「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
    * 親の面倒は金で解決と割り切ること
Q: いい年して恥ずかしいのですが、親と仲良くできません。中学ぐらいの頃って、誰も口も利かなくなるじゃないですか。
  大学で家を離れ、正月もほとんど帰らないまま30年か過ぎ、もはや何を喋っていいかも分からなくなりました。
 とはいえ、ある年齢以降は「たまには親孝行を」と思って食事に連れていったりもしたのですが、「ひとつも旨くなかったな」
 などと人の好意を無にするようなことを平気で言います。・・そんなことが積み重なって、親との間に微妙な食い違いが生じる
 ようになってしまいました。・・・ どうすれば心穏やかに親と接することができるでしょうか。
A: 親の面倒は、それこそお金で解決しなきゃいけない問題なんです。だって、24時間も介護してたら、仕事はどうするの? 
  自分や奥さんや、子どもの生活はどうするの? 医師も介護のプロもみんな言ってます。「素人じゃできないよ」って。
 寝たきりでウンコを投げてくる人を、素人が面倒見れる訳がない。共倒れになるだけ。介護はプロしかやっちゃいけない。
 だから、そのためにもお金を貯めておかないけない。親孝行もいいけど、そのへんをはき違えて優先順位を間違う人が多い。
 家族のことを考えたら、姥捨て山に捨てなきゃならないときがあるんです。だから、本気で介護のことを考えるなら、早めに
 そういう施設を見つけておくこと。あとは金銭面でのバックアップ。家族がやるべは金銭面のバックアップ。週イチでもいいから、
 お花を持っていって「大好きだよ」りて言ってあげる。そして、お金を出してあげる。だからもう、仲よくするとか親孝行など
 考えなくていいんです。無理なものはもう無理。というわけで、そもそも親と仲よくできないと悩むこと自体がムダ。
 【親子仲よくなくてヨシ。】 困ったときは力ネで解決。そのためにしっかり働きましょう。
▼ 8人兄姉の末っ子だったこともあり、両親から孫のように扱われてきたこともあり、至って良好。そうこうあって、実家に
 住むことになって現在に至っている。 母は亡くなる前の5年半の間、軽い痴呆症になっていた。息子二人を含めた家族
 総がかりで何とか持ちこたえたが、傍目と現場の違いは、あまりに大きい。金だけで解決できるほど甘くない。しかし、
 金で割りきった方が良い部分が多くあることも事実。昔から、老人の蔑称に、「死にそこない」というが、長生きはよいが、
 死に損なうのは問題だ。人生、そう甘くない! 特に最期は。明るくプッツンと逝きたいもの。
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4154, 中小企業の延命は、すでに限界 
2012年08月10日(金)
  * 金融円滑化法、来春廃止(返済猶予後の倒産が増加)
 昨日の朝日新聞の経済欄のトップに、「中小企業延命策、すでに限界」の見出しで、この活用後も経営難が悪化し、
倒産が増えている実情をレポートしていた。  ーまずは、その概要をまとめるとー
≪ 金融危機で資金ぐりが苦しくなった中小企業の借金返済を先延ばしの金融円滑化法が、来年3月末で期限切れになる。
一時的延命も、経営立て直しも出来ず、倒産する企業が増えてきた。大方の会社は、その延命期間も市場環境が悪化して、
借金が増え続けてしている。 地銀の支店長によると、正常な貸出先に戻れるのは全体の15%。計画通りにいかないのが
85%を占める」。金融庁によると、返済猶予をした中小企業は全国で30〜40万社の前途。この通りだと、25〜35万社が
この秋以降、かなり厳しい事態になり、倒産が大幅に増える。≫
 私の事業も金融法で延命したが、売上減が止まらず先行きの見通しはゼロもあり見切りざるを得なかった。
恐らく無理をし続けていたら今は地獄。 おまけに、この秋口に欧州発世界的株式の暴落か、中東戦争が起きそうな状況で、
多くの倒産が続出することになる可能性が強い。これに再来年の消費税の増税を考えると経済パニックは避けられない。
この9月以降は日本も世界も非常に厳しい緊迫した状態になる。何らかの延命策も取られても、このままでは済まない。
実際に私自身が、その渦中にあったから、近未来が手に取るように分かる。 平成を装っているのか、この静けさは何だろう。
大手家電メーカー各社が軒並みに大赤字でリストラが行われている。東北大震災から一般の消費動向が一変、ショッピングに
楽しみを見出さなくなってきているという。震災の経済に与える影響は、これからという上に、リーマンショックと欧州発の
金融危機とくれば、誰もが財布を締めて当然。 どうも話はマイナスばかりだが、ことが動乱?なら仕方がない。
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3789, 天才だもの
2011年08月10日(水)
  { 「天才だもの。」ーわたしたちは異常な存在をどう見てきたかー 春日武彦著 }
 天才に関する本に何故我われは引き付けられるのだろう? それぞれの専門の切り口が違っているところが面白い。 
天才と気違いは紙一重というが、気違いの部分が重なっているだけ。 天才と気違いは凡人の世界から遥か彼方から違った視線で、
逆照射している部分は同じである。何処が違うかというと、目指した対象の創造されたものが卓越した結果を出しているかどうか。
気違い?は、そこまで完成させる執念がない。そのへんが凡人と重なっている。 凡人も一度は狂い逆照射すべきだ!そうでないと?
ーまずは、序文の中からー
【 P/16 ー天才について語る時、多くは凡庸な語り口になってしまう。ここで語られるのは、「天才」そのものよりも、
 私たちがどのような人物を「天才」と見なしてきたかについて語られている、といってよい。・・・ さて天才の定義である。
あたかも天から授かったかのような傑出した才能に恵まれた「選ぼれし人」といったところだが、世間のイメージとしては、天才には
いくつかの条件が求められる。早熟といった点はどうであろうか。天才は彗星のごとく登場する、しかも少年や青年のうちに・・ 。 
またランボーが不細工で貧相な中年男なら、あれほどの評価は得られなかったのではないか。画家のビュッフェも画壇への登場は
若干十九歳であり、ローティーンにして大学の数学科を総代で卒業したとか、天才以前に紳童である天才伝説には必要なのかもしれない。
・・・天才は日常生活においては無能ないし常識外れであることも、世間は期待する。グレン・グールドは夏でも手袋をしていたとか、
三島由紀夫は寿司屋でトロしか頼まなかったとか、ディケンズは青い紙に青インクで原稿を書いたとか、ペン・ジョンソンは立った
ままの姿で埋葬してほしいと言い残したとか、その類の逸話を求められる。大いなる才能へ脳が機能の大部分を捧げてしまったため、
ごく当たり前のことが余力を割り当てられなくなってしまった、さもなければ形而下の出来事など関心の外へ追いやられてしまっている
のだと理解することによって、やっと我々は彼らを怪物と見なさずに済ませられるわけである。 そして天才は幸福であってはならない。
少なくとも世間一般で言うところの幸福に甘んじては困る。いい歳をして電車の切符集めが趣味とか、五〇を過ぎても童貞で平気とか、
金銭にまったく無頓着とか、食事のメニューが一年三六五日同じとか、そういった非現実的なところがないと困る。
あまりにも卑俗な欲望を刹き出しにされると、我ら凡人たちのライバルとなりかねない。それは承服しかねるということになる。
妄想の持ち主、つまり精神を病んだ人たちは、ときに自らを天才と称す。つまり誇大妄想である。 統合失調症では、当初は被害妄想に
脳まされているうちに、狙われる自分ー>自分は狙われる価値ある存在ー>自分は天才だから狙われる、という具合に変化を遂げるに至る。】
 ▼ 軽いタッチの天才に関する随想といった内容である。別に、御堅い天才論は別の本で読んで、これは我われが日常感じている
  レベルで読者と共に楽しめる内容である。この情報化の時代に、あまりに多くの天才の才能が花開いてしまうため、逆に天才が
見逃されるのではないだろうか。時どきブログで、「私は現在、精神を病んで、一歩学術の世界から身を引いて・・云々」のプロフィール
に正直に書いてあるのに出会うことがある。むしろ、その方が、我われを引き付ける。特に、哲学とか論理学で行き詰まり精神に異常を
きたし格闘をしている人の文章こそ真実にみちている。以前なら絶対に目にすることのできなかった人たちの血と汗が、直接伝わってくる。
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3424, iPad 対 キンドル ー1
2010年08月10日(火)
『iPad 対 キンドルー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
 *「ウィスパーネット」が、kindleの秘密
アマゾンが発売した電子ペーパー本といったようなキンドル。「ウィスパーネット」といわれる通信機能が特徴。
ユーザーは通信をなにも意識しなくてもよい、何故なら通信料は書籍の代金にふくまれているので、別に支払う必要がない。
現在ではアメリカ?だけで41万冊の種類が用意されており、電子書籍の価格はハードカバーが25〜30ドルくらいに対して9・99ドル。
新刊も同時に発売されるものが多く、その場合、紙の6割ぐらいで売られている。この威力は使った人にしか分からないという。
まだ日本では馴染みが少ないが、要は「アマゾンのネットで本を注文すると紙の本の替わりに電子ペーパーキンドルに直接、着信する」
のが特徴。 決済は、これまでのようにネット上でおこなわれる。iPod に似ているが、違うところは、直接端末に着信するところ。
一番のポイントは端末から直接、発注も可能であること。 【ネットに比べ、見にくいというが】
これまでのアマゾンの顧客を、そのまま取り込めるのがミソ。 更に新聞や雑誌も普及始めているという。アマゾンは、kindleそのもので
儲けることでなく、あくまで電子ブックを売ることが目的。ライバルは現在のところ、ソニーとアップル。 アメリカ国内では、
キンドル200万台に対してソニーは100万台を売っている。 ソニーは、日本よりも出版が自由な米国で先行。 
一方、iPadは、電子書籍端末専用ではないノートPCと携帯の中間の、他の機能を多くそろえた汎用機を目指しており、
リビングでつかわれるシーンを想定している。またiPhonむけの専用OSをつかえることで、その顧客の取り込みが有利。
それにしても、端末にパソコンで注文した書籍が、直接、振り込まれるのには驚いた。
 iPodは、一度音楽をパソコンに振り込むのに対し、端末の先の通信代を考えないで済む「ウィスパーネット」には、驚いてしまった。 
音楽も、近い将来、機能としてつく可能性すらある。 他にも、それぞれの特徴を生かした端末が多く出てきている。 次回は、ソニーの戦略 
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3049,ハリネズミのジレンマ
2009年08月10日(月)
哲学者、ショーペンハウエルの逸話に「ハリネズミのジレンマ」がある。
 (哲学書では度々取りあげられる逸話である・・・) 少し取りあげたような、無いような?
《 針のような鋭い毛を全身に生やしたハリネズミが二匹,巣穴の底で震えている。外は吹雪で巣穴の中は寒い。
 そこでハリネズミは,寄り添い暖めあおうとするが、互いの針で相手を傷つけあうことになる。痛さで体を離すが
 今度は寒くてたまらない。一晩中くっついたり離れたりを繰り返した結果、そこまで痛くも無く相手のぬくもりを
 感じられるような距離を見つけて夜の寒さをしのいだ。》
▼ 若い時に、ある距離を越えて友人が近づいてくると、全身から針が出て相手を拒否する自分に驚いたことがある。 
 それでいて、逆に孤独感から知らない間に相手に近づき過ぎて相手の針を感じたこともある。8人きょうだいの末っ子で、
 家が商売をしていたこともあり、それぞれの独立性は幼稚園時代ら訓練されていた。私の家庭では付かず離れず、
 自分のプライバシーは披瀝しないことが、まず要求された。 だからハリネズミの逸話が痛いというほど分かる。
 大人数の家族では、むしろハリネズミであることが、自然態なのである。 大家族は、それだけで空気が暖かくなっている。
 だから人混みの中の孤独には慣れている。他者と関わる時に(友人関係、親子、夫婦、会社などの人間関係)自我が露出してしまい、
 一人よがりになりがちになる。  成田離婚は、ハリネズミのジレンマの典型事由である。 
 また孤独の大切さを実感しながら、それぞれが寄り添う都会の群衆の群れの生き方がハリネズミのジレンマになる。
  ハリネズミ同士ならよいが、一方がネズミなら、ただ傷をつけるだけになる。 独居老人のジレンマでもある。
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2684, 己の地平の地を耕す
 2008年08月10日(日)
知人が二人、最近になって(10年前から)素人菜園に凝っている。たまたま事務所で二人が出会ったとき、嬉々として話が弾んだ。
何か奥深く面白いらしいが、私には向いていないようだ。 下地に10年はかかるらしい。『心身にとって、これほど良いことは無い』と
二人は口をそろえて言う。それを聞いていて畑での一連作業が何か自分の心を耕しているに感じた。人生は畑を耕すのに似ている。
長い人生の道のりも計画通りに楽しみ生きるより、苦しみ努力をして歩むことが多いもの。スキップだけでは面白く可笑しくもない。
たどたどしく泥まみれが人生である。 イソップの寓話に、面白いのがある。
 《 葡萄畑を持っている家族がありました。あるとき父が病に倒れた。病床の中で父はニ人の息子に言いました。
 「実はおまえたちに財産を遺してある。金貨を壷の中に入れて、葡萄畑に埋めておいたのだ。
  私が死んだら、その壷を掘り起こして二人で分けなさい」。父が死んだ後、二人の息子は葡萄畑を一坐懸命に掘り起こした。
  しかし壷はとうとう出てこなかった。 二人は落胆しました。ところがその翌年、何と葡萄がこれまでになく見事に実った。
  畑の土を掘り起こしたことで葡萄がたくさん採れるようになり、こ人の息子はとても裕福になりました。》
 父の遺言は、息子に努力を教えるためのウソ。自分に与えられた人生の畑を懸命に耕してみること。そこには必ず金貨以上の幸福があるはず。
イソップの、こういう寓話を幾つか遺しているが、下手な人生論より良い。(そういえば本屋で、そんな題名の本があった。
今度借りて読んでみようか)「ところで御前さん、人生の畑を耕したの?それも真剣に?」と問われれば「う〜ん、耕してきました!これでも」 
そして、「上を見れば限がない、横を見れば情けない、下を見れば底がない!」と言うところか。
このように毎日、随想日記を書き続けるのも、ある意味で、畑を耕しているようなもの。
テーマ一つずつが、畑の一部分を掘り返しているようである。しかしね〜、それで、この様だから・・・・
畑の土は、雑草や動物が腐って積み重なって出来ている。 「人生を耕せなど、何をぬかす、御前さん! 
土が既に決まっているのだろうが。」という心の奥の声が聞こえてくる。
「いや、違う。その土を見分けて肥料を自分で探して、時間をかけて自分の野菜を作るのが耕すことだろうが・・」
ということがを、畑から学ぶのだろう。土といえば、アイスランドに行った時に、驚いたことがある。国土に土が殆ど無いのである。
岩石の上に辛うじて藻が覆ってあるだけ。植物が元々生えないので土が出来ないのである。藻は菌で出来ているので土は必要としない。
しかし、それは堆積はしない。その時になって、成るほど我々は生物の屍の累積の上に生かされていることを実感した。
人生を耕す前に、畑を耕して、植物を育てると、その意味が実感できるのだろう。
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2007年08月10日(金)
2320, 「朝青龍」問題について −2               ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 これほど、単純だが困った問題はないだろう! 朝青龍は大相撲の世界で5年間も君臨してきた。
一人横綱を張っていたこともあり、その実績から少々の我侭も見逃されてきた。
ところが、情報化には彼も勝てなかった。仮病疑惑のサッカーの映像が放送されたからには言い逃れができない。
(字数の関係でカット11年08月10日)
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2006年08月10日(木)
1955, 片づけられない女−1             \(^▽^*)おはよう
昨日、昼休み何げなくTVをつけると、「TV史上一番の片づけられない女」というタイトルが出てきた。
ある30代の女性の部屋をレポートするもの。チャンネルを切り替えようとしたが、どれほど酷いものか見ることにした。
1DKのドアを開けて一歩踏み込んで見て、驚いたなんでものじゃない。部屋が足の踏み場の無いゴミ箱である。
玄関のすぐ右に台所があるが、流台の高さまでゴミが積みあがっている。かろうじて、冷蔵庫を掻き分けるようにして開けると、
4年前の食品が、そのままある。冷蔵庫の上の生卵は、一年前のもの。奥の8畳位の洋間に行く通路はゴミで、うず高く埋まっていて、
1mごとに足の踏み場の空間があり、そこをジャンプしながら部屋まで行く。部屋は中央に布団があり、布団の半分はゴミで隠れている。
   (字数の関係でカット09年08月10日)
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2005年08月10日(水)
 1590, 自民郵政解散の攻防−4
昨日の全ての大新聞の一面で、各社政治部長郵政解散の論評をしていた。なるほど、それぞれ一理ある。思ったより小泉首相
厳しい内容が多かった。賛成反対の両者を配慮しなければならないためか、思い切って書けなかったこともあったようだ。
   ((字数の関係でカット10年08月10日)
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2004年08月10日(火)
 1225, つれづれなるままに
・先日、インターネットの[アマゾン]で中古本で買おうとした。 フッと思いついて、近くの図書館のHPを検索にかけたところ、
 その本が有った。 図書館で、買った本を、時々見かけることが何度かあった。その時「インターネットで調べることが可能なはずだが」
 と思ったのだろう。 お金は少し注意すれば使わないで済む。情報化は、無駄を省いてくれる一例である。不景気になるはずだ。
・宿泊で、駅から一番離れて不振であった第三シングル・インが最近よくなってきた。
 インターネットで見て、泊まるお客が増えたからである。地理的に少し離れた第三を割り引いているからだ。
 ーインターネット上では、各ホテルは割引価格を出しているのを、お客はそれを知っている。
(字数の関係でカット12年08月10日)
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2003年08月10日(日)
 858, 縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ
 一昨夜、飲んだ相手は今年になって一生に一回有るか無いかの大きい事件が二件たて続きに起きた。
そういうものだ。 あと一回は覚悟しておいた方がよいのではと忠告をした。ホテルの立ち上げを創めると、
必ずといってよいほど普段なら起きない事件が次々に身辺におきる。本当に不思議なものだが、波動が高くなっている為だろう。
「縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ」となずけて、その波乗りを楽しむ位でないと神経をやらる。創めたからには突き抜けなくてはならない。 
その三つが同時にくることがあるが、これは縦、それは横、あれは斜めと冷静にみれば、こういうものだと腹が据わる。
縦揺れは仕事の中の揺れ、横揺れはプライベートの何か、斜め揺れはそれ以外の中でおきる。こんなもんだろうと、直視しながら
一つずつこなしていくしかない。それも一つ一つが極限の出来事である。そしてピークの出来事が重ねてやってくる。
それは経験を重ねると見極めがつく。それは「もう駄目だ!」という限界につきあたった時である。同時に「ああ今回はこの程度か!」
と心の奥の声がする。遵って仕事をいかなる場合でも楽しもうという意志がなければならない。
これは仕事だけでなく人生一般にもいえる事である。一昨夜は以上の話をした。それまでは順調な人生を歩いてきた人だ。
  神様は必ず平等に試練を与えるものだと最後は説教調になってしまった。
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2002年08月10日(土)
 483, 経営セミナーにて  −2 
30~40代にかけて県外のセミナーに100回近くいった。それでこのレベルだから、大して有効に働かなかったが。
しかし人生訓にしろ、いろいろ勉強になった。2000万?はつかった。
しかし土地を二回転がし、すぐ元はとった。そういう事だけはクールだ。
 (字数の関係でカット12年08月10日)
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2001年08月10日(金)
 [104] 自己不認識
いま感じているのは自分自身への目のミスキャストである。同年の人と会うとお前も年をとったなー、と言ってくる。
ところがその二倍の言葉を返したいほど、その相手も老けている。
その人の自己認識が全くないことが解るから、そのことを言えない。ブラックジョークである。
こういう人に(自己客観かのできない人)「貴方は女性にもてるでしょう」と言うと、得意満面で女性遍歴を話し出す。
女性にもてるとは、解りやすい事例でいうと、女性環境に恵まれないからスナックに行って、
ママかホステスに必死に尽くした結果、チヤホヤされる。それを表面だけ見ていた人が誤解すること?
知人に何人かその結果(離婚とか自殺)、家庭内が目茶目茶最悪の事態に陥って、今もそのプロセスを踏んでいる男がいる。
男の何人に一人は、ある時期こういう事態を経験しているのだろうが。
ある往年の大女優が随想で「45歳を境に急な坂を転げ落ちていくように、美容も肉体もおちていく」
と書いていた。女性の場合自覚するが?男の場合,気がつかないから恐い。まあ、どうでもよい話だが。