* たけしの品格      『パワレルな知性』鷲田清一
  北野たけしの品格について、が面白い! たけしは、「この男はダメ!」がキャラ。
人間はすべからく、ダメな人間だが、それを良い人間、有能な人間のコスプレをしているだけ。
コスプレが、コスプレを笑っているのが娑婆。 これが分かってないから、世の中、他人が、歪んでみえる。
「歪んだのが歪んだのを歪んでいる」と今さら言うのが間違いの元。 「たけしは、それを剥いだ有りの
ままを笑いで剥き出すことで、己の品格を表現している」は、褒めすぎ?   ーその辺りからー
≪ 最後は言語学者らしくこう締める。 「『品格のある日本語』というのは、借り物ではなく、
 じぶんが一番よく知っている言葉で語られるものですよね。方言なんかはとても品格がある」。
つまり「品格」について語るその地声に言い及ぶところに、金田一の衿持が現われでているとおもう。
じぶんについて語る言葉が信用できるかどうかは、語られるじぶんに対してどれほどの距離がとれているか
にかかっている。「離見の見」などと高尚なことを言わなくてもよい。何かについて語るとき、そのように
語っているじぶんがどこから語りだしているのか、それについての明確な意識をもっているかどうかに、
その言葉の真はかかっている。何かについて語るとき、いつもどこか断片的であって、語りつくさない。
語りだすのは否応もなくつねに地上のどこかからであって、語りつくすというのは、じぶんがこの地上の
どこでもないある特権的な場所にいると錯覚することである。 それこそ品格に欠けることである。
 これに対して、北野武は、品格から外れることに自己の品格を賭けるという、それこそ綱渡りをしてきた。
いきなり北野はいう。「どうしようもない人」、これがじぷんにとっての最高の誉め言葉だと。
「人から、『あこがられている』と言われると、失望させないように自らを律したりするじゃない? 
そういうのが大嫌いで、頼むからあきらめてくれって。『この人はだめだ』って言わせるために
わざわざ変なことをやる。『どうしてそういうことをするの』って言われるのが一番好き」。
 北野もまた、この世の価値序列から外れるところに「品格」を見る。「みんな社会的立場上、言えない部分が
あるけれど、俺の場合、お笑いというジャンルが隠れみのになっていて、意外に好きなことを言っちゃっている」。
たしかに、「トツプには立ちたい」けれど、そしてそれは「すごく下品」なことだけれど、同時に、
「何をやっても勝てない相手がいる」ことは身に沁みている。だからちゃらんぽらんと見えるほど、
いろんなものに手を染めてきた…。 首尾一貫していないこと、立派な「先輩」と見られたらすぐにそれを
裏切ること、つまりじぶんを模倣しないこと、そういう囚われのなさに肩肘張らない自由を見る。
ここにもなるほど、みずからへのクールな距たりがある。その距たりを構えずにほのめかして、北野は最後に
こうつぶやく。「いつも何か考えているけれど努力して考えているわけじゃない。
魚に『アンタ、いつも泳いで偉いね』とは言わないじゃない?」 じぶんが壊れる…。 
そういうあぶない場所にじぶんをもってゆきながら、かろうじて身を持す、ぎりぎりのところで
みずからを揺さぶることのない人に、「品」はぜったいに訪れない。… ≫
▼「まあ、お笑いの、たけし、だから!」という免罪符を取ってしまっているから、今さら誰も非難できない。
 こうなれば、好き放題、言い放題である。週刊誌も、『たけしに愛人!』など、今さら誰も興味を示さない。
昔の芸人は、こういう人が多かったというが・・・ いつも、あぶないところに、自分を置いてきたので、
いやに、同感する。じぶんが壊れる直前に、常に身を翻してきたが、実際のところ、既に壊れていたのでは?
〜ところで、三年前の一連のイベントからこの方、ギリギリ生きてこなかった人格に?あまりに多く出会った!
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4563, 2050年の世界 ー5
2013年09月13日(金)
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」英『エコノミスト』編集部 (著)
   * 予言はなぜ当たらないのか (第二十章)
  ー まずは要約部分よりー
・今から四〇年前になされた予言をみると、悲観的なものばかりで、その殆どが外れている、
・なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由はふたつある。良いニュースは目立たず、人々の記憶に
 残りにくいからだ。 悪いニュースだけが残り相互に連関する認知のバイアスが人間にあるので、
 そういう予言をすることが受け入れられる。
・もう一つは人間が対策を講じることを無視するからだ。
・資源が枯渇する、食料が枯渇するというのは終末予言の典型的だが、「技術革新」よる「低価格化」を無視している。
・グローパル化による国際分業により、人々は、かってより遥かに安い値段で必要なものが手に入るようになった。
・1950年代には、平均賃金の人がハンパーガー1個の代金を稼ぐのに三〇分かかったが、今では三分だ。
・技術が人間の生活水準に作用するのは、技術が発明されたときではなく、
 何十年ものちに手ごろな価格の技術になったとき。
・バイオテクノロジーの発展によりその応用物が低価格化する。たとえば幹細胞をさまざまな臓器に発展させる
 技術は、移植医寮そのものを、低価恪化させる。また、癌治療もバイオテクノロジー技術の発見によって、
 癌ワクチンや遺伝子組み換えウイルスを体の必要な場所に送るという治療を大衆化させる。
・第二次大戦以来、全世界のGDP成長率がゼロを下回ったのはたった一年。
 それは2009年で、マイナス0・6%の成長率だった。
・先進国ではさまざまな形で実際に、森林面積が増えるなど環境は良化している。いまの新興国
 先進国なみの経済水準になる二〇五〇年までに、これまで損なわれた環境が腹興するようになるだろ。
▼ 予言はなぜ当たらないのか? その状況で対応する「技術革新」が出てくるからだ。その中で情報機器と、
 バイオテクノの革新は、予測不能である。現に過去40年をみると肯けること。 人間には、長期楽観、短期悲観が
 経験を通して認知バイアスとしてある。それが目先、悲観的な見方が受け入れられる。 40年前の予測が悲観的
 過ぎたというのも大いに疑問である。ソ連は崩壊、米国も、衰退の坂を転げ落ちている。そして日本は、
 20数年前のバブル崩壊から現在にわたって惨憺たる事態。40年後を考えると、さらに酷くなるのは現在の状況を
 みれば分かること。「現時点で予言不能の未来が待っている」ことだけは確か・・ 
 バーチャルと現実が混合した世界だろう! 今もそうか?
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4188, 呪いの時代 ー6
2012年09月13日(木)
                         「呪いの時代」内田樹
   *「適職イデオロギー」の刷り込み   ー第5章「婚活」と他者との共生ー
「適職イデオロギーの洗脳」の切り口は面白い。そのため?まず3年もしないうちに3分の1が夢やぶれ辞めていく。
それだけでない、その後も、その影に追われることになる。歌の文句ではないが「自分を待っている職があるはず」と。
そんなものは、あるはずはない。現実は、そんな軽い若者を拒否をする職場だけ。
そのため転々と幻影を求めてサマヨウしかない。私たちはコマーシャルで、知らないうちに無防備に不安と劣等感と
無知を煽られ多くの洗脳を受けている。 ーその辺りからー
≪ 就職活動を始めるに当たって最初に叩き込まれるのが「適職イデオロギー」です。就職情報産業の営業マンが
 やってきて、大学2年生を購堂に集めて「空気を入れる」ときに彼らはこう言います。「ひとりひとりには、
この広い世界のどこかに、ただひとつだけ適性に合致した天職がある。この一年余りで、諸君は自分に適正に合致した
この職業にであわなくてはならない。そのために捧げうる就活に全エネルギーを当時なければならない」と。
学生たちは驚きますけれど、だいたい根が素直な子たち、たちまち、この「適職イディオロギー」に染め上げられる。
△ そして、「自分が適職に出会えないのは、自分の何であるか知らないからだ」ということと、
△「世の中にどのような職業があるのかについてまだ十分に知らないからだ」
 という2種類の「情報」不足によって説明されるということに、うっかり頷いてしまう。 そうして適性試験
受けたり、目を赤くして就職情報誌に見入ることになるわけですが、もちろんこれらの情報は無償ではありません。
かの「適職イデオロギー」を宣布してまわった営業マンの会社が課金して販売しているまわるのですから、
この段階で、「なんとなく家業継ぐか」とかいう「ゆるい」就職観はきびしく排斥されます。
そして、私たちは「ほんとうに『こんな仕事』に就いていいのだろうか」という不安から逃れられなくなります。
就活中ももちろんですが、実際に内定をもらったあとも不安が鎮まらず、さらに就活を続ける学生がたくさんいます。
最初に内定をくれたところはそれだけ「ご縁」があるということなんだから、そこでいいじゃないかと僕は学生に
相談されると答えるのですが、僕のそういう場当たり的な就職観に説得される学生はほとんどいません。
・・・就職情報産業にとって、「適職イデオロギー」を深く内面化した若者はエンドレスの顧客です。
「この職場に骨を埋めよう」と覚悟をしているわけでないのだとしたら、「いつか出ていきたいが、今は出て
いけないので我慢してここにいる」という「腰掛け」的な就労態度をありありと示すことになる。
「はやく出ていって『ほんとうに私の適正に合った仕事』がしたい」という切ない思いは更につのる・・・ 
仕掛けになっている。就職情報産業は、このビジネスの洗脳によって決して自由になれない人々を量産することで
利益をあげることを自覚しておいた方がいいと思います。・・・≫
▼ 幻影を求めてさ迷う若者に、更に就職産業屋は顧客として利益を貪ることになる。気が付いた時には、
 立派なフリーター。社会は、彼らを便利な部品として使いまわす。グローバル化で人件費が抑えられる中で、
ひ弱な若者は火の目を見ることはない。 これと酷似しているのが婚活である。結婚相手と、就職先も幻影で
しかないことが自覚できない若者。 それは次回に。
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3823, 閑話小題 
2011年09月13日(火)
   * 『哲学人』の感想文を連載は、二年前に一度書いていた。
 驚いたことに昨日に気づいたことだが、二年前に、この下巻のー小説の作り方ーについて取り上げていた。 
難しかったのだろう、それっきりで終わっていたが、それ自体を忘れていたのは迂闊だった。無意識のリベンジ
だったことになる。分類に検索で調べたが見落としたようだ。それにしても、思いもよらなかったので驚いた。 
成るほど、さすが哲学者が実践した小説作法は実に分かりやすい。(下にコピー) それにしても、
ブライアン・マギーの教養のレベルに驚かされる。さすが英国である。  
   * 初めての書くテーマのネタ切れ
 この10年間、ここで一応、起承転結を成している?文章を書き続けてきた。
最低でも2つの仕込み文はあったが、今回、初めてゼロになってしまい、それ自体をネタに書いている。
現在の読書感想文の『哲学人』が、私にとって難しい。しかし、何とかギリギリで理解出来るから、なお疲れる。
さらに、iPadにエネルギーを大部分取られていることも重なっている。 ひとつテーマを書いても、ウェブ上では、
それより遥かに素晴らしい情報が満ち溢れている。そこをネットサーフィンしていた方がより広く深く世界を
みることが可能である。それでも自分が10年間エネルギーを入れたサイトをiPadで何時でも見れるのは悪くは
ないと、何とか気持ちを保っている。有料、無料を含めて、iPhoneipadのアプリは10万以上あるというが、
その一端を次々にダウンロードして使ってみるが、その都度驚きの連続になる。別に、声高に、これは凄い!
という必要もないし、これに近いモバイル携帯電話で既に普及している。何を今さらといえば、それまでのこと。 
話を戻すが、書くネタが無くなるほど本音で書くので、読む方は面白いというが・・ 何も書けない焦りは
何とも言い難い。この辺が限界の際が見えてくる。書き続けるのは大変だが、その分、張り合いにもなる。
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3458, 9・11から9年
2010年09月13日(月)
 あれから9年になる。こと自社からみたら、この日をもって右下がりになり、現在も続いている。2004年から
少し持ち直してきた矢先に今度は2008年9月15日のリーマンショックを契機にした100年、250年に一度の世界恐慌
あの日から世界も日本も変わってしまった。まことしやかなアメリカ陰謀説がある。時間の経過と同時に信じる
ようになってきている。為替と株式で大儲けをした輩がいた現実がある。更に、この事件をキッカケに兵器業界は
大儲けをした。アメリカでは戦争は公共事業といわれ、不況にとって手っ取り早い毒薬と同時に、回復剤になる。 
第二次世界大戦は1929年から世界恐慌から立ち直る大きな契機になった。 アメリカの誘導によって日本が
ハワイ急襲をしてしまった。そうこう考えると、アメリカは恐ろしい国。イラクの攻撃のキッカケとなった
大量破壊武器所持疑惑も、実際には存在してなかった。戦争を仕掛けるためにCIAが捏造したことが後になって
判明した。日本のバブルもアメリカによる日本国内の内需拡大の強制による。その結果の日本のバブルのピークを
待って株式の暴落を誘導を図った。そして下がりきった株と不動産を買い捲ったファンドが、大儲けをした。 
好き放題に日本の資産をいじくりまわし、収奪を繰り返しているアメリカに日本は成す術がない。歴史的にみて、
その後の2008年9月15日のリーマンショックと同じレベルで、2001年9月11日の事件は語られるはず。
アメリカ崩壊への二つの大事件として。 これを必然的事件とみると、何か底知れない深いウネリを垣間見れる。
20世紀的なものの崩壊の必然の事件としてである。そして、この火の手が10年20年かけて世界を焼き尽くす。
日本のバブル崩壊後、山一證券が倒産したのが、7年後。大手銀行が3つになったのが10年後である。
この世界恐慌も、10年20年の時間で世界を大きく変えていく。現在はデフレ、ハイパーインフレが襲ってくる。
グローバル化は、世界をフラット化する。日米欧は、その他の国と変わらないレベルになりざるを得なくなる。
9年でネットも、携帯電話も、テレビも、劇的進化をしてきた。それが、世界をフラット化を進めている。
これから10年、世界は、その動きを更に大きくするだろう。 面白いと同時に、恐ろしい10年になる。
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3083, 哲学人 −1
2009年09月13日(日)
 * 小説の作り方
哲学研究者の、ブライアン・マギー著『哲学人』を、半年がかりで読んでいる。
なかなか難しいが、時どき解りやすい部分もある。分野の違う人の「小説の作り方」も、
小説作法の全くの素人からみると新鮮で解りやすい。 自分の欠けていた部分を満たす作業としての小説も、
読んでいる方も、書いている方も、リアルに感じるだろう。 自分の体験を補充するなら事実に近い
深みのある内容になって当然である。 まずは、その内容から〜
《 私の希望は、相思相愛の果てしない追求だったが、そうした愛を経験したことは一度もなかった。
経験できなかった理由は、私が愛されなかったからではなく、愛さなかったからである。行き場のない強烈な
感情の内海は私のなかでせき止められ、誰かが愛してくれたときでさえ、表に現れることはかなわず、自由に
流れることもできなかった。そのため大きな不満が募り、激しい感情に支えられた衝動が蓄積され、私はその
はけ口を求めた。 そこで思いついたのが、小説を書いてこの衝動をつぎこむことだった。その小説のなかでは、
大海のごとき感情があふれ出ると同時に癒され、私に欠けていたことが、ある意味で達成される。
それも想像のなかだけではなく、現実のもの、自分の外に存在するもののなかで、である。
私はこれを『ラブ.ストーリー』と名づけようと思った。驚くべきことに、このタイトルはその時点では
まだ使われたことがなく、少なくとも私の知りあいに過去の例を覚えている者はひとりもいなかったのである。
私の構想では、中心人物は最低でもふたり必要だった。 女と男がひとりずつ、これは当然である。
では、このふたりをどうするか? 単純に、彼らは恋愛中という設定にして、その愛を表現してみるのか?
それだけを2~3百ページにわたって情熱的に語っていくのか? これをうまくやってのけることが想像できなかった
わけではない。 私が、本来の私とは違う作家になれば、それも可能だったろう。壮大な散文詩、淡々とした、
それでいて、たゆまぬ愛の賛歌というわけである。ただし作品自体がだれることなく飛翔しつづけるためには、
その勢いは単に力強いだけでなく、本質的に詩的でなければならない。そしてこの場合、私の勢いに力はあるが、
詩情はないとわかっていた。 この本の背後にある衝動は、何よりもまず心理的、感情的なものだった。
私が探していたのはリピドーのはけ口だったのである。それに、私にとって自然なはけ口とは、叙情的であるより
むしろ劇的であるべきだろうと感じてもいた。波乱に富んでいて、望むらくは力強いものでなければいけないのだと。 
しかし、だとすれば本のなかで何かたいへんなことが起こらなくてはならない。 そして、このたいへんなことが
本の内容に大きくかかわるのだとしたら、恋愛関係に影響を及ぼすものでなければならないだろう。 
さらに、それがささいなことでないとしたら、重要なことでなくてはなるまい。いずれにしても、劇的な効果を
あげるにはそうである必要がある。考えれば考えるほど主人公たちの恋路を邪魔するもの、なんらかの障害で
なければならないという思いが強くなっていった。いわゆる三角関係についても、思いつくかぎりの可能性を検討
してみた。だが、そのうちのどれかが読者の心をつかんだとしても、本来無条件であるはずの主感情に制限を設ける
ことになってしまう。それは避けたかったので、別の登場入物を巻きこまずとも、彼らの恋愛にとって大きな
現実の脅威となるものを考えてみた。浮かんできたのは、重大な病気や事故というアイデアだった。 》
 ーーー
ここで、著者は「相思相愛」の経験が無かったと正直に告白している。そのリピドーのはけ口を『ラブ・ストーリー
にしたのだと。相思相愛?の恋愛結婚をした人は、そのまま、脚色をすれば小説になる。が、本当に面白いのは、
著者の方だろう。所詮は共同幻想、いや自己幻想、いや他幻想だから、『達成したことに何かを付け加えるより、
達成できなかった幻想の方が、むしろ新鮮味がある』と言える。 哲学人の書いた小説作用の切口もリアルである。
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 2008年09月13日(土)
一昨日、「清水洋の経済セミナー・全3講ー有事に勝ち残る」を受講してきた。
4年前からのシリーズで、これで三回目である。30数名の参加者だが、行くたびに、講師の言うとおり、
経済が世界的にも国内的にも深刻度を増している。何時も暗い気持ちになって帰ってくる。 
 *印象に残っている順に書くと、
・この5年間で中小・個人を含めた30?の事業所が閉鎖。ここに来て更に悪化している。
 (周りを見ていると、その通りになっている)
ハイパーインフレは、もう間ちかに来ている。来年は食品がインフレになる。 
 5年〜10年先を想定して、金とか財政が優良な国家の債権などに、ヘッジをしておくこと。 
 国家破綻とは、ハイパーインフレになり、庶民の資産価値が激減すること。 ヘッジをしてあれば、
六分の一になったら、逆に六倍の価値が上がることになる。金は現在二千八百円だが、六千〜七千が目安。
 他のヘッジとして、 カナダドルを持って、ケイマン諸島に預けておくとか、
・不動産のビッグバンがおきている。地方銀行の隠れた不良債権が膨大にあり、これから表面化してくる。
・変化は、ある日、一挙に起こる。
・10年後のイメージとして、国家予算が370兆円、70兆円が国債の発行。(ハイパーインフレのため)
 ガソリン千円。 首都圏移転が本格化。
・現在の夕張市の実情が、10年後の日本の姿。公共事業はゼロ。
 公務員の三分の一カット、給料の三分の一カット。
道州制は、早く導入されるだろう。そうしなければ、日本は持たない。官僚を解体するのに一番手っ取り早いから。
・日本政府は、隠れ資産が膨大にある。まずは東京の霞ヶ関の土地と建物。 首都移転で、数百兆円など軽く捻出
 できるし、ガソリン税などの特別目的税などの余剰の資金が国民の目から隠されている。道路公団を民営化すれば
 膨大の株価から金が入るし、郵貯の株式も膨大な金額になる。それもこれも、道州制と首都移転から派生する。 
 まだまだ、国家は多くを隠蔽している。要は、これまでの固定観念を根本から変えること。
 グローバル、フラット化、情報が誰にでも手軽に入る時代になった。 
 それは根こそぎ社会を変えようとしている、ということ。
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大まかに言えば、こんなものだ。 税務署が来て、明らかに理不尽なことをいう。
こと細かくメモを取っている。 もちろん、ここで後日に一連のヤリトリを公表するが、彼らは、
そういう官僚機構の末端である。この国は狂っているとしか思えない。取れる相手が3割しかないから、
そこで理不尽なことをするしかない。 というより、世界的な混迷期に入ってしまったのだ。 
知れば知るほど、この10年の変化がタダゴトではない。特に日本は一番マイナスに働くであろう。
明治維新の動乱など足元にも及ばない混乱が始ったのである。
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2007年09月13日(木)
 2354, 閑話小題 
ギリシャ旅行より帰ってー
ー安部辞任ー
(字数制限のためカット 2010年9月13日)
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2006年09月13日(水)
 1989, 地元・中堅企業が二社倒産
ー石橋組の倒産ー