『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺 時夫 (著)
    * あるレビューより
  ーまずは、アマゾンのレビューを要約するとー
≪ 日本のガン治療の疑問を述べている。著者はあくまでも高度の進行がんにおいては手術・抗がん剤
 治療、免疫療法をするのではなく痛み・苦しみを和らげながら静かに看取る方を良しとしている。
タイトルの「何を後悔するのか」はまさしく「効果の無い、苦痛を伴う無駄なガン治療は後悔をする」
に他ならない。著者も57歳のときに喉頭がんを経験。妻が劇症の白血病を発症すると休職して介護に専念。
気力体力の限界まで精魂を傾けられたことは大きな心のやすらぎである一方、死の直前、呼吸困難で
苦しませ、穏やかに逝かせてやれなかったことへの悔恨にさいなまれていた。どの言葉のひとつひとつが
説得力に満ちていて、実践的な「死に方準備ケーススタディ集」でもある。
・がんは大急ぎで治療する必要がないのです
・死は生の延長上の遠い淵にあるのではない。人は“死にまとわれながら”生きている不安定な存在
・死に直面すると、金、権力、名誉のある人の方が、不安、怒り、落ち込みが強い
 それまで力のあったものが、死には全く役立たなくなるから
・生前に本当によく尽くし合っていなければ死ぬときによい介護を受けられない
 死ぬときに奥さんのいじめが気にかかる人は、恥を忍んで奥さんに詫びるか、
 今からでも懸命に尽くす姿を見せるなどの対策を講じておくのが安全
・唯一確実なボケ予防策は「高齢になっても女性に関心を持ち続け、行動すること」
・死ぬ時に至って自分の生き方を他人と比較するのは全く無意味
・高齢になってもよく歩いている人ほど「コロリ死」が多い
ホスピスの入院患者で、何かに没頭して楽しめる人はとても幸せな人
・死を迎える部屋は個室がお勧め
・「鎮静(麻酔などで苦痛を抑え入眠状態にする。続けると数日で死に至る)」は、早めに医師に
 願っておく。それもひとつの死生観。死の準備は本来、病状に応じたオーダーメードであるべき
・日本は多くの人が「自分の望まない死に方」をしている国
・孤独感が原因の激痛がある
・「低カロリー、低たんぱく質」でゆるやかに最期へ向かう… ≫
▼ この要約を読み返すたび、どれもこれも更に深く心に染みる。 近い将来、恐ろしい現実が
 間違いなく待っている。恐ろしいが、覚悟はしてないと。心の拠りどころは、50歳代の10年間で、
30年分を圧縮し過ごしたこと。さらに、このブログに行蔵や、思いや、青春時代の日記などを書き
残したことが心強い。この奇跡のような私の生。ビッグバン以来、ここまで続いている、この「私」
という存在。それを満足し生きてきただけでも、充分に元を取れた感がする。この文章を書いていて
気づいたことが、後悔の逆は、感謝、感激、感動、満足、ということ。
老いの『俺たちに明日はない』の日々を楽しめるかどうか、だが。
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4640, 閑話小題 〜都知事の狼狽
2013年11月29日(金)
   * 「徳洲会」資金提供問題で、都知事の狼狽
 ーまずネット記事よりー《 猪瀬直樹知事が大手医療法人「徳洲会」から5,000万円を受け取っていた問題で、
猪瀬知事は、会見でも、個人的な借金だとする点を強調している。さらに現金受け取りの前の和食店での面会に
ついても明かした。猪瀬知事は「借用証 徳田 毅殿 (去年)11月20日5千万円也、僕の住所とサインです」
(その借用書は最近作ったものでは?)の質問に「それは誤解。これは、間違いなく原本」と述べた。》 
 この一連の会見の内容からして、明らかに逮捕に準じる資金提供。検察も逮捕をするしかない?だろう。
政治家としての叩き上げではないため、副都知事の場合と違ったトップの立場の身の処し方が出来なかった。
マスコミ上がりの正直さが、そのまま表立ってかシドロモドロ。言い訳するほど、自分の立場を悪くする。
政治世界は一寸先は闇。 これで逃げ切ることは難しい! 2020年まで安泰と思っていただろうに。
それとも、石原慎太郎の知恵で難局を何とか乗りるか? 
   * ストーブリーグが面白い
 落合の中日のGMの就任で、ストーブリーグが俄然、面白くなってきた。巨人の小笠原が中日に、逆に
中日の井端が巨人に移籍。他に、広島からFA宣言した大竹寛投手(30)が、巨人への移籍を表明した。
更に、有力選手2〜3人が移籍してくるだろうから、これで来年の巨人の独走がみえてきた。その巨人を、
他球団が叩き潰し、原監督を引きずり物語が面白くなりそうだ。 ーネットの記事からー
《 落合GMは井端は「戦力外の選手には金額提示はしない」と、来季の構想外ではなかったことを強調。
そのうえで「彼に対してはそれなりのものを例年払ってきた。故障でメスも入れたし、億以上を出すリスクを
球団が背負えるか、という判断」と、年俸大幅ダウンの提示を説明した。球団は井端に対し、野球協約
定める年俸の減額制限を大幅に上回る今季年俸1億9000万円から1億6000万円減の3000万円を
提示したとみられる。
▼ 小笠原が3000万、井端は4500万と大幅ダウンという。厳しいものだが、それでも井端の方が、お買い得? 
 原監督は、優勝をしていれば今期で辞め時だった。早く言えば飽きてしまった!ということ。 江川監督、
ヘッド兼任のバッテリーコーチに桑田、GMに野村元監督あたりが面白そうだが! 更に「巨人は27日、
西武から国内FAを宣言した片岡治大内野手(30)と都内のホテルで初交渉」というニュースで報じていた。
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4275, この非常事態に、万一の備えがあるの? −4
2012年11月29日(木)
   * 長岡冬景色 ーある同級生の死
 昨日の朝、高校の同級生から電話が入った。20年以上、毎年開かれていた同級会のメンバーの1人が
一昨日の夜、自殺をしたという。近郊の町で家業を継いでいる人で、明るくサッパリとした性格で皆から
好かれるタイプ。本人が居るかどうかで、同級会の明るさが違うほどの人。その男が自殺とは、一瞬耳を疑い、
息を呑んでしまった。「この非常事態に、万一の備えがあるの?」を、今月の15日に、ここで書いた。 
 その前日の地元紙に、
* 同級生の老舗会社の倒産記事が出ていた。20年前に工場が火災で全焼、しかし保険で建替えて、
  無借金経営と聞いていた。
* その翌週には、計算サンターの社長をしている会社が、TVと新聞に大々的に、
 「不正に雇用調整給付金を受給。それも内部告発により調査の結果。不正分を全額返済のため、刑事告訴
 しないが、悪質なため発表した。」と報じられた。全国ニュースにならなかったのが不幸中の幸いだが、
 銀行系もあり処分は厳しいと推察される。
* そして今週は、彼の自殺である。 親戚や近所の自殺は身近であるが、同級生は初めて。
 まさか、このテーマで書いた警告が、そのまま、ごく身近で直ぐにたて続けて現われ出るとは。3人とも
傍からみれば、これ以上の堅実経営はないかと思われた会社。そのため、ことさら驚きは大きい。
それにしても自殺とは、よほどのことがあったのだろう。 同級会のメンバー内の話としては、去年春に
私が先ぶれに破綻。そして、この11月にたて続きに3人が、続いたことになる。
 以前から、「2012年問題(時代の断層の年)」が言われてきたが、今のところ何も起きていない。
しかし極身近から、このように生々しく起こるとは思いもしなかった。 恐慌の大波は根こそぎ、全てを破壊
していく。これが地方の特殊要因でなく、世界、日本レベルの大波の地方の一現象でしかないところが恐ろしい。
まだ経済の大津波(恐慌)の本体は外海、到達は来年辺り? 
3900, 精神力ーその偉大な力  ー1
2011年11月29日(火)
  * 「精神力ーその偉大な力」 ダン・カスター著
 学生時代の卒業間近から27歳までの修行時代から事業創業期の精神は緊張と不安の極限にあった。
あまりに突き当たった壁が厚く、自己確立が曖昧だった内面は粉々になりかけていた。しかし、それを表立てる
ことは許されない節目時。 傷つき荒れ狂った気持ちを自分で何とか立て直さなければ、絶壁の谷底に転がり
落ちる綱渡りの日々。その中で、狂わないようにバランスをとらなければならない上に、自分を奮いたって
いなければならない。その日々の中で、学生時代の終わりの頃に読んだ、このブリストルの「精神力を活かす」と、
ダン・カスター著「精神力、その偉大な力」が心の支えになっていた。そこには色の違う傍線が幾つも引かれている。
経験を重ねるうちに、この手の本は安物の精神主義の本でしかないと疑問を持つようになっていた。 
 40年経った現在再び、読み返しているが、決して安物の精神論の本でないことが分かり安心をした。
マーフィーの成功法則の下地になっているのではと、思われる。 特に「精神力ーその偉大な力」は、
先がさっぱり見えない不安感と挫折感の中で、何度も何度も読み返したことが懐かしい。節目時に読んだ
本は、節目時の自分の心でもある。 40年の年月は長い!そこで失ったものと得たものが私自身である。
 一月程前に、信濃川の大手大橋を歩いていたとき、地球の芯からの声が聞こえてきたことを書いた。
自分の独り言であるのは敢えて言うまでもないが、魂の芯から出ていることは違いない。時どき、その声と
対話をしたり、中心点に気持ちを収集して、そこの蓋を開けるイメージを持つ。そして、そこからエネルギーが
心に溢れ出てくる感覚を持つ。また、その蓋の向う側に無限の宇宙の時空をイメージする。 気持ちが弱った
時など非常に有効に働く。その下地が早朝の散歩の途中にしていた呼吸法。気持ちを地球の中心点まで到達する
イメージを持ち、中心点を擬人化して挨拶したり会話をしていた下地があった。 散歩をポタリングに変え、
しばらく、その呼吸法をしてなかった。ところが、サイクリングの途中にウォーキングを取り入れて大手大橋を
‘引きチャリ’をしていた時、脳の底から独り言で話していた擬人化したイメージの声が聞こえてきたのである。
一月前の随想日記に同じことが書いてある。その芯と声が、この「精神力」と同じである。 
 心の底のエネルギの源泉を探し出し元気を創造しろということ。次回から、少し書き出してみるが、
過去を振り返りながら心の源泉の湯に浸かっている気分か。 精神を哲学するのも、面白い。精神=信念=
「絶対言明」+エネルギー。 意志に似ているが、少し違う。意志の哲学といえばショーペンハウアー。 
その影響を受けたのがニーチェ
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3535, つれづれに ー 閑話小題
2010年11月29日(月)
  * 自分の初めの感じたことを信じなさい!
 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で若い女性二人が土産物で
迷っているところ、60歳代半ばの日本人男性が話しかけていた。「自分の初めの感覚を信じなさい!」と。
「私に、そんなことを言ったら『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性になら良いか?」と独り言を頭の中で
呟いていた。 その言葉は、正しくもあり、間違いでもある。これは経験からいえること。経験の浅い人になら、
自分の感覚を信じて、まず決断をし、その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより良い、
ということになる。それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り経験してきた私にとって、そんなことは
若い女性にしか言えないこと。その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。
同じ言葉でも、受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。
  * 尖閣ビデオYoutubeが注目される
 もう古い話?になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが更に注目を浴びてきた。Youtubeは10分の制限が
あるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できるもの。僅か5年前に若い二人の米国人によってつくらた
サイトで、一年後にGoogleに2000億円で売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。
一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。数ヶ月前から面白そうなものを
私のブログに貼り付けている。過って見たことがない面白い映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白
映像として毎週紹介する番組が既に出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側に関連したビデオ
の写真が貼り付けられ、アクセス数が書かれているので、関連したビデオにネットサーフィンできる。そこで、
思いもよらない世界を垣間見るケースが多くなる。コスプレ、ラップ、ペットなど、知らなかった世界を知る
ことが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎が「売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を
国辱罪で訴えるという奇妙な現象が起きている」と発言。言い得てるが、それが東京都知事ときている。
訴えると脅され、「チャンと受けてたって証言をする」といったら、何も言わなくなったとか。
 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。
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3160, ドバイが債務不履行
 2009年11月29日(日)
 アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。数年前にドバイの発展する様子を
NHKスペシャルで放送したが、石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした新都市の様相には驚いた。 
世界のクレーンの3割が、そこで動いているという信じがたいことも報じていた。大金持ちの若い御婦人が
高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。
 ( 字数制限の関係でカット 2011年11月29日 )
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2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
 2008年11月29日(土)
【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ
「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」ーユダヤの諺
「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」
「噂はかならず三人の人を殺す。噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そして噂の対称になった人」
「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」  ーユダヤの諺
「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、一度発した言葉を
 取り返すことはできない」ーユダヤの言葉
「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、
 最後は人に教えてみることだ」      ソロモン・カビロール 
  (字数制限のためカット09年11月29日)
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2007年11月29日(木)
 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより
「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が驚く内容の連続である。
死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、誰もが
見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。
この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。
<おばあちゃん>  金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは   もう二十年近くもねてゐる。
すべり台のやうな傾斜のベッドに  首にギプスをして上むいたまま。
はじめはふしぎそうだったが  いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。
なんにもできないおばあちゃんを  どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。
むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる
そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。
ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。
できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。
おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。
ーー
ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。
偶然に去年、老いを取上げていた!
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2006年11月29日(水)
 2066, あたりまえなことばかり −17        おふぁ  ファ〜
 そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!死なないのだから、
そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。還暦を過ぎたのだから・・
両親の死に際に、二人とも同居していた。そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、
決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。
だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、
彼らが知らなかったのを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。
母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。これである、魂は永遠の学びをしていく。
ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・
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老いは個人の生を超え
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人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。それを否定的に感じてしまうのは、
若さという経験を先にしてしまうからだ。やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという
現実を肉体の事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。
生きられてしまった事柄とは、端的にかこである。それは動かせない事実である。過去は動かせないと知る
ということは、自分の人生がそのようであったと、それ以外ではあり得なかった、このとき、人は人生の一回性の
秘密に触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの感情や感傷によって覆い隠されてしまう。
記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。なぜ自分の人生は
このようでしかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。
生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは肉体を失って
いく過程である。しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。老いていくことによって、
得ているものはたしかにある。何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。精神というより、むしろ魂。
成熟するのは魂である。魂は成熟する。「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、
ソクラテスふうには「魂の世話」となる。経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げて
いくと、いった意味合いらしい。縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、魂が自身を
織り上げていく行程は、刻々老いてゆく肉体の老いとは反比例して豊かである。いや、肉体の老いとは、
それ自体が新たな経験の他ならないのだから。それすらも、織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。
人生とは、生死の間に存在する時間。なるほど論理的には人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 
したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。
有と無の間で生成する質である。質は論理でない。論理が指示する、論理自身の影である。論理的には存在しない
死を、しかし現実には存在するとして生きているという、このこと自体が人生の不思議である。その存在しない
死が近づいてくる老いの時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはず。
 字数の関係でカット(2011年11月29日) 
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 2005年11月29日(火)  
1701, ほめ芸王 ー2
以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める
ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。
  というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。    funn~(。_。)q
 以前借りてきた時に印象的だったのは、
 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、
 ・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、
  人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。    
だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。

  • 字数の関係でカット(2007年11月29日)

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2004年11月29日(月)
 1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、
落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ
逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、
そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを
 置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
字数の関係でカット(2011年11月29日)