* 同級生の急逝の式場で
 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 通夜を含めて中学校の同級生が6人?が出席した。
膵臓がんが発見されて二ヶ月!七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、、
『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような? その後の親族の挨拶でも、
故人が同じようなことを言っていたというから・・ 故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因?
7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。
 去年の同級会の三次会に故人と、二人飲んだのが,最期になった。
 「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」と真顔で話していた。
自宅に帰って、一時間後に、シネマに行く予定だったが、何かグッタリ! 急遽、中止。
 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、今日が同月命日。
『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、
長男と自分の炊事と、家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。 まだ、同居の長男がいるだけよいが。
入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは死ぬつもりがなかったため、
何処に幾らの金があるか、全く分からず、大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、
葬式の金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。 私が家内より先に逝くつもりだが、
これだけは? 自炊経験はあるし、スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。
「早いもの勝ち」は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な人から、聞こえてくる。
 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 
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4479, 歌舞伎町 写真集
2013年06月21日(金)
 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけたが、その生々しさに驚いた。
日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。 その続編が、
この『歌舞伎町』権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。 一冊目の『歌舞伎町事変(1996〜2006)』文ー李小牧、写真ー権徹
の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲るたびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した世界にタイムスリップしてしまう。
生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。 新潟駅前の飲食繁華街で事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを
垣間見てきた。 歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、女装したオカマをはじめて見た。
 2003年の頃から取締りが強化。また監視カメラが設置されて状況は一変した。今ではガラス張りで明るい猥雑さになったようだ。
写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町「人間劇場」との出会いについて、以下のように書いている。
《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。当時、四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。
 ゼミの撮影テーマが「新宿」だったこともあって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。
あるとき、歌舞伎町交番の前で鉄パイプを持ったヤクザ20〜30人がケンカをしている場面に出くわした。
あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを取り出して撮影することさえできなかった。
このエキサイティングな街は、いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に強い衝撃を受けた。
このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。
苦労して撮った分、写真はおもしろくなる。東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し続けてくれる。
ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》
 ▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、妨害や嫌がらせが少ないようだが、
  それでも危険の真っ只中である。 夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けにみた「探偵はBARにいる2」が、
 夜の世界を何気なく描き出している。 二年前に、‘その一’を見たが、なかなか面白い。 そこは、カウンター
 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。
 写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。 
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4105、私は完全な本 "日本の自殺 'ー8を作った
2012年6月21日(木)
  * 現代文明がもたらす幼稚化
 これが書かれた37年前からスーパーなどのチェーン店などが多く現れてきて手軽に何でも手に入る、一億総中産階級社会になった。
 それは幼稚な愚民の群れであり、大量生産・大量消費の結果である。 ー以下はその辺りを指摘しているー
≪ 現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、一体なにによってもたらされたのであろうか。
 ◎ 第一に実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの増大、都市化、情報化の進展と教育の普及など高度現代文明が 
 もたらした恩恵それ自体が、このような精神的状態を副作用として惹き起こしていたのである。 思考力、判断力の衰弱と幼稚化傾向は、
 高度現代文明それ自体の産物である。・・・インプットとアウトプットとを結びつける複雑な仕組みについて思考や判断を働かせるのは
 馬鹿げてたことだ。そんなものはブラックボックス化してしまえ、「賃金は大幅に上げろ、物価は大幅に下げろ」「税金は減らせ、しかし
 社会福祉は大幅に増やせ」こういう種類の要求を駄々っ子のように叫びながら、この要求を実現するような便利なおもちゃを作れと言う。
 そういうインプットとアウトプットとを結びつけるような調子のよいブラック・ボックスは到底作製不能だと言っても、
「そんなことを考えるのはわれわれの仕事ではない、われわれの仕事はとにかくボタンを押してこのおもちゃで遊び続けることなのだ」と
 足をばたばたさえ、挙げ句の果てに癇癪を起こして手当たり次第にまわりのおもちゃを放り投げ、ぶちこわし始めるという始末なのである。
 やがてかれらは群をなして群衆心理の陶酔を楽しみ始める。思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化は、第二に情報化の代償、つまり
 マスコミの発達と教育の普及の代償として生じている。エンゲル係数で現代の消費生活の構造を知ることができないのと同様、文盲率の
 減少や進学率の増大などで現代文化の内容を判断はできない。「学歴ある文盲とでも呼ぶべき現代人」のあいだに見受けられる恐るべき
 知力の低下、倫理能力の喪失、判断力の全般的衰弱の秘密が、いまこそ本格的に解明されなかればならないであろう。 
  かっての時代の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じてテストした知識の枠内で図式を作り、それでもって
 人生や世界を測っていた。かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、しかし少なくともかれらの
 生きている生活空間に関しては現代人の到底及び得ない賢明さと生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の直接体験を
 しっかりと見つめる時間を失い、自分の頭でものを考えることを停止したまま中途半端で、皮相な知識の受け売りで世界中のできごとに
 偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。こうした思考力、判断力の衰弱がもたらした品質の悪い情報は、我々の情報環境に
 満ちあふれ、恐るべき情報汚染を惹き起している。 情報汚染の濃厚凝縮を受けた人間はやがて幼稚な狂信者となり、暗殺をしたり、
 ハイジャックをしたりする犯罪者と化していく。われわれはこうした現代文明にひそむ恐るべき幼稚化と野蛮化のメカニズムを直視し、
 これを克服するための新しい努力を全力を挙げて開始せねばならない。マスコミの発達と教育の普及の代償として捉えている点が、
 すばらしくもある。少なくとも教育の普及があれば、思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化を回避できると思ったが、そうでなかった。≫
▼ 当時書かれた、この警告は、さらに深刻な社会現象になって現れ出ている。国家収入の二倍の国家予算を組んでも国民の要求を
 答えざるを得ないのが現状の日本。国家そのものが判断も決断も出来ない幼児化をしている。情報化の影の部分である。 
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3739, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月21日(火)
   * 愛は根っこ、その愛をふくらませるのが知性  ーP・150     「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 
【 私たちは通り過ぎる人々の群れの中に自分の居場所を見ることはできません。その中の何者かと出会い、
 互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。
  本来、知性というものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の差など、自分と違う立場というものを
 理解し行くのには知性が必要です。けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、その知性によって
 増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用されてしまいます。
  それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、
 どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。善意が当たり前だということは、感謝が足りないと
 見えることもあるかもしれませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。
  逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと
 思うから気がつかない。なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくらいじめても面白くないから仲間に
 入れてしまえ、ということになって、人間関係がうまくいきやすい。
  これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。
 他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくらでも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、
 善意そのものさえ、「私を利用されている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとしている」と勘ぐったり、
 誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしているのでないか」など素直に喜べない。 】
  ▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右されるということを意識して修正するしかない。
   それに役立つのが知性である。だから自分で知性を磨くしかない。そのために、他人の話を聞き、本を読み続けること。
   その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った者は、善意も悪意も読み取る習性がある。
   常に人の間で緊張しているのは、そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが付きまとってきた。
   私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの
   喫茶店に通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。
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3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
2010年06月21日(月)
 ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編
「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
  ー以下は、同志社大遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。
ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、
情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 
戦後、TVや教育などを通じて、『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたはひとりの人間である。
男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・
輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。 
その狭間である仮想の世界、『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから脱する方法があるのだろうか。
「自分はいったいどういう人間なのか、何をしたいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。
こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしているだけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても
本当に満たされない。 まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルのピースのひとつひとつを
クリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」しあわせを感じるには
「技術」がいる。それは観念でなく具体である。モノ、視界、思想、気分。あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 
それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫
 ▼ しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージをジグソーパゾルのピースで組み立てる、
 というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。
 それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも大事だろう。若い女性が小さな
 ノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。
 しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!
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2999,百貨店の衰退について
 2009年06月21日(日)
今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌の大前研一のレポートによると
・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており
(字数制限のためカット 12年06月21日)
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2635, 娘に贈る12の言葉  ~4
 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記
ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー
  ・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。
   「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」と考えられていて
   間違っていたことを、振り返ることである。その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ調べて欲しい。
  ・誰も考えないことを探す。
   →多くの投資家が考えないことは何だろうか。
   →「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。
   →弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。
  ・こんなふうに考えてごらん
   歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く
  解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。経験の裏づけができた為だろうが、それにしても面白い。
    特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。先日から「子どものためのカント」
   (フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。
    哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。
ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー
(字数制限のためカット 12年06月21日)
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2007年06月21日(木)
2270, 東北6県の平均収入が、東京の半分だと!    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 
 先日、昼休みに大型書店のジュンク堂で本を見ていたところ、最近出版の『ワーキング・プア』という本に、
「東北6県の一人当たりの収入・241万に対して、東京が456万円」とあった。二倍じゃないかい!と、地域格差の大きさに
目を疑った。東京に対し新潟八割、長岡7割と最近聞いたばかり。東北6県平均とはいえ収入が半分だというから、
若者は東京志向になるわけである。感覚として首都圏は物価は2割高いとしても、地域格差は予想外だった。
(字数制限のためカット 09年06月21日)
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2006年06月21日(水)
 1905, グーグル Google ー10  おっ w(゚Д゚)w ハァョ?     ー読書日記
 この本の一番重要な章は、この5章ではないだろうか。それほど、キーワード広告の意味は深いのである。
早速、グーグルのアドセンスにキーワード広告を投入してみたがアクセスがない!お客の立場からのセンスが
無いのだろうか? この辺になると、21世紀の世界がハッキリ見えてくる。五章の要点を抜粋してみる。
   ーーーー
第五章 最大の価値基準となる「アテンション」
 以前は検索エンジンは、ヤフーやAOL、MSNなどの総合ホームページのおまけツールとしてしか認識されてなかった。
  (以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
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2005年06月21日(火)
1540、「人を動かす」ー2       ー読書日記
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。人間関係という一番初歩的な基本を
身に着ければよい。会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。  
(以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
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2004年06月21日(月)
 1175, 哲学について ー7
ードイツ哲学の時代
イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。18〜19世紀にかけて古代ギリシャに匹敵するほどの哲学がドイツを
中心に発展する。
(字数制限のためカット 13年06月21日)
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2003年06月21日(土)
 808、 大丈夫
一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開くようにと一通の封筒を残した。
(字数制限のためカット 11年06月21日)
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2002年06月21日(金)
 444,面白い話ー本??
 http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html  「やった。」坂本達著
図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。 なかなか面白い。
子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。
(字数制限のためカット 13年06月21日)
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2001年06月21日(木)
 [59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ
(以下、字数の関係でカット2008年6月21日)