* 嘘は真実の糸を織り込んである
 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。 
嘘と穿った噂は、その辺りから生じてくる。自分自身の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。伝達の過程で脚色された
のだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 
 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。 
もちろん自分も含まれるが、それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。 で、嘘の話に戻る。何かの喩えで考えると、
詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取るのが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。
ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。
 ・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド
 ・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない   ーバイロン
 ・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ
 ・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だ   ージェローム
 ・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。だから私は生まれながらに嘘を相続している。  
                                            ーサルトル
 ・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー 
 ・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。
                                                ーショウペンハウェル
 ・ 半分の真実は嘘より恐い            ーフォイヒタースレーベン     
 ・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、我われの精神は虚偽に包まれている。     ーショウペンハウェル
 それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけではないか?という疑問が残る。
あるブログに、次のようにあった。『 自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それはその当事者に
とっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な
思惑で物事は起こるからです。事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つではなく、
いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、
心で聞き、感じるしかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」ということか。深入りしないこと!
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2012年01月31日(火)
3963, 貧乏ばあさん
      「 女一生の働き方 」―貧乏ばあさん(BB)から働くハッピーばあさん(HB)へ  樋口 恵子 (著)
  * 核家族の果ての貧乏ばあさん
 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピーではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと
楽しくはないようだ。 が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在しているようだ。 そこそこ蓄えと、
知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。
 ー内容紹介ー
≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知っていますか? そう、日本の高齢女性は、
実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかりです。 日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、
夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。 さらに、多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど
雇用が不安定なため、年金をはじめとする社会保障につなが りにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。
 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあさん)に甘んじていないで、自らの手で
幸せをつかみとる「HB」(働くハッピーばあ さん)になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。
老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 これこそがこれからの日本女性が目指す道です。
本書では、人生100年時代を迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を 多数紹介。
また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も本書を読めばよくわかります。≫
 ▼ 世界一の長寿国になった日本。 平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳という。その中でリッチの年寄りは僅かであり、
  男より7歳も長生きする女性は、収入は僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉が
  生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。
  しかし、その中にあって人生の過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られるという。
  本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。
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 2011年01月31日(月)
 3598、 閑話小題
  * 日本の自殺率は、世界で何番目 ?
 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は自殺率はどの位かと調べてみた。
以前にも書いたことがあるが、一位から四位が旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。
ちなみに韓国が日本の八割で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、イギリスが三割で52位である。
イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に抜かれたとしても世界第三位。
旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに
直面してないことが重なっているため。 日本の自殺率の多さは北欧病に似ているためか? 日本の都道府県では
秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。
 * 中国にエジプト全土デモが飛び火?
 チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、飛び火が中国全土に全土デモが広がり、
紅衛兵運動で当時の体制の権力者など2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは?
という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満)が山のように積み上がっている。
それがネットで瞬く間に突然、火を噴く可能性がある。「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。
それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が理解できる。この見方も決してオーバーでない。」
という脳の奥からの言葉が不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ消滅を始めてきた。
20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が
存在しているかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 激変は辛いが、しかし ? ? !
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2010年01月31日(日)
 3233, 死は‘別れ’のとき ー2
 * あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。 150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと
 22〜3名。 それぞれが背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。 高校の同級生の葬式といえば、
 次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。 
 実は、この場面の立会いが好きである。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。 
 御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 
 ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。
 そして娘さんが遺体を焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ切れないほど、
 その場面に立ち会ってきたが、 これほどの感動的な悲しい場面は初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。
 奥さんと家族の感情が自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が止まらなかった。
 自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 無いだろう!
  ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 すざましい苦痛との死闘があったのだろう。  ご冥福を! 
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2009年01月31日(土)
 2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると −2
63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道ということがわかる。その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、
その度に色いろな人との出会いがあった。その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。
前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。断層面としてみると俯瞰がしやすいのである。 
「父が現在の私の年齢の時には私が22歳。そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等々。
十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。9,18、27、36、45、54、63歳である。 
この時期に大きな節目になっている。これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への御門が待っているか? 
それとも今年?  ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい!
 屋上ー     なるほど上は空
8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。
7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。
6階ー60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。
5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差し掛かる時期。
4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。
3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時期。
2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。
1階ー10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。
 それぞれにフロアーは一年一年ごとの10の回り階段になっているとイメージすればよい。地下は母親の胎内?、それとも姉・兄?  
基礎構造は家庭、そして祖先。 だから家庭は大事になる。 しかし相方との長期の相性は、実際のところ5分5分だから難しい。
 相手の家庭を見れば、絶対に止めておいた方が良い人は分かるが。
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2008年01月31日(木)
2493, 読書の腕前 −1         [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いた。
 ーー
 川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って流されている。中には錨を下ろしている舟がある。
川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。そして、本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、
川の流れを感じるようなものだ。川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。そんな悠久の流れを、
ひととき止めたりを舟の中で感じる。本を読むということは、そういうものだと思っている。
 ▼ 飯島耕一が「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /目を閉じてのぞきこんでいる。/ 
 何にも興味をもたなかったきみが / ある日/ ゴヤファーストネームが知りたくて / 隣の部屋まで駈けていた。」
 「生きるとは / ゴヤファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」
 ▼ 読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに置き換えられなかったのか。
 そんなふうに悔やんだことは一度もない。一度もない、といま気づいたことに驚いている。
 ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。だから、明日からも同じように生きていく。
 ▼「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」色川武大
 「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる喜びかもしれない」遠藤周作
 「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」大江健三郎
 本は膨大な人間のモデルを提供してくれ、しかも、相手の忖度を気にせず、思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができる。
 ▼ 田辺聖子が読書論の中で、「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」と、
 同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。いい女房を持つ、硬骨に生きる、
 世間を捨てて山頭火になる・・。しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。
 「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」
□ 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。最近はインターネットというトンデモナイ手段が出てきたが、
それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。この本も、直ぐにアマゾンの中古本を発注したが、まだ面白い箇所が多数ある。
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2007年01月31日(水)
2129, 熟年離婚とセックス           Σ(≧д≦)LOVE   オハヨウ!
 図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、「熟年離婚とセックス(千人調査)」という特集があった。
55歳あたりから急激な精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?当初は自己存在の喪失の感覚になりかけて
焦燥感になったが、今はバイアグラの力を借りて・・何とか?        (●?∀?))ヾ☆*。
こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという
男の暗黙のルールがある。「実際のところ同年代は?」と思ってところ、千人調査のアンケートというから
丁度良いタイミングであった。少し際どい?が、男にとって切実の問題である。このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。
ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー                   
    (字数制限のためカット2011年1月31日)
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 2006年01月31日(火)
1764, 袖に涙のかかるとき・・
「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ次のHPのコーナーに行当たった。リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」だから
深く魂に響いてくる。 深い心の底から、人間を、健常者では知りえない世界を、見つめている。そして「生きている、
それだけで素晴らしい!」ことを知っている。 実際に絶望の淵に立たなければ、その言葉の奥行きは解らない。
  * あるHPの ー心に残る名句名言集ーより
リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた ”心に残ることば”を「名言・名句集」としてご紹介いたします。
−字数の関係でカット(2012年01月31日カット)
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2005年01月31日(月)
 1399, NHKと朝日新聞
昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。(後でコピー)
「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、
その時の権力者が口を出すのは当たり前。と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。問題は政治的圧力をかけたことが悪い。
しかし今は時代が変わってしまった。自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回のようなことになる。
  −字数の関係でカット(2008年01月31日カット)
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2004年01月31日(土)
1032、「リクルートナレッジマネジメント
  ー読書日記ー1      
 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。それだけインパクトの強い内容であった。
 現場からの視点でつくりあげたイントラネットの一つのカタチとしての 凄みを感じとることができた。 
「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。 サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。 
    (2008年01月31日カット)
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2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記
 ー読書日記帳の基本パターンはー   「成功する読書日記」 著者 鹿島茂
ーこの本の引用とレジェメー
これに、書き込んでファイルに溜め込む。大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と書き込むようになる。
とりあえずこれを続けることに意味がある。        
・量がたまってきたら,しめたものである。  ・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ       ・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ「収集」しているのではないか
という感覚になる。ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。そうすると体系化への志向が生まれ、
 それ自身が意思を持ち始める。コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。読書日記や映画日記を続けていると、
何時しか、コレクションが「開かれる」という現象が起こってくる。一つに集中していたジャンルに、
ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルができると、
ジャンルそのものの比較検討が可能になる。SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。そのジャンル相互の類似と
差異が目に付くようになる。そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。量がある域を超えると「質」
という問題を意識にのぼらせる様になる。この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」を行ったことを意味する。
「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。これを軽んじるものは「質」で躓く。
「量」をこなしてない批評家は信用できない。随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。
 理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。図書館から借りてきた本から必要部分を
すべて引用しておき、読書ノートを書庫代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。
ーコメントー
以上が大体のこの本のレジェメだ。これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。アフリカ大陸、ユーラシア、南米、
インド・シルクロードオセアニアイスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。そして今度はどこのジャンルの
どこにしようかという見方で選択を始める。そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、アフリカだったら、
ケニアタンザニアの差異と類似が見えてくる。その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。
この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。
こういう本の存在を見つけられなかったからだ。実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、
書く事に気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。でも、読んだ本と、著者、出版社、
買った動機、借りた図書館、日時位とちょっとしたコメントは書けたはず。この習慣は必ず身につけることを誓う!!
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2002年01月31日(木)
 317,あだ名
中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。
ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシ。
−字数の関係でカット(2012年01月31日カット)・
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1月31日 金曜日 1969年
8時に起床。起きるのがやっとであった。最後の授業の人事管理である。武沢先生の授業はこれでおしまいである。
ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。彼はこのところ角が取れてきた。面白い奴であった。スウェーデンに恋人がいて、
一緒にヨーロッパに行ったとき別行動で彼女の家に泊まってきた。その後、どうなったか聞いてないが、行動力は凄い。
午後はゼミ。私の人生の最後の授業である。途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。
武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。面白い内容でよく理解することができた。
これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。
これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。それを前面に出して発揮しなくてはならない。
面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。 
栄光の未来と前途に行こう!さて、今日は事務管理しかできなかった。明日は価格理論と事務管理である。
予定として、10時起床、2時まで人事管理。15時から18時まで人事管理。