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「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
* 娘が、漫画家になりたいと言い出しました
Q: 高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い出しました。昔からお絵かきが好きな子で
マンカもよく読んでいましたが、まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいいわけでもなく、
この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるならなってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの
漫画家になるなんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが才能があるかどうかわかりません。
娘に才能があるかどうか、どうやって判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科みたいなところがあるようですし、
そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? アドバイスいただればと思います。
A: 私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を冷静に見比べることができるようになったということ。
300人の絵を並べて、その中で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、この人が一番?」
なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。
でも、予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 で、「ダメだ、こりゃ」って、
自分の実力がいかにないかとわかって、「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校みたいに
人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからないし、
親が判断することでなく、それは世間様が判断すること。
・・まあ、別に漫画家じゃなくても、高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに反対することはない。
ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうがいい」ってことかなあ。お金をもらって、他人に怒ってもらえる
という経験は貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが財産になってる。 いるだけで「可愛いね」って
言われる時代から、いるだけで「邪魔だ、パパア!」って言われる時代まで、女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。
だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。
▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味でやるのと、それで生活していくのは別問題。
17〜8年前になるが、甥っ子が京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身したと聞いた。
当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の名前を逆読みにした「きもと○○」という。
次々と若い漫画家が出てくる中で若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。 この娘の場合は、専門学校に
入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に馴染むからである。
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4152, 「B層」の害毒
2012年08月08日(水)
【 ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 】ー適菜収著 より
哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば(何度か取り上げたが)、小泉元総理が
「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として
国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類し、B層を選挙のターゲットとしたことに由来する。
これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。この層について、著者は以下のように分析している。
≪ 「B層」とは何かというと、
◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。
無制限に拡大した権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、再び民主党のマニフェスト詐欺に
騙され失望し、将来にわたり「騙された!」と喚き続ける存在がB層です。〉とある。
◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかがおかしいと感じている人。今の世の中を深く軽蔑している人。
そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けてみるべきでしょう〉という
◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」
「誰それ?」などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉
◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性は、民主主義と戦い続けてきたのです。
民主主義は、十八世紀に発生したキリスト教カルトです。〉
(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。
バカなんでしょうか? 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫
▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいということである。これまで、マスコミは、大衆として、
彼らを捉えて、その操作を駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン=モバイル携帯が
普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が
体勢を占めてしまう。これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、社会は保たれるのに、
B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、
あのざまで、C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響はモンスターのように、世界を
混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。
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3787, 閑話小題
2011年08月08日(月)
* アメリカ国債の格下げ
ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うくデフォルト(債務不履行)になりかけた。
このため70年維持してきた格付けがトリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の格付けと同じである。
3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、それに対してアメリカ政府は、やれることは全てやり尽した。
それが限界にきた結果がデフォルトの危機である。 このことは、円高、ドル安は当分の間は続くことを意味する。その結果として
世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の事態になる。 まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。
それが今年の後半から来年に始ることはリーマンショック直後からいわれていた。欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、
その歪が何時爆発してもおかしくない異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。
* 原発事故、これから始る影響
原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。まず、この秋の新米がどうなるのか。最悪の場合、東北・関東甲信越の
新米が全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に走っている。 特に子供がいる世帯は他人事ではない。
汚染が、どの程度で収まるのか今のところ誰も分からない。 それは時間と共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態では失せてしまう。
放射能は水の循環の中で動植物の生態の循環の中に静かに入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の
現地民の汚染による影響のTV番組の再放送を見た。 あそこまで酷くはないとしても、日本人は放射能に敏感である。それが水と農作物、
畜産物から体内汚染とくれば、壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が聞こえてきたが、それが現れ出てきているのか。
* 私は特別の人間! だもの
若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」と思っている。しかし少し考えれば、それぞれが
特別の存在であり、今さらいうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、特別の存在という
思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に「私は特別の存在なの」と面といわれて驚いてしまった。
その言葉の中に、特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は大事なのかもしれない。
ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 今、此処にある存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも仕方がないのか?
たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
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3422, 哲学者の言葉 100 ー2
2010年08月08日(日)
* 第一章、哲学と人間
≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えていた。ただ違うのは、地方性と、レベルの差。
そこで差異をみると同時に、同じところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、地域性、学歴差、
などあるが、まずは、同一性が問題になる。 まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。
「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。
さまざまな状況と関わりをもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、最後には乗り越えることの
できない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、死によってもたらされる」 ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち
思考する生物であり、行為によって国家(都市国家・ポリス)を法律のもとに共同体としてつくった生物であり、道具を製作し仕事をし、
経済によって生計を営む生物なのであるが、決定的なことはそういう事柄にはない。 人間の本質は運動の中にあるという。
人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。
人間は、袋小路、退化、転倒を繰り返し、自己疎外に陥ることすらある……。・・・ ヤスパースは、このような意味で
「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。そして、人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを
知ったときに、人間はこれまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい好奇心等々いろいろありますが、
それは勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパースは考えた。
人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められています。人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければ
ならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、それが、
「すべての人は、われわれのようなものである」というヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】
《 人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、
その品位をまた他人の中にも認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、究極の真理である。
そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間としての品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまう
から、ことが拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、というのも道理である。老いは勇気の喪失からくる。
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3047,自信過剰な人
2009年08月08日(土)
異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、それが自分の実力を超えた
思い込みでは、自滅する確率は高くなる。 やはり身近で自信喪失の人もいるから、その両者の断層から多くのことが見えてくる。
世の中は自信過剰な人と自信喪失の人で成り立っているし、人生はその交互作用でもある。この不況の中では「私」は少々自信喪失
気味だが、そのぐらいの方が良いのだろう。 特に若いときなどは自信過剰と、その結果としての無残な失敗の繰り返しがある。
失敗に対して、繰り返し立ち上がってチャレンジできるかで人生が決まってくる。
大学を卒業し数年、大きな挫折体験の中で、「自己能力の限界の設定」という言葉に出会ったが・・
ーまずは、ある本の説明部分を抜粋してみるー
《 英語では(overconfidence)という。 自己の能力や知識を過信すること。悪い事態が起きる確率を過小評価し
(「過度の楽観主義」という)、いま目の前に起こっていることがコントロール可能だと思い、成功の確率を主観的に
高く評価する(「支配の錯覚」ないしは「マジカル・シンキング」という)。まだ、いくつもの可能性を残しているにも
かかわらず(「狭すぎる予想範囲」という)、そのまま突き進んでしまう。 そこへ追加的な情報が与えられても、
自分の予測を補完するものだと確信を強めてしまい、予測の範囲がそれほど広がらない。
たとえば、投資家の心理として、情報の正確性を誤認し、過度の取引をしてしまう(予測が外れるのは数%と判断しても、
実際は20-30%外れていることは多々ある)。また、「後知恵」的解釈の原因でもある。 》
こういう実験がある。
質問=あなたは幾ら賭けますか?
Aーコインを投げる前に、表と裏と幾ら賭けますか?
Bーコインは既に投げられたけれど、どちらが出たか分からないが、幾ら賭けますか?
この実験の結果は、後者の方が掛け金が少なくなる、という。
そこには、本人の意志は通らないが、何か心理トリックで意志が通るような錯覚に陥ってしまう結果が出てしまう。
それが事業でも全てにいえるのである。 自信も同じで、自分で気づかない心理トリックが潜んでいる。
新規に何かをする方からしたら、考えつくした上で発狂するしかない。 何もしない人間の壁を見ているからだ。
しかし心理トリックを実験で導き出す面白い事例である。 この心理トリックで女も男も、相手をどんどん換えていくのである。
許されるのは若いうちだけだが。
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2682, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −2
2008年08月08日(金)
この本は、特に目次が面白い。
結局は、金融のエリートと称する詐欺師に素人が騙されたいる図式しか見えてこない。 しかし時代は、断層の時である。
自分がその真只中に居るから、その大きさに気づかないだけ。いや、目を逸らしているのである。
この本の目次を見ているだけで、この本の概要がわかる。間違いなく、アメリカの崩壊が始った。
アメリカはイギリス連邦と、日本と組んでブロック化をしていくだろう。
それが早まるか、遅くなるかは大統領選挙の結果で決まる。その意味で、この選挙の結果は大きい。
ー目次ー
(字数の関係でカット 09年08日)
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2007年08月08日(水)
2318, 岸洋子の世界
おはよー (((。・-・)从(・-・。) さん!
一昨夜、何げなくまわしたチャンネルNHK・BSで、懐かしい岸洋子が歌っていた。彼女は十数年前(1992年)に亡くなったが、
今でも強い印象が残っている歌手である。番組は丁度半分過ぎていたが、後半だけでも充分に見ごたえのある内容であった。
早速インターネットで調べてみた。後に、その番組の紹介内容をコピーしてある。波乱に富んだ人生を紹介しながら彼女の、
その時々の歌の録画を構成していた。そのエピソードを聞きながら岸洋子の歌を聞いていると、涙が溢れてきた。
その歌の合間の石井好子と菅原洋一のコメントが好い。菅原洋一をして「全ての面で彼女の歌は私の上です。彼女には敵いません!」
と言わせている。 菅原は私の大好きな心の歌を多く歌っている。最盛期の彼の歌は絶品であり、魂から迸る叫びを感じた。
菅原洋一のコメントを聞いて彼女の一曲一曲を改めて魂を込めて聞いてみると、なるほど彼より上、というのも謙遜と思えなくなる。
彼女が死の病を抱えて開いたステージの歌があった。命を賭けた魂の歌とは、このことか!と、思い知らされた歌であった。
石井好子の彼女への言葉「一流の歌い手とは、歌に命を賭けています。命を賭けた歌は、声がかすれようが、その心は相手に伝わるものです。
彼女の歌は、それを感じます!」が好い。好きな人と別れ、その人がパリに行く。その後、彼女は一日だけパリに立ち寄ったが、
彼と会わずに帰ってきた。パリのタクシーの中で聞こえてきた歌を、日本に帰ってきて自分のものにして涙ながら歌っている場面があった。
たしか「恋心」だったが・・一人の誰かを思い浮かべ感情を込めて囁きかけていたようだ。その囁きは全ての人にも通じ、奥深く振動する。
そのナレーターの話を聞いた後に、彼女の歌を聞けば誰でも涙が出る。世の中は、人生は、感動で満ちている。感じ取れないのは
「日常の牡蠣の貝殻」が、コビリツイテいるから。 たしか、それがバカの壁になってしまうとか?横に流れている時間に、縦に立つ時間
(魂の入った、感動した時間・・)がクロスする時に人間は活きているのである。そして、そこに永遠が立ちあがっている。
この人の歌を聞いていた時に、永遠を感じていたようであった。「感動を子供にシャワーのように浴びせてあげなさい!それが親の一番の努め」
という。大人になったら、自分に常に感動のシャワーをかけ続けないと・・それが自分への一番の勤めです。
{BSエンターテインメント 歌伝説 岸洋子の世界 − 8月6日(月)BS2 午後7:45〜9:15}
(字数の関係でカット 09年08日)
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2006年08月08日(火)
1953, ローマから日本が見える−22
Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ー読書日記ー
第九章 ローマから日本が見える −2
ー「ゲルマニア撤退」を決意 ー
アウグストゥスの政策の中で唯一の失敗は、ゲルマニア地方への遠征であった。
カエサルの定めたローマの基本防衛はライン川であった。しかし、彼はその基本ラインをライン川より更に
東にあるエルベ河に移そうとする。アウグストゥスがカエサル暗殺後の内戦に勝ち続けることができたのは、
生前カエサルがつけてくれた優秀な副官アグリッパのお陰であった。彼が長生きしていたら、ゲルマニアの遠征は
行われなかっただろう。カエサルでさえも、「ゲルマニア」は短期の征服はできても、最期の征服は無理と見た土地である。
長年軍事を任せていたアグリッパを失った彼は、現地の状況を充分知らないまま遠征プランを立てて実行に移してしまった。
そのままローマがこの地で戦いを続けていたら、帝国はどうなっていたか解りません。ところがローマ帝国はやはり違った。
アウグストゥスの次の、第二代皇帝ティベリウスによってAC17年、ゲルマニアからの撤退を決めてしまう。
(字数の関係でカット 11年08日)
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2005年08月08日(月)
1588, 自民郵政解散の攻防−2
(字数の関係でカット 12年08日)
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2004年08月08日(日)
1223, 思い出のメロデー
お盆前のこの時期は、NHKの歌謡番組の「思い出のメロデー」である。毎年必ず見ることにしているが、生の番組みの迫力がよい。
今年は、例年より長い時間(19時30分〜23時30分)まで放映をしていた。どういうわけか全員、熱が入っていたようで、圧倒されみていた。
「歌は世につれ」というが、その時代を反映をしている。次から次へとでてくる懐かしい歌にやはり長い年月を感じる。
歌は過去に向かって歌うものというが、「思い出のメロデー」はまさにタイトルどおりである。思い出の歌は魂の故郷である、
お盆の里帰りのようなもの。それぞれの人が、それぞれの思い出の中に帰っていく。終戦直後の戦災の焼け跡に生まれたこともあって、
当時流れていた歌が特に懐かしい。そして、戦後50年間は日本にとっての黄金期であったことを、改めて思い知った。
本当に良い時代に生きてきてよかった。繁華街の真ん中の店で、10歳まで暮らしていたこともあり、いつもラジオから流行歌が流れていた。
当時の歌を聞くと、感無量になる。それと学生時代の歌謡曲黄金期のポップスも、思い出が深い。
時代は、どんどん変わっていく。だからこそ、思い出の歌が必要なのだ。
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2003年08月08日(金)
856, 経済評論家ー高橋乗宣の本
高橋乗宣の『日本経済、価値革命のうねり』と『日本経済の破断界』とたて続けに読んでみて、
日本経済の悲観論者の論とはいえ背筋が寒くなる。彼はバブルの最中から今の日本は大恐慌になると警鐘をならしていた。
(以下、字数の関係でカット 2008年08月08日)
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2002年08月08日(木)
481, ある信条 -経営セミナーにて
30歳代は数多くセミナーに行った。一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。700人の席の一番前の真ん中に
いつも座って聞いていた。この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、講義にきてくれているのだと、思うように聴いていた。
見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも震えている。テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。
これがなかなか面白い。今でもハキッリ憶えているのがある。香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた日本女性の話。
その信条がよかった。「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、人によかれと思って生きる」を自分に言い聞かせているという。
なるほどな!と思った事を憶えている。ー人間は、そのままだと 自分に甘く、他人に厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、
いつもブッスとしている。 教養のないあの子狐がその集約された姿だが。考えてみれば、自分でもある。
ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。もちろんいるが80パーが合致している、いや90パーか。
実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。しかし、誰もが持っている要素である。だからあれは自分の事ー影と言っている。
先日も「自分が言われているみたい?」と言われたが。その%の濃いか薄いかである。話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!。
それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。電電公社の会長、地産の会長、フットワークの社長、
100円ライターの東海??の社長とか。そう甘くはない。
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2001年08月08日(水)
[102] 夢について−6
(字数の関係でカット 12年08日)