自分史的物語など、都合の要素だけを切り取り、繋げあわせた絵柄でしかない。
私の場合、こういう結果だからこそ、歩んできた道筋の要所要所の現象、決断などの語り直しの絵柄も面白くなる?
実感としては、「この結果こそベスト?」と、「そう都合良く思うしかない詭弁?」 という気持ちを含め、断片的に
語ってきた物語の「語り直し」になる。 傍から見れば珍妙な己の姿を、この結果なればこそ、自覚できる。 
隠れテーマは「この喜劇の創りかた」あたり。 ここで書く内容は、今まで書いてきた断片的な事象、内的体験の
再編だが、視点が変わると新たな記憶が蘇ってくる。そのため殆ど書いてないことに気づいてきた。
 語り直しは、あまり気持ちの良くない。 が、書き続けるうちに、新しい視点が多く出てきている。
自分とは、それぞれの記憶の総合体だが、その記憶そのものが変える作業のため、神経の集中が必要になる。
 < 「事業人生を決心して45年」の語り直し >    
   * 学生時代編 ー前編 
① 事業創業の人生を目指そうと決心し、準備15年、創業から30年の独り語りを始める。 
 漠然と自分の将来は、流通業と漠然と考えていた20歳の時、「キリスト教倫理」の夏休みに、『これからの人生設計』
 のテーマのレポートが宿題に出された。 そこで、それまで真剣に考えたことがなかった自分の将来について考えてみた。 
 その内容といえば、『父親のような創業を幾つか挑戦してみたい、過酷としても、事業創業の人生を生きたい!』と。 
 その時から、人生が変わっていった。そこで当時の授業カリキュラムの内容を改めて見直すと、前半二年の教養課程が、
 人生の土台になる学問。後半二年が、そこから選択できる専門課程が整然と組込まれており、これから生きていくための
 カリキュラムが合理的に組まれていたことを知る。 哲学者エリクソンは、学生時代や、病気療養の期間を、
「心理・社会的な猶予期間」とし、より自分らしい人生を選ぶために必要な時間として前向きにとらえている。
 人生を振り返ってみて、大学の4年間や、その後の放浪が、自分の生きる目標を明確にするため必要であったことは、
 体験上、充分に理解出来る。 そのレポート作成で、漫然と生きてきた自分に気づくことになる。
 その時、真剣の考えた分、ノンビリしている同期生より、二年早く将来設計に気づいたことになる。 
 卒業半年前になって、慌てている人が過半数?はいたようだ。 それから読書も、友達付き合いも全く変わっていった。
 自然と、クラブの合気道と、寮生との距離が離れていった。 
② その頃から、遊び半分、アルバイト半分で、学生寮の先輩が鳩山一族の政治団体「友愛」が経営する『友愛山荘』を
 任されていた軽井沢の山荘に手伝いに行くようになっていた。先輩の寮生と二人、そこの手伝いに誘われて掃除とか、
 料理をしながら連休とか夏休みなどに、山荘生活と、軽井沢の世界を楽しむようになった。
 そこは、鬱蒼とした森林の中の別荘地。その世界を憧れる若い女性と、金持ちが集まる別天地である。こういう世界の
 住人になるには、それなりの力を持たなければと実感することになる。それにしても、早朝の朝靄の小道の散歩は格別!
  世界には一部の裕福層と、その他が存在することを肌身で知ることになる。それより何が楽しいかといえば、
 夕食後のミニ・パーティ。紅茶と御菓子で、フォークソングを歌い、踊る。それも御客は若い女性ばかり・・
・・・・・・
4451, しまった! ー1
2013年05月24日(金)
             ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 人間の認識の甘さは今さらいうまでもない。カントのコペルニクス的転換、「人の認識は対象に従うのではなく、
認識が対象を決める」。それを知識として知らないため、思い込みに縛られ、人は多くの失敗を重ねてきた。
更に失敗から学ぼうとしないから始末が悪い。その上、失敗に対して意識的にも無意識的にも話を作りかえる。
    まずはー内容紹介ーより                                                      人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、面白くてネタになるトピックを「これでもか」
 というぐらい集めて分析した本です。たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ?
★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の八四%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
 だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度におけるわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。だが、たいていの行動では、人間は総じて
 金銭的動機には左右されない。(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)  などなど、興味深い話がてんこ盛り。
 ▼ 人は思うほど完全な存在でないが、しかし周囲は人が完全であるかのような前提で動いている。
  私が学生時代のゼミで多くのことを学んだ中の一つに「会社組織は完全な存在でなく、個人の将来まで考えてくれない。
  独自で学び続けなければ知識や能力は得ることが出来ない」ということ。 キャリアは自身でつくり上げるもので、
  与えられるものでない。実際のところ、成功の背後には失敗の累積がある。問題は致命的な失敗をしないこと。そして、
  失敗から学び取ること。人生を振り返って、今になって真の失敗は何だったか気づくことが、あまりに多い。
・・・・・・
4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス
2012年05月24日(木)
    * 魂に磨きをかける         「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)    
   第一章  しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー�
≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、
 ソクラテスは考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、
 なぜ恐れるのかと問いを発する。命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を受ける。
  ・・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、
 単に、汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、
 自問自答するのではなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 ソクラテスが探し出そうとしたのは
 「真理」であって、ソクラテスらしさではない。探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、命をかけて
 真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけを行わなければならない。 この対話、営みは「パレーシア」
 (真実を語ること)と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための技術ではなく、「相手に問いかけること」
 そして相手の主張を「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」のための手法にあった。
 何かを知っているから語るのではなく、何も知らないから、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。 パレーシアの原点は、
 そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
 引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分について語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる
 「ロゴス」(論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。 ・・・  ≫
  ▼ 「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。
    対話は他者だけでない、自分の経験に対してもおこなうべきである。 そのため老後という期間が人生に与えられている。
   老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまで人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
   それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。
  ・・・・・・・
3711, ジャズについて −6
2011年05月24日(火)
                    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
    ー1935年、2ビートから 4ビートへ ー「スウィング」の時代    ー P・192
  * 「スウィング・スタイル」の立役者ぺニー・グッドマン
【 デューク・エリントンに、「スウィングしなけりゃ意味がない」という、よく知られたタイトルの曲がある。
 一九二九年の金融恐慌に始まった大不況がようやく回復の兆しを見せてきた三五年頃、ジャズの中心地となっていたニューヨークでは、
スウィング・スタイルのジャズの時代を迎える。スウイング・スタイルのジャズとは、ビッグ・バンドによる躍動感あふれるダンスの
ためのジャズといってもいいだろう。ジャズのリズム的特徴の4ビートにある。従来の2ビートから4ビートに移行したのも、
このスウィング・スタイルの特徴であり、心地よい揺れるような感じ(スイング感)がこれによって生まれた。
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるを
えなかったフレッチャー・ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"たのである。
そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズに新たな味わいをもたらした。
 そもそもジャズは、誕生当時からダンスホールやクラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れのよいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイル
として確立させたのである。グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった白人ビッグ・バンドが続いた。`
 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街に
集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は「スウィング・ストリート」と呼ばれた。
 スウィングを担ったジャズメンは白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良・ぽいワイルドな音楽」から
「白人による健全でスTト書楽」へと変質したわけではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが
黒人だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】
 ▼ ここでジャズは、元もとダンス音楽の側面があり、スウィングの流行後に、ジャズ音楽鑑賞として進化したとは知らなかった。
  それも、あのべニー・グッドマンがスウィング・ジャズの立役者とは。 あの恐慌の半ばで・・・ それと、学生時代に
  持っていた少ないレコードの中にグレン・ミラー楽団とべニー・グッドがあったことを、この書を読んでいて思い出した。
・・・・・・・
3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1
 2010年05月24日(月)
 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白いとサイトを開いてK-1を見て驚いたが、
それっきりだった。 それがビデオカメラを買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度にはまってしまった。
  ーこのサイトのHPによるとー
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと作業の末、YouTube.com をオープンしました。
その使命とは「誰でも簡単に動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、または大きな何かと繋がっていたいという人たちが、
自身をブロードキャストすることができる場となりました。YouTube は誰もが想像したよりも遥かに素晴らしいサイトに変化を遂げ、
活気に満ちたユーザーのコミュニティが創られた。多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は 1 日あたり
20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局 3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。
自宅の寝室で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される 
1 シーズン分のスポーツの試合、より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領へのインタビュー
までも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
  ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い感性に驚いている。
     (字数制限のためカット2011年5月24日)
・・・・・・
2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
 「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期になると、親から一歩はなれて、
自分の世界を探し求める者の姿に二重写しにもなる。産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。 
彼らは、「住まうこととさすらうこと」を同時にしている。 彼等の方向性は、目的とする港であり、商業の街である。 
彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと駆り立ててきた。
欧州ではユダヤキリスト教の影響が顕著になると、さすらいは原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に
至るための受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)
・・・・・・
2607, 脳内会話 ー2
2008年05月24日(土)
 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」「さよならソクラテス」の三部作が、
池田晶子の脳内会話のようなものだった。宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、現職議員や老人福祉係、
ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、トレンドクリエイター、コピーライター、
サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、その他諸諸のことについて、対話する。
筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、ソクラテス池田晶子に話をさせている。 
ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。これこそ脳内会話そのものだろう。
ーー
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 
でも世の中って、そういうもんて言や、そういうもんなんじゃないの。(中略)あたしは自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。言ってわかる連中じゃないんだから。 
(中略) ああいうのに腹立てて、やいやい言ってるヒマがあんなら、自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、ほんとは
そっちが先でないのか。みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、結局世の中全体が、
そういうふうになるんでないのか。.……」 ーソクラテス
『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
「 フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
   女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
  クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きるでないの。
   社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。せっかく女やってるんなら、
   断然その方が面白いね。
    (字数制限のためカット2011年5月24日)
・・・・・・・
2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 *滋烈亭のママ*
十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的な店に行きたい」というと「滋烈亭」という
創作中華料理店に連れて行った。ママも美人でキップが良かったこともあったが・・・ところが当時、改装をしたという
案内をもらったので行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
  (字数制限のためカット2011年5月24日)  ところで、この数年後に鬼籍に入られた。
・・・・・・・・
2006年05月24日(水)
1877, 「ノート術」本当の極意 ー2          おっ w(゚Д゚)w ハァョ?               
 「手帳とノート魔法の活用術」の著者の和田茂夫氏の
  ービジネスノート活用七原則ー の基本的ノートの使い方が参考になる!
原則一、ノートとメモは使い分ける(メモは気づいた時に、適当に書きとどめるので改めて書き直す方が良い。
     メモ情報のなかにお宝が多いのを掘り出すことになる。     
原則二、カタチは何でもよい(A4かB4のノートで十分)    
原則三、ノートは片面だけをつかう
    (ノートを切り離して使うためにも、片面がよい。見直すときも常に書いてある方をみれるし、みやすい) 
原則四、タイトルは×マークで(その上の部分にテーマ、右の出典、左に月、下に日付けを入れる 
原則五、主語+述語のワンフレーズで書く(たとえば「新会社法」とか「見積書」の場合、
   「新会社法の施行」「見積書をファックスする」)     
原則六、図解してみよう(マインドマップ、○△□→などを多くつかう)  
原則七、封筒で整理する (テーマごとに大きな封筒の、関連のノートなどを入れておく。ノートは片面しか使ってないので
    切り離してもよい。タイトルを端に書いておけば、少し引き出しただけで、封筒の内容がわかる。)^ー^)/C□~コーヒー?
   (字数の関係でカット 12年05月24日)
・・・・・・・・
2005年05月24日(火)
1512, こころを凛とする196の言葉ー1          読書日記
 最近、あまりこだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
  (字数の関係でカット 09年05月24日)
・・・・・・・・ 
2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論」 
この本も、なかなか面白い。情報化時代だからこそ脳が問題になる。
 (字数の関係でカット 09年05月24日)
・・・・・・・・・
2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」
  ー40歳の頃 −1986年
過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきたかの謎解きを一人しているような気分になる。
 (字数制限のためカット2010年5月24日)
・・・・・・・・・
2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」
何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,先日買って読んで面白かった。しかし本来ある技法を、とってつけたような
内容も多かった。最近ノウハウ書に凝っている。
   (字数の関係でカット 09年05月24日)
・・・・・・・
2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感
 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
(字数の関係でカット 13年05月24日)