「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
* 中ニの娘が父親と、今だ風呂に入っているのですが
Q : 中2の娘が父親とお風呂に入っているのですが
A : ・・ここは日本のお母さんたちの合言葉は「毛が生きまで」。毛が生えたら自然と恥ずかしがぞ入らなくなりますよ。
吉田戦車のマンガにあったけど、お父さんにとっては毎日がカウントでしょ。娘が一緒にお風呂に入ってくれなくなるまで
「あと何日」っていう、その時が来るまでじっくり味わわせてあげてくださいよ。娘が「パパ大好き」って、すごくいいいこと。
私も女子高だったんで、パパ大好き派の子いっばいいて、もう夜、パパの布団に潜り込んで寝てたぞという子、結構多かった。
そこまでいかなくても、腕組んで歩いたり、それはもう、パパ嫌いで、「臭いんだよ、オヤジ」という家庭に比ぺたら天図みたい。
ましてや「オヤジ死ね」って言ってる息子がいるのに比べたら、どれだけいいか(笑)。 ある意味、ぜ11たくな悩みですよ、
好きなだけパパっ子にさせてあげてください。心配しなくても大丈夫。毛が生えたら娘のほうから人らなくなりますから。
中2だから、そろそろでしょう。まさにカウントダウン。 ・・アメリカなら父娘が一緒に風呂に入ると逮捕されるとか。
▼ 数年前に、次男とツイッターでやり取りしたことがあったが、直ぐに、「父と息子がツイッターをするとは前代未聞」
とのツブヤキが入って、やめたことがある。「だからこそ面白い」と今から考えれば良かったが・・
* 60歳代の父が30歳代の女性と同棲。妙にやつれてきました
Q : 数年前に母を亡くしてから、一人暮らしをしていた60歳代の父が30歳代の女性と同棲。妙にやつれてきました
A :「体が心配」って言うけど、腹上死したらそれはそれで最高に幸せな死に方じゃないですか。いがみ合ったり、
寝たきりになったり、見たくないようなものばっかり見せて死ぬんですよ、普通。 そんな嫌な死に方するのに比べたら、
もう万々歳。どうせいつかは死ぬんだし、これが最後の恋なんだから、好きにさせてあげましょうよ。何の問題もありません。
放っときゃいいんです、ハイ。 結論、腹上死したらラッキーと思え!
▼ やつれた理由を下ネタと決め付けるのも何だが、やつれるほどの精力が残っているなら、これほど幸せなことはない。
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4151, 虎穴問答
2012年08月07日(火)
以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という衣料チェーンにいた時の話。
同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」
の立場上、抜き差しのならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。そして自から、その会を潰すことになった。
去年の倒産劇の時も、この問答を思い出していた。 死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきかの決断の際に、
この問答を何度も類推し、考えてみた。 ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。
これはひとりの人間が虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。 王仁三郎が、「裁判長、あなたはどうお考えに
なりますか」というと、裁判長は自分は法律家だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法がはじまった。
人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。刃むかっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへって
くると殺しにくる。どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。
こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。
王仁三郎はこの問答で大本事件を語ったのである。裁判長はさすがにうたれるものがあったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。
また、粛然とした空気が法廷に流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答はもうひとつ深い意味を
もっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に
死地に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。
その過程の裁判での、この虎穴問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と例えることができる。
それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短の道になる、と考えることができる。事業断念も決意も、
虎を3つの断層=9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災とみなし、その重なりから、
虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。
その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを読んだが、これが面白い。
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3786, ユング −17
2011年08月07日(日)
* ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、身についておたこともあり、ユングの理論には
非常に興味をひかれた。ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、そのまま発達すればよかった。
大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、そのセンスが強力だったようだ。 また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいた
という記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。
現に幽体離脱のような(夢?)体験をしたのだから、これは信じるしかない。 ユングがフロイトと対立・離別をしてまで、
この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取り上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 奇妙な偶然の一致の不思議さである。
これは多くの人が経験しているはずだが、それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。
子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他愛無い話をしている」と心底で感じていた。
しかし人生経験を積み重ねるうちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかったことを知った。
幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ることである。共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。これも個人が持っている、ある能力が何かに
感応した働きだろう。そうこう考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる不思議からみれば、
オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の
親の鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めているからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がりである。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に
覗き見ることが可能になったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽はじめると、逆に人間の持つ不思議さが
一つずつ解明されることになる。ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。ネット世界の出現こそカルト?
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3421, 日本の幸せ度
2010年08月07日(土)
昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、特集をしていた。
といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、許可を得ているのだろうが・・・
メモを持ってなかったので、頭のメモに書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。
日本人の幸せー9
* 流動資産一人あたり700万、一世帯で1500万、金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。【これ以上は、同じ】
* 幸福度は、学歴に正比例する。 【中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。【家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品】
* 都会は、そうじて幸福である。 【これも残念ながら、本当。新潟市、長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。 【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。【これは、難しい問題だが?】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。 【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。【そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、50〜59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。【最近、実感している】 以上だが、間違いがない。
▽ その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブルする人は不幸になる。
* 気短、心配性、は不幸な人が多い。 * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 幸福論が好きだからだ。
ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、
熱意をもって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。 男性も女性もほんものの愛情をもち得る。
家族、家庭での生活も楽しくなりプラスに転じる。」といっている。
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3046,卒業40年周年か〜 −5
2009年08月07日(金)
40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』を入れたら、
その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。
この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚している。
いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、
書き残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて、当時の光景が
昨日のように蘇ってくる。現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くものはない。
いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き続けておけばと後悔をしている。
この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。
ー11月19日ー 1968年 2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。話をしたかったのだろう。
人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。特にケネディの自伝に感銘を受けた、
というのが印象的であった。 見違えるように自信を持ったように見えた。 男っぽくなったという言葉がピッタシ。
4時間ばかりして帰っていった。もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。アパートから一時間以上かけてきたというから、
自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。聞き役に徹していることと、大学最後の時が来ているからだ。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。といってチャンスは幾らでもあるが。
理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一〜二ランク上の男を狙う。
だから当時は妥協できなかったのである。それと姉達のレベルより下げることができないシスターコンプレックスもあった。
四人の姉は、地方では、それなりのレベルの美形?だったので、その眼もある。 一つの判断が人生を大きく左右する時期で、
ふりかえってみると非常に緊迫した日々だった。この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して変わらない
感覚になってきている。過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も大して問題ではなくなったというイメージである。
死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。 この時期の日記を読み返すと、当時は人生の使用前。今は使用後。
という感? 使用後というには早いか? 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。
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2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −1
2008年08月07日(木)
「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著 -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」
を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。
金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、力が入っている。
世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。
まずは ーはじめにー の以下の部分から
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを待つしかないのか?
けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。
恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、
この恐慌を逆手にとってひと財産築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと思うが、どうだろう。
これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。
十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」の登場を待っている気分に似ている。
いま、金は、一九八○年の最高値一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融恐慌が
本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で
当時得ていた二億円の年収を捨て、ペーパーマネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。
いまや北米をはじめ、世界のあちこちで鉱山を経営している。普段はヘルメットをかぶって地下二千の鉱山で金を採掘している。
つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。自らリスクを負った経営者として、
現在のこの金融恐慌に向き合っている。いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。
そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていることだろう。
〜以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。
ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。
ー金融機関の倒産は、これからが本番
ードルの転落
ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
ー「有事のドル」の伝説崩壊
〜次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。
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2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ〜
ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩手前がテーマとして面白そうなので取りあげてみる。
(字数制限のためカット 2010年8月7日)
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2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える−21 ー読書日記ー
第九章 ローマから日本が見える −1
さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚システムが、
共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、
そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。
小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか?
ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史がこの本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」
に長けていた民族であった。事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、
本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に何度も成功したからこそ、
ローマは千年の歴史を持つことができた。本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。
・最初は、王政から共和制への移行です。
BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王「尊大な王タルクィニウス」が追放され、
以降は一人の王に代わって、執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた共和制体部の改革である。
貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。
カイサルがその設計図を引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。
ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った
諸改革は、数えればきりがない。
ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
・一神教の絶対神を信じるユダヤ教やキリスト教の信者とも違って、ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。
どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、かならず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を彼らは持ち続けた。
ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で
1000年以上も帝国を存続させたシステムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。 −つづく
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2005年08月07日(日)
1587, NHK 受信料不払い問題
(字数の関係でカット 09年08月7日)
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1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日
長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。この数年川向こうにも観覧席が出来はじめたときいていた。
(字数制限のためカット 2012年8月7日)
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2003年08月07日(木)
855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記
本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。中小の経営者の知人が、この本を読んで
目が洗われる思いだったといっていた。潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。
その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。wアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。
中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく
読む価値があると思った。ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにすることが大事であると思えた。
(字数制限のためカット 2011年8月7日)
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2001年08月07日(火)
[101] 倒影ー2
人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」という理屈は子供のときから
分かっていたが。「人を指差すときあとの指は自身を指している。」という戒めの言葉もそういえばあった。
「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け
一人満足をしていた。
(字数制限のためカット 2012年8月7日)