ギりシャのユーロ離脱だけではなく、スペイン、イタリア。フランスなども世界恐慌を引き起こす火種となってきた。
 しかも、これら各国で「反緊縮」に国民が熱狂、財政再建が機能していない。それは国債暴階の危機が高まっている。
 要は、マイナスに向かって本格的に動き出したということだ。ただ、アメリカをはじめ、各国のトップが密に連絡をとっているので、
 何とか目先を乗り切っている。彼らは、その結果が如何に悲惨な事態になることを知っているので、必死なのである。
 学者やエコノミストのコメントを中心に、この記事の内容を幾つか紹介してみる。ある日、突然、国債、株価の暴落が遅くて年内、
 早ければ今月中に起こる可能性が強い。 せめて年末までは、持って欲しいが・・・ ー以下の内容は、シビアである。
●「これから世界経済、日本経済がどうなっていくか。それはひとえに、ギリシャ債務不履行がどのような形で起こるかにかかっている。
 もしギリシャでコントロールされないデフォルトが起これば、世界経済は不況に入り、日本経済にも巨大なインパクトとなる。
 (リーマン・ショックのあった)2008年後と同じくらい経済が悪くなるかもしれない。そんな最悪のシナリオがありえる状況になってきた」
   (ニューヨーク州立大客員教授などを歴任した知日派ジャーナリストのリチャード・カッツ氏)
●「いま我々はグレイト・デプレッション(大恐慌)に入ってしまった。世界が繁栄していると思っていたのは実はバブルに過ぎず、過剰に
 なった負債がクラッシュしたことで恐慌へ突入してしまった。最悪のシナリオは1930年代の大恐慌の完全な繰り返しである。
 ファシズムが台頭、政治対立が生まれる状態だ。不況が10年も20年も続くことになるだろう」(ウェスタシドニー大のキーン教授) 
● ノーペル経済学賞受賞歴のあるプリンストン大学教授ポール・クルーグマン。氏が5月中旬に書いたニューヨーク・タイムズのプログに、
 6月からヨーロヅパで起こるであろうシナリオが書かれている。 実際に見てみると、その内容は衝撃的だ。「何人かで謡し合っていて、
 次のような結論に落ち着いた」として、クルーグマン氏はこう綴る。 「ギリシャはユーロから離説、おそらく来月だろう」
 「スペインの銀行とイタリアの銀行から巨額の資金が引嚢}出される。銀行はドイツに資金を移動させようとするだろう」
 「銀行は国外への資金の移動を禁じられ、現金引出しが制限される可能性もある。あるいは同時になるかもしれないが、
 銀行を磁綻から救うためにECB(欧州中央銀行)が巨額融資をする」
 「ドイツがイタリアとスベインに対する巨大な債権を受け入れるのに加え、戦略を大幅に変更するか、あるいはユー口の終わりがやってくる」
●「ザ・エコノミスト誌東京支局長のヘンリー・トリックス氏は、「ギリシャがユーロを離脱することになれば、‘第二のリーマン・ショック
 のような事態が起きてもおかしくない。しかもリーマンのときは成長著しい中国が世界経済の救世主となったが、いまの中国は韓国サムスン
幹部が「中国での売り上げが予想以上のスピードで下落している」と言うほど景気が失速しているから、同じような役割は期待できない。
 世界の中央銀行もすでに大量のお札を刷り過ぎているから、前のように大きくは動けないだろう一と今回の危機の深さを指摘すれば、
● ニューヨーク大学ビジネススクール教授のジョゼフ・ファウディー氏は、「アメリカでは、ギリシャがユーロから離脱したら
 リーマン・ショックのような出来事が起きると懸念されてる。スペイン、ポルトガルが次の標的になり、さらにイタリアがユーロを離脱する
 ことになれば、世界経済に巨大な衝撃を与えることになる。 もちろん日本経済は影響を避けられない。まずトヨタSONYの収益が減少する。
  ▼ 裏山の高台(事業から撤収)から、見える大津波は、どえらい規模。 まだ海辺で内海を眺めている集団が目に入る。
   グローバル化した社会の恐ろしさが、まだまだ理解できない。 
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3720,ジャズについて −12
2011年06月02日(木)
  * 革命か目茶苦茶か −評価が二分された「フリー・ジャズ」    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   ■ オーネット・コールマンからジョン・コルトレーンまで   ー P/203
【 一九五九年から翌年にかけ、アルトサックス奏者オーネット・コールマン(一九三〇〜?)は、『ジャズ来るべきもの』
『フリージャズ』というタイトルのアルバムを発表していくことになる。これらはジャズ・ファンのみならず、アーティストの間でさえ、
「ジャズの革命だ」「滅茶苦茶をやってるだけだ」と評価を二分した。大方のリスナーには調子はずれのちんぷんかんぷんな音楽にしか
聴こえない彼の演奏は、当然ながら大衆的な支持は得られなかった。しかし、六〇年代の"反体制気運"とあいまって、いっさいの
音楽的規則や形式にとらわれず、なんでも自由に演奏するフリー・ジャズ・スタイルを生み出す。
 このフリー・ジャズ・スタイルは、コード(和音)による進行がないばかりか、小節の制約すら取り払われたものだ。
結果、メロディーやスウィング感も失われていく。 古典派からロマン派と続く中で美しいメロディーとハーモニーを奏でた
クラシックが、近代.現代に入って失われていったが、あえていえば、ジャズでも同じことが起こったといっていいだろう。
オーネット・コールマン以外では、テナーサックスのアルバート・アイラー(一九三六〜一九七〇)やアーチー・シェップ(一九三七年〜)、
ピアニストのセシル・テイラー(一九三〇〜)などが、こうしたプリー・ジャズの流れの中で語られるアーティストである。
ジャイアント・ステップス一(五九年)、「マイ・フェバリット・シングス」(六〇)、「至上の愛」(六四)というアルバムにより、
ジャズ史上もっとも偉大なサックス奏者として、多大な影響を及ぼしたジョン・コルトレーン(一九二六〜一九六七》も忘れてはならない。
活動の初期においては、マイルスのクインテットに参加。とめどなく湧き出る鏡舌なアドリブによるソロを演じ、いらつくマイルスに
「でも止められないんだ」という言い訳をしたところ、「簡単なことさ、口から管をはずせばいい」と書われたという逸話を持つ。
そのコルトレーンも、晩年にはアイラーやシェップと共演して、フリー・ジャズ的傾向になる。】
 ▼ フリー・ジャズとは、どんな音調か、ネットで調べて実際に聴いてみたが、書いてあるとおり。 これまではメインの楽器の流れで、
  ジャズの流れを知ることが出来たが、この辺になると、かなりの熟知をしたファンでも、その評価は分かれるのは分かる。
  2ビート・4ビートとか、スイング、ビパップ、ハード・バップ、フリー・ジャズフュージョンとかの専門的用語が、
  この本と1200曲のジャズで、少しは知ることになった。何処までマスターすることが可能か、面白そうだ。 
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3355, 人みな骨になるならば ー13
 2010年06月02日(水)
  * なぜドラマみたいでないのか
 これがシビアで面白い。 自分はいうに及ばず兄姉などの人生を覗くと、決してドラマのような人生などない。
そこにあるのは夢も希望もないリアルの人生である。時にドラマみたいなのもあるが、それは喜劇か滑稽な悲劇である。
  ー まずは Pー27から抜粋してみる ー
≪ 前から不思議に思っていることだが、われわれの実人生はどうしてこうもドラマみたいでないのだろう。
なぜ次々に恋愛や心ときめく出会いがないのだろう。これは容姿がいまひとつといった大多数の平均的な人にとって、
そうしたラヴ.アフェアエアは青年期にそれらしいものが二、三あれば御の字で平凡でみすぼらしいものである。
かりに大恋愛の末に大団円を迎えたにしても、そのあとに退屈な毎日がだらだら続くであろう。そのうちヒーローは歯周炎を病み、
ヒロインは亭王の前で平気で放屁をするようになる。もし現実の男女が数奇で劇的な大恋愛に陥っても、かれらの日常をずっと
カメラで追っていけば映画として最悪の作品になること必定である。洗顔歯磨きに十分もかけるし、風呂には二十分も入る。
くちゃくちゃ咀噌し、いきんで排泄する。最悪なのが睡眠で、数時間も横になったままである。絶世の美男美女が演じたとしても、
観客としてとても半時間以上はつきあいきれるものではない。そこで編集が必要になる。 だらだら続く日常性の部分をカットし、
しかも肝心のストーリーがつながるように見せ場だけは拾い上げていく。これを工夫すれば、われわれ凡人の一生であっても
一作や二作ぐらいはドラマ化できないものではない。 映画なら二時間前後にまとめないと観客の集中力を保てない。
ということは七十年の時間から二時間だけをピックアップするのである。しかし、実人生とかリアリティというのは
七十年のほうにあって二時間のほうにはないのである。 だから二時間にまとめられたドラマは作りものであり、退屈な散文的な
七十年のほうがリアリズムなのだ。 活劇や冒険となると、そもそも凡人が経験できないもの、いや経験したくもないものである。
現実の警部補だと担当できる殺人事件は数件か、せいぜい二、三十件どまりで、そのほとんどが単純な激情犯ゆえすぐつかまる。
しかるに小説やドラマの名探偵名刑事たちは数十から数百の殺人事件にでくわし、そのいずれもが奇々怪々な難事件なのである。
しかも、どういうわけか解決する。SFの宇宙船で事故や怪物にでくわさないものはない。フィクションだからしかたがないと言えば
そうなのだが、ノンフィクションやドキュメンタリーであっても編集してあるからには、実人生から遠いこと恋愛物と大同小異。≫
 ▼ 逆に「なぜドラマみたいでなければならないか」という問いが立つ。自分の人生を脚色して自分を納得したいのが人間の弱さ。
 すべて仮想でしかないと冷めた目で周囲を振り返れば、ドラマも何もあったものではない。ドラマはつくりものだが、そっちの方が
現実と思いたいのである。 実際にカントは、対象を認識するのではなく、自分の認識が対象を決めると看破した。
ドラマはつくりもので、ストーリーを主にした抽象画のようなもの。 敢えて言えば主体的に生きていることがドラマみたいに
してくれるのである。だから主体的に生きなけれならない。人生を振り返ると、緩慢だがドラマのようにも思えるのは記憶が
ドラマ仕立てに都合よく変えてくれるから。それでもヘロヘロ・・。精一杯生きていれば、それだけでドラマになると信じたいが。
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2980,超円高社会  ー3
 2009年06月02日(火)
* 危篤状態の日本の実態            「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
《第5章 政府が破綻しても日本は生き残る》の ー危篤状態に陥った日本政府ーが現在の実態を捉えるに解りやすい例え話。
 国民もマスコミも、その深刻な事態の実感が薄いようである。NHKが毎週のように土曜日などのゴールデンタイムに、
特番を組んで報道しているが・・・。頭の軽い、その辺の人が?「マスコミは騒ぎすぎだから消費が冷え込む」とかいうが、
そんな事態とは違う。 明治維新幕藩体制が終わり、日本という国家ができた、あの節目より大きな変わり目である。
現在の日本は危篤状態の重病人。 そこに急に大嵐が来た中で重病人に、火事場の馬鹿力を出せという。そうしないと死にますよという。 
しかし、この20年近く、もう力を使い尽くして、重体になっている身。その辺を、上手い例え話で説明しているのである。(P-112)
【 ブライマリーバランスという意味不明の言葉を、おそらく多くの人が耳にしたことがあると思う。日本政府が「2011年度に回復する」
ことを公約として掲げてきていたこの言葉だが、いったいそれが回復すれば、どんな良いことがあるのだろうか。 
国債の発行や支払というのは日本の国家予算の中でも巨額なのだが、これをとりあえず無視して、税収と歳出のバランス取れる状態を
プライマリーバランスがとれていると言う。だが、こんな説明では、まだほとんど理解不能だろう。 そこで、不謹慎を承知で
人間の症状に喩えて説明してみよう。重体の患者がいて、下血が止まらないとする。 輸血(新規国債発行)を行いながら、
下血を止めようとしても、下血の勢いが強いと体内の血液量がどんどん減っていく。このまま行けば、ほどなく臨終を迎えることになる。
        「字数制限のためカット2011年6月2日」
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2616, サルトルを考えてみる  ー3
 2008年06月02日(月)
ーまずは、あるサルトル入門書に書いてあった、
 サルトル批判と人気衰退の理由の箇所を抜粋してみよう。
 *サルトルへの批判と、忘却の原因とは
サルトルの影響力は、サルトルの死後急速に低下したが、それは「構造主葉」という新しい思想が現れたことが大きい。
構造主義は、スイスの言語学者ソシュール言語学文化人類学などが結びつき、1960年代に作られた新しい思想である。
レヴィ・ストロースジャック・ラカンミシェル・フーコーアルチュセールらがその代表者とされた。
構造主義は、モノではなく関係を重視するところに特徴がある。またこの思想は、主体(私)としての人間に、たとえば言語のような、
関係の網の目としての構造が先立っている、と考える。構造主義は、西欧近代哲学全体を、主体としての人間を中心とする人間主義
(ヒュー・マニズム)として批判した。またそれは、人間を作るのは歴史ではなく構造だとして、マルクス主義に代表される
進歩的歴史主義を批判した。サルトルの思想は、実存における選択を強調する点で「主体主義」「ヒューマニズム」の哲学とみなされ、
またマルクス主義を評価していた点で「歴史主義」の哲学ともみなされた。
要するに、サルトルは、それまでの古い西欧哲学の代表としてやり玉にあげられたわけである。
構造主義の後には、ジャツク・デリダジル・ドゥルーズらの「ポスト構造主義」が話題となったが、サルトルはしだいに批判される
というよりも忘れ去られるようになっていった。デカルトヘーゲルの哲学は西欧近代哲学を代表するものであり、批判されながらも
古典として今も読まれ続けている。ところが、サルトル哲学は、古典にもなりえない二流のものとされてしまい、ほとんと読む人が
いなくなってしまった。サルトルは、もう時代遅れの思想家なのだろうか、そして本当にサルトルを乗り越えたのだろうか、
この二つが、サルトルを見直した後の疑問である。 サルトルは「偽の知識人」を徹底的に批判した。
「偽の知識人」は普遍性の番人を自称し、高みから大衆を導く気になっているが、個別的などの戦争を停止させようとせずに
ただ一般的な平和の望む、などという。 彼らは植民地の人たちを人間以下のものとして排除することで成り立っている。
こういう知識人の問題は、我々の問題である。 閉じた場所の外へ、世界へ関係するとき私たちは真の知識人になるのである。
▼ 以上だが、この批判を読むと、サルトルは時代遅れの鼻持ちならないフランス人と切り捨てられるのも解る。
人間を作るのは歴史ではなく構造だと主張し、西欧近代主義=白人中心主義自体ということを看破したした構造主義の土台に
なったことも見逃すことはできない。 現フランス大統領サルコジが、サルトルのマイナスの現象とみることも出来る。
 30数年ぶりに、サルトル入門書を数冊読んでみたが、現代にも十分通じるところがある。果たして、サルトル現代社会は
乗り越えたのであろうか? NO!であることだけは事実のようだ。構造主義と、ポスト構造主義について、今度取り上げてみたい。
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2007年06月02日(土)  
2251, ビョーキな人々探訪記  ー1    才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
             ー読書日記ー
 「変? ビョーキな人々探訪記」 著者・中村うさぎ・扶桑社
またまた「中村うさぎ」である。買い物依存症の中村が、他の依存症の人と語る、際どい話である。
(字数の関係でカット09年06月02日)
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2006年06月02日(金)
1886, 友、遠方より来るー2
              (。・ω・)ノ☆゜+.オハヨゥゥゥ
 訪ねてきた友人と話していて、37年ぶりの忘れていた昔のエピソードの中に、若い時の自分の姿が垣間見ることができた。
若いときは神経質で、プライドだけは高くピリピリしていた。振り返ってみると、家庭環境が大きく自分を支配していたのが解る。
自由になるということは、家庭環境などに植えつけられた価値観や思い込みから解き放たれることである。
一生かかって、その壁を乗り越えるのが人生である。前にも書いたが、中学の担任の先生が停年退職の祝いの同級会の二次会で、
私に悩みを打ち明けたことがあった。 「俺には、俺の人生がなかった!」と。昔の学生時代の友人とのエピソードの中に、
当時はまだ支配されていた両親の価値観や躾などから発する喜怒哀楽などに、その壁を見ることができる。
私の記憶には全く残ってないが、その友人が言うには、「欧州旅行時に、船の甲板でセーターを私から借りた。
そして返そうと手渡したら、烈火のごとく怒った。‘たたんであったセーターを返す時は、たたんで返すのがスジだろう。
それを、そのまま返すのは失礼じゃないか!」 と。今なら、まあいいや!位にしか思わないが、10才位までの家庭環境が
10人の大家族のうえに、従業員が7~8名が住み込みでいた。そのため人に対する気配りを幼児の時から仕込まれていて、
金の貸し借りは厳禁、ものの貸し借りも非常に厳しく制限されていた影響が残っていたのだろう。当時も25人の寮生活をしていて、
他人に対する気遣いが要求されていた。合気道というクラブにも入っていた。当の本人(友人)は集団生活などしたこともなく、
友人から怒鳴られたこと無かった。「その時、初めて相手に対する気づかいを教えられた」という。それ依頼、
現在でも他人に対する気遣いの教訓にしてきたという。「ふーん、昔から怒りっぽいかったのだ。それと、躾がチャンと
身についていて、知らないうちに友人に押し付けていた」と、改めて思い知った。しかし当時、島田の彼の家に泊めて
もらった時のこと。朝食を食べている時に、箸を持った手で味噌汁の御椀を持ったら「何で、そんなミットモナイことをするのだ」
と怒鳴られたことがあった。私の家では、箸での引き膳などに対して注意されることはなかった。それぞれの家庭文化があるのだ。
それは結婚した時に、互いに実感することであるが。寮生活でも、全国から集まっている多種の人と共同生活をしていると、
それぞれの人の背後にある家庭まで見えてくる。そして異種の人との軋轢が、現在になって勉強になっていたと恩い知らされる。
その点で軍隊生活の経験も必要ではないだろうか。 変な洗脳がなければ、の話だが。   (o´・ェ・`o)ノ♪ バイバイ!
・・・・・・・
2005年06月02日(木)
 1521, お人よしニッポン
昨日の産経新聞4面の「北京春秋」というコラムーお人よしニッポンーというコラムが、言いえて妙で面白い内容であった。
日中関係の悪化のおり、この紹介してあった小話が「日本人のお人よし」を旨くあらわしている。
先日書いた、『知らないことを知らない恐ろしさ』に内容は通じるが!
 その内容とは。
ー小話ー1
「・アメリカ人は殴りたい奴を殴る。  ・イギリス人は殴られている奴を殴る。
 ・ロシア人は殴られたら殴り変えす。 ・中国人は殴られたら抗議する。
    「字数制限のためカット2011年6月2日」
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2004年06月02日(水)
 1156, 世間とはー4
「世間さま」という、我々を取り囲んでいる妄想について何回も書いてきた。世間とは、いつの間にか自分で作りあげてきた
バカの壁」でもある。といって、日本のような島国では、どうしてもお互いに気を使いながら藤沢周平の「海鳴り」の中で、
ある商人の世間に対する気持が正直に書いてあった。作家は、世間というものを鋭く観察するものと感心をした。
私の世間感とほぼ一緒である。それぞれの世界では、世間の妄想とはこんなものだろう。
 ーたしかに世間には善意の人もいれば、悪意の人もいた。
世間は時には悪意をむき出しにして襲いかかってきたが、稀には救いの手を差しのべても来たのである。
渡る世間は鬼ばかりではなく、世間は善意と悪意の巨大な混合物だった。だが善意の人も、一たん利害が対立すると、
手のひらを返したように悪意に満ちた中傷をばら撒いたりすることもめずらしくなかった。つまり、と新兵衛はそのころ
思ったものだ。無償の善意などというものを世間に期待するのは馬鹿げていて、この世はむしろ悪意に満ちていて、
隙があれば足元をすくおうとしていると覚悟をしていた方がいい。それが、どうにか自分の才覚でまわりと折り合いをつけ、
自分自身も人の足をすくうような真似をして、きわどく世を渡っているうちに。商人である小野屋新兵衛の身についたようなものだった。
その中で得た一番の教訓は、人に弱味を見せてはならないということだった。世間に侮られず、憎まれず世間を渡るということは
難しいことだった。だがかりに憎まれても、根性さえしっかりしていれば、商いが潰れるようなことはない。
同業に憎まれながら大きくなった須川屋嘉助のような例もある。須川屋は人の思惑など屁とも思わず憎まれれば反発をしてコワモテの
商いをして、ついには誰も手がつけられない大物になった。だが、人に弱味をにぎられ、侮られるようになると、商いもお終いだった。
人の弱味をにぎり、侮る側に回ったときの世間が、いかに残酷に振舞うかをみてきている。
・・・・・・・
2003年06月02日(月)
789, 東京見物
この二日間、東京と鎌倉に行ってきた。まずは初日の東京見物の話。さっき帰ってきたところだが、「新潟と地球の僻地」
を行ったり来たりしていた世界とは少し違う。一泊二日で約16000円の東京宿泊パックである。新幹線とホテルのパックで、
ホテル代が無料ということになる。指定された列車で二人以上という条件がつくが安い。日曜日の8時45分の新幹線で出発する。
家内は上野で降りて、息子に会いに行く。私は東京駅近くの八重洲ブックセンターに行く。13時の待ち合わせまで、アッと
いう間に時間が過ぎる。よくぞこれだけ面白そうな本があるものと驚く。その後、家内と丸ビルに行く。思ったより落ち着いた、
奇をてらってないのがよかった。そこの和食のランチが1800円と高いが、それを感じさせない店であった。
そして日本橋三越本店に行く。 店員の多いのと、催事場の人の多さに驚く。それと年配ー60歳から80歳が8割がたであった。
17時半より、はとバスに乗る。20数年ぶりのハトバスである。新宿の高層ビルの54階での食事と、お台場をまわるコースで
7500円である。50人以上の定員に12名の乗客である。世界の刺激の強いところばかり行っていた為か喩えると、
薄いコーヒーをクリープをタップリ入れて飲んだ感覚であった。お台場も雨上がりの為、何ともいえない趣があったが!
それより、新宿のパックの指定されたホテルが見つからず、危なそうな場所をさ迷ったほうが刺激的であった。
ポイントを効率的に回った!のがよかった。
・・・・・・・・・
2002年06月02日(日)
 425,父・堀井誠作のことー2
・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。
 (字数の関係でカット2010年06月02日)