『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太
   * 「小さな神様から、小さな物語へ」 
 著者は、東北震災の被災の地で、苦しんでいる被災民が、それぞれの「小さな物語」を見つけ出す。
起こってしまった現実に対し、自分を納得させる物語でしか救われないのである。ーその辺から(P222)よりー
≪ 「私は、夫が家にいた私を心配してもどってこようとして被災したのだと思っでいます。夫は私を助けようと
 命を落としたのだと考えたいのです。 消防団員からすれば、「町のために死んだ」と考えた方が死を受け入れ
やすいはずです。しかし、奥さんからすればそう考えるより、「自分を助けようと死んだのだ」と思った方が
どこか納得できる。「小さな物語」が落としどころとなって前を向くことができるようになるのです。
 ―夫は町のために死んだのではない。自分を助けるために家に帰ろうとしし流されてしまったんだ。
私は彼女がそう自分に言い聞かせながら生きていこうとする姿を見て、こみ上げる感情を抑えきれなくなった。
彼女にとってこの物語がどれだけ大切なものであるか。それは闇に閉ざされた海に灯る灯台のようなものです。
この光があるからこそ、彼女は闇の中を進んでいけるのです。≫
▼ 数ヶ月かけ書いてきたー「事業人生を決心して45年の」の語り直しーが、これに近い。
 書くべきことでないが、自らを保つため書いてきた。いや、このブログが、毎日の「小さな物語」。
「死んで3日も経てば、300年前に死んだと同じこと」というが、書き残こしておけば、痕跡になる。
成るほど、ブログは墓場。 毎朝、過去の10年以上の同月同日の文章に目を通すが、これは過去の
自分自身への墓参りでもある。
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4542, 閑話小題 ー種銭の話 ー3
2013年08月23日(金)
   * 種銭は、まず一億が目安
 日経新聞の『私の履歴書』で、誰かは忘れたが、「事業の種銭は一億円。そして次は三億。何はともあれ、
その金額を用意すること。」と語っていた言葉が記憶に残っている。20数年前のことだが、その間にデフレも
あり現在でも通じる金額。「富裕層=ミリオネア」が金融資産1億以上というから、これがロットしての目安の
ラインとみてよい。 ミリオネアが、世界では1千万。 日本で190万人が存在するというから、一世帯あたり
2・46人とすると、467万人、総人口1億2600人として、37世帯に一軒が1億円の現金を持っていることになる。
「40軒弱の世帯が一億の現金を、その70倍の2700世帯に一軒が10億の現金を持っている」と、家内の反応をみたら、
「そんなにいるはずがない!」と取り合わない。
 地方の最もマイナーの経済地域にいることもあるが、大学の友人を見ると、有り得ること・・ 
 33年前の私の創業時の手持ち金額が1億。手持ちの土地が1億で、合計2億。それに1億8千の借入で、
総計3億8千が、最初のホテルの投資額。これが創業としてのロットとすると、こんなもの。
 ホテルは創業は華々しいが、一度、投資をすると20年〜30年かけ回収する地味な装置産業。結果からして、
10年を節目で売却、転身すべきであった。その辺りが私の限界である。事業年齢からみて30年経過後の老衰死。
残ったのは、家内名義の自宅と、家内名義の幾ばくかの預金と、何とか人並みに過ごせる?二人分の厚生年金分。
子供が本気で事業を望めば、自宅を売却して何とか・・ だが、子供も家内にも、「家のために」
「自主独立のため独立」とかいう気が全くない。それより世界恐慌の本番に向け、下手に事業などしない方が得策。
 ところで、100億、いや10億の現金があったら、何をしたいか? 今さら、何もない! 50歳代までに遣り尽くした
感があるので、今さらハワイかシンガポールへの移住するのも面倒。京都か、軽井沢近辺に住みたいとも思わない。 
あとは人生をスキップしながら、適当に生きていければ充分。世界恐慌の最中、衰退する地方も面白いと思えばよい。
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4167, 老年行動学 ー4
2012年08月23日(木)
               「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
  * 「長寿者は少食」という、間違った思い込み
 両親をはじめ、若い時から老齢の人との接点が多く、人生を充分に生きた人たちのエキスを得ることができた。
最期は脳梗塞やガンなどで亡くなっていった。それぞれが壮絶で、生きた人生のとおり死んでいったが、死んで
しまえば、それまで。 身近で知る限り、80歳辺りから一年一年、急激に体力が落ちていく。中年までは
メタボにならず、老齢期に入ったら、逆に痩せ過ぎない方が良いようだ。長寿の人は、小食というより肉にしろ
魚にしろ何でも食べる人が多く、食事を楽しみにしている。愚痴は少なく、明るく何事にも興味を持つ性格が共通。
 それと孤独の人は認知症になりやすいという。人の接点が少なくなり、それが存在理由を小さくし、内に篭もる。
それが認知症を進める。 一般的に男の方が定年後、横の関係が出来てないため孤立傾向になりやすい。
妻に先立たれると、孤立する傾向が強くなる。そこで個食が孤食になり、その寂しさからアルコール依存症になっていく。 
一度、アルコール依存症になると、倒れるまで飲まないと気が済まない状態になる。その結果、孤独死。孤立する原因に、
時どき新聞ネタになる「ゴミ屋敷の住人」の主がいる。老人の判断基準で分別が出来なくなり、苦情などでゴミを
捨て辛くなり、その結果、家はゴミの山になり近所との軋轢が出てしまう。この傾向は全国的にエスカレートしている。 
私の場合も、家内に先立たれたら直面する可能性がある。自分の年齢と、その自覚の差異が7歳もあるのが問題の一つ。
精神の老いに生活が追ていけなくなる問題である。 もう一つ70歳を過ぎると免許証の返納を勧められる。
しかし本人にとって最後の砦を失うことになる。危ないという自覚がないから、尚のこと。歳をとり日常生活で
イライラすることが多くなるほど、車の運転は自己効力感が強くなり、貴重な楽しみになっている。
それを取り上げると、気力も何も無くしてしまう。いずれに、直面することになると思うと暗くなるが、
今日一日を精一杯生きていくしかない。老人化も、冷静にみれば面白いもの。生きているだけ儲けもの?
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3802, 哲学人 ー④
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間によってつくられる、つまり、価値と
 道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ
人間の経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、まわりくどい戯れ言(その正体は
やはり宗教的なもの)とみなした。私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在していることに驚異(あらゆるものが奇跡に
ほかならないということ)を感じる感覚が欠けているという点である。 結局のところ、 深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な特徴すら私たちは自分では気づいて
当然なのに、私がいま述べているような人々はその点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ
正しいということを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは「常識は正しくない」ということだった。
 あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的
な世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそばかげていた。
彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を問いただしても、そうした疑問はことごとく
退屈で的はずれなものとして退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい理解でき
そうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。
彼らの望みは、理解できる事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べると、
 わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの共通点があったのである。
大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、
空間、物体の知覚、物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの人たちからやや
孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば
変人扱いされかねないことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、人生のほかの局面では
とても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な
音楽愛好家にして、芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われていることは、
たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだと知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、
この問題に取り組んだのは、なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、私たちが
暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に何故誰も魅了されないのか理解できなかった。 
頭の良い人なのに、何よりも重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくないということだった。あっという間に
 不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定する
ことをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそばかげていた。
彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくない
ことは、今さらだが、あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、この年齢で実感する。
考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、
何だったのだろう。
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3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、決して長くはない。アッという間である。
家庭に恵まれていたし、時代背景にも恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。
明日の金が無くて呆然としたことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。
また事業を四十年近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれたのが良かった。
好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことができた。 好きな本も充分に読むことができた。 
好きな箱物(ビル)造りも、小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。 
もっと事業を大きくできたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争ベトナム戦争、中国の文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、
日本の高度成長、バブルと、崩壊、そして失われた20年という長期の停滞。アメリカのニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、
20世紀的なものや、文化の破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。特に20代、
30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。
そうこう考えると本当に良い時代背景だった。 情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入り口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。 毎日が驚きと、感動と、おののきの日々である。
それにしても知らないことが多すぎる。
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3062,階級社会だと! −2
2009年08月23日(日)
 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。
その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊のプロセスを身近で何人か見てきた。
その崩壊は人間性の崩壊になる。階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が無くなれば
階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。
イギリスは階級制度のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように受け入れるシステムに
なっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、
家柄より学歴を優先する社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 
 (字数制限のためカット 2011年8月23日)
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2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば毎朝、豪雨でない限り歩いている。
もう25年ほどになる。年々少しずつだが歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。
日本人の歩行は、この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では6000歩弱に、車通勤では、
4000歩も歩かない。江戸時代には日本には散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いて
いたから、敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は歩いていたという。
西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。
氷川清話には、散歩の話がところどころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が生活の中に散歩を取り入れているのを見て、
心身の健康の効用を看破した。私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常の生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けていくのがわかる。それと、脳の活動が
活発になるのも分かる。これを続けていると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など出ようがない。最近はiPodでアルファー波の
タップリ入った音楽を聴く習慣も取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識しない
ですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら歩いたのは、脳が活性化するためである。
散歩を健康のためとか、考えるため、というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った年配の人が散歩をしている。
道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに話しかけている。
 (字数制限のためカット 2012年8月23日)
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2007年08月23日(木)
2333, ホッファー  −2        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!