『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
 4年前から、18年続けてきた一年一度の「一日人間ドック」を止めた。別に、深く考えた訳でなく、毎年、同じことの
繰り返しでしかない。検査で早期発見をしても、悪性なら助からないし、良性なら助かる。それならば現象が現れてから
でも同じこと。それをわざわざ、定期検査をするのは洗脳されているのではないか?の疑問もあった。それと「60歳までに、
人生を生ききった、元をとった」という思いがあることもある。この数年、近藤誠と中村仁一の「ガンとは闘うな!」の
影響もある。お二人は、薬漬け、抗癌治療、健康診断そのものに疑問を投げかけているが、この著者・久坂部は、
アンチエイジング、長生き、そのものに疑問を投げかけている。
   まずはーアマゾン内容ーより
《 何歳まで生きれば“ほどほどに”生きたことになるのか? 長寿をもてはやし抗加齢に踊る一方で、平均で男6.1年、
 女7.6年間の寝たきり生活を送る。多くの人にとって長生きは苦しい。寿命は不公平である。だが「寿命を大切に生きる」
ことは単なる長寿とはちがうはずだ。どうすれば満足な死を得られるか。元気な内にさがしておく「死ぬのにうってつけの時」
とは何か。 数々の老人の死を看取ってきた現役医師による“死に時”のすすめ。》
 ー‘はじめ’からしてシリアスであるー
「本書は、長生きの良くない面にスポットを当てています。だから、基本的にはいやなことを書いています。なぜそんな
いやなことを書くかというと、巷にあふれる健康長寿情報にはあまりにウソが多いからです。そんなきれい事ばかりを
聞かされていたら、この先どうなるのか。ますます老いや長生きが苦しくなってしまう。その危機感が強くあります」 
   ーあるレビューよりー
【 著者は現役の医師。「長寿」に対する日本人の考え方、医療のあり方に疑念を抱き続けてきました。
 そんな著者が臨床例を紹介しながら、長生きのよくない面にスポットを当てて解説します。
「今や早死にの危険は減ったけど、長生きの危険が高まっている」という逆転現象。むしろ、長生きすることを
「リスク」と捉える傾向すらあるそうです… 身体は死のうとしているのに、それを無理やり引き留めるのだから、
死が苦しくなるのは当たり前。延命治療のこういう側面には、なかなか気が付きません。誰もが初体験である「老化」
そこに大きな不安が生じるのは誰でも同じです。しかし、そこにつけ込んだビジネスの多さに驚かされます…
本書ではそれらの実態を踏まえたうえで、改めて理想の「老い方」、そして「死に方」を提案してくれます。
長寿を願い、健康情報に振り回され今を忘れていませんか?遠い先ばかり見て未来に逃げず、今を十分生きていますか? 】
▼ 最近、自分の血糖値や血圧の話題をしている人に違和感を覚えるようになった。「ああ、この人、洗脳されている」と。
 子供の頃、老人の悪口に、「死にそこない」という言葉があった。現在、そんなことを言ったら袋叩きになるが、まさに
著者は、「死にそこなわないで、自然に任せて逝きなさい」と勧める。死にそこなった老人たちの実態を見ているからだ。
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4380, 閑話小題  ーある相撲取り
2013年03月14日(木)
   * 長岡駅裏の道路拡張工事
 長岡駅裏から東バイパスまでの大通りの拡張工事も完成に近づいてきた。40年以上もかかっている。
当初は市役所などの施設を東バイパス近くに移転する計画だったが、地主の反対などでSCなどに変更し、三年前に完成。
毎日、その一角にあるスポーツジムに通っている。自宅から150M位の大通りの一角には、大東建託がマンションと、
セブンイレブンが完成間近か。これで近くにローソンとセブンイレブンがあれば、ますます便利。
    * ある相撲取り
 日本人を父に持つフィリッピン・ハーフの力士が二人が新顔として幕内上位に上がってきた。
その一人が枡ノ山という力士。 肺の持病のため、20秒以上相撲をとると呼吸困難になる。母親の離婚のため、
一度フィリッピンに帰国したが生活が困窮し、一度断念した力士の夢と生活のため母と日本に戻ってきた経歴を持つ。
母は日本で看護士として働いている。 取組直後は呼吸困難のため激しく息を切らす。「スタミナは一般人の半分以下」と、
本人も認めている。そのため激しいぶつかり稽古は無理で、特別メニューをこなしている。相撲はブチカマしで押出しだけ。
その必死な姿と、本番終了後の激しい息遣いが共感をよぶ。20歳そこそこの青年が、生活のため必死に闘っている姿が、
身体全体に現れ出ていて、ドラマそのもの。 力士生命は、長くないのは自明。これも人生である。
 もう一人、大卒で幕下からデビューしたての千代大龍という力士がいる。三役に直ぐになるだろうと思っていたら、
糖尿病になってしまった。これは、力士にとって致命傷。食事制限で太れないうえに体力維持も大変になる。 その後、
身体が一回り小さくなったが、それでも勢いで幕内上位に上がってきた。 昨日は横綱に初金星である。
短命の力士生命を本人も知っていて、必死に闘う姿が心をうつ。最近は、力士の人生を土俵上で見るようになってきた。
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4006, 宇宙は本当にひとつなのか ー8
2012年03月14日(水)           
  * 超ひも理論とは      「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 これまで電子などの素粒子は大きさをもたない点として考えられてきました。ですが、素粒子をただの点として考えると、
 つじつまの合わない、ことが出てくるようになってきたのです。そこで、考えられたのが素粒子は実はひもだったと考える理論です。
これが超ひも理論につながる最初の考え方でした。素粒子が実はひもだったというのは、とても突飛な発想のように感じると思います。
どうすれば、今まで点だったものをひもとして考えられるのでしょうか。超ひも理論でいっているひもは、とても小さなもので、
その長さは一〇の三三乗分の一マイナスセンチです。小数点の後にゼロを三二個並べた後に一が来るくらい小さいものなので、
私たちは見ることができません。 超ひも理論では、私たちが素粒子だと思っていたものは、実は振動して広がっているひもなのですが、
あまりに小さいので点だと思い込んでいたというのです。 今まで点だと思っていた粒子の正体がとても小さなひもだったという超ひも理論
正しいものだったら、宇宙の姿も大きく変わってきます。 まず、宇宙は一〇次元でなければいけないことになります。一次元の時間に加えて
空間は九次元ということですので、私たちが目にすることのできる三次元空間の他に小さな異次元が六次元あることになります。 加えて、
プレーンと呼ばれる三次元空間の膜も確かに存在して、物質はその膜に貼りついているということも、理論が正しいことになります。】
 ▼ 物質をカタチつくっていた素粒子が、実は振動して広がっているヒモだったとすると、モノとは何かという原点から
 考え直さなければならなくなる。その超ひも理論が正しいと、宇宙が10次元なければならなくなり、空間が9次元なければ
 ならないという。それから、多元宇宙論が導き出されるという。 「物質は、コトの一時的現象」という話を聞いたことがあった。
 コトのエネルギーから生じるのが振動なら、素粒子と思っていたのがヒモ状の振動と同じことになる。人間の感動も魂の振動。
 下にコピーしてある,二年前の3月14日のーカントの神について、どう語ったかーが、宇宙論を読むと符合する部分が多い。その前年分もか。
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3640, 大地震 ーつれづれに ー3
2011年03月14日(月)
* これからは原発放射能漏れと大爆発の可能性がクローズアップをしている。 
 まず現在、何が起こっているか頭を整理してみよう。
 明治三陸地震以来の岩手、宮城、福島県沖の活断層が400キロにわたり起こった地震と大津波
 世界的にみても、今回の地震は最大規模の一つになる。
  1番 チリ地震(M9.5 1960年) 2番 アラスカ湾地震(M9.2 1964年) 3番 スマトラ島沖地震(M9.1 2004年)
  4番 東北地方太平洋沖地震(M9,0 2011年) カムチャッカ半島地震(M9.0 1952年) 
 今回の規模は、日本の歴史的にみても、一番大きな地震津波。 人的被害では、関東大震災がある。
 1923年9月1日(土曜日)午前11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9による災害。
 死者・行方不明者 14万2800人。地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生しめ死者が甚大になった。
 今回のように、地震津波、石油の備蓄基地の火災、市街地の火災、原子力発電の爆発と放射能漏れなど起こりえる全てが
 重なってしまった震災は過ってなかったこと。 地震災害研究者からみたら、これほど研究材料の多い災害はない。
* この土・日曜日のTVは、東北・関東大震災の報道で一色。リアルタイムの生々しい内容に時間を忘れて終日、見入っていた。
 三陸海岸には津波に対する警戒もあり監視カメラが多く設置されており、個人のビデオカメラなども含め多くの映像が
 映し出されていた。 日がたつにつれてYoutubeなどから多くの映像が出てくることになる。 急な避難のため体一つで
 逃げてきた人が大部分。 帰る家も金も無くした被災民は今後、大変だろう。 年寄りなら生活保護があるが、
 中年の人は、この大不況の中、生活していくのは大変。 それでも、助かっただけでも良かった。 
 ところで、福島原発から200キロもはなれた女川原発放射能の値が、福島原発から流れてきた放射能で、
 普段の観測地値の400〜700倍になったという。 すると300キロ位しか離れてない新潟も何らかの影響を受けることになる。
 一回ごとの発表が、どんどん悪くなっているのが気がかりである。深刻な事態になっているのだろう。 
 大爆発の可能性も考えていないと! 家に閉じこもっているしかないのか? 
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3275, 哲学者は神について、どのように語ったか ー5
 2010年03月14日(日)
 * カントは神の問題を、どう片付けたか
 哲学の問題は古代以来、「世界は何で出来ているか」「神は存在するか」「真理とは何か」「自由と自然因果律の関係」等、
大きく4つに分けて考えてきた。人間の「理性」に絶対的な信仰を置き、これらのテーマについて壮大な哲学を構築してきた。
それについて、カントは、その問題自体が無意味と切って捨てたのである。 カントは、「世界」「真理」「神」は、元もと、
理性の外にあるとした。 神も含めて、理性では認識しようがないとした。 カントは、もし神がいるとしたら、客観(本質)は
神のみが認識できる。人間の理性には限界があるから、人間が相手に出来るのは、もっぱら世界の現象でしかない。
カントは、世界を神のみで知る「本質」の世界と、人間が「理性」によって認識できる「現象」の世界に分断してしまった。
本質の世界は、理性では捉えることができないと、一蹴してしまった。 多くの哲学者が悶々として苦しんできた問題を、
そこで切り捨ててしまった。 そうこう考えると、神の存在そのものを問うこと自体が無意味ということになる。
神は、この宇宙の外の存在者と仮説をたてて、その内なる人間の理性で、その存在を問うことと自体が初めから無理。
 ウィトゲンシュタインの「語りえるものは明晰に語り、語りえないものは沈黙を」と同じことになる。
「哲学は真偽の分からないことばかり語っている、判断の出来ないことを語ることなかれ!」と。だから、誰かに「神は存在するのか」
と問われたら、上記のような説明がベストになる。 とはいえ、神について、のっけから考えることを遮断するのも問題である。 
理性で現象だけを追い本質を分断することになる。人間は言葉を持ってしまい、イメージとしての死の恐怖を植えつけられてしまった。 
その恐怖から逃れるために客観としての宗教が必要である。人生そのものは振り返ると夢・幻でしかない、と感じる。
それなら、その人生の光を包む暗黒のイメージに光の根源を入れておくこと、それも人生をかけて、つくりあげることも大事なこと。
アッラーの神、ヤホバ、何でも良い。 イスラム教徒の祈りなど、非常に理にかなっている。あれは光の根源の祈りである。
 偶然、気づいたが、去年の同日、書いた以下の内容に続く。
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2900, 脳と仮想
2009年03月14日(土)
  「脳と仮想」茂木健一郎著     −読書日記
松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」で、以前、読書日記で取り上げたことがある。
 ーウィキペディアによると
共同幻想とは、複数の人間で共有される幻想である。 日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉である。吉本は、
自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 ー以上だが、これを読んで、いささかショックであった。日本社会を構成している「世間」=地域社会をみていると、
地域の共同幻想を抱いている集団社会が露出して見える。また宗教団体も教祖様の教えの刷り込みをした共同幻想集団のことも明白。
自己幻想も、対幻想も、多くの幻滅を経験した結果として、所詮は自分も、自分を取り巻く社会も幻想で成り立ち、
そのバブルと破裂の繰り返しているだけということが分かった。 死に直面したり、リタイヤをする時に初めて、
勤めた会社を含めた全てが共同幻想の中で、自己幻想と、対幻想を持って生きてきた自分に直面することになる。
 図書館で茂木健一郎著「脳と仮想」を借りてきた。 幻想と仮想と、何処が違うのか? 似たものなら、
脳との関係はどうなっているのか?と、考えながら読んでみた。この本のテーマの「仮想」は、飛行場で5歳の姉が妹に問いかける
「ねえ、サンタさんていると思う?」という何気ない一言から始まる。サンタクロースという仮想の現われ方、その我われの
現実の生活への作用の仕方の中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならない何ものかがある。 
それを徹底的に追求した本である。ヒントは吉本隆明の「共同幻想」から得たのだろうが、それは書いてない。
しかし、切り口は鋭く説得力がある。次回には、印象に残った部分を書き出してみるが、「共同幻想論」に劣らない。
般若心教の「色即是空 空即是色」にも通じる道理でもある。
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2536, 意志するということ!
   2008年03月14日(金)
ーある作家の大病経験からー     っ´Ι`)っ { おはよう
 作家の石川好の大病経験の手記が、「生老病死」の「 老病死」を迎えるに当たって、示唆を与えられた内容であった。
彼は以下の文章を書く4年前にリュウマチに罹り、印度の病院に入院した経験から病気経験だけでなく人生の在り方まで学んだようだ。
 ーまずは、その部分を書き出してみた。 とくとご覧あれ! 
病床に伏して思い知ったのであるが(今更気がついたとて遅きに失するのであるが)、体力のある人間はおのれの体力を過信する
ものである。もし仮にわたしの体の一部にでも弱い部分があったのなら、日常生活においても仕事においても、病気いうことを
わきまえ、自重していたはずなのだが、体力に自信のあるわたしはそれまでひたすら走り続けたのであった。
無病息災という言葉があるが、重い病気を患い、むしろ一病息災が望ましいのだと思ったのである。
入院中インドの医者の、その技術的なレベルが優れていることに驚くとともに、医者と患者との関係がいかにあるべきかを
巡回してくる毎に話しかける、その見識に、わたしは深く心を打たれたのであった。例えば、わたしが入院した日、医者達は
次のように述ぺた「私たちはあなたの病気を治し、元の体に戻す自信がある。しかし何より重要なのは、あなた自身が我々と
同じ医者のメンバーになる自覚を持つことです。それは、具体的な治療は我々がするのですが、あなたには病人であるあなたを、
精神的に励ます医者の役割をやってほしいのです。あなたに自分の病気を直す意志や気持ち、あるいは闘争心がなければ
我々がどんなに努力をしてもあなたを完治させることは難しい」病人になってみれば、頼るのは医者だけだと思っていたが
(勿論それは間違いのない事実であるが)、その先生は、病人になったが故、なおさら人間は自ら生きる意欲を持たなければならない、
と暗に言っていたのである。 自分達医者は病人の自己回復力を手伝う人間にすぎないからだ。そういう考え方をその医者は
説明しようとしていたのだ。こういう医者達との会話の中で、わたしは思い知ったのであるが、人の生き死にとどう立ち会うかを
職業とする医者が、結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならばその弱い意志を
どのようにして強くするのか)を鍛えるために生きているのだ、ということを、これまた暗に伝えているように聞こえるのであった。
前に述べたようにそれまでの人生で入院したこともなく、また十人家族の中で育っても、母親が長いこと腰を痛め入院した。
ことを除けば全員がすこぶる元気だったので、病気とか、それが進行しての死というものを深く考えることはなかったのだが、
 −−
以上だが、「宇宙の意志が、地球を奇跡の星として創り出した。そしてそこに自然と、生命をつくり出し、人間を創り、
この宇宙の意志が(己の目で)自分自身を見るようにした。」(幕末の僧)のである。意志こそ、大自然の力である。
かつ知識を積むことのできるようになったのは、目に見えない意志があればこそである。インドの医者の言いたかった、
「結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならば、その弱い意志をどのようにして強くするのか)
を鍛えるために生きているのだ」、その意志こそ、我々人間の一番大事な何かが隠されているのである。
「死ぬまでは生きている」のである。そして生きている間は、意志を大事にすべき。」ということだ。
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2007年03月14日(水)
2171, 考える日々                    −読書日記
           池田晶子著 毎日新聞社出版
この本は、9年前の『サンデー毎日』の連載コラムをまとめたものである。一昔前のためか、少し感覚がずれてはいるが、
それでも彼女独特の現世、そして現象への白けた眼が面白い。私も、知人にはアウトサイダーとか、大変な人と、
思われている?が、それをむしろ目指しているのだから始末が悪い?。しかし、彼女の視線は私のような中途半端ではない。
そういえば、哲学者の中嶋義道も「哲学者というならず者がいる 」という単行本を出しているほど、奇人を自称している。
彼女の本を読んでいると、何か親しい友人と語らっているような気持にならから不思議である。 
世間の現象を醒めた眼で見据えているところが同調できる。この本の中の面白いところを書き出して、考えてみよう。
−酔うほどに冴える、はずだったがーより 
 ー P164ー
ーかっては、すごかった。普通の成人男子は、ほぼ間違いなく、先に潰れた。それも私の場合、相手が潰れるまで見極めて、
しかし、それをしっかり覚えているから、相手はたまったものではない。言ったこと、口走ったこと、その状況の仔細まで、
全部覚えているのである。それだけ圧倒されて、彼らは早々酔っ払ったのではないか。仕方ない。私は、酔うほどに
冴えわたる体質なのである。酔うほどに、理性と知性が燦然と冴えわたり,全宇宙の全現象が見える。わかる、わかった、
という感じになる。妄想ではない。事実そうやって手に入れた認識はたくさんある。飲みながら考えるのが面白くて、かっては、
そうしながら、認識メモをつけていた。またの名を『酔っ払いの覚書』というそれは、さながらウィゲンシュタインばりの、
とまでは言わないが、その一瞬に閃く洞察を?まえてとじこめた断片群、これが、けっこう今の仕事の核の部分になっている。
 酒のことを「スピリット]]と名づけた感性は人類に共通しているようだ。あの液体は、私にとって、明らかに「精神」であり、
思考の円滑油もしくは起爆剤として作用する。いや、作用したのだった、かっては。ところが最近は、
飲むと考えるのが面倒になってくる。
 ー P−166ー
政治家や偉いさんなど、高級料亭で高級な酒を飲みながら、仕事の話をするという、その感覚が信じられない。
(字数制限のためカット 2013年3月14日)
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2006年03月14日(火)
1806, 秋葉原再開発     |。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
先日、東京・秋葉原にたち寄って、その変容に驚いてしまった三十年以上前から秋葉原ワシントンホテルが定宿で、
年数回は電気街を歩いていた。しかし5年ほど前から日暮里のホテルに変えてしまった。久しぶりに秋葉原の電気街など駅周辺を散策
(字数制限のためカット 2012年3月14日)
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2004年03月14日(日)
1075, スペインのテロ
・スペインのテロがあったが、次は日本と連想をしてしまう。
「大国?で、60年近く戦争が無いこと自体が異常」と考えたほうがよい。
 (字数制限のためカット 2012年3月14日)
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2003年03月14日(金)
709, シンプルー2  
 −ワンプライス・ショップ
(字数制限のためカット 2012年3月14日)