* 初孫が産まれた
 一昨日の夕刻、二番目の息子より予定日より半月早い、女児出産の電話が入った。
68歳の初孫である。家内が東京に出かけていて留守だったが・・ 嫁さんが、高齢出産?で、
万一を考えて、二ヶ月前から入院をして大事をとっていた。 出産前に男女の識別は分かっていた?
のだろうが、何も言わないことから、女児だろうと推測をしていた。 亡くなった一番上の
姉夫婦に孫がないので、もしかして私たちも?と諦めかけていたが、これで御祖父さんの仲間入り!
孫は可愛いというが、これだけは持ってみないと? 
   * つれづれに ー大相撲の若手人気力士『遠藤』の災難
 現在「遠藤効果」もあって大相撲の人気が戻ってきた。一年前とは大きく違ってきた。八百長が少なくなり?、
モンゴル、ロシア、東欧、フィリピイナの混血、エジプト人などの真剣勝負が、内容を面白くしている。
そこに去年、学生横綱だった『遠藤』が数場所で、幕内に上がってきて停滞していた大相撲人気に火をつけた。
姿かたちと相撲内容に花がある力士で、見ていても面白い! 早速、『永谷園』のコマーシャルに出演し、
取組み前の懸賞金が連日、出るようになった。 ところが今場所から、その数が横綱よりも多くなってしまい、
最後の仕切りでは、館内では大声援の有様。そうすると何が起こるか。横綱に勝つのは至難の技だが、自分と
同じ位の力量の遠藤に勝てば、給料分の懸賞金が手に入る上に注目される。そのため、嫉妬とライバル心を加え、
目の色を変えて挑んでくる。遠藤にすれば堪ったものではない。その中で、最後は6〜7勝をするのだから、
やはり力量があることは確か。これに白鵬朝青龍レベルの新人、二人(照の富士、逸ノ城)が加わってきて、
他の若手にも火がついてきた。しかし、遠藤以外に日本人の有望力士が見あたらないのが気にかかる。
 ところで、三役昇進のタイミングに遠藤の四股名が『清水川』に決まったと数ヶ月前の朝日新聞にあった。
清水川は1938年に追手風部屋を創設した、追手風の生みの親であり、元大関の名前。
遠藤をはじめ、勝っても、負けても面白い相撲をとる力士が、このところ、多く見かけるようになった。
数年前の、大相撲存亡の危機での取組みの成果が、一挙に出てきたということ。
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4506, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー1
2013年07月18日(木)
            『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一と、『がん放置療法のすすめ』の近藤誠が「がん」と「死」を語った内容。
二人は20年以上前から、「がんは手出しをしなければ、痛まず穏やかに死んでいける。治療せず放っておいた方が生存期間も長い、
医者の常識に騙されるな」と説いてきた。  まずは、ーアマゾンの内容紹介ーより
≪がん、そして医療の常識を覆す異色の医師対談。がんは放っておくと増殖・転移し、痛みにのたうち回って死に至る…
という悲惨なイメージは、医療界のでっちあげだった。20年来、「『がん死』のお迎えは最高。ただし、治療しなければ」(中村)、
「がんの9割に抗がん剤は効かない。患者よ、がんと闘うな」(近藤)と言い続け、実際に多くの「がん放置患者」の穏やかな
臨終を見届けてきた2人が、がんという病、医療の実態、そして人間の死について語り尽くす。≫
  ー 印象に残った箇所を幾つか、書き出してみた。これを知っているか知らないかでは大きく違ってくる ー
* 抗がん剤の有効判定が(⇒がんのしこりが一定程度小さくなるだけで)延命効果は実証されていないこと、逆に抗がん剤
 大きなダメージを受けるのは正常細胞、不必要な手術と抗がん剤の副作用が苦しみ悲惨な最期を迎える要因でしかない、
 日本人に多い固形がんは抗がん剤は効果なしなら、やめるべきだ。
* 50歳を過ぎた男性の2人に1人は、死後解剖すれば前立腺がんが見つかる。これは放っておいても大きくならない潜在がんで、
 何の害も及ぼさない。また、甲状腺がんも、精密に検査できるなら、日本人の3人に1人はかかっている。
 しかし、実際に甲状腺がんで亡くなるのは、全ての死亡者の中のわずか0.1%。つまり、1000人に1人のみである。
* 現在の医学技術で「早期がん」として発見できるのは、直径1センチ前後の大きさである。しかし、この程度の大きさは、
 がんの一生の中では30回くらい細胞分裂を繰り返した後の晩期の段階である。
* 最近の研究では、「がんは大きくなってから転移する」というのは間違いであることが明らかになってきて、
 「がん細胞はできるとすぐに転移する能力がある」の方が正しい。
* 著者の経験によれば、逸見政孝さんのようなスキルス性胃がんの場合、胃の全摘出手術を受けずに放置した患者で1年以内に
 死亡した例は皆無で、ほとんどの人は3年以上生きていた。
* 世間でがんと診断される病気の中には、本物のがんと、がんもどきがある。がんもどきは治るが、本物のがんは発見された時
 すでに他に転移を繰り返しているので治らない。がんもどきは放置しておいても命に関わりがないので、手術をしてもしなくても
 同じ。本物のがんは手術してもすぐ再発するし、手術で体力が落ちることからかえって死期を早める。本物のがんを放置した
 患者の多くは末期になってもほとんど痛まない。患者の多くは最後まで意識を持ちながら、苦しむことなく枯れ死んでいく。
 がん治療しようとすると、治療による痛みに苦しめられ、通常の人間らしい暮らしを根こそぎ奪われてしまう。
 というわけで、がんは治療せずに放置するに限る……。
*「予防医学は患者を呼ぼう医学」「大学病院は、いい実験を受けられる病院」など・・・
*「早期発見と早期治療でがんは治る」という世間の常識とは、現実はまったく逆である。悪性は、関係ない?
 ▼ 「悪性のガンなら、遅かれ早かれ死んでしまう。それなら手術や抗がん剤などの治療などすべきでない」という
  二人の主張するのも道理で、身近の人のガン死をみていると同感である。とはいえ、ガンで死なない注意をしているか
  どうかで大いに違ってくるのも確か。タバコを吸い、酒をビールなら二本、日本酒なら2合以上を飲み続け、ストレスと
  運動不足などが加わると、ガンリスクは大きくなるのは当然である。還暦まで生きたら、後は野となれ山となれ、か。
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4132, 脳の中の小さな存在
2012年07月18日(水)
 体操の内村航平のインタビューの中の言葉に驚いた。「どうして一秒の間に、あれだけの回転が出来るのですか?」の問い
に対する答えが凄い。「私の脳の中に小さな自分がいて、彼が冷静に自分を見ていて次の指示を出している。終わってからでも
内容を憶えていて、間違いを正してくれる」等であった。 これは訓練の繰り返しで、色いろのことを自問自答する中から自然に
出来上がった「セルフ」である。その精度が高いため、世界のトップになれたのだ。その小さな存在には科学的訓練のベースの
裏づけがある。擬人化した「セルフ」には、無意識のレベルに達した自己客観視する自分が、幾重に重なっていて、直感的連
続動作を冷静に見つめていて、瞬間の動作を修正している。柔道でも、同じような話を聞いたことがある。世界のトップクラス
相手の攻撃に対した防御は、考えて対処するのでは無理、練習の重なりで直感的反射防御まで訓練していないと防げないという。
世界一流まで持ち上がたレベルの高い「小さな存在」に、自分を委ねているのと同じである。
 親とか、小さな地域的価値観から一歩も踏み出すことが出来ない「小さな自分」に縛られているそれもあるが、その辺の
下世話な内容は、ここでは止めておく。ここは世界的アスリートの話。 天才的芸術家や小説家などは、その小さな自分が、
冷静に現象の中の本質を直感して、それを脚色、新たな創造をする。野球のイチロウにしても、こういう右脳と、左脳の論理が
組み合わせが出来た上で、脳の奥で瞬時に動作を指示する司令塔があるようだ。 将棋や囲碁の名人にも同じである。
 少し話は変わるが、毎朝、過去の、この随想日記を読みかえしているが、毎日繰り返していると、読み返している自分が
別人格として存在しているような妙な気持ちになる。3、5、10年前の同月同日の自分と対話している毎朝の自分の存在である。
私=自分は、それぞれの瞬間瞬間いて、これを書いていた。しかし、時間の経過と同時にTPOSは変化していく。その上に自身も
変わっていくため、それぞれを含めた自身の範囲として、「自分」が立ち上がってくる。哲学的になるが、脳の奥の小さな存在は、
言葉だけでなく、直感も持っている。そのセルフの直感こそ、天の閃きになる。それでも上手くいかないケースもある。
世界を知れば知るほど、自分の卑小さを直感するが、小さな存在は確実に真の言葉と直感は研ぎ澄まされていく。
  真なる自己、真実の時は、感謝、感激、感動、極限の時、静粛の中に存在する。 この瞬間は永遠である。
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3766, ユング ー9
2011年07月18日(月)
   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� 〉
   * 幽体離脱とは          
 事故などで仮死状態の時の幽体離脱の色いろな体験談を聞くが、共通点がある。
 私も何度か幽体離脱と思われる経験をしたことがある。突き詰めれば夢だろうが・・夢にしては、あまりにリアルである。
 ユングが六八歳のとき、散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折って、その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた時に、
 幽体離脱をし地球の大気圏の境目辺をさ迷った時の体験の手記がある。 幽体離脱は、人間の限りないエネルギーが、
 あるキッカケで、その外に出てしまい、外から自分の肉体を眺めているイメージをいう。
【 ユングはこの神秘に対して一つの鍵を与えるように思われる一つのケースを挙げている。彼は一人の女性の患者が難産の末に
 死にそうになり、彼女自身が自分の肉体の上方の空中にあって、自分の肉体を見下ろしているような感じになったと述べている。
 彼女は医者がヒステリックになったのを見ることができた。それから、彼女の家族が入って来た。彼女は彼らの反応を見た。
 彼女は自分の後ろに春の花が咲いている公園のような不思議な光景があることを知った。それは「別の世界」への入口である
 ことを彼女は知っていた。彼女は、もし自分がそれを見たら、自分の体を再度入れたくなるかもしれないことを知っていた。
 それで彼は目をそむけ続けていた。彼女が目を覚ましたとき、看護婦に自分が見たことを話すことができた。
 看護婦は、この患者が医者やその他のことについて言ったことを正しいと認めざるを得なかった。】
【 ユングはあからさまに言うことはあきらかに気が進まないが、彼が一般的な意向は明白である。
 一九四四年に彼自身が死に近づいた経験をしたために、彼は心は肉体から独立していると確信するようになった。
 これは、死後の生活が実在しているという意味であるように思われる。事実、一九三四年に書いた「魂と死」という論文で、
 彼はもうすんでのところでこのことを肯定しそうになり、生命とは「死という究極の目標」の一つの準備だという考えを、
 世界の宗教は受け入れているように思われると注釈している(ここでも彼はことばを慎重に選んで話しているので、だれも、
 死後の生命を信じていると、彼を非難することはできない)。このような「体外遊離経験」はー「意味のある偶然の一致」と
 一まとめにして考えると、宇宙が混沌とした集合でないことを確実に示している。 ーP183 】
 ▼ 体の外に出た自分を眺めている夢は、あまりに現実的過ぎる内容である。人間の脳は、あまりに奥行きが深い。
  夢は犬でもみるが、人間は幻覚をみる。その幻覚が思わぬ人知をこえた幽体離脱を生み出すだすのだろうか。
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3401, おテレビ様と日本人 ー5
 2010年07月18日(日)
 何か、この本を読んでいて他人事のようでありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り返ってみた。
 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して成績が落ちる一方であった。そして、
ある時にハッと気づき急遽、高校受験に熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。
高校時代はテレビなど見ている余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。 ある意味で健全?だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、これを読んで気づいていた次第。
私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食になっていた。
それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化を逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。
 私と比較ならないほど更に家内がTV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本のナンバー・ワンのものを見ている。
スポーツといえば、ゴルフ、テニス、サッカーなどの騒がれ中継されているもの。
教養?番組では絵画、クラシック、各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。 
ということは、有害になってブタ化していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう毒番組が過半数以上?。
 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分をさらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家としての能力より、タレントしてのパフォーマンスが 
要求される。 だから、あの宮崎県知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。世も末だ
 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治になっているのである。
TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役がインディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。
ハリウッド映画が全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳ものも多く含まれているのである。
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2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
   【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
  ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
  人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。 
  そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。
  ・・・そこで思い出したのが、黒澤明七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
  それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていったと思います。 
  文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、
  自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
 日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれて
 きているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
 また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
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2661, 読書の価値について
2008年07月18日(金)
 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。学生時代に、読書の必要性を感じ取った。
そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、
自分に誓ったことを憶えている。高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」
というから、一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。
 以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」の《読書》についての中の一節である。
 ーP251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう・・・読者は多少経験をつめば、
読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと
進むようになる。 そして、読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、熟考と疑問をもつ習慣だ。 
読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。たしかに多くの本は、読者がそれ以上の
ものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、べつにそのことが悪いわけではない。 
しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、能動的な行動にならねばならない。 
(字数制限のためカット 2012年7月18日)
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2007年07月18日(水)
 2297, また地震!どうなってる?まったく! ー2            ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…ヨウ!
今月中は、何処に行っても地震の話で持ちきりだろう。前回の災害時から推測すれば大たいこうだ。
「その時、私は〇〇(TVを見ていた)という状態で、ビックリして〇〇をした。まさかね~、もう絶対無いと思っていたのに、
何で、この地域だけ起こるんだろうか。それでTVを見たところ柏崎沖が震源で、原発の火災に驚いてしまった。
  (字数制限のためカット 2011年7月18日)
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2005年07月18日(月)
 1567, つれづれに
 ー 二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。今がそうだ。面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。
随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。 
   (字数制限のためカット 2011年7月18日)
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2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1) 
   ー哲学について-17
実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
 (字数制限のためカット 2013年7月18日)
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2003年07月18日(金)
 835, 丁度よい
  お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 (字数制限のためカット 2013年7月18日)
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2002年07月18日(木)
 460,スリにあう
海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。今回の旅行で初めてスリにあった。といっても家内の話である。 
ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。
(字数制限のためカット 2013年7月18日)