[哲学 心]
     * 苦悩の時間的推移
  この節目の一連の精神的苦痛の実感は
「 ①痛いー> 
  ②痛・哀しいー> 
  ③痛・気持ち良い(痛みに慣れる)ー> 
  ④痛・面白い(立場を客観視できる)」へと変化している。 もちろん七転八倒をした上のことだが・・ 
 私のすぐ上の姉の連れが20年前に亡くなった時に、葬儀の席で、一まわり以上年上の従姉妹が、姉に
『私の経験からみて、三年で哀しみは消えるよ!』と慰めていた。 時間が解決する『時間薬』である。 
 青年期からの節目(挫折)の苦痛の経過を振返ると、大よそ上記の経過をたどったが、大たい次の障害への取組で、
それらが消えていった。前向きに生きることが、如何に重要かである。 そして、最後に、その痛いが無くなり、
「ああ、面白かった」だけが残るなら、ハッピーリタイアよりは良い? 肯定的に捉えれば、それを境に全く違った
新世界が開けることになる。その世界からみると、節目前の自分が、何とも滑稽に思えるもの。新しい自分の再生が、
何とも奇妙な感覚である。「泣いても笑っても同じ空」で、笑ってきたが、泣きが不足していたのだろう、私には。
 母親から聞いた話が耳に残っている。『小姑の虐めに、耐えられず実家に帰ったところ、母に〈シッカリしなさい!
一番辛い時が人生で一番、良い時なのよ〉と、励まされた』と。見方によれば、この3年間が、私の人生で一番良い時?
といえば、思い当たるフシもある。いや、サホド辛くもなかった?どうだろう? 少なくとも、人生で一番、内省できた
ことと、解放感があったことは事実。 本当に精神的苦痛なんど、あったのだろうか? それからも、解放された?
 成るほど、人間は少しハンデを負って、《痛》が、頭に残っていた方が良いのかもしれない。どの道、10年後には、
8.9分は存在していないのだから。苦悩も、解放も、知的欲求も、感動も、感謝も、至高体験も、生きている今のうち。
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4430,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −2
2013年05月03日(金)
    * ルート1 心が幻想だと理解する道(脳科学の道) ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
 信長が、幸若舞の演目のひとつの「敦盛」を好んで舞っていたが、そこには、
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・」という詞章があり、織田信長がこの節を特に好んで
演じたと伝えられている。人生振り返れば全てが夢幻。 その辺りを以下のように述べている。
 ≪ 古くは進化論で有名なダーウィンが、感情は基本的に「幸福」「驚き」「恐怖」「怒り」「悲しみ」「嫌悪」「軽蔑」の
七つから成ると述べている。また、心理学者エクマンは、表情から見た感情には、「幸福」「驚き」「恐怖」「怒り」「悲しみ」
「嫌悪」の六つがあるという。軽蔑を感情に含むかどうかだけが異なるが、あとは同じ。「幸福」が感情だというと日本語では
やや不自然な感じがするかもしれないが、「ハッピネス」を「楽しさ」と訳さずに「幸福」と訳したと解釈すれば、違和感はない。
ちょっと驚くのは、ポジティブな感情は「幸福(楽しさ)」だけで、他の五つないし六つはネガティブな感情だという点だ。
ああ、人間のポジティブとネガティブは、なんて非対称なんだろう。いずれにせよ、恐怖=怖さ。人間は、怖いという感情を持つ。
ちなみに、恐怖に限らず、あらゆる感情の記憶はすべて大脳辺縁系に蓄えられているといわれる。このため、大脳辺縁系は心の
中心だという人もいるくらいだ。・・・ もし人間に感情が無かったら、人間社会は、ロボットの集団、ないしはアリの集団の
ように、ただ役割分担をし、ただ生きて死んでいくような、無機質な社会だったに違いない。・・・シマウマの群がライオンに
襲われたとき、一匹が犠牲になる。それはお布施と同じで、一匹の命をライオンに提供しているのだという。あたかもお布施の
ように思えるシステムが、種と種の間の調和のために成り立っていることは、進化の当然の帰結だと言うべきだろう。・・・
要するに、生物種は、個体の死へのセンチメンタルを超えたダイナミズムによって進化を遂げただけ。それだけのこと。≫ 
 ▼ 一人称の死は存在しない。死んだ瞬間、無になるからだ。あるのは二人称と三人称の死しかない。怖いというのも
  感情の一つなら、心=感情は幻想と理解すれば、死は恐ろしくないはず。固体の死への感傷を超えたダイナミズムが猿から
 人間に進化させたのだ。一人称の私の死など、真面目に考えることはない、ということ。死ねば幻想が抜けたゴミでしかない。
 逆に、夢幻こそ大事にすべきといえる。小説、映画、ドラマ、コミックも作者の創作という幻想。 だから面白い。
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4056, 個性など、どうでも良い。的を絞った意欲と根気だけ!
2012年05月03日(木)
  * どう騒いでも、われわれは集合体の一部なのだ     ー 「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ 結局のところ、なにをどうしてみたところで、われわれは集合体なのだ。なぜといって、純粋な意味で自分の所有だと
いえるものなぞわれわれはごくわずしか持っっていないのだから。われわれはみな、先人からも同時代人からも受け入れて
学ばねばならないのだ。どんな偉大な天才でも、なにもかも自分の内部にたよろうとしたら、大したことはできないだろう。(略)
 要するに、自分の内に持っているか、他人から得るか、独力で活動するか、他人の力によって活動するか、こんなことはみな愚問。
大事なことは、大きな意欲をもち、それをやりとげるだけの技能と根気をもつことだ。それ以外はどうでもいいことなんだ。 ≫  
                                         エッカーマンゲーテとの対話』
▼ 我々は何らかの形で人類の蓄えられてきた文化遺産の一分野にいるのであって、それから一歩も出ることが出来ない、
 ということになる。一歩出たところで、それも際の範疇でしかない。そう思えば、あくせくすることもない。
 そのことに気づきてしまえば、後は楽。個性とか、自分になるとかは、他と違うことをなしうる能力に求めがちだが、
 本当に必要なのは、強い意欲を持って、やり遂げるだけの根気。アランは『教育論』で、発明や、一般に天才とよばれて
 いるものについて、長い間の勉強のあとでなければ出てこない、と述べている。 個性など、その後の話でしかない。
 好きこそものの上手なりで、好きだからこそ、辛抱づよく続けることが出来る。それを誤って才能と誤解してしまう。
 一人一人が意欲をもち、やりとげる技能と根気をもち努力するしかない。他人と比較することもない。要は意欲と根気だけ。
 で、根気を持って、これ続けています。
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3690, この随想日記も、まる10年か〜
2011年05月03日(火)
 今日で、この随想日記がまる10年になるが我ながらよく続いたと驚いている。10年は大きな節目、今後どうするかである。
これで自分の全てを出し切った思いがある。あけすけに脳内を公開しているようなものだが、これを続けたおかげで自分の中に、
一人の記者の目が出来たようである。その結果、世界の見方が変わってしまった。 いや世界そのものも大きく変わってしまった。
書き続けるために、常に数回分の文章を書きためておかなければならないプレッシャーは大きい。が、それを逆に楽しむ面白さもある。
「一度でも休むと、もう二度と書き続ける気力が無くなるのでは」という恐れが続ける後押しをしてきた。振り返って読んでみると、
ここで書いてきたことが私の限界線でもある。 一番のメリットは数年分の同月同日の文章を毎朝、読むことが出来ることである。 
過去の痕跡の文章を早朝、読み返しているから10年続いたのかもしれない。 それと、「何人かの知人が読んでくれている」
という実感があることである。 それと書き続けることで、否が応でも常に読書を自分に強要できることである。 
この10年で、私の人生の支柱の一つとして残すことが出来たのは大きな収穫である。 他にも、
・最後は、こういう結果としても、四十年近くの事業の起承転結と、・50回近い秘境ツアー、・そして10年間続けた随想日記。
・それと、好きな酒と肴を思い残すことなく、飲み食べたこと。  ・それと読書を十分にできたことなど、思い残すことはない。
 そうこう考えて、これから続けるかどうか、止めれば張りが無くなるし、続けるのもシンドイし・・・
  「力を半減して、当面、続ける」が、現在の答えか? 
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3325, やりたいことは三千五百万もあれば・・・
 2010年05月03日(月)
   ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −2
  * やりたいことは三千五百万もあれば・・・
・「死ぬ時に、楽しい人生だった」と言えるには、したいことは全部やったと思えること。
・ そのための金額は普通の人なら三千五百万もあれば殆んど実現できる。
  葬式代は350万もあれば充分。自分で葬式の手立てをしておけば三分の一で可能。
 (120万を前提に葬儀屋を何社か呼んで手はずを組んでおくこと)
・ 「漠然とした不安感で貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」
 これが日本の大部分のバカな老後の姿である。 要は、考えてないからである。
▼ 以上のことは大前研一でなくとも私でも思うことである。要は考えないからである。 40歳の時、良い悪いは別にして
「年間1000万は使い切る」と決心した。しかし当時、10歳前後の子供がいて大学を卒業するまで10数年は、それほど贅沢を
出来る金額ではなかったが、それでも年二回は家内と海外ツアーに行き続けることが出来た。海外旅行代は総額3千万前後だろう。
一点豪華主義?である。月にすると10万になるが、普段の生活で節約をしていたので、使いすぎたという感はなかった。
その御蔭か満足した後半生を過ごしてきたと思っている。 これまで46回のツアーに行ったが、これを、これから始めることは
時代背景と年齢を考えると無理。「べき時に、べき事を、べくすべき」を実行していて良かったと満足をしている。
したがって老後の心配は殆んどない?。三千五百万といえば大金である。しかし100万ずつなら何とか可能?家を売却して
貸家に入っても「やりたいことを、すべき」と思うが、いざとなると、これが出来ないのも分かる。それぞれの事情があるから、
これ以上は言えないか。 もし何とか可能なら40歳から100万×35年間で、不可能でもない?。 無理?なら、50万は?それも無理? 
月に4万の積み立ても無理? その前に、まず「自分は本当に何をしたいのか」考えなくてはならない! で、ないと
「漠然とした不安感で貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」ことになる。そういう思いで、歳をとってから
秘境に来ていた人と出会ってきた。それを実感したので、迷いなく実行できたのである。ーそれがどうした?って、どうもしないが・・
くだらない自画自賛か! これから3500万か〜面白そうだが、老後資金を考えると?となる。 でも、その金が! 宝籤を買うか!
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2950,人はどうしてオヤジになるか?
2009年05月03日(日)
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹著の《人はどうしてオヤジになるか》の問いかけが面白い。
 この文章を読みながら( 私は「オヤジ」かどうか?)を内省してみた。 オヤジといえば、オバサンである。
 現象に大きく左右され、考えることをしない両性化した生き物。オヤジも長年かけて自分でつくりあげる生き物である。
 常に自分の中で肥大化しようとしている化け物として、監視しておかないと・・・
  ー まずは、その部分から ー P・20
 人の誤解のうちに最も危険なものの一つは「不愉快な人間関係に耐える能力」を人間的能力の一つと思い込むことです。
その耐性はむしろ有害であり、命を縮めることの方向にしか作用しません。「耐える」人の場合は、「耐えること」が
自己の中心にあります。それ以外のことは「耐えること」のために総動員されます。「不愉快な人間関係に耐える」というのは、
人間が受ける精神的ダメージの中で最も破壊的なものの一つです。世の言う「中年オヤジ」というのは、この耐えることが
劇的に人格化されたものといってよい。 会社で上司の罵声に耐え、部下の暴言に耐え、クライアントのわがままに耐え、
満員電車に耐え、妻の仏頂面に耐え、セックレスに耐え、子供の軽蔑に耐え、巨額のローンに耐え、背広の綻びに耐え、
全身これ「忍耐」からできているのが「中年のオヤジ」という存在です。 人生のある段階で、(たぶん、かなり早い段階で)
不愉快な人間関係に耐えている自分を「許す」か、あるいは「誇る」か、とにかく「認めて」しまったのです。
そして、その後、「不快に耐えている」ということを自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟の証しとか、
そういうふうに合理化してしまっている。蟹が甲羅に合わせて穴を掘るように、人間は、自分でつくってしまったパターンに
合わせて不幸を呼び込みます。「不幸に耐えている自分」を「器量の大きい人間」と勘違いをしたら、もうその後の
「オヤジへの道」は一直線である。そういう人は不愉快な人間関係だけを選択し続けることになります。本当にそうなんです。
▼ 以上だが、八割の人は、この「耐え人」の人生を過ごしている?自分の人生を振り返って、一番良かったことは何か?と、
 考えた時に、「事業を立ち上げ、一度も営業赤を出さないで何とかやってこれたこと」(今年度からは??)
       (字数制限のためカット2010年5月3日)
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2586, 日本の貧困率 ワースト2
2008年05月03日(土)                ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
先日、Wowowで観た映画『しあわせの力』という映画。ウィル・スミス演じる主人公が貧乏のどん底から成功者への階段を
上っていく内容だが、その大部分が「すべり台社会」を滑り落ちていく内容。 リアルで他人事に思えない内容である。
地下鉄のトイレや、教会の施設に並んで泊まったり、子供が一緒だから尚のこと引き込まれてしまった。
実話に基づいた内容だから、迫力があるのだろう。 黒人のセールスマンが収入が無くなり、奥さんに愛想をつかれ子供を
置いて出て行く過程など現実的である。そして、最後はホームレスになる。這い上がるのは無理という状況から主人公が
成功を掴んだ要因は、【息子への愛】と、どん底でも諦めない執念。何か身につまされる内容であった。 
人生で、何度もすべり台に立つ瀬戸際を経験した。一つの判断が致命傷になる、それが創業ということ。
 (字数制限のためカット2010年5月3日)
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2007年05月03日(木)
2221, 静岡で感じたとこ       ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
 去年、学生時代の友人が私のところに訪ねて来て、今年は私が静岡を案内してもらった(4月30日、5月1日)。
学生時代に30日間欧州旅行をした友人である。静岡は住みやすいと聞いていたが僅か2日間だけでも、その豊かさを感じ取った。
静岡市内を案内してもらった後に、車で一時間近くにある浜松市に行き、その後に焼津に行って、友人の地元の知り合いの
経営しているホテルに泊まった。その間に車の中から垣間見た世界は、東海ベルト地帯の豊かさである。
「日本は東京から名古屋までの地帯に富が一極化に集約されるのではないか」とさえ思えるような景気の良さと豊かさを感じとった。
車から見える家と車は新しく、街並みは奇麗に整備されており、静岡駅や浜松駅周辺は再開発など大きなビルラッシュで、
カナダの都市?のような活況と清潔感があり、「これが地域格差」「これが21世紀」を具体的に見せつけられた思いであった。
新潟駅立体交差再開発の完成の姿を思い浮かべることができた」ということか。静岡県は「ヤマハ」「本田」「鈴木自動車」
それにトヨタの関連企業が数多揃っていて互いシノギを削っている。友人の実家が、トヨタ自動車ラジエーターを主に
つくっている会社で、友人は、その子会社の社長で、かなり鼻息の荒い状態だった。東海道ベルト地帯は永年かけた工場地帯の
集積がある上に、お茶の生産地があり、焼津などの漁港もあり、山梨などの後背地域もあって、それぞれが有効に連鎖している。
名古屋駅周辺を含めて、隔世の感があるほど活況があり、不景気はどこ吹く風という。
なるほど他とは格差がつくにはつく理由がある。それに引き換え、それ以外の日本は?・・・・
 ▼ そうそう、今日でHP開設、6周年になる、2200も毎日、この文章を書いたことになる。それと、もう一日に書ける限度の
 レポート用紙20枚分をオーバーする。6年前の文章をカットしなければならない。毎日、過去に書いた文章を眺めて自己満足をしていたが、
 オーバーのサインが出てきて、カットするのが非常に心が痛む。過去の自分(のエネルギー)を切り捨てるような気持になり、
 どれも捨てがたいのである。             (○´ω`○)ノ **SeeYou *(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・・
2006年05月03日(水)
1856, HP開設、5周年  ー1    \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
明日で、このHPを開設して、まる5年になる。旅行以外は、ほぼ?一日も欠かさず随想テーマ日記を書いてきた。
我ながら続いたことに驚いている。5年前のこの日を境に一変し、全て、このHPを中心に生活がまわるようになった。
一日、何らかのカタチで5時間以上?はパソコンに向かうようになった。5年前にパソコンの先生に事務所にきてもらい、
このHPを立ち上げた。さらに自宅近くのパソコン教室に三年以上通った!
・パソコンを自分の道具として使いこなせるようになりたい!
・HPを自分のネット上の部屋にしたい
・ネット・サーフィンでネット空間を飛び回りたいという思いがあった。