館の副館長・石田英敬の対談だが、
図書館の未来像が面白い。知的好奇心の追求としての読書の役割、紙の書籍の役割が
衰えない可能性を述べていたが、現在の世界が大きな変化の時代の最中、「知」を
また考えさせられる。ネット書評で、この対談を纏めた内容があった。
 −その辺りを抜粋ー
≪ 東大図書館のハイブリッド化が進んで、蔵書のデジタル化が進み,図書館は紙の本と
 電子本併存のシステムになっていく。そして図書館のディジタル化が急速に進めば、
図書館という本の入れ物は不要になる。 家にいて東大図書館にアクセスして本を検索、
パソコンで読めるようになる。東大図書館の特別室には森鴎外の蔵書もあり、それには
鴎外の書き込みもある。ディジタル化は書き込みにも及び、これは鴎外研究者に便利。
しかし、ディジタル化した鴎外蔵書は紙の本と比べて情報量の点でどうだろうか。
鴎外の手に触れた紙の本とパソコンで見るそれとは全然違う。前者は鴎外の息吹が
感じられるが、後者にはない。これは大きな差。電子本は「深読み」には不利になる。
パソコンはマルチタスクを同時にやるが、これに慣れていると電子本を読んでいるときにも
メイルが入ってきたりして中々集中できない。ネットのもたらす注意力の分散化は深刻な
問題。確かにネットが広く、かつ深く行き届けば大学も存在価値をなくすかも知れません。
研究者は専門誌をネットで読むし、パソコンで記事のギャザリングができるし、必要な
情報もピンポイントで手に入れられる。また「今週の新しい知識はこれ」とパソコンが
教えてくれる。これで真の学問はできるか、疑問がある。立花隆は紙の本の方が汚しながら
読めるから、使い勝手がいいと言う。電子本も電子的に汚しながら読めるように直ぐ
なるだろうが、汚し方がデジと紙では決定的に違います。紙では消したり、
戻したりなどして,思考の過程が再現できるし、その過程で本を自分化できる。
デジ本では中々こうはいかない。 ヨーロッパ中世の頃、ヴィクトル・ユゴー
印刷されたばかりの本を手にし、ついでノートルダム大聖堂を指さし、コレがアレを
殺すだろう、とつぶやいた(25頁)。キリスト教の支配する中世はグーテンベルグ
確かに終わった。同様にデジタル書籍は印刷本を殺すのだろうか。≫
▼ 二人の対話では、紙とデジタルが、併用していくと述べている。
 私自身、朝日新聞をデジタルとアナログ(紙面)を両用している。要はコスト。
・・・・・・
4655, 閑話小題 ーゴミ箱周辺で蠢く人々
2013年12月14日(土)
   * ゴミ箱のネズミとカラス
 言い得て妙の例え話に、「銀行をゴミ箱、行員をネズミ、借主をカラス」がある。とすると、
さしずめ金がゴミか。私の知人に、地元銀行から持込まれる飲食ビルを中心に不動産を融資付き?
で買いまくっている男がいる。B/Sの左右を脹らましているだけだが、本人も、周辺は、それが
分からない?「不動産を半値八掛にして、借入を差引いて何ぼ、で計算すれば、マイナスか、
せいぜい数億?だが、数百億の資産家気分。自他ともに資産と借入が膨らんだ現象しか
見えなくなるのがバブル。20年数年前のバブル期の自分に重なり、脂汗が出る。長期投資の
恐ろしさが分からない。当人、色?いろ、行き詰まっているというから、「哲学書を読んだら!」
と勧め、本人も入門書を買ったようだが・・「現時点での飲食ビルの買いは、大津波を前にした
海岸近くの料亭での大臣遊び」と、まさか面前では言えない。ミニバブルはカラスとネズミが
太るというが。現在は大津波の一波の引きの中、恐慌も、この程度と、水に浸かった物件を
買いに入り、B/Sの左右を膨らませている姿が見えてない。アベノミクスの首相と副首相は
歴史に残るトンデモ人物。今や国会も、こういう人達の貴族院に化している。現時点は
世界恐慌が本格的うねりの現象が出始めた1932年辺りに酷似。本格的恐慌は、これからが本番。
そして第二次世界大戦に入った。その時節に「東京オリンピック」の誘致をし、問題から
目を背け興奮している現実に、批判の声が聞こえてこない。2020年のオリンピックの立候補、
最悪の経済状態のグループの日本、スペイン、トルコが、最後まで選考に残ったのは、
先進国?が最悪の事態を予測し、尻込みしているため。 で、ネズミとカラスがゴミさらい。
私も最近まで、そのカラス!・・ 戯言かどうかの判断基準は、「世界恐慌が既に起こっている」
と見るかみないか。
・・・・・・
4290, 学ぶということ −4
2012年12月14日(金)  「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹
  * 自殺は平和の時代に上昇するというが・・
 まず人生で学ばなければならないのは死である。自殺を欧米では昔から禁じている。
これは、奴隷の自殺を阻止するためにつくられた価値観。奴隷の最後の自由は「苦しい生」
からの逃避である。自殺は基本的に容認するか、しないかは哲学的にみても非常に難しい問題。
平和の時代に自殺率が上昇するから脆弱病と切ってすてることはできない。
  ー まずは、その辺から・・
≪ 自殺は過去100年間の統計で見ると、一番高い年がなんと1958年なんですよ。
 その年は{ゴールデンイヤー・オブ・ジャパン」なんですけれど、その年が一番高いのです。 
自殺率に関しては、世界中のすべての国に該当する法則があります。それは、戦争している
ときには下がるということです。人間というのは、人を殺すことに忙しいときは自分は殺さない。
だから、戦争中はどの国も自殺率が激減するんです。戦争が始まると、自殺者と精神疾患者数が
激減する。戦争中は精神科の待合室にも閑古鳥が鳴いている。相当に悪い人でも戦争が始まると
治るみたいです。日本の場合、自殺率は1958年に突出して高い。それから下がって、次に1967年
に上がる。その後、小さい上下の波が何度かあり、バブル崩壊直後にまた自殺率がドンと下がる。 
そしてまた上がって現在に至る。なんか不思議な話ですが、自殺率が戦時には下がるということは、
平和な時代になると人々は自殺するようになる、ということなんですね。その理屈でいうと、
1958年、撲たち1950年代生まれの子どもたちにとっての黄金時代で古き良き時代に自殺がビークを
打ったというのは、それが1931年から始まる長い戦争と、戦後の混乱も朝鮮戦争も一段落して、
「ほっとした」年だったからなんですね、ようやく生活も楽になり、だんだんゆかになっていく
実感があり、冷蔵庫もテレビも買えそうだし、中にはクーラーや自家車を持っている時代。≫
▼ 戦時中には、自殺と精神疾患は激減するのは当然といえば当然のこと。養殖の魚の囲いに
 食肉魚を入れると、全体の魚の活きが良くなるのと同じこと。生き死にの世界で自分から
死ぬ人は少なくなる。10数年前から自殺が急増したのは、抗ウツ剤という名目のドラッグを
投与するようになったため。それを境に1・5倍とは、異常である。抗ウツ剤を投与し、死にたい
奴はサッサと死ねと同じである。 時代が恵まれた時代に人は死にたくなるのは、北欧の自殺率
も高いのと似ている現象。人間は多かれ少なかれ、緩慢な自殺をしているといえる。最近、
高校の同級生が不況の煽り?で自殺をした。そこで感じたのは、「彼は耐えられなかったのだ!
誰も好き勝手に自殺をしない、死にたくなるほど苦しいから死んだ。自殺は人生の敗北でない。」と。
現状から逃避したい気持が、生からの逃避の自殺に繋がる。 それに耐えるには、逆に死を直視し、
「正、中心、一点、無」の正を「生」に置き換え、「生、中心、一点、無」に置き換え、
呟くしか、ない。この言葉から、「生を凝視すると、私という存在は、宇宙に浮かぶ一点」という
こと。 彼の死をみて、「自殺を容認するしかない!」に気持ちが移りつつある。55歳が目安!
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3915, 閑話小題
2011年12月14日(水)
   * 夢の中で夢に気づく
  数日前、夢の中で、「これが現実のはずはない、これは夢だ」と確信したと同時に、
 その場面がス〜ッと消えて白くなった。これまで、これに近いことがあったが、夢の中で、
リアルに夢と確信したことは殆どなかった! その翌日に、似たような夢を見た。
夢から醒めた直後に再び、その夢に戻って、その場面を見つめている夢である。夢から醒めた後に
同じ場面に戻れるか試したのである。そういえば最近、幾重にも重なった夢をみる。ほんらい
人の心は複雑怪奇なもの。潜在意識は生物の進化過程の、それぞれの記憶が織り込まれている。
夢は、その潜在意識が現れ出て、それを見せてくれる。それも物語の形式で。
  * 脳卒中
 冬は老人にとって、脳卒中になりやすい時節。昨日のモーニングショーが脳卒中の話題を
取り上げていた。脳卒中脳梗塞と脳溢血とクモ膜下出血の違いについて述べていた。
◎ 脳卒中は、脳梗塞と脳溢血とくもマッカ出血などの総称 
◎ 脳梗塞 = 脳の血管が何らかの原因(塞栓、血栓、出血など)で血管が閉塞したり、
      狭窄することによって、その血管から栄養される領域の脳室・脳幹が虚血を起こし、
      壊死または壊死しかけている状態のこと。
◎ 脳出血 = 脳内出血と、くも膜下出血に大きく分けられます。
 ・脳内出血ー 脳の内部で細かく枝分かれしている動脈が破れて出血し、
  脳の中に血のかたまり(血腫)ができること。
 ・くも膜下出血ー 脳の表面を覆っている軟膜とその外側のくも膜の間に出血した状態。
  対策として、風呂とか、トイレに入った時などの温度差に気をつけること、前兆の
  身体の不調を見逃さないこと、そして万一、それらしき事態になったときは三時間が
  目安、速やかに救急車を呼ぶこと、などである。数ヶ月前に幼な馴染みも急死したが、
  私の年齢になったら充分、気をつけなければならない病である。
 ・・・・・・・
3550, 木鶏クラブ ー レジメ
2010年12月14日(火)
 先週の土曜日に頼まれたミニ講演(レクチャー)のレジメである。
地元では教養人?で通っている人たちの前で話すからには、通り一遍等の内容では
何も残らない。意外と渦中で殆どの人が気づかない、ネット社会到来の意味=価値を
中心にすれば酒の肴にとレジメを作った。
 ■ 結論からー現在の世界恐慌?は
  ・20万前に人類が道具を使用を始めて以来の革命的道具=ネット、デジタルと、
  ・200万年に人類が言葉を使い出して以来の情報手段の革命的ツールがもたらした、
   現象の一つでしかない。このネット社会の当来は、人類にとって大変革をもたらす。
   ところが、識者の多くは、そのことを、あまり語らない。
   裸の王様ではないが、誰が声高に言うかどうかである。
1、時代は、どのようになっているか
  ・現在はネットデジタルがもたらしている、200万年、20万年、1万年に一度の
   人類にとっての革命期
  ・この恐慌は経済的に見て、500年、250年、100年に一度の大変動の序曲
   これも情報化社会の到来の一現象。  ネット化、デジタル機器の飛躍的進歩などに
   よる電脳化は、人類が言語を持って脳の進化を始めて以来の革命的出来事。
  ・宇宙からの視点で、地球外から逆照射した理論が注目されてきた。 
   環境破壊の問題も含め
2、HPとブログに没頭した10年
   毎日、一テーマの文章作成の義務づけ
   そこで得たことは 起承転結脳、物語化の習慣づけ 論理脳
3、哲学が面白い
  この10年間、初心者向けの哲学書に徹して読んできた。特にカントに
  焦点を合わせて・・ 哲学はギリシャ哲学から始まりカントに納まり、
  そのカントから流れ出て現在に至っている。
4、秘境・異郷旅行について
  47回の旅行からえたもの アフリカ、南米、etc
   〜〜
 何か気楽に引き受けたが、軽すぎるのも、重いのも何である。地元では一応、識者?
で通っている人前で何を?と。そこで、「このネット社会の到来は、実は20万、
200万年に一度の大発明で、人類にとって大断層を起こすほどになる」という内容に
することにした。聞いている方は、何かキョトンとしていたようだ。梅田望夫ではないが、
この10年間で、現実社会の他にネット社会が、いま一つ出来てしまった。
そして、それが現実社会の上に覆うようになった。これが尖閣列島のビデオ漏洩問題とか、
アメリカ政府の秘密漏洩事件につながる。抑えようがないのが現実である。 
・・・・・・・
3175,学習性無力感
 2009年12月14日(月)
[私はいつも仕事でミスばかりしている」[自分が就職する企業は、何処も良くない」
「どうせ自分は何をしてもダメだ」「旅行に出ると、嫌のことばかりつづく」
「女性には持てたことがない」「あ〜あ、面白くない」とマイナーなことばかり
目に捉われる人がいる。そういう心理傾向を[抑うつ的自己意識スタイル」という。
悲観主義者である。誰も失敗したり、何をしても駄目な時期がある。そして自己嫌悪に陥り、
欝症になり、それが重くなると、鬱病になる。そして、マイナーな言葉により、何も
ヤル気がなくなる。それを[学習性無力感」の法則という。その底から、這い上がる
過程で自分を作り、そこで力がつく。 アメリカの心理学者の実験がある。
≪ 第一のグループには騒音を止めることが可能で、第二のグループにはコントロール不可能な
 状況に置き、その後、全員を騒音を止めることが可能な状況に置いたところ、第一のグループは
簡単に騒音を止めることができたが、第二のグループは、「学習性無力感」が働いたのか、誰も
騒音を止めようとせず、その状況に耐え続けることしか出来なかったというのである。≫
 一番の問題は≪どうせ自分なんか≫という考えが習慣になると、ろくなことがないということ。
これに対して成功体験が人間をプラスを重複して導き出すのである。これが世の中に出回っている
「成功本」の共通点。この「学習性無力感」をもじれば、「学習性達成感」ということになる。
大相撲やプロ野球で、優勝回数の多い力士や選手は、ますますヤル気が出て練習に熱が入る。 
優勝というゴールセッテングが体験でハッキリイメージできるからである。
逆に、失敗時のイメージを持つと、負け犬になってしまう。「学習性無力感」が付いている。
 恐ろしいのは、この20年近く日本は、バブルの崩壊以来、どうも学習性無力感が国に、ついて
しまったことだ。現在の若者の間で、「一度で良いから景気の良い社会を経験してみたい」という
願望があるという。景気がよく、努力をすれば報われる実例が周りにあれば、自分も!
と啓発されるのだろうが・・・
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2810, 禁断の市場
2008年12月14日(日)
 「禁断の市場 ーフラクタルでみるリスクとリターン」ベノワ・B・マンデルブロ (著)
この本の「内容紹介」と『禁断の金融10ヵ条」が、簡潔に纏めてある概要である。
それぞれのページは、あまりに難しいので、この部分をジックリと理解することで良しとした。
 これもフラクタル理論の応用?
ー内容紹介ー
フラクタル」という言葉、あるいは本書の著者である「マンデルブロ」については、
どこかで聞き覚えがあると思います。フラクタルとは、全体を一定の割合で縮小すると
部分が再現できることを指します(部分と全体の自己相似)。1970年代にマンデルブロにより
命名され体系化された概念です(本書167頁)。自然現象との幅広い関わりが研究され、
統計物理学、宇宙論、気象学、水文学、地形学、解剖学、分類学、神経学、言語学、情報技術、
コンピュータグラフィックスなどの分野にさまざまな影響を及ぼしています。 
 インターネットで「フラクタル」あるいは「マンデルブロ集合」を検索していただければ、
どこかで見たような図を多数見ることができます。雲や山脈などの風景を描いた、「写真」
のような図もありますが、コンピュータが計算して描いたグラフィックスです(196、324頁)。
マンデルブロ以前には、自然の世界において「雲は丸くないし、山は円錐ではないし、
海岸線は滑らかではない」ことを数学的に説明することは不可能でした。それを明らかに
したのが、1982年に刊行された『フラクタル幾何学』(翻訳は1985年)です。
その功績は「私たちが自然を見る目を変えてくれた」と称えられ、1993年には物理学の世界で
権威あるウォルフ賞を受賞している。また2003年には日本国際賞を受賞しています。 
本書は、その考え方を金融市場に応用したものです。マンデルブロにとっては、1960年代から
続けてきた研究ですが、一般書の形で発表されるのは本書が初めてです。
マンデルブロの研究は、所得の分布と綿花価格の変位の分布、乱流状態にある流体エネルギー
散逸量の変動と金融市場におけるボラティリティの変動の類似性など、グラフを見比べて
「似ている」と感じた直感に基づいて研究が発展したそうです。
本書では、「自然現象のフラクタルと経済現象のフラクタル」は同一のものであり、
このフラクタル幾何学を金融市場に適用することによって「ランダムウォーク理論からは
予想できないバブルの発生と崩壊」が理解できるようになるというマンデルブロの考え方が
示されています。金融工学の基礎となっているのは、コインを投げて、表が出たら相場が上がり、
裏が出たら下がるという最も単純な「マイルド型」のランダムさの変動をモデル化した概念です。
実際の市場は理不尽な動きをする「ワイルド型」のランダムさに基づいて動いている。
市場の動きを説明しモデル化できるのは「洪水」や「大気の乱流」などを説明できる
「マルチフラクタル・モデル」であるとマンデルブロは主張します。2008年1月のダボス会議
ライス国務長官は、サブプライムに揺れる世界経済について「われわれは今、タービュランス
(乱気流)のなかにいる」と発言し、話題になりました。
ーー
 それにしては、内容が難しい。そこで、一番の要点の12章の「禁断の金融10ヶ条」から、
「サブプラム・ローン入りの債権」で大損をした無数の人を対象に、これを当てはめると、
この意味が解るから面白い。 私も証券会社の人を近づけていたら、毒入り債権を買っていた
可能性があるからだ。「だろう」と、結果としての「〜になった」は、違うのである。
 *禁断の金融10ヶ条     
*市場価格とは乱高下するものである。 
*市場とは、きわめてリスクの高いものである
 ー既存の金融理論ではけっして起こるはずのないリスクが現実に起こる
*市場のタイミングはきわめて重要である。 巨額の利益と損失は短期間に集中して起こる
*価格はしばし不連続にジャンプする。そして、それがリスクを高くする。
*市場での時間は、人によって進み方が違う
*いつでもどこでも市場は同じように振る舞う
*市場は本来不確実であり、バブルは避けることがでぎない
*市場は人をだます
*脳の予想は無理と思え。しかし、ボラティリティなら予測可能だ (*価格変動率)
*市場における価値は限定された価値である
 −−−
何か大損をしたと想定して、これを読むと、一言一言が実感として解る。
間違っても、証券会社の言いなりになってはならないということである。
・・・・・・・・・
2007年12月14日(金)
2445, ルサンチマン           (Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
 初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、その鋭い指摘に
驚かされてしまった。弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用したのがキリスト教の基本か?と。
昨年の9月の読書日記に一部書いたが、更に掘り下げて考えてみる。
 まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。{ もともと恨みや憎しみが心の中に
こもって鬱屈した状態をいう言葉だが、ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く
平等主義的な道徳の起源を説明するために用いた。彼によればキリスト教道徳や,そこから
生まれた近代市民社会ヒューマニズムや人権の思想は,弱者の強者に対する恨みや復讐心を
道徳として表した奴隷の道徳なのである。この延長上にある社会主義の思想も,このような
奴隷道徳の一部に他ならないと考えられる。ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な
誇りや勇気を讃える戦士の道徳,君主の道徳を対置した(ニーチェ道徳の系譜』)。
これは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
 ーー 
あるブログの中では、
ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の力関係にあると言う。
強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服したとしよう。勝者は敗者の財宝や
婦女を奪い去っていく。残された人々は、相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、
悲惨な目に会わせた相手を悪の権化として呪うだろう。それに比べ、罪なき自分たちは善。
「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には優位に立って、
相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
(字数制限のためカット 2011年12月14日)