* 「他人歓迎」           <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 既に亡くなったが、長年、連続テレビ映画の『ララミー牧場』の解説をし、「さよなら、さよなら、またお会い
しましょう」で終わる名調子の淀川長治の言葉を紹介している。
*『 映画は、ただ娯楽というだけじゃなくて、いつでも人間勉強させてくれるので、私は映画に命をかけました。
 ちょっと大げさですけど、映画への愛が今日の私を作りました。(中略)そして私は、映画から3つの言葉を学びました。
 「がんばれ、苦労、来い」。二番目は「他人歓迎」。“他人”という言葉を持ちなさんな、みんな仲間と思いなさい、
 映画は、そう言っていました。もう一つは「私はいままで、嫌いな人に一人も会ったことがない」。映画を見ていて、
 こういう言葉が出てきた時に、私はメモしました。家に帰ってから、それを身につけようとして、身につけようとして、
 今日まで来て、どうやらどんな人とも仲良しになれる気持ちになりました。愛というものは、本当に、豊かな人生を
 もたらしてくれます。』                         :淀川長治「美学入門」より
  〜ネット調べると、以下も、なかなか良い〜
*『愛というものがあるからこそ、人間は美しく生きられる。愛のない人間は汚い。お金だけで行きている人間は汚い。
 アメリカの言葉にもあります。「金で買えるすべてのもの、それは悪魔でも買える。しかし・・金で買えないものを
 持っているのが、人間。」それは、愛ですね。愛は金では買えませんね。そういうことも映画から教えられました。』
                                     :「大人の学校ー入学編」
*『キザな言い方だが、講演するときもこのあと私はきっと死ぬのだと自分に言い聞かせることにしている。
 するとその講演に命をかける。二時間がまるで20分ぐらいの勢いでしゃべってしまう。講演の後は汗でびっしょり。
 けれども不思議なことにこの方が疲れない。思いっきりやったという私だけの満足感が疲れを忘れさせる。』
 『人は必ず死ぬ。一日を十分生きなければ損だ』              :格言[いつも人生最後だと思う]
*『チャップリンは幼少時代ひどい苦労をなめた。貧しさのあまり頭が変になった母とチャップリンは二人暮らしになった。
 父を5歳で失った時に母は発狂した。腹違いの9歳の兄はこの家から逃れて船のボーイになった。5歳のチャップリン
 食べるものがなくなってマーケット裏に捨てられた残飯を拾ったこともあった。その苦労がのちのチャップリン喜劇の中で
 いかに生きて描かれているかがわかるのである。それにこの母が実は偉かったのである。気が鎮まって正気を戻すと、
 小さな我が子を枕辺に呼び「イエス様はお前が運命をまっとうすることをお望みなのだよ」と何度も諭した。
 つまり自殺をするなということである。それは小さな我が子に言うよりも苦しい自分に言って聞かせたのであろう。
 そのチャップリンの苦労がのちに幸せの花を咲かせたのである。思えば神様は人間を豊かに幸せにするためにいつも
 苦労させるのだ。                           :格言[苦難のあとに幸せの花が咲く]
▼ チャップリンのコメディの基本となる「悲惨な生活の喜劇化」。彼の芸は道化師の芸からの頂きで、「サーカスの
 ネタばらし=自分自身のネタばらし」である。少年の頃から、お金を稼ぐため、大道やステージに立って注目を
 集めるために道化師の芸を盗んだ。子供の頃の生活のための知恵は、万人の心をうつ。『一日を十分生きていれば、
 どんな場面でも乗越えることが可能』だが、それが一番難しい。 『一日を充実させる』さえ心掛ければ、十分!
・・・・・
4373, アフォノミックス
2013年03月07日(木)
   * アベノミクスは、アフォノミックスか
 アベノミクスを揶揄して「アフォノミックス」とは、よくいったものだ。経済評論家の浜規子が先日、アベノミクス
内容を問われ、「アフォノミックスそのもの。死に掛けている病人にホルモン剤を投与するようなもの。気持ちが悪い。
今さら経済成長などおかしい!」と切り捨てていた。 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに対して、
日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、当を得たりと納得をした。
この事態を招いた戦犯の主犯格の安部と麻生が、首相、副首相とは漫画の世界。殆どの人が、それを知っているから恐ろしい。
7月末の参院選までのミニバブルか、あと二年が限界とみてよい。それでも見渡す限り阿部しか見当たらないのが現実である。
一度、チャラにになるなら、早めに息の根を止めるのも仕方がないのか。この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。
 ところで韓国経済が特に変のようだ。 円安も効いて、あの元気にみえていた経済も崩壊過程。 輸出依存度を見ると、
日本 14% 、中国26%、アメリカ10%に対し、韓国は50%。 日本は貿易立国と言 われるが、実際には内需大国。
それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。欧州危機と中国の経済停滞の影響を直撃し、急激に悪化している。
世界的動乱になると、国力がある方が有利。資源があり、海軍と空軍が断然強いアメリカが当分は世界をリードする。
体力を疲弊してしまった日本は、当分、アメリカの属国として生きていくしかなく、TPPの参加など当然のこと。
明治維新も、太平洋戦争の敗戦も、今回も、アメリカに屈した開国になる。アメリカにとって、どれも世界戦略の
一つでしかない。韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する前線基地。中国も北朝鮮を庭先の番犬で
飼っている。ここにロシアが絡んでくると、1930年代から太平洋戦争の様相に酷似してくる。そうすると、保守本流
安部と麻生の出番というのも分からないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」である。
 ・・・・・・
3999, 宇宙は本当にひとつなのか ー4
2012年03月07日(水)
  * 暗黒エネルギー
  ー 次に宇宙の全エネルギーの73%を占める暗黒エネルギーについてー
【 暗黒エネルギーは暗黒物質と並んで、宇宙を作るものの中で正体がわかっていないものです。正体不明のエネルギーなので、
 暗黒エネルギーといっている。暗黒物質のほうは10年以内にその正体が明らかになるのではないかと期待が持てるように
 なってきたが、宇宙の全エネルギーの73%を占めると考えられている暗黒エネルギーは、まだ糸口がつかめていない。
 今のところ、私たちは暗黒エネルギーを見ることも感じることも出来ない。しかし、宇宙のエネルギーの約四分の三を
 占めているものが、どこか一部の場所に偏って存在するとは考えられないので、私たちの周りに既に存在することになる。
 暗黒物質も、暗黒エネルギーも、それが分かっていないのに、物質とエネルギーとに分けているのはなぜか。
 一番の違いは、宇宙が大きくなると暗黒物質は普通の物質と同じように薄まるのに対し、暗黒エネルギーは薄まらない。
 暗黒エネルギーを発見するきっかけは非常に遠くの宇宙で起きた超新星爆発。 超新星の観測から宇宙は常に膨張し、
 その膨張速度は速くなっていることが分かった。宇宙には、目に見える星や銀河などより、目でみることの出来ない
 暗黒物質のほうが多く存在する。ところが、宇宙が広がっていけば、その分薄まっていきます。そうなると、宇宙のなかの
 エネルギー密度が低くなり、宇宙の膨張速度は遅くなると、物理学者は考えていた。ところが、観測結果はそうでなかった。
 宇宙が大きくなるにつれて、どこからからエネルギーが湧き出てくる。何故そうなるのか。それは宇宙が大きくなっても
 薄まらない何かがある。それを暗黒エネルギーと名づけた。】
【 宇宙の体積が大きくなっても、膨張速度は速くなっている。宇宙が広がるたびに増え続けるエネルギーが必要で、そのため
 考えられたのが暗黒エネルギーだ。有力な仮説は真空も粒子は反粒子が出来ては消えてを繰り返してエネルギーを持っている説。
 この説により真空エネルギーを計算すると120桁も大きな値になり宇宙は引き裂かれてしまうことになる。
 そこで素粒子を点でなく、小さなひもだという超ひも理論が登場し、宇宙は1次元の時間、目にできる3次元、小さな異次元が
 6次元(カラビ・ヤウ多様体)の10次元ということになる。超ひも理論は重力を含む力の統一が出来る可能性がある。
 超ひも理論特異点を持つブラックホールが熱を持つという問題に解を与えた。アインシュタインの重力理論はまちがっていて、
宇宙は加速膨張しないとする人たちがいる。彼らは超ひも理論の一つにより泡宇宙となるとの提案をしている】
▼ 「宇宙の体積が大きくなっても、膨張速度は速くなっている。宇宙が広がるたびに増え続けるエネルギーが必要で、そのため
考えられたのが暗黒エネルギー。 有力な仮説は、真空も粒子は反粒子が出来ては消えてを繰り返してエネルギーを持っている」
 という説が分かりやすい。真空の中にエネルギーがあるというと、仏教の「空即是色」が思い浮かぶ。 この本をキッカケにし、
 「宇宙オタク」のブログを幾つか見たが面白い。 広大な宇宙に興味を持つと、シャバの世事に囚われている自分が見えてくる。。
 ・・・・・・・
3633, 「中東革命」の行方 −2
2011年03月07日(月)
 * 新たな独裁の可能性にマスコミは甘すぎる?
 ー 次の視点も、なかなか考えさせられる ー
≪1月から2月に掛けてチュニジア、エジプトで次々と起こった民主革命について、筆者に思い浮かぶのがこのトックヴィルの洞察だ。
この革命に対するマスコミの反応は一言でいえば慎重な楽観主義である。 通常、国際ニュースについて、国内と海外の新聞の間に
切り込みの鋭さの違いがあり、立場にも若干異なる点が見られるのだが、今回の場合、内外格差も国内格差もほとんどない。
おそらくアメリ国務省でさえ事態を掌握できないほど急速に出来事が展開したためなのだろう(なぜ、出来事の展開がかくも
急速だったのかという点について、各紙はアラブ世界へのインターネットの普及を原因として指摘する)。
 チュニジア、エジプトの国民が腐敗した独裁体制と平和裡に決別し、民主化を実現したという「美談」にも関わらず、
内外のマスコミが手放しでこの出来事を賞賛できない理由は、言うまでもなく「イラン革命」の経験である。
民主化は結構だが、それが結局、強硬なイスラム思想に立った新たな独裁体制につながったら困ると認識されているわけである。
トックヴィルの洞察が重要なのはまさにこの点だ。結局、新たな独裁制に行き着くのか、イスラム原理主義が中東に浸透する
結果になるのか、それを占う大きな要因は、今後、民主主義への体制移行期においてどれだけアナーキーが深刻になるかである。
今回のチュニジア、エジプトでの民主革命は、この点に若干希望が持てる。なぜなら、流血を伴うことなく実現されたからである。
暴力によって生まれた新体制は、その維持のためにも暴力を必要とする。同時にその暴力に反発する国民の暴力を誘発する。
今回はそれを避けられるかもしれない。もっともエジプトの場合、軍による移行体制という現状からして、民主革命はまだ序の口。
もし今後、軍が強圧的な態度に出て、国民の反発が強まった場合、次の衝突では流血が起こる。アメリカを中心とする西側諸国は、
軍を監視して移行期をスムーズに進展させる責任を持つ。≫
▼ イスラム教が、何で民主化というのか? 彼らの民主主義は独裁打倒ということで、欧米の民主主義とは違う。
 要は、他の文明圏との経済格差がTVなどで露出されたこともある。特に恵まれてない若者層に不満が浸透している。
 独裁者たちの国家の私物化も露骨。同じことは欧米でもあるが、それぞれの階層の中で飼いならされ満足しているのだから今さら
・・・・・・・
3268, 哲学者は神について、どのように語ったか ー4
 2010年03月07日(日)
  * キルケゴールの「宗教的実存」
 キルケゴールは、「個人の生は3つの段階を経て深化する」と主張した。
1、美的実存:  美しいものを求めて、そのときそのときの享楽を求める生き方である。 ドンファン的生き方。
2、倫理的実存: よいことをし、社会的の規律を守り、習慣などに従い、全てに道徳的な生き方。
3、宗教的実存: 神である絶対者との関係の中で生きることにより、真の人生を手に入れることができる生き方。
 この宗教的な生き方も、二つに分けた。「宗教性A]と「宗教性B]である。「宗教性A」は、自力救済を試み、
 自分の主体や理性によって自分を支配しようとする。しかし、それはキエルケゴールによると罪になる。 
 支配するのは神である。(字数の関係でカット 12年03月7日)
 ・・・・・・
2893, 年寄りの持病自慢は、老人の猥談だと!
2009年03月07日(土)
50歳半ば頃から同級会では、年金か成人病の自慢のしあいか、誰かの死の話が中心になる。
青春時代に自分の体つきや身なりを気にしたり、性体験を陰で話したり、猥談を話したくなる時期があるが、
それと同じく、自分の「体調」や「病気体験」について語りはじめる老人の「健康談議」を「老人の猥談」というらしい。 
五十歳代半ばの下半身の衰えは男の共通の話題。 その次は癌体験か糖尿病か心臓病などの成人病の披露のしあい。
(字数の関係でカット 12年03月7日)
・・・・・・・・・
2529, 山田風太郎アフォリズム
 2008年03月07日(金)
彼の本が好きで、何冊か図書館で借りて読んできた。暗い中に何ともいえない温みがあり、2年に一度は彼の本を読んでいる。
また亡くなる前に朝日新聞に『あと千回の晩飯』が連載したことがあった。なかなか文に鬼気迫る内容だったことを憶えている。
先日も『人間魔界図鑑』を借りて読んだが、著作群の中からの警句やアフォリズムなどを一冊にまとめたもので読みやすい。
手元に置いておきたい本と判断し、アマゾンの中古本を注文することにした。
以下の文章は 「人生(時間)のセイムスケール」というHPの中の山田風太郎アフォリズムなどを抜粋コピーしたもの。
★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
★「死の瞬間に何人も悟るだろう。--人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」
★「生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」
★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
 いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」
★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」
(字数の関係でカット 09年03月7日)
 ・・・・・・・・・
2007年03月07日(水) 2164, 宮城まり子         (~Q~;)  おはよう〜〜 サム!
3月の日経新聞の「私の履歴書」は、「ねむの木学園」園長の宮城まり子である。まだ6回目だが、なかなか面白い。
 宮城まり子といえば私の小学校の頃から映画などに出ていたが、甘っ2007たるい声が印象的であった。
その後、芸能界をやめて「ねむの木学園」を開いた。もう二十年前のことになるが、TVでその「ねむの木学園」を放映した。
その時の子供の絵を見たときの衝撃は今でもハッキリと憶えている。ピカソのような絵だが、絵から純粋な子供の心が直に
伝わってきたからである。役者をやめた後からも、人生の舞台の「役割り」を正直に生きている人である。
「人生を思いのまま生きている人がいる!」というのが当時の感想であった。
私の履歴書」の一日目に書いてあった、学園を開設するにあたっての、愛人?の作家・吉行淳之介との3つの約束がよい。
1.愚痴はこぼさないこと。2.お金がないと言わないこと。3.君を信じてくる子のため、やめてはいけません。
その時、宮城まり子は「ハイ」と答えたという。 三回目の、彼女の母の教えの「感じたまま」の言葉が印象的である。
 ーそこを抜粋してみるー
私は母と並んで絵を描くのが好きでした。小学校に入って間もない頃でした。並んで描きながら私は母に聞きました。
「お母さまはどうしてそんなに絵がうまいの?」すると母は「まりちゃん、人の絵をうまいなどと思っていけません。
人は人、自分は自分。自分の絵をお描きなさい。」と少し厳しい口調で言いました。
「お母さんは大人になってしまったから、あなたのような素直な絵は描けなくなってしまったの。
あなたにはあなたの絵があります。好きなように描きなさい」大きくなったら絵描きさんになりたい。
私の初めての夢でした。しかし母の言いつけを守ると学校で叱られました。
絵の時間にラジオ体操をする人を描いたときのことでした。その人がとても気持ちよさそうに見えたので、
感じたままに描いたら 腕が背よりも長くなりました。  先生は「真面目に描きなさい」といいました。
「ねむの木学園」では私は絵も担当していますが、一度も「上手ね」と言ったことは ありません。
  「うれしいわ」と言っています。だって「上手ね」と言ったら子供はそれで安心をして満足してしまいます。
▼ 書き写しているうちに20年前のTVの内容を再び思い出してきた。「ねむの木学園」の知恵足らすの子供が
  ピアノ演奏をしたが、鍵盤に魂を込めたピアノの音に気持が引き込まれた。
  感動のあまり、その番組のビデオを何人かに見せた記憶がある。今月は、毎朝彼女の魂と出会うことができる!
 ・・・・・・・・・
2006年03月07日(火)
1799, 風太郎の死ぬ話   (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ   −読書日記
山田風太郎の「死」に関する本を読むと、色いろの人の死に様が面白可笑しく書いてある。そして読み終わって
「死」が軽く思えてくるから不思議である。また「死」を考えることは「生」を考えることになるのに気がつく。
死に様が、そのまま生の完成といえるということだろう。これまでも山田風太郎の『死』について取り上げてきた。
暗いと言われるが、お経を読んでいるようで逆に安らぎを感じる。私が風太郎の死に対し一番好きな言葉がある。
「・・・いろいろあったが、死んでみれりゃ〜、なんてことった。はじめから居なかったのと同じじゃないか皆の衆」である。
 この本の中にも強烈な言葉が次々と出てくる。
・信長は本能寺で死んだからこそ信長であり、西郷隆盛は城山で死んだからこそ隆盛なのである。あるゆる欲望を満喫し、
 大往生した死に方は、その人の人生が誰の同情も関心も共鳴を買わないという点で、芸術的に失敗作である。
フィリップ・アリエスの「昔の死は、人が死にいく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
 今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」を取り上げ、
 これによって著者の風太郎が「人は管につながれて生まれてきて、管につながれて死ぬ」というアフォリズムを作ったという。
・「 臨終の人間『ああ神も仏も無いものか?』  神仏『無い』」「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのは誰だ?』
 答え無し。  ー暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」
 ▼ ここからはこの本(風太郎の死ぬ話)から少し離れる!
 死といえば宗教学者であり東京大学教授だった岸本英夫の「わが生死観 」の言葉が深く響いてくる。
 十年間の死と闘いの中で冷静に死の恐怖の心理を克明に書いている。 父の死に際をみていたので、その恐怖感が理解できた。
ーその一部を紹介してみるー
もう一度くりかえしていえば、死後の生命の存続を信じない私が、 癌というような思いもかけない病気のために、
  生命飢餓状態におかれ、死の暗闇の前にたたされたのである。天国や浄土などの理想世界を信ずるものにとっては、
死後の世界は、暗闇ではない。 一つの実体である。しかも、輝かしい世界である。
しかし、私にとっては、それは、真黒の暗闇であった。私は、その絶望的な暗闇を、必死な気持で凝視しつずけた。
そうしているうちに、私は、一つのことに気がつきはじめた。それは死というものは、実体ではないということである。
死を実体と考えるのは人間の錯覚である。死というものは、そのものが実体ではなくて、 実体である生命がない場所で
あるというだけのことである。そういうことが、理解されてきた。生と死とは、ちょうど、光と闇との関係にある。
物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。光がないというだけのことである。 
(字数の関係でカット 11年03月7日)
ーーーーー
2005年03月07日(月)
1434, 滝の話
1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」をNHK・ハイビジョンを見た。
再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。
よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが見えてくる。
   ー以下字数の関係でカットー
・・・・・・・
2004年03月07日(日)
1068, フランチャイズ・ショー −2
 主観を込めて「面白い順」に書いてみる。
・まずは「1980円のフグチリ」を売りにしているフグ専門店。
 フグ専門店の3分の1値段で、ふぐ料理の価格破壊を目指している。 味は高級専門店にまけないという。
   (字数制限のためカット 2,010年3月7日)
・・・・・・・・
2003年03月07日(金)
702, 心と魂
以前に社内報の事業百訓で、 「心」と「こころ」と「魂」の違いを書いたことがあった。
 ーホームページH09/05-見聞皆師
先日、ある本を読んでいたら、パソコンのハードデスクを「魂」、ソフトを「心」に喩えていた。
 ーその概要は以下に書き写すー
 魂と心は厳密に言うと違います
・魂はパソコンでいうとハードディスクやCPUを中心としたハードウエアにあたり、
・心は基本OSを含むソフトと例えることが出来る。
(字数制限のためカット 2,010年3月7日)