「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
    第十一章 新興市場の時代 ーのまとめ、
・四十年前、新興国市場は存在していなかった。�眷 小平はまだ追放の身だった。インドの首相インディラ・ガンジーは、
 銀行を国有化し、大企業を押さえ込み、社会主義に転向。チリは社会主義政権で、アジェンデ大統領はコンピューターで
 計画経済ができると信じていた。先進国にとって開発途上国という言葉は、政府の腐敗を意味しており、途上国にとって
 投資は、海外資本による纂奪を意味していた。
・それが変わったのは、開発途上国が資本主義と和解し、その技術、資本、インフラをとりいれ、世界の資本市場で、
 安い労働力をつかって製造工場の役割を果たすようになったからだ。
ゴールドマン・サックスが、BRICsという言葉を使って新興国市場の成長に世界の目を向けさせたのは二〇〇三年のことだが、
 実際はその予測を二倍くらい上回る規模にブラジル、ロシア、中国は成長した。
・これは・経済成長が指数関数的に、すなわち規模が増えた分を利用してさらに増えるからで、現在の先進国のうち、
 二〇五〇年までに、経済の世界規模で上位七力国に残るのはアメリカのみ。 あとは、中国、インド、ブラジル、
 マレーシア、インドネシア、メキシコにも抜かれると予想される。
・ある国の工業化の時期が遅れれば遅れるほど、その速度は速くなる。しかし、その速度は、他の要因にも左右される。
 そのなかでもっとも大きなファクターは、教育である。生産性を向上させるさまざまな手法や技能は、教育程度の高い
 労働人口を持つ国で速く広まる。
・フィリピン、エジプト、メキシコ、インドネシアバングラデシュパキスタン、ナイジェリアなどの新興国で、教育年数が
 二〇五〇年までに著しく延びて、生産性の高い労働力をその国に生み出し、経済成長をあと押しするだろう。
・中国は二〇二五年を境に急速に高齢化が進み、人々はそれまでに海外にため込んだ海外純資産をとりくずし始める。 
 そして中国は労働力不足 におちいる。
・今中国は、六五歳以上の人ひとりに対して、就労可能年齢の労働者(つまり、二○歳から六四歳までの人)が七・九人いる。
 二〇五〇年には、わずか二・二人になる。日本は現在の時点で、退職者ひとりを労働者二・六人が支えている。
▼ 現在の日本が、このまま衰退していくとは思えないが、極東の陸の孤島の日本が、その地政学的な有利さの中で、
 教育に熱心だったことも含めて、世界第二位の経済立国に上り詰めた。しかし、これまで。これからはネットが
 世界を覆う時代である。インドの貧民窟街の少女にも、ネット上では大きくチャンスがある。そういうハンデを
 背負った人たちと競っても、太刀打ちするには、余程のことがないと難しい。
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4210, 異郷日記 ーサンジバル
2012年10月05日(金)
                  「異郷日記」西江雅之
     * サンジバルの逸話
  人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い続けないと人生の自殺者になってしまう。
 硬い殻に閉じこもり、しがみつくしかない人生こそ避けなければならない。 ーその辺を抜粋してみるー
≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、
多くの村が散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物のすべてが、次々に過去を語り出すザンジバル
史実虚構が入り交じる物語に埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、アジビア数字が消えかけている
大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、奴隷、征服者、
イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、
高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、
道行く人の内部にすべり込んでくる。 (・・・中略)
 わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。
ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻ったばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。
「アッ・サラーム・アライクム(汝の身に安らぎあれ!)」。若者は老人に言った。
「アッ・サラーム.アライクム」。老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? お前のおじいさんは、
海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」
若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、
よくまあ恐ろしがらずに平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしはザンジバルで、何人もの知人に
スワヒリ語で何度も同じ話をした。「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が恐ろしいことなんだ」と、
わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫
 ▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。
  何処の道理も同じである。著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、すべて異郷と感じている。」
  と述べている。そうでなくては、流れ者のように世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の外側を、
  異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。
  私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。 それ以外は職場は新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。
  と同時に、しがみつき、安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている感がする。それでも、まだまだ
  楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。
    ・・・・・・・
3845, 地獄への道は善意で舗装されている
2011年10月05日(水)
 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。
『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだ
ことを記憶している。 特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、それを知らない人が多い。
善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。しかし一つ歯車が狂うと、「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。
営業を生業とするものは善意をノウハウとする。それが相手にとってのニーズであり、対象の懐に入る手段。
 善意、好意を示され喜ばない人間はいない。 この格言は昔から言われいる基本である。 
  ー ウィキペディアによると ー
≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた当時までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」
  (地獄への道は善意で舗装されている について) ー ユリウス・カエサル
 *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」(地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ
 *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、「地獄への道は善意で、天国への道は階級闘争
  俺の濃い髭で舗装されている」などと語ったと言う。
 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。
  その結果、十字軍や宗教戦争魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい地獄を体感させた。・・・
   善意という言葉は、法律用語で言えば、「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。 つまり、犯罪と知らずに
  窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意になるのである。法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた
  全ての惨劇や、人間同士の軋轢は、全ては善意が引き金になっていると言っても過言ではない。 しかし、ウィキペディアでも
  コミュニティの円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとることが推奨されているように、人間同士の意思疎通や、社会の構築と
  その円滑な運営には「善意」が必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶してきたことは言うまでも無い。
  哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、地獄への道である善意をよすがとしなければ生きていけない人間、
  保てない社会を悲しみ、「救いはないね!救いはないんですか?」と絶叫したことは、あまりにも有名である。 ≫
 ▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、恨まない範囲で示すと割り切ることだ。
  善意も捨石として、直接の見返りを求めないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないからこそ福が来る。
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3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー13
2010年10月05日(火)
 * 旅行代理店の選定は?
 旅行代理店の選定は、金に糸目をつけないなら別だが、如何に良くて安いパッケージを探し出すかは他の商品選定と同じである。。
・まずは趣味の問題になるが、地方の代理店は避けるべきである。地方名士様ならチヤホヤしてくれるので、それが目的なら問題がない。 
 同じような目的の人が来ているから、同レベルの人なら良いが・・とにかく、添乗員の場数が少ない人が多い。地方同士のなれあい客
 しか相手にしてないので全国区の質の差が歴然としている。
・初心者なら、JTBとか日本旅行辺りで良いだろう。「ビールばかり飲んでいたが、今度から日本酒を飲んでみたいが・・」
 という人は、全国区の灘の酒辺りのブランド品で、そのイメージで味わえばよい。同じ外国に行くなら同行の人は異質の全国区がよい。
・初心者としてアフリカや、南米など異郷に行くなら、秘境・異郷専門のワンランク上の客を狙っている「ユーラシア」とか、
「旅のデザインルーム」などが良い。JTBや日本旅行でもワンランク上のブランド名でツアー募集をしている。
アフリカ専門とか、南米専門とか、特定の地域に絞った代理店もあるが、添乗員の質のムラが非常に大きい。これも外れると、
場所が場所だけに、客にとっては大きな問題。 名前の通った代理店は必ず御客のチェックリストがあり封書に密閉して送られ厳しく
審査されるので、外れは少ない。 旅行は添乗員の質で半分近くは決まってくる。 何度か、添乗員で旅行そのものが台無しになった
経験がある。しかし怒りを会社にぶつけるのも大人気ないので、二度と行かないという消極的手段しかない。
ブランドなどで高いのは外れが少ないし、安いのは外れの危険が多い。 安いものに、シーズンの終わり間じかのものがある。
これは経験からして外れの方が多い。しかし安さの誘惑で負けて何度か失敗をした。 反対に少し高いと思ったが、他にないので
仕方ないので、という大当たりというケースが何度かあった。 行っている人達の人品が良いと心が洗われる。
南アフリカ、南米のマケドニア、北スペイン、新羅ウィグル地区・カラコルムハイウェー、などは同行客の人品の御かげで、
厳しい日程でも楽しく過ごすことが出来た。行き先を決めて、それにあった代理店のコースの選定に集中すれば自ずと見えてくる。
旅行先で、良かった旅行先の情報を聞いたら、代理店と、その時期まで聞いて、その通りに選定するのがベスト。 何ごとも同じ。
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3105,我にたためる翼あり
 2009年10月05日(月)
 「我にたためる翼あり」という言葉には考えさせられた。なかなか含蓄がある。
バーネット作「小公子」を日本で初めて紹介した若松賎子の言葉。
「私の中に、たたんだ翼を持つ者と信じて努力をして、大きく羽ばたく時を待つ」という意味。
賎子自身は、若くして病に倒れ無念の思いと祈りのこもった言葉。 それを知っていれば尚のこと深さが覗きみれる。
何かを志す者にとっては、これほど励ましてくれる言葉は少ない。翼を才能、努力の蓄積、志、夢とも、とることができる。 
賎子の魂が、この言葉の中に篭っているような響きがある。 それも女性の言葉、それも「たためる翼」という内に込めた
大きなエネルギーを感じ取ることができる。 何かを目指している若者がいたら、是非とも教えてやりたい言葉である。 
縁あって、この文章を読んで感銘をしたならば、近いくの青年に是非とも教えてやって欲しいもの。ところで我に、たためる翼が
あっただろうか? 精一杯翼を広げ羽ばたいたが、雀は雀。翼を持っていると自分で信じて努力していれば、それだけで良いということで
納得するしかない。「我にたためる翼あり」を私の小さな経験に鑑みると、自分の翼?で飛んだのは「秘境・異郷ツアー」。 
たたんでいる時間は少なかったか。 翼といえば、一羽ばたきで数百里を飛ぶ大鵬のイメージが沸いてくる。