* 無我夢中の面白い4年半であった!
 ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが「無私の精神」(小林秀雄著)。
「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」
 何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。!その頃、激情を抑えた状態の
自分を孫悟空の如意棒に例えていた。「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの棒に自分に譬え、
孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。 対象に全身全霊入れば、それは己の入魂の作品。
これは建物にも、システムにもいえる。 しかし時間が経てば、何の未練も無くなるから、心は不思議。
 大きく息を吸って大きく吐いた一呼吸の中に、4年半の現象だったような感覚。 長年かけて積上げられた
老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、実感。 現場と、幾つかのチェーン店のシステムの差が、
明確であり、その差さえ埋めれば、そのまま成果になるため、楽といえば楽である。
 仕入は、問屋やメーカーにとっては、大のお客様。慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。
反面、一つ間違えると、実績に直に跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上げとすると、4〜5億の仕入権限を
持つことことになる。それも、産地に現金支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 
更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華することも可能である。
 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを建替え、残留の大半を入替え、統一伝票システムと、
部門別管理で数字を入れこみ、ホッとし、自分を振るかえると、今度は自分自身の問題。そのまま留まると、
実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。それと私に、権利という基盤が無い! それなら、再び外で!になる。
 そうこうあって、一年間暖めていた新潟ホテルシリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、
その必要はないと、信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。
「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知っていると知らないとは雲泥の差’ 
凍りついた瞬間である。他人事でない! 日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。
・・・・・・
4489, 怒らないって本当は恐い! ー4
2013年07月01日(月)                    
   * 怒りの四分類         『怒りの作法』小川仁志 著
ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを4つに分類している。
  ーまずは、その辺からー
≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。
・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンだといいます。
・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。
・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。
・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、怒りの感情を表に出さないパターン。
・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。
 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまり
うまく整理できているとはいえない。・・ (中略)そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、問題解決に結びつけようと
しているかどうかという二つの指標によって分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、
 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、
 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、
 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、
 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの4つに分けることが出来る。 それぞれ見てみましょう。
△ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、「自爆型」と呼ぶ。
 彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に表すことはありません。だから他人は気づかないのです。
 しかも怒りの原因を究明し、それを解決しようともしないのです。 したがって、怒りは自分の中で増幅し、しまいには
 心身を病んでしまうことになります。あたかも怒りで自爆してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込む
 ケースです。つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、テロリストや無差別殺傷の犯人に多い。
△ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りというのは、「勤勉型」といえます。
 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すことはありませんが、少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。
 ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけにはいかないのです。
△ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、「ラッパ型」といえます。怒りを表に出すだけで、
 一向にそれを問題解決に結びつけようとはしないのです。いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ立てるだけで、問題を
 解決しようという建設的な姿勢はこれっぽっちもない場合をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多い
 といえるかもしれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、この語は「終わり」を意味する
 比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒りには何の展望も描けないのです。 
△ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」の怒りということができる。怒りを表に出して
 他人に認知してもらおうというもので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫
▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。その痛みを時間の経過の中で耐えている間に、考えるという
 働きが出てくるからである。怒りっぽい私など、何時も、独り心の中で、このプロセスの中にいる。結局、全ての怒りは
 時間が解決する。怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。
・・・・・・
4115, 財政恐慌 ー2
2012年07月01日(日)
  * 共同債の発行など気違沙汰!   「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子 (著)
 連日のトップニュースがユーロ危機である。一つ間違えると世界恐慌になるからだ。ギリシャ、イタリア、スペイン、
キプロスと、その危機はモグラ叩きのように次々と出てくる。その都度、ドイツ、フランスを中心にしたEUが財政対策を打ち出し、
何とか乗り越えている。数日前も何とか緊急対策を打ち出した。しかし、ここまで来たかというのが、「ユーロ共通債」構想。
字のとおり、ユーロ圏として一本化した債権を発行することで、ユーロ圏で統一的に財政資金を調達しようとする代物。これまでの、
加盟各国が個別に国債を発行するのではなく、調達窓口を一本にしようとするもの。ブタちゃん=PIIGSにとって、これほど有難い
国債はない。ユーロと同じく、ごねて、どんどん共同債を発行してもらえるからである。ギリシャ、スペイン、イタリアにとって、
7%近い金利が遥かに低くなる。金利の低いドイツが逆に高くなるため認める訳がない。しかし、そうでもしなければ、
PIIGS各国は、財政破綻の限界に来ている。ユーロは暴落し、嫌われた通貨に成り下がった上に、共同債など、無理ときている。
何をしてもユーロ構想が、メルトダウンに入るのは時間の問題。 著者は、ここで「ある地域内で単一通貨を導入して、
うまくいく二つの条件がある。一つは、その地域内では、どこも物価水準、失業率、金利、賃金が同じ、要は、経済格差が
全くない状態であること。二つ目に、地域内に存在する経済格差を埋める中央調整装置の存在が前提としている。
この二つが存在しているかというと、否という。著者は、ドイツが前者の経済格差を無くする方向を求め、フランスは、
財政難諸国を救済する仕組みの強化を目指そうとするが、この二つは、根本的に相容れないもの。現在のユーロは、股裂きの
刑にさらされているという。ドイツもフランスも、今さら、ユーロ圏脱退も出来ない。それをPIIGSが、その足元をみて、
今までの安楽の延長の生活を求めている。それも、時間の問題が現時点である。何処かの国では、国債発行がGDPの二倍、
国家予算は税収の二倍になっても、その都度、首相を取り替えて、国家リストラを避ける。ユーロ圏は同じ道を歩きだしただけ。
 PIIGSを、最終的に準加盟国という名目にして排除するしか存続の道は無いが、私の見立てになる。恐ろしい日々は続く。
・・・・・・・
3749, ジャズについて  ー「ジャズ完全入門!」−19
2011年07月01日(金)
              ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋
  歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、ここでは飛ばし、
 「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げてみる。
【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類
(ヴァイオリン、ビオラの類)はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで使われないもので
ジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしいリズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。
クラシックの楽器類マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトでキレの良いサウンドを作っている。
 以上のように、楽器そのものより演奏法によってジャズらしさが出ている。
* まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけでなく、2ビート、4ビートといった
 基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。
* 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといったクラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有の
 ダイナミックで個性的な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」演奏しているからだ。
(以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
   ・・・・・・・
3384, 911・考えない・日本人 −2
2010年07月01日(木)
911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、
人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、ヤラセであり、捏造であり、その他
どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信している。
なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたからである。次に考えたから、知る努力をしたからである。
そのときに私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86)
【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば
熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、
哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、
率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。
多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。】
 ▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない
 哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアの視点からみると、
 それがリアルに見えるようだ。 特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく
 ・・・・・・・
3009,誰が電気自動車を殺したか ?  ー2
2009年07月01日(水)
 GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1の優良メーカーだったはず。
将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。
この数年は多目的のSUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。
そのうえ自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。
歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車の抹殺に組していた。
「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えてもよいようなアメリカの縮図でもある。
腐りきったネオコンアメリカを支配し、それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、
彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
・・・・・・・・・
2645, アメリカ狂乱 ー1
2008年07月01日(火)
 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著)
本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。それが数日前に、長岡の図書館で読んだら、
数十年近くに渡り、アメリカの国内事情と大統領選挙を見てきた著者の視点のためか多角的に分析していて説得力がある。  
  (以下、字数の関係上カット、2009年7月01日)
・・・・・・・・
2007年07月01日(日)
2280, ビジネススーツ                   ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!           
ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー
*半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。
超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツと類推するところがユニークである。
超高層ビルが林立すると、そこに立ち並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、
抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする傾向に入った。
それを「国際化」と見る人もいる。ー  概略は、このようである。
 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
・・・・・・・・・
2006年07月01日(土)
1915, スペイン画家・堀越千秋 ー6       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。
私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、「もし永住するならスペインが良いな?」
と思っていたら、一撃を喰らう内容があった。
≪スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」
など言いがちである。おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」という人がいる。
じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。
あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツをこしらえて喰いなよ。≫
 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
・・・・・・・・・
2005年07月01日(金)
1550, 将来の不安?2
  ー不安を哲学するとー
 我われは、過去に対しては悔恨があり、未来に対しては不安が付きまとう。といって、まだ来ぬ未来を不安がっていても仕方がないし、
反対にノンビリ過ぎるのも問題。最悪を想定しておくことも必要であり、「大丈夫!」という言葉を口ぐせにしておくことも、一つの
解消方法である。不安の対象に対して考えつくしたあとで、「その時は、その時だ」と放念することも時に必要である。
青年期の日記を読み返してみても、その時点時点で不安感が大きく口を開けていた。不安は一生我々を悩ますものだ。我われを脅かす
「特定の対象」に向けられたものが「恐れ」であり、「不安」は漠然とした恐れの感情をいう。その恐れに対して打ち勝つ克己心が勇敢、
勇気ということになる。前にも、「将来の不安」という題目で書いた。不安は目先の変化に対する不適応から生じる心理の揺れと書いたが、
目的意識の希薄さも不安心理の一つである。その不安感に対して哲学者がどのように考えてきたのだろか?
 ーある本からの抜粋をしてみるー
・先ずは、キリスト教の初期に神に対する畏敬や罪に対する恐れを不安とみた。
 その不安を克服することが永遠の生を得るための前提であるとした。
・次には、19世紀になって、キルケゴールが不安の心理分析をおこなった。
 その後、ハイデッガーサルトルなどの実存主義者やフロイトなどの精神分析で中心概念になった。
 キルケゴールは不安感を罪の問題に結びつけて考察する。アダムとイブの原罪から、 人間は皆罪を持って生まれてきたとして、 
 罪の状態に陥る可能性の中で罪あるものとなると。不安とは悪魔的なものが持つ妖しい魅力に堕落できるという「自由のめまい」であり、
 それは堕落の深遠を覗き込む時の感覚にたとえられる。サルトルは、これを「めまいが不安であるのは、私が断崖に落ちはしないか
 という恐れだけでなく、私みずからが断崖に身を投げはしないかと恐れるかぎりにおいてである」と考えた。ひとは天使や動物と違って、
 可能性に対してたえず不安を覚える。それは人間がこころと身体との総合としての精神という特殊のあり方をしているからだ。
 つまり人間はその本性上、不安になりざるをえないのだ。 不安の中でおのれの罪を自覚して、はじめて目覚めた精神となる。
 その絶望的な不安にかかわらず、なおも自分自身に真剣であり続け、 ひとりの単独者として信仰へと飛躍することによって、
 不安から解消され、真に自由になることができる。キルケゴールは不安の心理を分析することを通して、人間のあるべき姿を探求した。
ハイデッガーは、不安とは現存在として最も根本的な気分であるとした。
 彼によると、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。 
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
・・・・・・・
2004年07月01日(木)
1185, 異境・秘境ツアーレッスンー4
 秘境ツアー先の現地の日本人ガイドを見てみると、多様な人生が垣間みえる。
 それぞれの色いろな事情を聞いているとドラマそのもの。
・日本でたまたま、その国の人と知り合って結婚、移り住んでいるケース。
・その国の留学滞在や、連れ添いが仕事で駐在しているケース。
・旅行をしていて気に入り、一度帰ったが忘れられないで、何とか手続きをとって住み着いたケース。
   (以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
・・・・・・・・
2003年07月01日(火)
818, 12の宮
 ーある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。ー
昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。うろ覚えなのですが、こんな内容でした。
私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。
(以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
・・・・・・・・
2002年07月01日(月)
454,面白かった!!
ワールドサッカーが終わった。 やはり世界のトップが集まる試合は面白い。サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
・・・・・・・・
2001年07月01日(日)
[70] 夢についてー2
 何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と夜見る夢と共通点が非常に多いという。
トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいきたい状況である。次の夢は不思議な不思議な夢だ。
   (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)