「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
   * ぼんやり時間について ーつれづれに
 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力を
あげていた真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー
《 ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。何冊かを調べてみて、予想以上に評判が
芳しくないことを改めて知った。「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが集中しない様子。
④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつであったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は
否定的な意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように否定的なものだと思う。
 たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態でふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での
ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論もない。そういうことは承知の上で、串田孫一
「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。
 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に
「ぼんやりH」といい、ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し説いてきたのは、主に
このぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書き
つらねてきたのは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。 世の中の支配的な風潮に対して否定的な考え方を
示すことは、難しいことではあるが、ある意味では実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、
「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きを
いきいきさせるものがあり、生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか大切なことではないか。
そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。
「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、
「静」や「休」や「ぼんやり」もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、私たちはあまりにも
「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっている
のではないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」であるということとは別に、
「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりすることで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。
ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせるためにも必要なのだ。》
 ▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。
  その他に、もう一つ、背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、ボーとした時間である。
 これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから
 エネルギー、気力が湧き出ることを、である。 ツアーで、独自で行けない秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。
 そこでは、旅の企画と手配と案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、バスの中。  
 そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、
 ただただ、ボ〜っとする時空の魅力に気づくようになった。 何か、痴呆症の勧めのようだが・・ 
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4413, 早起きの話
2013年04月16日(火)
 早朝の読書習慣は事業を立ち上げた27歳の頃から現在まで40年になる。父も早寝早起きで、夜は9時前に寝ていた。
一日、二時間は読書をすると決めていた為、創業の忙しさの中で読書環境は静かな早朝しかなかった。40年にわたる早朝の
読書時間は私の独学塾。その蓄積で、もう少し読書の質が上がって良いさそうなものだが、独学もあり壁を破れなかった。
それもあって夜は9時就寝に自然となっていた。 晩酌をすることもあり就寝と同時に4〜5時間は爆睡するが、深夜1時〜
2時頃に目が覚める。その30分は頭が冴え渡る。事業で何か大きな決断をするとき、2時半を目安にして判断をする。
その後、半覚半睡の状態で二時間ほど過ごし4時〜4時半に起床、書斎に入る。そして6時頃からポタリングに出る。
早朝時間の活用をしている人は意外と少ない。時間帯として、「20対80の法則」「6対94の法則」でいう、この時間の
読書と散歩かミニ・サイクリングは私にとって重要事項。カレルが「物理的に過ぎ行く時間の他に『内的時間』が別にある」
というが、早朝の時間は、その内的時間に入る。内的時間の芯といえば純化した心のゾーン。名著などに没我しきった時間の、
それである。 ところで日本は戦中・終戦直後まで人口の過半数以上が農林漁業に従事していた。そのため、朝早く起き、
夜早く寝る習慣になっていた。 朝の陽光が生命の源。朝の語源は、天が開いて明るくなる「明ける」からきたという説がある。
英語のモーニングもドイツ語のモルゲンも、太陽の光を思わせるイメージがある。仕事により朝方かどうかが変わってくるが。
 早起きの効果は、長年続けなければ出てこない。部屋で、土手で、早朝、独りで物思いにふける時間は至福である。
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4039, 世界の旅行記101  ー1
2012年04月16日(月)
   ー 内容(アマゾンより)ー     「世界の旅行記101」 樺山 紘一著
 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験を
うけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。
旅行記の効用は、じつに広く深い。ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータの旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、
はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した、古今内外の代表的な旅行記101冊の
歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。自宅でくつろぎながら、旅行記の魅力に浸れます。
この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。
  ◎ アマゾン読者感想 
≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。
その中からその時の関心の在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると助かる。 旅に出る時、
ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。
また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。
私は、数年来、この本をそんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたっては、モームゴーギャンの作品などとともに、
ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦してくれた。
そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。 この本には、紀元前から現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、
原則2頁で、時に地図や写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。関連年表、索引もやや詳しい。
目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手は拡がる。
旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、併せて、古今東西旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、
精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫
 ▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。
  編者の「旅行記は事件簿でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。 そこには、それぞれの人生の
  全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ちている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 
  次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。
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3673, 自己を見つめる −1
2011年04月16日(土)
   「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 
その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断をしてきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。
それらの自己の総合体が自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みをしていたら、
思わない拾物をしたのが、この本。 現在は、その「節目どき」。 自分を見つめ直す機会である。
   まずは、  −アマゾンの説明書きよりー
  放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる
気持ちを支え引き締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。 
日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。  
  ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ―
* 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟というものと深く関係している。
  しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも
  接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している」 (「生き甲斐」)
* 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、
  控え目ながらも持続的で強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴うあらゆる憂いと
  悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」)
* 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる失われた桃源郷である」 (「不幸」)
* 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、
  自分を支配することに至ったことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
  老年になってからである」 (「老い」)
* 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。
  私が、本書『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした優しく敏感で、傷つきやすい、
  心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」  (「まえがき」より)
 [目次]  まえがき  
  第一章  経験  第二章  時間  第三章  境遇  第四章  遍歴  第五章  自己  
  第六章  生き甲斐  第七章  仕事  第八章  孤独  第九章  愛  第十章  他者  
  第十一章 世間  十二章 運命 第十三 不幸  第十四章 老い  第十五章 死
 ▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、
  自分の歩んできた人生を振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。 それが「節目を打つ」ことになる。
  青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の石にすることができた? 内省も面白いものだ。
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3308, 万田酵素
 2010年04月16日(金)
 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、
一万円前後。 無料キャンペーンはお試し用の6パックで1200円のもの。10日前に届いたので、試し飲みをしてみた。 
で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せて
いるような感じ。そこで、小さなパックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、玄米酵素
飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いているから身体に適応しているのだろう。
 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さなコーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。
 無料の試しパックは一パック2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じである。
通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば
三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。
ネットでは、3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットでチェックしているはず。
それでも、この価格で販売しているのだから、ネットでチェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、
ドラックストアさえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 
   今さら、大して用がないか!
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2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1
 2009年04月16日(木)
去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、
多く読んできた。楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。
当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消えて、「100年に一度の経済危機」という言葉が
定着したきた。1930年代の世界恐慌より、今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。
新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40パーセントダウン。輸出産業を中心としたメーカー関連で、
40〜50パーセントダウン、それ以外が20〜40パーセントのダウン。2001年の9・11事件の時は、三年かかって30パーセントに
ダウンしていったが、今回は2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。 9・11の時は、金融庁の方からは、
駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、何とか助かるところは、潰さないようにという、
お達しが出ているという。大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売り上げ減が始ってきた。
これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと経営圧迫がきているのが現状である。
国家として3月末の大量倒産を避けることが出来たが、問題は決算が出揃う5月から6月にかけて大きな事変が続くと言われている。 
実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない数字だったが問題は、これからの経済社会の情勢。
この恐慌の大波が、まずは日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。韓国・台湾
シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20パーセントダウンというから、大打撃になっている。
かなり深刻な事態が、世界各国、いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。この7〜8年、何とか輸出立国という
モデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? 
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2569, 閑話小題 
 2008年04月16日(水)
 * ガソリン価格
先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。
そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、
127円で統一(談合)しているのでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしているから
消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。
 * 呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
 * ロシアのバレー事情の激変
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
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2007年04月16日(月)
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」  おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
 ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる 
あわや正面衝突!と、思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに
衝突の車を見かける。慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では誰も前の席に座りたがらない
沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
 ーベトナム交通戦争ー 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。
警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。
よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、衝突する際どさの中を運転技術で
コントロールしている。慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。ベトナムのオートバイは2000年で650万台、
2003年で1100万台、2006年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に10パーセントをベトナムが占める。
(字数制限のためカット 2011年4月16日) 
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2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる ー1
     おはよ?!(*^ワ^*)i             ー読書日記            
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから?
「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
 ー著者からの内容紹介ー 
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには?「分かりやすい技術」の著者が、
効果的な情報収集・整理術を伝授!携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか?
大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには? 一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには?
インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには? 本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
◎ 情報の洪水の中で生き抜くには、効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
 「誰かに教えることを前提に情報収集」「仮説を立てて検証」
 「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」「ルールを発見し、記憶量を減らす」
 「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、人前でも分かりやすく説明できる。
◎ 日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使える
 テクニックを伝授!「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る「要領のいい人」になるための知的情報術。
▼ 以上がカバー裏の説明書きである。これに、目次に印象的なところを書き込めば80パーセントは把握できるはずであるが?
(字数制限のためカット 2010年4月16日) 
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2005年04月16日(土)
 1474, 汚れつちまつた悲しみに     中原中也
汚れつちまつた悲しみに  今日も小雪の降りかかる    汚れつちまつた悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは  たとへば狐の皮裘       汚れつちまつた悲しみは  小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく   汚れつちまつた悲しみは  倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに  いたいたしくも怖気づき    汚れつちまつた悲しみに  なすところなく日は暮れる
                     河上徹太郎編 「中原中也詩集」より -汚れてしまった悲しみに-より
この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、
当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」
が、彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。その傷は本人しか治せない。
「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」
ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。
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2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」  ー読書日記  ー2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー
この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、
一章づつ印象深い文章を書き出してみる。私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの
極限を味わう為である。その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
  (字数の関係でカット2008年04月15日) 
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2003年04月16日(水)
 742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』ー1      ー 読書日記
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
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2002年04月16日(火)
 378,不況
 (字数制限のためカット 2011年4月16日)