* 二十世紀の共同幻想は破綻した      『コトの本質』 松井孝典
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、現在は、恐慌前夜の様相。
この潮流は、今後とも続くことになる。何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、
崩壊は今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は、違ったカタチになってきている。
新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。
 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想があります。それを前提にした
 社会システムが非難されていますが、百年後といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、
それが人間を規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 現実には、どんなに
大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想に閉じて生きていますから、その中に埋没している
かぎりは問題が顕在化することはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって問題は
存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ることができず、その中に埋没して生きている
人たちにとっては、共同幻想ではなく、それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、
そのために生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、愛しかりです。
たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味(共同幻想)をきちんと理解しています。
そういうレベルの人とは議論できるし、互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、
それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が理解できるからです。
 人間圏をその外側から見ることができなくても、共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねば
ならないとか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想というものは、正しいとか
正しくないとか、わかるわからないではなくて、当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。
しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きている我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。リアルな外界を可能な限り見据えて
 内部モデルを更新し続けることしか、生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、
高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニングポイントだった。そして、おおよそ
10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。
20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、自己崩壊を生きたことになる。
21世紀の姿が見え始めたが、面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。
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4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
2013年09月17日(火)
            「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、平均10年近くの介護にならず
済むため、むしろ幸運だった」と思うようになってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと
思うのが人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。そのギャップは埋めようがない。
ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、
消えていくのだろが、くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。  
 ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述であるー
   * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日はー生涯忘れられないとともに、その後の
「記憶のない」日々の始りであった。その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。
翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ猛暑の中、その日は夕方の五時頃、
翌日から大阪に帰省する妻とともにホテルに、チェックインしたのだった。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、
キーンという耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、ごく短時間だが意識を失って
いたという)。 仕事柄、少しは脳のことを知っている私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて
出血が起こったと思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分のどこかで起こったので
はないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。
だから、身体の右側に麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。左脳といえば、
ことばをつかさどる部分がある。これはへたをすると、ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…
そんな不安さえ頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない私の姿をみて、妻が
救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気になっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという
妻の意見に最終的には従うことにした。そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットからパスポートやクレジット
カードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていたカバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。
そうこうしている間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士が到着し(・・略)救急車の
寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか窮屈で、しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、
何度も私の名前を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている私からも血圧計の数字が読み取れたので、
それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つ
き添っていた妻にかろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。
 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、極めて鮮明な私の記憶に驚くのでは
ないだろうか。実際、私は今もなお、あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に思い
浮かべることができる。しかし私には、その後、つまり救急車の中で意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。
この五日間に、月並な表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》
▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、救急車で病院に運ばれたが、意識が
戻らないまま亡くなってしまった。状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく生々しく書きのこしている。
 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは思ってもいなかっただろう。
 この年齢では、「マサカの坂」はない。
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4192, 呪いの時代 ー9
2012年09月17日(月)                        
   *「今、付き合っている人いる?」の意味 ー草食系男子とは何?     「呪いの時代」内田樹著  
 最近は合コンとかいうのがあり、気楽に結婚相手を探すシステムが出来ている。それと、ネットの交流サイトで
知り合い結婚に至るのも多い。何気なく「今、付き合っている人いる?」と声をかけるのも、実は巧妙な意味がある。 
  ーその辺を抜粋ー
≪とりあえずは恋愛の局面において「傷つかないこと」があります。20年ほど前から「ロ説く」人が少なくなりました。
それどころか「口説く」という動詞自体がもう今の学生たちくらいの年齢では日常語彙に含まれてないかもしれません。
じゃあ、学生諸君は、交際を求めて何というか。「今、付き合っている人いる?」です。 これは、きわめて巧妙に
構築された「口説き文句」と思います。「今、付き合っている人いる?」という問いは、一見すると客観的な事態に
ついての価値中立的な問いのように見えます。まるで、「今、雨降ってる?」とか「今、6時過ぎた?」と訊いている
ように誰でも口にできるし、誰でもイエス・ノーで即答できるように作文されている。まだ知り合ったばかりで
お互いをよく知ないもの同士が、色いろあたりさわりのないことを話しているうちに話題も尽きてしまい、ふっと
訊いてみた。そういうふうなカジュアルな問いのようにみえる。あたかもその問いに対する相手からの返答に自分は
とりわけ関心があるわでがないけど、ちょっと聞いてみただけなんだけどと言わんばかりである。
「今、付き合っている人いる?」の問いに、仮に、「うん、いるよ」と即答されても、「ああ、そうなんだ。
ふ〜ん、でさ、キミ、音楽聴く?」というふうに、そんなことオレ的に関係ないけどさ」的に修羅場から逃走できます。
「いないよ」といえば、「それなら自分と付き合わない?」と、いきなり具体的性行動レベルに一気に切り替えられる。
「今、付き合っている人いる?」という問いを発する人は、その言葉が性的アプローチであるかどうかの決定権を
自分の側に留保しています。だから、「いるよ」という答られた場合は「この問いはただの社交的問いである」と
言い抜け、「いないよ」という答えが得た場合は「この答えは私に対する性的関心の表明である」という解釈に
にじり寄る。「キミが好きだ」という告白に対しては、言われた側には無数の答え方があります。
言葉で答えてもいいし、鼻で笑ってもいいし、背中を向けて歩き去ってもいいし、何も聞えなかったふりを
してもいい(これはよくあるリアクション)。・・・ ≫
▼ スナックやキャバクラなどで日常、会話されているポピュラーな言葉だろうが、直ぐに思い浮かぶのは、
「あんた美人だね!」「最近、シネマで何か見た?」「オーラが漂っているね」「あなたの為に、この場がある
ような存在だね」とかがある。以前、女性の職場にいたときは、浅知恵で「三度褒め」を心掛けていた。
意外と異性は直接褒めないためか、三度目がポイント。 少し軽いが誰にも言っていれば変な誤解は受けない。
言葉は相手を有頂天にも激怒もさせる。最近は、褒めたことがない。 
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3827,  集団爆笑 ー木曜五限の地理公民ー
2011年09月17日(土)                       ( 『ザ・万歩計』万城目学著 )
 人生では思わないハプニングで爆笑の渦に巻き込まれることがある。
   以下は、ある随想にあったもの、思わず噴出した。
【 高見は一風変わった授業を進める教師だった。とにかく生徒を当てまくる。次回までに解いてこい、
 と指定した範囲の問題を徹底し当てまくる。彼は中学生の本質を、的確に見極めていた。甘い顔をして、放って
 おいたらどこまでも勉強せず、授業中、昼寝するだけ、という性悪説を信奉していた。そして、その考えは
 おおむね正しかった。・・・・答えが間違っていると床に正座。次に後ろの席の生徒が立つ。答えられない。 
 正座。はい、次、また、正座。こんな調子なので、クラスの九割が床に正座させられ、正規のイスに座る者が
 ほとんどいなかったこともある。おかげで、高見の授業は常に異様な緊張感が漂っていた。事件は、この高見の
 授業で起こった。主役は三井。三井は強度のビビリ。人前で怒られることに、極端な差恥を覚える性質の正直者。
 あの日、高見に当てられ、問題文の朗読および解答を求められた三井は、傍目にも哀れなほどビビっていた。
 斜め後ろの私の席からも、問題集を持つ手が、緊張に震えているのが、はっきり見えたほどだ。 
 三井は途中しきりに噛みながら問題文を読み上げる。「アラビア半島の一角を占める、人口二百二十万人の
 オマーンの首都マスカットはアラア海とオマーン…」問題文は「首都マスカットはアラビア海オマーン湾に面し、
 漁業と交易の中心地となっている」という何でもないものだった。だが、三井はこのとき緊張からくる混乱の
 極みに達していた。普段から冗談も言わない、根っから真面目な奴。ただ、男なら誰もが通る、ちょっとした
 思春期の懊悩に、運悪く足元をすくわれてしまったのだ。「アラビア海オマーン……」で途切れ、数秒の
 ブランクののち、三井はぽつりと、「湖……」と続けてしまつたのである。その瞬間、大阪の片田舎の男子校に
 笑いの爆弾が落ちた。教室に破裂した笑い声で本当に床が揺れていた。いったん笑いが収まっても、誰かが
 ふたたび笑いだすと、波となって全員をまきこんだ。 十分経っても、男どもはひたすら笑い続け、もはや授業
 どころではない。教壇の高見も笑っていた。「誰にでも間違いはある」とフォローさえしていた。あれほど些細な
 間違いを見逃さず、なべて正座を命じていた男の言葉とは思えなかった。もちろん、三井に正座命令はなし。
 三井の導いた笑いは「鬼」と陰口された教師の心すら溶かしたのである。その日より三井の名前は学校中に轟いた。
 あんなに笑った経験は、二度とない。 とことん生真面目な男が、私の人生最高のスマッシュ・ヒットを飛ばす。
 「人間には無限の可能性がある」この言葉を聞くたび、思い出すのは、あの木曜五限の地理公民と三井のこと。 
 私が笑いの偉大さについて身をもって知った、十四歳の夏の午後。】
 ▼ 以前に、ここでも書いたことがあるが、学生時代のドイツ語の授業で、誰かがドイツ語の訳をしていた。
「・・・ その時、遠くから犬の鳴声が聞こえてきた!」と、同時に遠くから、それを待っていたかのように、
「ウ〜 ワンワンワン」と犬の鳴声。その瞬間、かたい授業の最中、部屋中が爆笑の嵐。
 あれだけ集団で腹の底から笑った経験はなかった。
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3462, 純粋持続 −2
2010年09月17日(金)
 * 純粋持続と自由
 ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、選択の自由を意味する。
たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか
自分の意志に基づいて選択できる。 そこに自由があるとされる。 しかし、ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を
思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。
 生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的に
創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての純粋自我による行為である。
他方、物質界は一瞬前の過去を惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 物質は自らを
破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 
宇宙の万象は、この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開なのである。そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。
 ▼ 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」である。 その時は空間時間は消え、没頭している時、
 そこに「したいことを、しているという自由」がある。 純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も空間も超越している。
しかし我われは日常の煩わしい空間に縛られ、日常の反復を繰り返すだけになっている。 それらをカサブタと仮定すると、
その奥に隠れている真の時間が「純粋持続」である。 哲学は、固定、静止、実在するもの、定着したものを探究するのが常であった。
しかし、ベルクソンは「流動性」つまり「流れ」に注目する。一人の人間存在について考えても、その細胞は日々刻々と変化しており、
昨日と今日は、同じでない。生命の場合、同一状態が永遠に続くことはありえず、流れの只中に「ある」ということが保証されているに
過ぎない。ベルクソンは、この「流れがある」こと、ならびに「流れの中で生きている」こと、この両者に「自由」を見出す。
あえて言えば、生命体が生きているだけで、どのような状態であっても、死んでいなければ「自由」である。
我われは、強力な束縛はないが、小さな細かい束縛の中で生きている。もう一つは、現在はある程度自由だが、もっと多量な、
もっと高貴な、深遠な自由に到達してないと考える場合である。どっちにしても、ある程度自由だが、自由でもない、
のが多くの人たちの現実だろう。 気の持ちようである。だが、この「気」こそ、ベルクソンの呈示したものである。
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3087,挫折を考えてみようか −2
 2009年09月17日(木)
 哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を
拒否したため、大学教授を剥奪され、身の危険を感じスイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから「限界状況」
という考えが、色濃く反映している。『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、闘争、
悩み、歴史による規定などをいう。それらの乗り越え難い厳しい壁を目の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。
反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の生きる姿を知ることになる。
 しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者)
の世界に導いてくれる。 もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような超越的なものへ目が見開かれる
という宗教的なことではない。 包括者を認知するとは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを
知るということ、理性の限界を知るということである。 理性の限界を認識してこそ、私たちは理性的に思索できる。
それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、
大量殺戮を繰り返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。 理性そのものの疑問が生じるのは当然である。 
 我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。
挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 その限界状況が芸術、思想、自然、歴史などの暗号を解いて、
包括者を受け入れやすい環境として最適な状態となるのである。 挫折は、自分の壁が破壊することでもある。
その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、
人間にとって(特に若いときの)挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 ところで先日・・・・  〜つづき    
・・・・・・・・・
2722, どうも世界恐慌に入ったようだ!
2008年09月17日(水)
 * アリコが危ない?
   (字数の関係でカット、2011年09月17日)
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2007年09月17日(月)
 2358, ギリシャエーゲ海の旅 −4
ーデルフィの遺跡ー
 (字数の関係でカット、2012年09月17日)
ーメテオラの修道院
 (字数の関係でカット、2008年09月17日) 
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2006年09月17日(日)
1993, 悪筆  おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 { もっと「きれいな字!」が書ける本−1 }  ー読書日記
(字数の関係でカット、2008年09月17日)
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2005年09月17日(土)
 1628, ソウルの富士山ー日野敬三 対談集 −2
また、作家の保坂和志の対談 ーソウルの富士山ーも含蓄がある。
死に直面した日野の心理が二人の対談から、みごとに浮かび上がっている。
保坂和志
今日は日野さんが、脳の手術から回復される過程で体験されたことを、
闘病記というより旅行記のような感じでうかがいたいと思います。
ー日野ー
自分が脳を手術されて、術後に安静状態にあるんだとわりあい客観的に自覚したのは一ヶ月ほどあとでした。
なんとなく現実がわかるようになっても、まだうつらうつら夢を見ている状態がさらに一ヶ月続きました。 
そこには、どうも完全な夢とは違う。 自分がソウルにいて窓の外がソウルの街がみえる。(実際は東京だが)
そして、富士山でなくてカイラス山がみえる。もしかすると、この人生ではなくて、その前のいつか巡礼に行ったことが
あるのかも、と思い直しました。だとすると僕の中で辻褄が合う。カイラス山はそれだけの格と威厳がある山ですからね。
超意識の神話的空間内だったら、カイラス山も見える。それだけリアリティのエネルギーを持ってなかったら、何が聖山ですか。
ー日野ー
僕は実は世の中を楽しんでいる、あるいは生きていること、人間であることが好きなんじゃないかと思い当たったんです。
 (字数の関係でカット、2013年09月17日)
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2004年09月17日(金)
 1263, 老子孔子
本を読んでいて、時々ハッとする文章に出会うことがある。 以下を書き写してみるが、儒教道教を対比させることによって、
それぞれの本質を、より解りやすく知ることができる。    (生き方の研究ー森本哲郎 P・302より)
ー「孔子の教え」はあくまで「厳父の思想」であり、対する「老子の思想」は「慈母の思想」とみることができよう。
老子と目される人物が生きたのはー孔子もそうだがー春秋、それにつづく戦国時代の乱世であった。誰もが真剣に生き方、というより
生き抜くための知恵を求めていた。それに、応えて、孔子老子に代表される儒教道教が生まれたのである。対立というより、
対照というべきかもしれない。いずれが是で、いずれが非か、などという問いは愚かである。我われは、ここに二通りの生き方を見、
学べばよいのだ。考えてみれば、この世には「人間なるものは存在しない。生きつづけてきたのは、男と女である」。
  (字数制限のためカット 2013年9月17日)
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2003年09月17日(水)
896, 言いわけ読本 ー読書日記
               塩田丸男 中央図書館ー2003・09・14日
(以下、字数の関係でカットー2007年09月17日)
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522,勉強法ーノートのとりかた--3 -
 2002年09月17日(火)
(字数制限のためカット 2010年9月17日)
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 147  機動捜査隊  2001/09/17
7〜8年まえになるが。当ホテルで年平均二〜三人の犯罪者を逮捕している。その協力の功績で、・・・
(字数制限のためカット 2012年9月17日)