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『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
* パワーカップルの最たる医師同士と、法曹界の収入は?
ー要所を抜粋するとー
《 現在、医師の女性の占める割合いは20%。50年前は10%。現在の医学部の女子学生は40%を占めている。
とすると、近い将来、半分近くが女医になると読み取れる。今だ役所、企業での女性の位置が低いが、医療現場では、
さほど、その障害がないことが挙げられる。現在、一億以上の高所得者のうち、7人に1人が医師である。
特に、開業医の収入が多いことは、巷に知られている。男性医師の4人に1人、女性医師の3分の2が、医師と結婚している。
男子が少ないのは、収入が多いので、専業主婦の相方でも困らないことがある。医師以外に、36・5%が薬剤師、看護婦、
医療技能職の医療従事者がいる。ちなみに、学生時代知り合った場合、に妻の方が子供育てを考え、負担の比較的軽い、
精神科、眼科、皮膚科を選ぶケースが多いという。開業医が2千5百万、勤務医が、その半分の1230万。医師カップルは
2千〜5千万。開業医で夫婦で運営すれば、一億超えることも珍しくない。医師夫婦こそ、スーパーカップルといえる。》
▼ 収入から見ると、医者は一種の特権階級の住人。 医師のパワーカップルに比べ、法曹界の収入は心もとない。
女性が司法試験に合格し弁護士になるプロセスが大変な割に収入が少ないこともあり、適さないこともある。
男性弁護士からみて、弁護士の妻は6・6%にとどまり、医師の比率から見て6分の1になる。それだけ医師の収入条件が良い。
難関の司法試験に合格し、司法修行を終えても、法曹職を得られない人が2割もいる。しかし、米国社会の、後追いを
する日本も、訴訟社会になっていくので法曹職も、将来性がある。情報化、グローバル化社会は、弱肉強食、一強多弱が
更に進み、階級社会が固定化する。そこに生じてくるのは激しい階級間闘争。とすると、第三次世界大戦が東西冷戦とすると、
第四次世界大戦は、民族間と、階級間の、果てしない戦争になる。それも、テロという手段が頻繁に使われる不安定な
社会が現れ出ることになる。その反面、パワー階級は、今もだが・・ 特別区という別世界に住むようになる。
まあ、あまり明るくない殺伐とした近未来が待っている。TPPは、アメリカ社会に右ならいということ。
厳しい階級社会が、本格的に来るということ! 第二次大戦から20年余の社会主義化した、あれは、むしろ奇跡?
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4270, 法則は思考のショートカット −2
2012年11月24日(土)
「知っているようで知らない 法則のトリセツ」水野 俊哉 (著)
* ほめるこつ、「条件付け」「ウィンザー効果」「コミットメントと一貫性」
部下が功績をあげた時、ほめる際に食事に連れていくと、それが当り前になる。これを「連続強化」というが、
何度かに一度は、何も褒美を与えない。これを「間欠強化」という。何時も与えられている褒美を与えられないと、
部下は褒めて欲しいために尽くしたくなる心理になる。これを「条件付け」の法則という。これは、『新婚さん、いらっしゃい』
というバラエティ番組で、新夫が相手を口説く時に、毎日のように電話をしたが全く相手にしてもらえなかった。そこで当分、
連絡しない間を入れたところ、女性の方が不安になってデートに応じるようになった」という話題を思い出した。
また「ウィンザー効果」というのもある。直接褒めるのではなく、間接的に褒めて相手に伝える方法。
褒め育てる方法もあるが、初めから徹底的にしごいて、育てる方法もある。「コミットメントと一貫性」である。
新入社員を入社前に徹底的に鍛えあげると、忠誠心が大いに高まるという。 いずれにしても、組織には必ず20%の怠け者が
存在するので、手抜きは避けることはできない。
* エメットの法則
「仕事を先延ばしは、その後片付け仕事の2倍の時間とエネルギーを要する」というリタ・エメットの提示した法則がある。
この法則があるとは知らなかったが、私は経験則で知っていた。私のごく身近に何事も先送りする人がいる。とにかく、後回し。
見ていると、数倍もかけて、その後始末に追われている。若いときに社会(仕事)で鍛えられなかったためだ。 事前の準備は、
時間厳守と同じく、仕事の第一原則である。 この不況で、新卒で正社員になれなかった人は、ビジネスの第一原則を
徹底的に叩き込まれてない。そのことを企業の人事担当は着目するため、まともな会社には、なかなか入社が難しい。
同じことだが、去年春の決断時に弁護士に、「少し早い決断は、打撃が二分の一で済む。少し遅れると二倍になる。
今回の決断は少し早目だが、一瞬の差で、差し引き4分の1になる。それなら、今決断します!」と、最終結論を出した。
そして一年後、弁護士に、「今回は見切り千両いや万両でした。半年でも遅れていたら5物件は売れなかったでしょうね」と、
言われた。実際に私も、そう実感している。あの東北大震災の影響は、マスコミは大きく騒がないが、日本人の消費行動を
根こそぎ変えている。近未来に必ず起こる恐慌と、大地震をふまえ、消費マインドが更に冷え込んでしまった。
老後は太平洋側に住居を移したいという気持ちが少しあったが、今や全く消えうせている。札幌か、函館なら考えてもよいが、
それなら現在と大して変わらない。何事も「先手、必勝」、「今日すべきことは今日中に」である。
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3895, 「現代型うつ」とは
2011年11月24日(木)
こしいタイプの鬱病が多く見られるようになっていると、NHKの「クローズアップ現代」で取り上げていた。
これまでの鬱病は、自分を責め、劣等感に陥って不眠になったり、閉じこもりなったりした。しかし最近では「現代型うつ」という
新その現象が以前ここで「エイズより怖い性病」として「何事も他人のせいにする若者」の性癖を取り上げた。
その結果が「現代型うつ」として社会問題になっている。20〜30代の若者を中心に増え続け、抗うつ剤など従来の治療法が
効きにくいため医療現場は混乱しているという。このタイプは幼い頃から大事に育てられ怒られた経験がなく傷つきやすい。
本人に被害者意識が強く、他人のせいにする傾向がある。他人依存の典型である。 ここでは取り上げたケースとは・・
≪ 東京のIT企業・信興テクノミストでは、電車にカバンを置き忘れた入社2年目の社員に上司が注意したところ、
体の不調を理由にうつ病の診断書を提出、休職した。 ところが、社員寮を尋ねると本人は不在で、同僚と頻繁に飲みに
外出していることが判明。その後4人の社員が会社を休む事態が続き、総務部部長は頭を抱えているという内容 ≫
ある病院院(福岡県)では、患者同士のグループミーティングを取り入れ、自分の心の弱さに気づいてもらい、7割の患者が
復職を果たしたという。 自分で事業を幾つか起こし、全てが直接跳ね返ってきたため、他人のせいにする余裕など、あるわけがない。
その反面、色いろの場面で人のせいにしたがる大の大人を多く見てきた。一番の身近の夫婦間が、その典型。 その果てが三割の離婚率。
また会社内の仕事の場では、上下、横の関係の中で、色々の摩擦が起きてくる。ところが、内面は鍛えられてないので、落ち込んでしまう。
欝は、その落ち込んだ気分から立ち上がれないで社会生活に支障をきたす病。 生きていくことはトラブルと壁を解決をするプロセス。
それを自分以外に原因を見つけようとする積み重ねが、欝への道程になる。自己を見つめる事がないから、自分の歪みが見えない。
「電信柱の高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなアナタが悪いのよ」になってしまう。 その結果、心の底に鬱憤というヘドロが
蓄積されていることに気づいてない。 情報化が、内面の芯の部分を鍛えるチャンスを潰している結果もある。 韓国は徴兵制度があり、
鍛えるべき時に徹底的に鍛え上げるシステムがある。 その上に最近では大学受験戦争が激しい。 その結果、日本は韓国に明らかに
遅れをとってしまった? 現代型うつが、現代の若者の一現象とすると、日本の将来に悲観的になりざるを得ない。
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3530, ハーバード白熱教室 ー2
2010年11月24日(水)
海難で生きるために三人が一人の人肉を食べてしまった事件で、多くの問題が出された。
海の遭難現場での異常事態で、どの答えが正しいとはいえないが、これをヒントに正義を論じ、考えることは可能である。
次にサンドル教授は、「イチロウの年俸は高いか?」を問題定義をしている。 イチロウの年俸は15億円。
それに対し、日本の教師の年俸は400万、400倍。オバマは3600万だから、その40倍になる。
イチロウの年俸が高すぎるという意見と、妥当という意見を生徒から導き出して、議論を進めていく。
これも、美徳と貢献などの問題を提起し、議論を導き出していく。何でアメリカ大統領の40倍の報酬が妥当か、
逆に、それは不当すぎるほど高いと言えるのか等々を・・・・ この問題には自由と平等・公平の問題が含んでいる。
二時間目からは「戦争責任について」である。そこで生じた道徳的義務と責任は *個人的なものと、*集合的なものと、
分けて考えられる、としている。カントは「責任は自分自身の自由意志と、選択によって生じる」という立場、
要は純粋実践理性よって生じるという。 道徳の根本原理によって、普遍原理に達することが出来る、という。
アリストテレスは、「責任は、よき生についての私たちの考えによって成立する」という立場である。
次に「義務」について、「殺人を犯した家族を警察に突き出すべきかどうか」を事例に議論を進めていく。
家族の立場をとるか、社会を優先させるべきか、当然に意見が分かれてくる。互いの議論の中から問題を捉えていく。
彼の授業は、古代哲学者や近代哲学者などの思想を現代の問題に結びつけるやり方で、対話をしながら考え方そのものを
教えていく。 先に書いた私の学生時代のゼミの授業の進め方、すなわち「自分自身で考えること、それを進めることが、
本当の教育」であるということだ。判断、決断する前に、独りで考えを進められる能力が教養である。
我われは、誰もが哲学をしている。そのレベル、効率化の向上は可能である。パソコンから類推すると、解りやすい。
哲学(考えることを考える)は、全ての人にとって最も重要である。何故、生きるのか、何故死ぬのか?人生に意味があるか?
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3155, 「 2012 」
2009年11月24日(火)
* シネマ 「2012」
その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。
現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。
映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、
思わず座席にしがみついてしまうほど。都市破壊の場面や大津波は圧巻!エベレスト山頂近くまで洪水が押し寄せ、
ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、
次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。
「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。
ーまずはHPの紹介文からー
2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。
天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。
マヤ人のカレンダーであるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で
突如終わっている。 いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、
多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、その終末世界と人類が
生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』『デイ・アフター・トゥモロー』など、
過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督がついに地球の滅亡を描き出す!
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2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。
この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。
(字数の関係でカット2011年11月24日)
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2790, 閑話小題
2008年11月24日(月)
*金融危機 あれこれ
AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りをつけなければなるまい。
見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなくドル投入しなければならない事態。
当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。
他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。
現在は、ビッグスリーのGM、フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。
その中で、十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。
日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。
*定額給付金の愚挙
定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。決定のニュースを見たときに思わず咳き込んでしまったが、
それは私だけではなかった。あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になったということ。怒りより日本の行末の方が心配。
日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 100年に一度の経済危機と言いながら、
その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は何だろ?。
これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、よく言ってくれたが・・・
*散歩の光景
一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、
通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、帰っていく。
(字数の関係でカット2011年11月24日)
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2007年11月24日(土)
2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
ーまずは、私の感想文からー
人間は自分の弱さをカバーするため、そして知識を持ったために神をつくった。
それは他の生物から見たら、人間にとって都合の良い空想の産物でしかない。 ある雑誌に載っていたレポートを
読んで考えさせられてしまった。19世紀に始まる進化論が人間は動物でしかないと主張、それまでの人間理解を根本から
大混乱させてしまった。そこで人間と動物の違いが問題になった。動物の中の人間を浮き上がらせている諸特性ー例えば、
計算合理性、言語能力、抽象化能力などが浮かび上がらせて、我われ人間の根拠となり始めたのである。
しかし20世紀半ばから出現したコンピューターは、動物とは違う、人間を理解する新たな<他者>になったのである。
それが人間たらしめている特性を凝縮したものときているから、問題は更に人間とは何かを考える問題提起になる。
動物とは逆の立場のコンピューターから人間が照射されて、動物と人間の差異を見ると、浮かび上がるのは何だろう?
さらに、人間とコンピューターが融合してきたため、人間とコンピューターとの差異も見えにくくなってきている。
その意味で現在の人間は哲学的に見ても大きな曲がり角に来ているのである。
さらにコンピューターは人間の能力の概念を変えようとしている。
ーー
「人間とは何かを逆照射する新たな他者 ーコンピューター」 黒崎政男(哲学者)
*自分を理解するために他者が必要*
いま見てきたことからも明らかなように、現代科学技術の最先端を意味する〈コンピューター〉と、古代ギリシャ以来、
古色蒼然と続いてきた〈哲学〉との関係を論じることは、決して突飛な思いつきでも奇妙なことでもないことは明らか。
哲学者たちが長い間考えてきたことを知ることは、人工知能にとって決して無駄ではないし、現代科学技術の最先端で、
何が問題になっているかを知ることは、新たな発想のきっかけとなるだろう。
さて、それにしても、コンビューターという機械の研究と、人間の知識の研究が、かくもリンクするのはなぜだろうか。
それは、コンビューダーが、人間とは何かの問題を逆照射してくれる存在だからである。われわれは自分を理解するために、
他者を必要とする。だから、19世紀から始まる〈進化論〉の主張が、人間の自己理解に大きな混乱と変動を引き起こすことに
なったのは当然である。自分とは動物ではないものであったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を浮かび
上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。
そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性因たとえば、計算合理性、言語能力、抽象化能力などが、われわれ人間の
アイデンティティの根拠となりはじめたのである。そして20世紀の半ばに出現してきたコンピューターは、人間を理解するための
新たな<他者>となったのである。人間ではないものが動物だったときには、人間と動物とが共通に有している能力よりも、
知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されていた。しかしコンピユーターは、この「論理的能力」を特化した
存在であるので、今日では、人間とは何か、を考える場合、その知的・論理的能力は、人間固有の特徴としてクローズアップ
されにくくなってきている。むしろ、動物と共通する能力のほうが、逆照射されはじめている、といえるだろう。
だが、コンピューターと動物という二つの〈他者〉から、同時に自己を隈界づけ、確定しようとすると、この両者に挟まれて
人間の自己理解は深い困難を抱えこまざるをえない。動物という<他者>によってわれわれを逆煕射しようとすると、
コンピューターと我われとの差異が見えないし、コンピューターという<他者>によって動物とわれわれとの差異が
見えにくくなるからである。 ○(´・ω・)ノ ホン ヂャァネッ
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2006年11月24日(金)
2061, 虐めについて (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
‘虐め問題’の解決などあるはずがない、家庭内の不和が原因にあるからである。
自分にかかった血を学校の弱者に塗りつけるのが虐める方の理由である。情報化により弱肉強食社会の傾向が強くなればなるほど、
家庭内へストレスが持ち込まれざるを得ない。総下流社会化の傾向の中で、そのストレスの捌け口が弱者に向かうのも当然である。
振り返ってみれば小学校、中学校で酷い虐めがあった。虐めっ子は家庭内が壊れていたためか、その後の人生をみると不遇の人が多い。
逆に虐められていた方が、まともになっている方が多いのは面白い現象だ。ただ潰されないことが前提だが。こういう時代になったら、
「ギブアップ・システム」をつくり、虐められっ子の転校をしやすい環境をつくってやることも必要だ。数年前のことだが、
中学校時代に殺してやりたいほど憎んだ男が、40数年ぶりの同窓会で隣の席に座った。隣に座るまで「殺してやりたいほどの憎しみ」
を忘れていたから、大したことはなかったのだろうが・・ 酔った勢いで、「お前は中学校時代に理不尽なことで頭を殴っただろう。
小中学校時代で殺してやりたいほどの男の7人のうちの一人だ」と言ったところ「あの当時、両親の不和で自分でも大荒れで、
誰見境なく喧嘩をうっていた。野球部でも、俺がいたため何人も辞めていってしまった。 ところで7人のうちの何番目?」
とのこと。「三番目!」他のクラスだったが、そのネジレの酷さは私の耳にも入ってきた。
今さら指摘されることもないという風。集団社会に住んでいれば、何処でも相性の合わない人が一人や二人はいるもの。
四苦八苦の中にも「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」があり、娑婆にいる限り避けて通ることはできない。
だから、小中学校時の虐めも、娑婆ー社会に出たときの火の出るような虐めに対する予行演習でもあるといえるが・・・
袋叩きにしたいのあまりにも多い。 誰も加害者であり、被害者でもあるのが娑婆である。
でも人生は、嫌なことの数百倍、よいことがある。探し求めればだが!
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朝日新聞の一面に〈いじめられている君へ〉「すばらしい瞬間必ず来る」が連載されている、なかなかよい。
短い人生論のようでもある。 その一つをコピーしておこう。
ーあさのあつこ さん 2006年11月14日ー (字数の関係でカット2008年11月24日)