* 温暖化と水資源問題
 世界の淡水の8割が氷河という。せいぜい数パーセントもあるかなしかと思っていた。
考えてみれば、北極も南極も氷で覆われており、アルプスや、ロッキーも、ヒマラヤも氷河がある。
シベリアには永久氷土がある。としても、ナイル川アマゾン川や、湖など水量の数倍もあるとは。
ということは、氷河は地球の水のダム。世界各地の氷河に行くと温暖化による消失が、必ず話題に挙がる。
  ーネットによるとー
《 地球全体の水資源の約97.5パーセントは海水が占め、残り2.5パーセントの淡水の8割が氷山・氷河。
その中で飲み水、工業用水は残り3割。その約9割は地下に眠っている地下水。その部分を差し引くと
残りは0.075パーセントになる。しかし、人間が直接その水を採取できる湖・河川はさらに限られるので、
ここからまた目減りして、結局「0.01パーセント」。その貴重な水を巡っての紛争が世界中で起きている。
 ヨルダン川イスラエル、ヨルダン、レバノン)、ナイル川(エジプト、スーダンエチオピア)、
チグリス・ユーフラテス川(トルコ、シリア、イラク)、ガンジス川(インド、バングラデシュ)など。
2009年のスイス・ダボス会議では、「いずれ水はオイル(石油)よりも投資価値が出てくる」と指摘
されていたが、まさに的を射たコメントである。》
《 日本は世界有数の多雨国で,単位面積当たりの平均年間降水量は世界平均の約2倍。しかし人口密度が高く,
平均年間降水量を人口一人当たりにすると世界平均のわずか1/5になる。一見,日本は,水資源に恵まれて
いるように見えるが,降水の多くは梅雨時や台風の時期に集中するうえに,多くの河川は規模が小さく,
勾配が急で,距離も短いため,雨が降っても水は短時間で海に流出してしまう。多雨国なのに資源としての
「水」には恵まれていない水資源“小”国。さらに言えば,日本の食料の自給率は約40%で,大量の農作物を
輸入に頼っているが,仮に日本国内で栽培しようとすると大量の水が必要。 日本は,実質的に大量の水=
バーチャルウォーター(仮想水)を輸入していることになる。生活水準が向上するにつれて水の需要は増え
続けるが,世界の約2割の人たちは安全な飲み水すら利用できずにいる。》
《 世界の哺乳類の4分の1、鳥類の8分の1、両生類の3分の1、植物の7割の種が危機に 瀕している」。
・・タンザニアの「キリマンジャロ国立公園」では1万年以上 維持されてきた万年雪が20世紀だけで
8割失われ、このままだと15年以内にすべて なくなる。》
▼ 上記の現実は、我われ日本人にあまり知られてない。現に、私も知らなかったこと。水資源小国とは!
 それでも大雨や積雪などの地下水がダム代わりなっている上に、7割が森林などの自然に恵まれている。
いざとなれば、井戸を掘ればよい! これらから考えると、やはり森林・農業保護は必要ということ。
それにしても、総水量の0.01%とは! 
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4521, がんで死なない生き方 ー2
2013年08月02日(金)
           「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著
   ー更に、印象に残った箇所を抜粋するとー 
・何より重要なのが早期発見。すい臓がんのように発見が難しく進行が早いものもあるが、
 早期に発見すれば約9割が治る。例えば乳がんの場合、1cmの腫瘍が2cmになるまで1年半かかるので、
 その間に見つけることが大切(それより小さいと発見が難い)予防が可能になりピロリ菌感染者が
 減っているので胃がんは減少傾向にある。元々ウイルス感染が引き金になるガンもある。 
・治療の中心は、いわゆる三大治療。手術、放射線治療、科学治療。ただし、抗がん剤について、
 それだけの完治は難しい。サプリメントなどの代替医療の効果は医学的に証明されていない。
 ウイルス療法など新しい手法もいろいろ出てきてはいるが、まだ検証中という段階を出ていない。
 総じて、実態としては26年前から大きく進歩しているとはいえない。また、治るものはともかく、
 末期のものについては必ずしも無理な治療をしないという選択肢もありうる。
 ‘ガンは死期を迎える2〜3週間前くらいまで日常生活を営めるピンコロ型に近い病気’である。
福島原発の事故を受けて、がんへの影響も解説している。被爆しない方が好ましいが、一般の人たちへの
 影響という点で見れば生活習慣やたばこといった要因に比べて、その一つの程度でしかない。
 最近話題になっている内部被爆について、実際は内部被爆と外部被爆の影響を明確に分離して考えることは
 難しい。そして、現時点で空気や食べ物より土壌の汚染に一番気をつけるべき。
・野菜嫌いの人の発がん性リスクは、放射能被爆の100ミリシーベルトに相当する。
 また、受動喫煙も100ミリシーベルトに近い。
・現在、日本人の2人に1人ががんになるが、男性は6割弱、女性は4割強。がんの死亡者数は、男性が女性の
 1.5倍だが、20歳から55歳では、女性の方ががんの発症者数が多い。30代のがん発症は、女性は男性の3倍。
▼ 青壮年時期の20〜55歳は、女性の方が発症者数が多いとは知らなかった。とすると、55歳を過ぎると、
 遥かに男の方が、多いことになる。この年齢になってみて、「生老病死」の問題に直面すると、生易しい
 問題でないことが分かる。皆で老いれば怖くなさそうに思うが、生老病死に関しては、それぞれ孤立した問題。
 それぞれ独自で直面するしかない。著者の同僚7人の医師全員がタバコを吸わないという、その結果を
 見ているからだ。そのうちの一人が、「最近の事情が変わったようで、医学部百人の授業で聞いたら、
 一人もタバコを吸っていない」という。
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4147, 閑話小題 ー8年ぶりの歯医者
2012年08月02日(木)
   * 8年ぶりの歯医者
 昨日、朝飯を食べていると口の中で小さな砂利みたいなのが引っかかった。何だろうと見ると、
奧歯の虫歯に埋めたツメモノ。8年前に、やはり取れてしまい新潟駅前の歯科で入れ直したもの。
その時も被せた下が虫歯になり取れてしまった。今回の原因も、当時と同じであった。さっそく家内から
聞いた歯医者に行くと、間接的だが、「この夏休み時期に飛び込みは困ります」という。
家内に初診でも電話予約をしていくべきと言われたが、私の判断ミス。 そこで二軒目に切り替えて
大型のレストラン風の歯医者に行ってみた。ここは、顧客サービスの視点から、待合室や診療を現代的に
組み替えたシステムで、一度入って見たかったところ。ロビー兼待合室にはパソコン、マッサージ、
何台もの小型TVありで、マンガ喫茶のようである。歯科医が4人も居る。
 歯医者といえば、個人医院が多く唯我独尊の前近代的スペース。誰も語らないが、行きたがらないところが多い。
そこは近代的歯科医を目指す徳真会グループで、新潟県内では松村歯科医が数店舗を出店している。10年位前に
自宅から車で5分ほどのところに出店していたが、私の散歩コースにあった。 実際に患者になった感想は、
「ここを知ったら一般歯科医には、二度と入りたくなくなるだろう」というのが感想。一度だけなので、感想は、
その位にしておくが、直ぐにレントゲンを取られ、それが診療台の前のモニターに映し出されて、こことこことが
虫歯になっており、15回位の治療回数になります。一回の治療の時間を長くし回数を減らすことも可能という。
8年間も歯医者にいってないため、あちこちに小さな虫歯があるようだ。周囲の人の話だと、年に一回歯垢
取ったり、小さな虫歯を直してもらうとか。朝晩、マウスウォッシュでウガイを丹念にして、電波歯ブラシで
磨いているので大丈夫と、八年も行ってなければ、それも仕方がないが。初回もあり、一時間も治療に要した。
   * スポーツジムは夏枯れ
 会員制度だから、ジムサイドとしての経営上の問題はないが、夏休みに入ると、昼コースもあるが館内はガラガラ。
去年も全く同じ状況で、大地震の影響と勝手に思い込んでいたが、夏休みで主婦が家に縛られているようだ。
冷房がきいているので快適だが、家から出るのも億劫のこともある。「とにかく休まない!」をテーマの一つに
しているが、人が多いより少ない方が良い。日が経つにつれ、その場の空気に馴染んでいっている。
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3781, ユング ー14
2011年08月02日(火)
  * ユング心理学、3つの流れ ー � 古典派 (『ユング心理学』福島哲夫著ーP196より)
【 ユングが亡くなって現在に至るまで、ユング心理学の考え方や心理療法派、
 主に3つ流れ、古典派、原型派、発達派として続いている。
☆ 古典派= ユングの考え方を、そのまま受け継いでいる。彼らは「心の深層の象徴的イメージの変容に
 重点が置かれる。たとえば、個人の中で男性イメージと女性イメージがどのように発展し、一つのまとまり
あるものとして機能していくか、ということに 注目する態度に代表される。そして、このような様々な
イメージを一つのまとまりあるものとしていく自己の元型の働きが夢や空想の中にどのように表現されるて
いるかを読み取り、その働きが活発になるように関わっていく。男性、女性イメージのほかにも、英雄が龍と
戦って勝利するイメージが、母親的なものからの精神的な自立の象徴と考えられて肯定的に扱われる。
また、それまでの古い自分が死んで、新しい自分が生まれ変わる「死と再生」、あるいは、それが儀式化されて
成人式や結婚式、葬式の儀礼となった「通過儀礼」などの、イメージを個人が内面で、どのように体験するか
ということも大事にされる。これは、内面のイメージの変容をどのように体験して、それまでの自分と、
どう違った自分になるかに大きな関心が向いている。
  ー古典派の治療態度とはー
  ここで、グリム童話の「かえるの王様」を例にして自己表現を、取り上げている。
<姫が気に入りの金の鞠を泉に落として、悲しんでいるところ、蛙が現れ、条件をつきで鞠をとってもらう。
 しかし、蛙を気持ち悪く思う姫は約束を破り、叩きつけてしまう。すると蛙は王子に変身し、二人は結婚をする> 
 古典派では、金の鞠を「自己」、蛙を、未知なる男性、他者。結婚を自己実現と解釈する。彼女は他者と初めは
 嫌々ながら密接に関わりながら、正面から対決することで大人になり、自己実現(結婚)をしていく。
 古典派は、このような変容過程が、実際の個人に起こることを期待するのが、立場になる。】
▼ ひとつ夢でも、ユングの各派で解釈が色いろ違ってくる。古典派は統合と発達を大事にする。
 結婚=自己実現するために、他者を叩きつけてしまう、という部分が象徴的。叩きつけられた他者は、
そこで王子=理想的相手に変身するというのも意味深長。これでは、結婚してからの蛙はたまったものでない。
しかし、そういうものと心の奥で、割り切るしかないのか? いずれにしても、親からの自立は、人類の永遠の
テーマとなる。成人式も、結婚式も、ひとつの通過儀礼である。そこで、二世代、三世代家族は多くの課題を持って
しまうのは当然の結果である。一生、小さな岩場の中に閉じ込められた山椒魚になる。気がつかないのは自分だけ。
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3416, 「憎国心のすすめ」 ー2
2010年08月02日(月)
■ 知性の定義
 知性を電子辞書で調べると、
「知性とは、『知覚を認識に作り上げる精神機能。感覚によって得られた素材を、整理・統一し、
認識に至る精神機能』とある。ここで日本人には知性が足りないと繰り返しているが、その「知性とは何か」
と言われるといま一つ曖昧である。そこで著者は知性について一章をさいて書いている。
 ー知性について書いている印象に残った部分を書き出してみるー
* 私は「知性とは何をしたらよいかわからないときに用いるものだ」というジャン・ピアジェの明快な表現が好き。
 つまり「正しい答え」がないときや、通常の対処で十分とは思えないときに必要となる。 柔軟に対処したり
手探りしたりする能力で、いわば知的な即興の能力である。 モーッァルトやバッハのコンチェルトのように
高度に磨き上げられた作品ではなく、ジャズの即興演奏を思い浮かべるとわかりやすい。知性とは、即興で作られ、
思考と行動によって磨かれる「過程」のことである。』 (『知性はいつ生まれたか』ウィリアム・カルヴイン著)
*『 新しい情況に当面したとき、盲目的にもがくというような、本能的方法(例えば運動暴発)によらずに適応
する仕方または課題を解決する方法をいう。過去の経験を利用することが多いので、この能力(記憶)をも〈知性〉
のうちに入れるのが普通であって、これを〈再生的知性〉という。また、人の知性のうちには抽象的思考力があるが、
これだけを〈知性〉と呼ぽうとするものもある。 なお、《英知》というコトバは精神の知的側面、とくに高級な
思考作用をいう。〈概念をつかう能力〉のような高級なものをさすことが多い。』
*『ー 困難な状況に直面して生来的なまたは習慣的な少数の反応しか持ち合わせていない動物は、
その反応が成功するか、環境の偶然の変化によって条件が好転するまで、その力と衝動の持続する限り、
その持ち合わせの反応を無駄に繰返すに止まる。 (字数の関係でカット、2012年8月2日)
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3041,自宅近くの再開発地区のSCの概要
 2009年08月02日(日)
 自宅から歩いて7〜8分のところの再開発地区に、25店舗のオープンモールのショッピングセンターが出来る。
来年3月から徐々にオープンする予定で、その説明会が来週あると折込チラシにあった。長岡駅裏側から直線で
歩いて15分で、・・・・ (字数の関係でカット、2008年8月2日) 
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2676, ルソーの思想
 2008年08月02日(土)
学生時代に戻った気分でルソーについて、考えてみる
 まずは
ーフリー百科事典『ウィキペディア』からー
フランスにおいては早くからボダンなどにより君主に主権(政治についての決定権)が存するとの思想が
表明されていた。この君主主権の観念はフランスなどを中心に当時の絶対王制を支える強力な根拠となっていたが、
ルソーはこの観念を転用し、人民にこそ主権が存すると言う人民主権の観念を打ち立てた。
一定以上の財産を有するなどの特別の資格を持つ国民ではなく、その国の国籍を有するもの全てを意味する
人民にこそ主権があると宣言したことは、その後の普通選挙制の確立や民主主義の進展に大きく貢献した。
一方、ルソーらのフランス啓蒙思想に触発されて始まったフランス革命で、自由や法の支配は全く無視され、
反革命派と名指しされた者への言われなき迫害、虐殺、裁判なしでの処刑などといった恐怖政治が行われた。
 〜〜
こんなところだが、ルソーは、「社会の人々に(殺せる権利)と(殺されない権利)の両方を認めるとする。
そうすると、お前の(殺せる権利)と隣人の(殺されない権利)は両立しない。お前は(殺せる権利)と
(殺されない権利)のどちらが欲しい?と言われたら(殺されない権利)だろう。だから、社会の皆はお互いを
(殺せる権利)を返上し、(殺されない権利)を優先して『社会契約』を自然に結んでるんだ。
  (字数の関係でカット、2008年8月2日) 
・・・・
2007年08月02日(木)
2312, 政治家の家族とは・・ −1
       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
 あの双子の銀座ママの妹の‘ますいさくら’が、ある雑誌に寄稿していた文章である。図書館で借りた
銀座ママが教える『できる男』『できない男』の見分け方」を読んでいた。 それによると、彼女は
シングルマザーで、そのことで子供が虐めにあわないようにアメリカに留学させていることと、銀座で合理的
システムで値段を思い切って格安にしたことも。「ああ、例のママが書いているのか」と気楽に読み始めたら、
内容は「政治家の家族の火宅の実情」である。政治家の火宅の例としては山村新二郎がいる。
よど号ハイジャック事件で 人質交換で、よど号に乗りこんだ政治家だが、最後は自分の娘に殺された。
その家庭を彷彿させる内容である。政治家は「井戸塀」(政治家は最後は井戸と塀しか残らない)
といわれるほど、家(庭)を犠牲にしないと成り立たない世界である。
(字数の関係でカット、2011年8月2日)  
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2006年08月02日(水)
 1947, ローマから日本が見えるー18  (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス! ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −1
  ーローマ史最大の名優オクタヴィアヌス登場
 (字数の関係でカット、2008年8月2日)   
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2005年08月02日(火)
 1582, 変化について
「変化、挑戦、戦い」が生物の成長のサイクルである。環境の変化に対して、自らを変えることが成長ともいえる。
また自のサイクルに変化を見つけだすことも必要になってくる。現代はインターネットなどの情報化の技術や、
グローバル化で変化のスピードが益々加速している。ところが変化することは、非常に難しい。
とにかく人間は変化を嫌う。現状を根こそぎ否定しなくてはならないからだ。それが出来なくなった時、
脱皮できない蛇のように死ぬしかない。自分の過去を振り返ってみると、その節々に大きな変化をしている。
その変化が止まった時に停滞が始まった。起きた現象に対して、逃げず直面して戦うことから挑戦の第一歩が始まる。
その中から変化が生じてくる。特に激変の時代には、ただ変わればよいわけではない。激変にあわせてより大きく
変身しなくては何の意味も無い。激変の時は真似をしていては変化に追いつかない。自らの脳で考えなくてはならない。
組織内では、とにかく配転しか能力をのばすことが出来ない。出世コースは配転を繰り返し、キャリアを重ねさせる。
本人にとって重圧かもしれないが、行蔵として蓄積される。変化は結果として竹の節のように自らを支える役割がある。
そのため、節は打たなくてはならない。世界、日本が大きな節目にきている。情報化が根こそぎ世界を変えてきた。
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2004年08月02日(月)
 1217, 広松渉ー哲学について ー25
広松渉の「新哲学入門」を読んで非常に難しいが、今までの常識が、根底から崩されてしまった。
その後、「哲学入門一歩前」を取り寄せて読んだが、むしろ「新哲学入門」のあとで読んでよかった。
広松渉は「もの」から「こと」の世界へのパラダイムチェンジを主張した。
「物的世界像」から「事的世界像」への転換。
・旧来の世界像は「世界、存在界をモノから成り立っているとみなす。
 まず独立に存在する実体があって、それら実体が諸々の性格持って互いに関係する」
・これにたいして、「『事的世界像』は、関係規定態こそ第一次存在とみる。
 実体は、関係規定性の存在論的には独立自存体ではない。要するに関係があってこそ、存在がある」と考えた。
広松は、日常意識で当たり前と思ってきたことを疑い、それは根底から違うという。彼は近代哲学者が思索を
重ねてきた疑い得ない「基盤」を、根底から崩そうとする。「私たちが見ている現象が果たして真実なのだろうか。 
善悪の判断基準は何なのだろうか。美しいと思い込んでいるだけではないだろうか。 等、今まで信じられてきた
『真・善・美』とは、果たして何だ?」今の時代は、幸福とか消費を基本的に、「もの」の充実とか消費だけでなく
フィーリングとかサービスとかいう価値観でもとらえている。別荘を持つより、リゾートホテルの会員権を持つ時代。
家を建てるより、旅行をしてまわるほうに価値をおく時代である。そのサービスとかフィーリングに生活に必要な
ものと認知してしまっている。この情報化の社会では、ますます広松哲学を知っておくべきである。
実際のところ、次代から次次代のTVは、実際の生の目でみた対象より鮮明に映し出すという。
カメラでは、その域に到達しているというが。こういう時代には、近代哲学者がたてた哲学を根本から
考え直さなくてはならない時代になっている。 それが「事的世界像」への転換というのだ。  ーつづく
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2003年08月02日(土)
850, ミッション・ステートメントー自分の憲法
  ー原案ー
・死ぬ時に「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、恵まれていたし、
 面白かったし、幸せな一生であった」と心から感謝できる人生を生きる。
・自分が自分の人生の創り手であることを認識し、自分だけの役割を果す。
 (字数の関係でカット、2013年8月2日)
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2002年08月02日(金)
 475, ある老女の遺書−1
この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま写し書きしてみる。
 (字数の関係でカット、2013年8月2日)
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2001年08月02日(木)
 [96] 旅行で出会ったー普段会えない人ー
(字数の関係でカット、2013年8月2日)