『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 御隠居
 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に
一歩踏み込んでいたようだ。 同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然としていたが、
「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の
人生を圧縮して生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」ことにした。
 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、
個人HPを立上げて、全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に至っている、これである。
これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。
この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。傍からみたらつまらないこと?でも、
遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。
だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。 たっぷりある時間を遊べるかどうかである。
   まずはー内容紹介ー     
【 こんな時代こそ「隠居」を見直そう! 原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。
 目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則外山滋比古赤瀬川原平谷川俊太郎安野光雅坪内稔典
 豪年を取るって、いいもんだなァ。 華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。オモシロキビシク、
 いい加減精神の真髄を語り明かす。】
 老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。
 考えてみれば「良く遊ぶ」のは非常に難しい! 次回は、一時限目の 「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より
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4025, シングルイン、31年間の総括 ー6
2012年04月02日(月)
  * リストラは、どうだったか ?
 2001年の9・11テロの翌月から売上が毎年続けて一割以上減少、三年間で3分の2まで減少していった。
それに対し、ボーナスの半額カット(年間給与の一割相当)、私は5割以上、役員は4割カットをして対応したが、
キャッシュフローからの返済は1億3千万から4千万まで激減してしまった。 それまでの正社員と役員20数名のうち、
三分の一まで減らし、パート・アルバイトに切りかえた。 次に、二つのホテルの1階部分の客室を飲食店用のテナント
スペースに切り替え貸店舗にした。 さらに第三シングルインを長期滞在型ホテルに切り替えた。 二つの客室の壁を取り去り、
一つにして自動車学校や、企業の長期滞在として貸し出した。 それも数年で軌道に乗りかけ、目処がたった矢先のリーマンショック
これも2割以上の売上減が三年目に入っても続いた結果、事業断念に至った。 新潟駅再開発も大幅に遅れ、
二つのホテルが道路拡張計画上にあって説明会が開かれていたが、そのプロセスで規模縮小か移転の想定も当てが外れていた。 
 そのリーマンショック以来、政府の緊急政策の御陰で資金繰りは何とか予備資金を使うことなく、持ちこたえていたが、
売上が三分の一まで落ち込み、事業存続の先行きを考え出した矢先に東北大震災。 これで最後の踏ん切りがついたが、直接原因は、
リーマンショック。 事業構造の転換も身を切るほど厳しいが、事業経営の真髄が発揮される場面。 もちろん返済額の減額交渉に、
リストラ策と、その実施と、経過報告が義務つけられ、その効果が出始め何とか目処がたった矢先のこれ。 十年間、やれることは
やった思いがあるので、後悔は全くない。 シングルインというホテル名と建物は、他の事業主が引き継いだので、ここで経営の
リストラが断行されたことになる。 6年先の道路買収まで維持できるかどうかだが、あまりにリスク要因が大きい。 
長期装置産業の恐ろしさを知らないようだが、世界は楽観と悲観で成り立っている一事例。
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3659, つれづれに
2011年04月02日(土)
  * 原発事故の深刻さ
 原発がもたらす影響は、今後どのようになっていくのだろうか? 経済は大きく落ち込むのは目に見えて明らかである。
業界格差は明らかに出てくるだろうが、飲食、ホテル、レジャー関連、タクシーなど三次産業から深刻度が深くなっている。 
 東北、関東地区の農水産も壊滅状態で、米の生産者も、今年の作付けに入ってよいものか、思案をしているのだろう。 
伝え聞くところによると、長岡の奥座敷といわれているリゾートホテルは、お客がほぼゼロの状態が続いているとか。
この冬は豪雪で惨憺ものだったが、さて春が来たという時に、地震原発事故である。
 特に原発事故の成り行きを世界中が、固唾をのんで見守っているのは、死の灰が地球規模に広がる可能性があるからである。 
毎日毎日、TVでこのニュースである。消費マインドが冷え込むのは自然の成り行き。 株と国債の暴落をきっかけに、
ハイパーインフレになるのが、一番考えられる道筋である。その時、「新円切り替え」が実行されるはず。
日本の危機といえば、元寇明治維新日清戦争、日米戦争である。それ以上の危機になっていくのだろうか?
東京では、一部の子供たちの疎開が、静かに行われているようだが・・・
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3294, エッ何!
2010年04月02日(金)
 * 次年度からの予算財源はこれ?
 ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに
決定したカタチをとったのは筋書きどおり。23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを見越し郵貯の限度額を上げて、
郵貯残高を増やそうという目論見。穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、その受け皿を
つくっておくメリットもある。3人だけの政党の亀井を金融大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、
それを承知、それが政治。先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」
と述べていた。 
(以上、字数制限のためカット 2012年4月2日)
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2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3
 2009年04月02日(木)
 マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、
 ウィトゲンシュタインは死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようとしても無理であると
 彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識がなくなるため、それを意識できないからなのだと。ー
 これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験できないというのだ。「もし哲学者が考えるとしたら?」
 と私が考えた内容と酷似はしている。 しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の一秒の感覚を、
 寝入る瞬間に直感したのである。 実際にスット意識を失う刹那(瞬間)を感じたのである。
「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、寝入る瞬間ではない」 と反論されそうだ。しかし「それが寝入る瞬間だろう」と、
 反論も可能である。それに対して「意識が無意識の世界への移行の瞬間を如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。
 その直前の刹那が果たして経験できると言うのか?」 と言うだろう。しかし私は、その刹那を感じたのだから、
 何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」と言われれば 証明のしようがない。
 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をしたことが分かった。寝入ったアチラの物語の夢について、
 ここでも多く書いてきたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。 このテーマとは関係ないか! 
  ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと? って。 ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、
 私にとって大事なことです! 毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。それを経験したのだから。
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2555, ホモ・ルーデンス ー1
2008年04月02日(水)
ホモ・ルーデンス』                       ー読書日記
      ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。
「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うならば、遊びの中で始まったのだ」
   ーすべては遊なりー
  〜文化は遊びの中にはじまる〜
ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。
まずは ーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは) について考察してみよう。
ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。
「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。
 最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです。
 これに対して、人間は、ただ神の遊戯の玩具になるように、というので創られた。
 これこそが、人間の部分です。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊戯を遊戯しながら、
 今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで生きてゆかなければならない。(プラトン対話集『法律』)」
著者は、この真面目と遊びの対立において、「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを
自己の中に抱き込むことが出来る」と、遊びの優位性を説いている。 そして、遊びの定義として、
「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、
自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、
緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」
「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、 最も高貴な二つの性質によって
充たされている。リズムとハーモニーがそれである」遊びの定義から、世俗に対して離れているという点で、
「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。最後の文章に「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、
自らの能力の輝かしさをためしてみると、必ずや常に、真面目な判断の底になお問題が残されているのを見出す。
どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底では完全に結論づけられはしないことがわかっている。
この判断の揺らぎ出す限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。古くからの『すべては空なり』に代わって、
おそらく少し積極的な響きを持つ『すべては遊なり』がのし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、
ただ精神の無力を思わせるかのようだ。しかし、これこそプラトンが人間は神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」
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一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。遊びは自由への飛躍ということだ。
次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。
「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」
子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、
そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもっている歌だが。
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2007年04月02日(月)
2190, 飲料水について           オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、
 と言い訳をして失笑をかった。
  (以上、字数制限のためカット 2010年4月2日)
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2006年04月02日(日)
1825, あちら側の世界 ー6        b(⌒o⌒)d おっ \(*^▽^*)/ はぁー
Googleという会社とは?ー
グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」と定義している。
「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずのシステムを全部グーグルで作ろう」ということだ。
そのために「世界中の情報を整理しつくす」というが、そう簡単にはできることでない。
グーグルに関して
ー第2章 グーグル?知の世界を再編成するー の概要から考えてみよう。
(これは、あるHPからコピーしたものだが、簡潔にまとめてある)
・グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」
・ネットの「こちら側」であるフィジカルな世界から、インターネット空間に 浮かぶ巨大な情報発電所とも
 言うべきバーチャルな世界である「あちら側」へのパワーシフトが確実に起きる
・情報をインターネットの「こちら側」と「あちら側」のどちらに置くべきか、情報を処理する機能を「こちら側」と
「あちら側」のどちらに持つべきなのか、というトレードオフが、これからのIT産業の構造を決定する本質となる
・グーグルの情報発電所とも言うべき巨大コンピュータ・システムは、チープ革命を徹底追求した全く新しい
 作り方で自製し、 圧倒的な低コストを実現したという意味において、三大潮流のすべてを体現した存在である
・グーグルのビジネスモデルは新しいバーチャル経済圏を形作ろうとしており、
 「知の世界の秩序の再編成」に新しい富の分配メカニズムをもたらしている
・「情報自身の淘汰」に委ねるという思想のもとに、すべての情報を共有することこそが、組織と情報」
 におけるコペルニクス的転回であり、グーグルの組織マネジメントにおけるスピードとパワーの源泉になる
・サービスにおける「人間の介在」の思想の違いから、ヤフーはメディア、グーグルはテクノロジーという本質的な違いがある
  ー以上だが、
「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」「世界政府があるとしたら、
 そこで開発しなければならないはずのシステムを 全部グーグルで作ろう」というミッションの恐ろしさの一端を、
 多くの人が 実感できたのが、2005年6月に「グーグル・アース」というサービスを始めた時だ。
 無料でダウンロードできるグーグル提供のソフトウェアとサービスを使うと世界中の衛星写真、起伏に富んだ地形の立体画像、
 さらに大都会の場合、建物の意味を含めた詳細の三次元画像を、私たちはパソコン上ですべてみることができるようになった。
  (以下、字数の関係でカット2008年4月02日)
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先日さっそく「グーグル完全活用本」?創芸者を買ってきたが・・・
次回は「アマゾン」について書く。                ゝ(-_- ) バイ!
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2005年04月02日(土)
 1460, 頭脳の果て ?読書日記
この本は数年前に買ったが、目を通しただけで本棚に並んでいた。何げなく手に取ってみたところ、面白い。
前に読書日記で書いた「迷ったときは運命を信じなさい」に似ている。ネット書店の「アマゾン」で、
この本の基本情報を取ろうとしたら、この中古本が何と10倍近くの値段で出ていた。
絶版のため、値段が競りあがっているという。書き込みと、ページの折込をしてあるので売り出せないが、
そうでなかったら、売りに出したのだが。(売り手の戦略の可能性もあるが)それにしても、面白い本である。
特に天才のイメージを借りるテクニックが面白い。天才の感覚を借りるテクニック(Genius Code)、イメージワークである。
天才をイメージで呼び出して、その人になりきり、その人の疑似体験をする。
イメージトレーニングを発展させたと言えばわかりやすい。使いようによっては、かなりパワフルにはたらく。
大まかにいえば、1.リラックスする 2.モデルとなる師を具体的にイメージの中で描写する
3.着ぐるみの中に入るようにして師匠の背中から中に入り、師の焦点と、言葉と、体の使い方を体験する。
 終わった後では、その着ぐるみを脱ぐというような感じになる。
実際、随想日記を書いて読み直すとき、物書きのイメージで批判的に自分の文章を読み返すと、
いつの間に全く違った添削をしている。他にもイメージ・ストリーミングが色いろ書いてある。
 その一つを紹介すると、
1・エレベータのようなものに乗る。
2・ボタンを押すと、他の星に移動する。
3・そこには、他の星の自分がいて、自分よりはるかに能力がある。
4・その自分と一体になって、ものごとを考える。そして何かヒントがでてくるはず。
5・そして元の自分に戻って、そのマシーンにのって帰ってくる。
 まあ、大雑把にいえばこうだ。 私が考えた、「三つの部屋の物語」も、これがヒントかも知れないが。 
更に、いま一つを紹介しておこう。夜寝る前に目を閉じて、最も偉大な9人を透明な顧問にして、彼らと一緒にいると想像する。 
彼らは私を楽しい冒険の旅に導いてくれる。おかげで真実の偉大さに再び深く感謝することができ、創造的な試みに向けて
努力する気持ちと正直な考えを表現する勇気を持つことができる。自分の好きな9人を選ぶのもよいだろう。
「迷ったときは運命を信じなさい」の、ギリシャ神話の神様と似通っているが。これらは、私達が持つ大脳の素晴らしい
潜在意識のメッセージに耳をそばだてることである。また違う視点を得ることが可能になる。
  (以上、字数制限のためカット 2012年4月2日)
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2004年04月02日(金)
 1095, わからないという「方法」
この本を本屋で見たとき、てっきりーわからないという「方法」で、自分の枠の世界からでない方法のことを
言っているのかーと思ってしまった。それはできませんと勝手に思い込んで、小さな世界に閉じこもってしまうのも同じ。
立ち読みをして、インターネットで調べてみると、わからないと、一度0に立ち戻って1つずつ理解しようとする
努力方法をいっている。ナルホドと肯いたが、わかるとは何かを一度考えるチャンスにもなった。
わかるとは理解することである。といって何処まで理解するとわかったことになるか、あいまいである。
むしろ「わからないという方法で」対象に入り込んでいくとよい。私はあのひとを、わかっているといって全く
わかっていないのが実態である。あれはこう、これはこういうものという勝手な思い込みを捨て去ることをいっているのだ。
異業種参入が新しい業態を作ってしまうケースが多いのは、むしろわからない「方法」を利用している為である。
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2003年04月02日(水)
 728, 天国と地獄
 人生を長く生きてきて「天国と地獄」は死後にあるのではなく、生きている人間の心ー思いの中にあることが解った。
その意味で一生かかって、天国のイメージをつくるのが宗教のはたす役割といってよい。 事業は経営が順調だと天国、
上手くいかないと地獄である。これほどのハッキリしたものはない。上手くいっている時はこの世の天国である。
 しかし経営悪化で、資金繰りが行き詰まり自転車操業になった時は生き地獄そのものである。
その意味では「日本中は現在は地獄のふたが開いている状態」と経済評論家の高橋乗宣がいっているが、
実感としてよく解る。自民党という鬼が今も利権のため地獄の世界に国民を巻き込んでいる!
何ともいえない日本を覆っている暗い雰囲気は、それを物語っている。 サラリーマンはよい職場か、悪い職場で
それが決まってくる。ある時期に倒産直前状態で大手の資本下にあった会社にいたことがある。
この世の地獄である。お互いの足の引っ張り合い、傷のつっつきあいになる。
また上司の相性も、その分かれ目になる。大の男がトイレで号泣!になってしまう。
 家庭もそうだ、基本の夫婦関係が「あたり」か「はずれ」で、天国か地獄かの分かれ目になる。五分五分でまずは、
試される事になるのだ。いかにいい加減に相手を決めてしまうのが人間の弱点だ。誤解をして結婚してしまい、
理解して離婚というケースになってしまう。 重いうつ病もこの世の地獄である。その人が理想としてつくった家は、
その人にとっての天国のカタチという。なるほど解るような気がする。いま住んでいる自宅は両親が
「自分の人生の最後を飾るため」に造った家だ。 そうすると、私は両親の天国世界にいることになる。なるほど!
私の天国は家内と秘境旅行をしている時だ。 それぞれのカタチがある。
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2002年04月02日(火)
 364,新入社員歓迎会
毎年この時期におこなわれる。 かなり毎年盛り上がる。当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、歓迎会がさらに盛り上がる。
2?3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。
まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。その辺を調整しながら、盛り上げる。 
しかし面白いことこの上ない。若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい!
花が咲いたという例えがピッタシである。それと時代に左右されている。
    (以上、字数制限のためカット 2011年4月2日)