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* ドルの供給量が三倍
リーマンショック以来、ドルが三倍、ユーロが二倍の資金供給量の増加になったが、円は二割の増加。
それからして、ドルは40円になって然るべきだが、不思議なことに100円辺りにとどまっている。
米国債を発行したりしてドルを回収しているが、そこにシェールガスの供給量が爆発的増加の要素が加わる。
やはりドルが全世界の基軸通貨の絶対的強みがあるが、何かマジックがあるような。で、安部・黒田コンビが、
過ってなかったほど、無制限に円の資金供給量を増やし、それが株式にまわって株価を上げている。
その崩壊も、時間の問題で、ある日、突然・・・
* つれづれに
先日、TVで「幽霊や、虫の知らせ」について、色いろなケースを取上げていた。そして、学者が、「それら全てを、
勝手な物語化しているに過ぎないだけ!」と否定をしていた。これは各自の感覚の問題であり、断定出来る問題でない。
私も、ある時期、変な感覚が身についたことがあった。今は全く無くなったが、これは経験してみないと理解できない。
「激怒した相手は、本人か家族が数年以内に病気か不幸が起こる」と信じている。家庭内は何こも多くの問題を抱え
ていて、数年以内に必ずトラブルは起こる。特に熟年家庭には・・ 自分より年上には「いずれ直ぐ死ぬ!」で済む!
* 「LUCY/ルーシー」〜シネマ評
まあ面白い! 95点である。ここでは、人間は脳の10%しか機能してないというが、3〜5%も
使ってないのが大部分だろう。私自身の過去を振り返ってみた実感は5%である。 ーレビューよりー
≪ 脳が100パーセント機能してしまったヒロインの戦いを描くアクション「LUCY/ルーシー」。
ごく平凡なルーシーは、台北で、マフィアの闇取引に巻き込まれ、密輸のため新種ドラッグを体内に埋め込まれる。
だが、袋に入ったそのドラッグが体内で漏れ出し、ルーシーの脳はみるみる覚醒。驚異的スピードで変化する
彼女は、脳科学者ノーマン博士が見守る中で、人知を超えた能力に目覚めていく…。
しかし一方で次第に人間性を失っていく彼女は、 自分自身でさえも制御不能な状態へと陥っていく。
果たして100%に覚醒したルーシーは、人類を救う存在なのか? それとも破滅へ導いてしまうのか?
通常は10パーセントしか機能していない脳が100パーセント機能してしまったら?わずか数分で外国語をマスターし、
傷みも感じない身体はスーパーパワーを身につけ、肉体的な格闘を超越して超能力の域に達する。
気弱な女の子から、人間性を失いつつも超人に激変を楽しみたいファンにはおすすめだ。≫
▼ 火事場の馬鹿力は確かに存在するが、それを薬物を使って引出すのは、アスリートや音楽家の世界では
広く応用?されている。 これを拡大したアイデア一発だけで勝負をした内容が、何とも面白い!
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4551, 2050年の世界 ー2
2013年09月01日(日)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著)
* 船橋洋一の解説 〜1
最後の船橋洋一の解説が簡潔に大筋をまとめてあり、これだけでも読みごたえがある。四十年間の最も意外の黒鳥は
インターネットには全く同調する。まずは、その辺りを抜粋してみる。
ーその部分を抜粋してみるー
≪ 四十年先の世界を予測しようと言うメガチェンジならぬメガチャレンジをエコノミクス誌が試みた。
これがいかに無謀かは、過去四十年間に世界で起こったことがどれほど不可測的であったかを振り返れば足りる。
例えば、一九七二年の時点で、次のような地政学的新世界を誰が予測しただろうか。
○ ソ連が崩壊する。
○ 中国が世界第二の経済大国にのし上がる。
○ 新興国パワーのインド、ブラジル、南アフリカがサミットを開催する。
○ 日本が二十年間の「失なわれた時代」の揚句、没落する。
○ 米国と欧州連合)が深刻な債務危機に喘いでいる。
○ インターネットが世界を覆い、フェイスブックが、インド、中国に次ぐ十億人の大国になると誰が予測しただろうか。
過去四十年間の最も意外の黒鳥は、インターネッ卜だったかもしれない。これ一つとっても未来予測に謙虚であるべき。
もっとも、英エコノミスト誌は、この種のメガチェンジの調査予測をこれまでたびたび特集してきた。有名な例の一つが、
一九六二年、ノーマン・マクレー副編集長が執筆した「驚くべき日本」の大特集である。日本が戦後の復活の過程を終了、
世界の経済大国へとのし上がっていくだろうとの日本像を鮮明に打ち出し、世界の日本観を一変させた記事だった。
同記者の日本調査予測モノは、その後、一九六五、一九六七、一九八一年と続いた。
今回のエコノミスト誌の予測は世界をまるごと予側している。さらに野心的である。
○ 絶滅種が再生技術で復活するだろう。マンモスが一番乗りするかもしれない。(恐竜は雛しいのだろうか?)
○ イエメンでは、二〇一五年までに自然水が完全になくなる。
○ インドは、文盲人口と大学卒人口がほぼ同数という世界で最初の国になるだろう。
○ インドとパキスタンが競争の可能性がある。それが起これば、核保有国同士の最初の戦争となり、もしか核戦争?。
○ 中国の繁栄は長続きしない。最大の要因は、人口減のの重圧である。中国の出生率は2.1に落ちる。
四十年後、日本、欧州と並んで最大の人口負け組となるだろう。
二〇五〇年。最大の人ロを擁する国は17億人のインドである。中国がそれに次ぎ、米国を抜いて、ナイジェリアが
その後を追う。インドネシアも向こう四十年間、人ロポーナス国である。二〇五〇年、アジアは世界経済の半分の規模。
この時点でのG7は、インド・ブラジル・ロシア、インドネシア、メキシコ。現在のG7で残るのは米国だけになる。・・≫
▼ 過去40年より、今後40年の方が遥かに大きな変化が次々と生じてくる。理由は簡単、スマートフォンなどの
情報端末が止まることなく進化し、世界中の人たちが瞬時に繋がる流れが加速し、それが一部の特権階級の富、
情報、権力の独占を破壊することになるからだ。未来学者が、現在の事態は自分たちの予測を遥かに超えていると
述べていた。こと知識、情報、娯楽面で充分に恩恵を受けている実感がする。
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4176, グローバル化の真実
2012年09月01日(土)
『 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか 』水野 和夫 (著)
なかなか面白い本である。 ーアマゾンの書評の中で解りやすいのをコピーしてみたー
≪「自由とはドルとエネルギーの消費である」と言われたアメリカが覇権国である時代はもう終わった。しかるに
アメリカはグローバリゼイションという名の〈米による世界経済征服計画)方策で、その命を永らえさせている。
(そこには様々なきしみとともに大きな亀裂も生じる)成長を至上命題とする近代資本主義は限界に来ている。
今行われようとしている景気回復は誰のための景気回復か立ち止まって考える必要がある。それはいわゆる株主
〈言い換えれば上位1%の富裕層)のための景気回復ではないのか。働くものを幸福にはしない。このままでは景気は
回復しても労働者の賃金は下落する。(一億総中流というほんの少しの間の日本のキラメキは戻ってこない)
アメリカは金融化で世界経済を支配しようとしている。しかしそれがうまくいかないことはもう証明されている。≫
≪ 水野氏の議論の核心は昨今の世界経済危機が、16世紀以降近代資本主義の構造を前提に反復された景気循環の
一環ではなく、こうした構造自体の終焉を示すより根源的事態であるという視点に他ならない。これに匹敵する歴史の
根源的危機として水野氏が参照するのが、中世封建制経済から近世資本主義経済への過渡期に当たる16世紀である。
16世紀と21世紀は、氏によれば、数々の点で相似的関係に立つ時代である。 こうした相似性は
1.それぞれの構造において経済が極限を迎えてしまった結果、投資効率が極端に落ち類を見ない低金利に陥ってしまったこと、
2.こうした危機的状況の打開のため前者においては「陸から海へ」、後者においては「海から陸へ」という
世界軸の大転換が生じたこと、
3.かかる転換の途上で前者においては地理的空間の拡張、後者においては仮想的空間の拡張とそれに伴う
超法規的収奪が、それぞれスペイン/アメリカという旧体制維持の世界帝国建設のため実行されること、
4.こうした世界帝国はその反動制故に解体を余儀なくされ、その残骸の上に新世界が現出されること等々に
確認されるという。 21世紀における'1.から'3.への過程は天然資源の希少化に由来する大量生産/大量消費型
経済モデルの失速とそれに代わる情報・金融革命に基づく仮想空間への資本主義の突出により可能となるが、
帝国を支えるかかる空間上の高収益は人件費の流動化、即ち〈搾取〉により初めて実現する。だがこのことこそ、
近代という時代を構成した資本主義と民主主義の幸福なる結婚という神話のおわりを明らかにする。
「ルールを破ることを許される者と、それが許されない者との徹底的不平等」に基づく
新自由主義を通じ国家は、前者の後者に対する「搾取」を「規制緩和」を通じ実現する手段に過ぎなくなった。
「労働は、資本にすり寄った国家に裏切られたのである」。グローバリゼーションの本質を、16世紀に起きた
同質の変化と 対比させることによって明らかにしようとする。≫
▼ ここで著者は、「グローバル化の真実を、「アメリカ金融帝国システムを中心と、その周辺を結びつける
イディオロギー」と、看破している。グローバリゼーションの事実とは「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」
である。そして、帝国主義国=アメリカ金融帝国は世界中の従者から「規制緩和」を強要し、「搾取」をする、これが
実態であると。その手始めが1985年のプラザ合意である。日本は、ここからバブルとバブル崩壊のプロセスを歩み、
アメリカに搾取された。
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3811, 閑話小題 ー老いと病について −1
2011年09月01日(木)
▼ 血圧について
酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の
入り口にある。出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、「毎日の運動を意識的にして続けて
いるので大丈夫」と、判断していた。 最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いてあるので
自然に、毎日のように検査をしている。だいたい145〜155である。そこでネットで調べてみたところ140からが
高血圧の三段階の初段階とあった。医者にいわれ続けてきた通り。両親とも高血圧体質で数値をいつも気にしていたので、
年齢プラス80〜90が高血圧の境目、という記憶がある。 65歳として、やはり145〜155が境目になる。
ということは年齢からして、少しは考えなければならない。晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。
食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、ほぼ口にしない。また塩分も最小と心がけてた。
運動も30年近く、早朝に散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように運動ジムに通っている。
反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコールの缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。
死ぬならガンと思っていたので、血圧に対して少し認識が甘かったようだ。 昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、
高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ血圧対策をしなくてはならない時期にきた。
今さら遅いか? まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、健康で長生きをしたい
欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。 やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。
ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。
「 若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」と今東光が、いみじくも言ったが、その通り。
「 チョットチョット、あの老人、現実に溺れすぎて、恋もしたことが無いんだって! 」というのも、ある。
血圧と何の脈絡がある? かというと、血圧など気にする時節に「人生を充実して活きてこなかったことに、後悔する」
からからだ。 チロリ・チロリ・チンチロリか〜
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3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3
2010年09月01日(水)
*初めての21歳の欧州旅行 ー2
デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。
それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。
その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、ロンドン市内には、
シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの雰囲気も異次元世界へ
タイムスリップをしたような感覚であった。そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験を
してみた。 こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。
これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさの面で非常に豊かにした。
元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン
騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、
ハメがきかなくなってなっていった?
パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。
そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。
その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。
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3071,衆院選挙の各新聞の論評から
2009年09月01日(火)
各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。
ーまずは印象に残った箇所から
・麻生首相は保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、
「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞)
・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党が
国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞)
・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに
されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞)
・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、
似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。
サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞)
以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。
(次数制限のためカット 2011年9月1日)
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2706, 現代とはいかなる時代か
2008年09月01日(月)
人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、
インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。
著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。
4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ
ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。
我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。
ー以下、要点を抜粋したー
「地球システムの崩壊」 松井孝典著 −読書日記 −2
*現代とはいかなるじだいか
1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。
人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、
次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。
この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。
アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。
「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。
今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、
宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、
一般の人にも、画像としてはっきりと確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体である
ことも認識させてくれる。 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは
生物圏の存在を示唆し、地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態に
あることを語っている。専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。
また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、
灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、
「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。
それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、
その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた
時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。
その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から
向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を
確認しておかなくてはならない。
〜〜
何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。
月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて
みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。
それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。それが自滅とわかっていても
自分自身どうすることも出来ない事態に入ってしまっている。この知的生物とやらは、知を得たがゆえに
消滅していくのである。正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。
・・・・・・・・・
2007年09月01日(土)
2342, 「ある」ことと「あった」こと お|* ̄O ̄|は
『狂人三歩手前』 ー中島義道著
ー「ある」ことと「あった」ことー
理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるから「ある」のである。「あった」があるから、その想起で現在が
「ある」。「私」も現在から過去を振り返ったとき、「私」が発生するのと似ている。現在は過去にかこまれている。
かって旅先で暴漢に襲われて記憶を無くしてホームレスになって、そして立ち直っていく男の物語の映画をみたことが
ある。これこそ自己喪失である。そこに記憶も生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。それは「あった」があるから
「ある」という説明に、解りやすい物語であった。その映画を見て、人生は「ある」ということと、「あった」と
いうことで成り立っており、その両者を大事にしなくてはならない!と実感をした。過去は消せないのである。
ー以下は『狂人三歩手前』から・・・
世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心についてでもいい、われわれは
現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」とみなしがちである。
(以下、字数の関係でカット09年9月1日)
ーー
非常に解りやすい、深い内容である。これを歴史に当てはめてみても、成り立つことである。
遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。
(その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。そして、現在、私が世界を生きている!
これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は何だったのか? これを考えるのが哲学の一歩である。
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2006年09月01日(金)
1977, 三回目のケニア旅行ー2 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。以前はケニア旅行といえば珍しい
存在であった・・ また首都のナイロビからマサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。
しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。 話は変わる。 マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台
集結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、
突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に車を突進、寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。
若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。 ー字数の関係でカット(13年9月01日)
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2005年09月01日(木)
1612, ハワード・ヒューズ
ー字数の関係でカット(08年9月01日)
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2004年09月01日(水)
1247, さよなら!五十嵐恭一さん
−五十嵐恭一さんへの弔文