* 反省なら猿でもできる! ーご覧のとおり、そのまま結構
 最期は倒産というカタチの整理で終わったが、これも因果応報と諦めもついている。 
結婚以来、実家からの慣わしで、家内に給料を与え、健康保険と厚生年金をかけて、残りは預金をするのは当然と
考えて実行をしてきた。家内は家内で、実家の会社名義の株式を家内名義に分与されていたのを清算。それに預金を
加えると、この事態でも何とか路頭に迷うこともなく、生活をしている。また家内の両親も、私の両親も、実生活は
質素であったことが、そのまま私たちにも引継がれ? 結果として、破滅から逃れることが出来ている。 
 第三者からみたら、10億の借財を残して倒産したのに、これままの状態でいるのが疑問のはず。 世の中、
甘くないのに、そう、計画倒産になる。 創業時の計画から、長期スパンのリスクを織り込んだ創業設計が可能。
 三条や燕の土地柄は、倒産には慣れていて驚か少ない。平気で倒れ、何時の間に再起するケースを多い、とか。
元もと、リスク分散のポートフォーリオのノウハウが染み付いている。 私の場合、家内へのリスク分散と、
家族を社内に入れない原則を守っていた。 そのことが結果として、守ってくれていた。末期に近づくにつれ、
必ず銀行は、まずは連れ合いの連帯保証を求めてくる。 振り返ってみて、「もし、あの時の判断を実行していたら
破滅をしていたはず!」というケースが、幾つかあった。 逆に「何で、あんな馬鹿の決断をしてしまったのか?」
も、数限りある。その結果の一つでもあるが。 「ご覧のとおり、そのまま結構!」と、まず、自分で認めること。
 そうすると、見えなかった要因が、浮び上がってくる。 
・箱物などの長期投資は、有り余る資金が無い限り、すべきでないこと。
・やるなら早々に転売をすること。
・時代の潮目を読み、果敢に決断すること。
・世の中の99%は、目先の現象しか見えてない。現象の大もとを見る目を養うこと。そのために、長期、中期、
 短期の目を持つこと。「10.10.10の原則」=10年、10ヶ月、10日先の3つのスパンで考える視点を持つこと。
その何れも甘かったため、この結果に終わった自分が浮き彫りなってくる。 反省ならサルでも出来るだが・・

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4534, 今日、我が家に新しいテレビが ー2
2013年08月15日(木)
 現在のスマートTVの先がけの東芝の多機能TVについて、三年前の14日にテーマとして取り上げていた。
あれから居間はこれを、寝室で普通の薄型TVを見ているため、その差が歴然と見えてくる。三年使った実感として、
ドラマとか野球をジックリ見る場合、寝室の方がTV環境に良い。しかし寝室の液晶TVには録画機能が無いことと、
W0WOWが見れないこともあり、不満が残る。19〜24時までの地上波=5時間×6日分の中には必ず面白い内容がある。
当初は、この機能は不必要と思っていたが、使い出すと、これが一番有効。ゴールデンの一週間分が自動録画され、
一週間後には当初分から自動的に消されていく。その中から番組表から選んでみることが出来る価値に気づくのに、
一月もかからなかった。ツールが、生活の面白さを決めてしまう一例である。電動駆動の自転車、iPad、シネマ館、
スポーツジムと同じ。この2〜4年で、これらのシステム導入で生活パターンが全く変り、段違いに面白い日々。
  まず、三年前の ー3428, 今日、我が家に新しいテレビがー2010年08月14日(土)ー の一部をコピーする。
《 八年近く使ったテレビを、「地デジの切り替え時期」と「エコポイント」もあって、思い切って買い替えた。
 そのため今年に入って、どれを買おうか、何時買うか、をゲーム感覚で、家電店とネットサイトで集中した。 
昨年からバックライトのLed方式のTVが、家電売り場で目立っており、買うならこれと決めていた。ところが、
この春のエコポイントの終了間近か辺りから3Dテレビが急に脚光を浴びてきた。
既存のTVを売り切った後に、これである(略)》
▼ 現在、慣れてしまうと、これが当たり前になっている。 パソコンでYoutubeをみているが、
 家内は居間にパソコンがあるが、それをTV映像で見ると格段と面白いとか。 TVもバカ製造の側面が大きいが、
割り切ってしまえば、これほど面白く、便利なシステムはない。パソコンとネット機能が、タブレットとスマート
フォンに繰り込まれた現在、次は居間のTV。まあ、暇人?には、特に面白い時代になっている。
居間、書斎、寝室の小さな内周世界と、スポーツジム、信濃川一周、図書館、シネマと、週3度のランチ、
平均して月一度の飲み会と、年一度?の旅行が、外周世界。 これが残された私の人生の世界。 このように
己を冷笑してみると、これまた面白い。あとは人と比較しないこと。 好きなことをしてきた強みが、これ。
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4159, ペルシャ湾危機
2012年08月15日(水)
   * 既に水面下で戦争は始まっている!  (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照)
 オリンピックが終わると、次は中東危機とEUのメルトダウン危機が始まる。EUメルトダウンは前に取り
上げたので、ペルシャ湾危機について考えてみる。「ホルムズ海峡閉鎖はアメリカにとっては軍事問題だが、
日本にとっては死活問題」と、いわれる。アメリカなどは安全保障上の理由から中東原油を減らしてアフリカや
ロシアから輸入を増やしているし、欧州は北海ブレンド原油があり、中国も国内産原油がある。しかし日本は
中東から90%、ホルムズ海峡を通過する原油が85%もある。もしイランによる閉鎖で原油を止められたら
深刻な影響を受けるのは日本である。原油備蓄が半年分あるとしても、閉鎖をされると原油価格が50%は
軽く高騰するといわれる。現在、毎日のようにシリアの内乱のニュースが流れているが、アサド政権が倒れると、
イランにとっても大打撃になる。反政府勢力にはイスラエルの援助があるとみられ、イランとイスラエル
代理戦争でもある。もしイランが核開発を進め、核爆弾を持てば、サウジなどの湾岸諸国も対抗上、核抑止力
として核とミサイルを購入するという。それらを考えるとイスラエルが、このまま見逃すことは考えにくい。
イスラエルがイランの核開発を阻止するのは、イランの神権政治イデオロギー的にイスラエルの存在を
否定しているため。最高指導者ハメニイや現大統領が頻繁にイスラエルを崩壊させると言っているからだ。
とにかくイスラエルの領土は小さい。そこに原発を一発、打ち込めば、それだけで大打撃になる。 
世界的金融危機、中東危機の、いずれにしても、際どい状況が表立ってくると見たほうがよい。昨年11月、
イラン革命防衛隊基地で大爆発がおきて、基地は完全に消滅し、ミサイル開発責任者ら30人が暗殺された。
また、この数年来、核科学者が暗殺されている。これに対しイランも、今年一月にバンコクイスラエル
大使館爆破未遂事件があった。昨年10月にアメリカでサウジアラビア大使を暗殺しようとした事件もあった。 
最近では、シリアで国防大臣などが会議で集まったところにテロがあり、国防大臣をはじめ要人が暗殺された。一
連の暗殺事件や未遂事件を見ると、水面下では戦争突入状態が分かる。 日本はあいも変わらない政治的混迷が
続いており、中国、韓国、ロシアなどに足元をみられ領土問題で攻勢にあっている。 国家的大危機にあるに
かかわらず、いまだ微温湯的体質が、そのまま残っている。しかし現実は、ますます混迷に向かっている。
直近の年内だけ考えても、非常に危険である。
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3794, 哲学人 ー�
2011年08月15日(月)
           『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだブライアン・マギー著
「知の歴史ービジュアル 哲学入門」は、マーカーで真っ赤になっている。一度読み終わった後に
トイレに5年以上は置いて、ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は絵と図が書かれており、
重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、ページを開く抵抗感を最小にしてある本である。 
数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの「哲学人」だった。今度は、そう簡単に読み進むことが
出来なかったが、一年ほど前に読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。350ページの分厚い、
上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で自分の哲学遍歴方式で書かれているので、何とか最後まで
読み終えることができた。ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、コピーしたり、デジタル化して、
私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、6章の要所を挑戦したい。
著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の「知の歴史」を何年かけて読んだため、続けそうな気がする。
  ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー
《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えてくれなかったが、それこそが
 哲学だった。「オックスフォード哲学」全盛期の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」
とする潮流は、現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 知覚論、経験論、論理学、
科学哲学… 多くの思想を吸収しながら、ついにカント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。
 学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画制作の仕事を両立、第一線の哲学者と
 交流を深めながら、自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》
▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、哲学的に考えていた著者に驚愕をした。
 知的風土の違いは子供に、そのまま現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が
分かったことがある。「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。だから、私には、どんな偉い哲学者が、
それを意識出来る訳がない、と論じても、 私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、
管が細くなっていく先に落ちていく、という感じである。
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3429, 電子書籍の衝撃
2010年08月15日(日)
   「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚著
「iPad 対 キンドル」と、合わせて読むに丁度よい内容、その詳細というところ。
書籍が電子化されていく世界が、「本を読む」「本を買う」「本を書く」という行為に、
どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか? を、探り出す内容。
  まずー著者後書きよりー
【 私は年に数百冊も本を購入し、たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者です。そして同時に、年に
四~五冊も本を出している書き手のひとりでもあります。その意味でキンドルiPadのような電子ブックリーダーが
出てくることによって、本の世界がどう変わっていくのかは自分にとっても切実な問題としてとらえています。
本文中で何度も書いていますが、間違えてはならないのは、「電子ブックの出現は、出版文化の破壊ではない」
ということです。何千年も同じような活字形式で人々に愛されてきた本は、そう簡単には崩壊はしません。
そこがたかだか数百年の歴史しかない新聞や、あるいは登場してから数十年しか経っていないテレビとは違うところ。
でも活版印刷が十五世紀に発明されて本の流通と読まれ方が劇的に変わったように、電子ブックも本の流通と
読まれ方を大きく変えるでしょう 】
 電子書籍の拡大によりコンテンツ自体が著者や発行年にかかわりなく平準化し、
よりセルフパブリッシングが拡大する。音楽の世界がデジタル化で起こったことが、ほぼ同じように
書籍の世界でも起こるのである。その結果、既存の出版モデルは立ちいかなくなるということだ。
キンドルiPadというタブレット式パソコンが一躍脚光を浴びてきた
・そこには優れたプラットフォームがあり、
電子書籍化でセルフパブリッシングが可能になり、フラット化する
・さらにツイッターなどのコミュニティなどでコンテクスト消費的な動きになる。
本屋もCD・レコード店、出版社、音楽出版社iTunesやアマゾンの淘汰されていく運命にあるということ。
kindle・iPadが、iPhoneiPodと同じように、それぞれの世界を淘汰していくプロセスを踏んでいくのである。
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3054,渡辺淳一の不良講座
 2009年08月15日(土)
 渡辺淳一著『反常識講座』 
 ー第六章 軽率になって恋をしよう
渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。恋愛感とテクニックは、著名な作家は品位を
疑われる?とかで正面きって書こうとしない。恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねないこともある。
渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。
 ー彼の云わんとすることはー
・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。
 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を絞らないで、二人、三人を
 同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が同時に上手くいく確率が遥かに高い。
(字数制限のためカット 2012年8月15日)
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2689, 他山の石のことながら
 2008年08月15日(金)
 ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした
他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けているだろうと思っていたが、
 案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。(8月13日経済蘭)
ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97?の株式を握る投資会社二社による解任である。
 07年12月期に二年連続赤字で、130億の赤字というから大変なことだ。
(字数制限のためカット 2010年8月15日)
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2007年08月15日(水)
 2325, ベナレス −1          ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と文章を中心に構成されている。
実は数年前に、この番組をみていたのである。本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
ー著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
  <その内容の一部を抜粋してみる>
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。
全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって
担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。 
こうして冥福を祈られながら、やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。
聖地ベナレスで最も聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートはガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。
その歴史は数千年におよぶと伝えられている。  (字数の関係で中間カット 09年08月15日)
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2006年08月15日(火)
 1960, 人生を物語るとは? −2  。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「自分の人生の意味づけ」が、自分の物語の作成ということになる。
 意味づけで、必死に内面を支えようとする心の自浄作業である。
 意味とは価値のことである。自分の価値を明確にして、それに従って生きることが 意味ある人生であり、
 価値実現のプロセスが物語になる。大人が子供に「大きくなったら何になる?」と、質問する光景はいまも昔も変わらないが、
 これは既に大人が子供に人生の物語を聞いていることになる。子供の方は何を言えば目前の大人が喜ぶかを、瞬時判断して答える。
 従って、その質問自体が洗脳作業になっている。 ブログで趣味などを自分の価値観で起承転結で、まとめ上げているのは、
 一人物語っていることになる。ところで、成功が何だというのだろうか? 挫折物語は成功物語に対する反対語か? 堕落物語は?
 幸運は果たして棚ぼた餅のことをいうのか? それもこれも、この世に生きているという輝かしい事実の前では、
 如何でもよいことである。地球に今・現にあるという輝かしい日々の前においては、それらのことは些細なこと!
 お盆で里帰りをしている祖先の霊が一番いいたいことは、そのことである。 『そうでしょう? ご先祖様!』
  ーご先祖様ー
  『全くそのとおりじゃ! 死ぬ直前になってやっと気づくのじゃ、娑婆の連中は!
  日々を輝いて生きるとは、平穏な日々の輝きに気づくことじゃ。
  しかし困難に直面をし、乗り越えようと必死になっている日々も大事である。
  その中に深い物語の意味ー価値がでてくるのじゃ!まあ、味がでてくると言ったほうが解りやすいか。
  生きているうち、 元気なうち、そして愛し愛されているうちじゃ、娑婆は!
  此方から見ていると、 そのことがよく解るのだよ!』    ホンジャ UvU/  バイバイ!  
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2005年08月15日(月)
 1595, 自民郵政解散の攻防−5
今度の衆院選、旧守派と民主党の負け戦?の様相になってきた。この流れは余程のことがないと変わらないだろう。 
 (以下、字数の関係でカット08年8月15日)
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2004年08月15日(日)
 1230, 広松渉(4)−哲学についてー28
価値観について、学生時代から興味を持っていたが、真正面から取り上げている
本は少ない。これだけ理路整然と書いてある文章は初めてお目にかかる。
文章自体難解なのだが、数回読むうちに少しずつ解りかけてきた。
  ー大雑把にまとめてみると
・価値は、主観的感情でしかない! それに対して、いや客観的存在を認める立場がある
・価値絶対説と価値相対説を対立させて、価値の立場を明確にしていく
 価値観は時代、地域などのTPOSによって変わるという相対説と、どんな時代でも、変わらない絶対説がある。
・価値観は期待される行動と、サンクション(賞・罰)によってカタチつくられる。
 ー第二節の実践と価値評価の要点を抜粋するー
第三章 実践するとはどういうことか
 第二節 実践と価値評価
 ー概略ー
哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは「哲学とは即ち価値哲学である」というほどであって、
価値は哲学上の一大テーマなのです。 哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは行為についての正当・不当評価を論軸とする。
・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。
 一方は価値という客観的存在を認める立場であり、いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である
 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、
「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。
「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」等が「財」になる。
 価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、「価値判断」と「事実判断」を区別します。
 価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と反価値とが対になっているのが特徴である。
・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。 絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく価値は存立すると主張、相対説は
歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも
「美人」と評価される女性が存在をした。しかし、ある時代に存在した美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、
そうではない。マリリン・モンローインドネシアでは全く認められなかったというし、楊貴妃は。
現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。実質的価値認定は相対的である。