先日、一年半ぶりに木鶏クラブの会に出席した。この会の何人かは、私のブログを見てくれているが、自分でも気にしていた、
「最近の世界と日本経済の私の見方が悲観的過ぎるのでは」と指摘をされた。読者の多くは、「一年前に会社を潰したため、悲観的に
なっているだろう」と予感をしていたが、案の定。その指摘に対して、「自分の事業の資産デフレと価格デフレの実情を実際に見て、
右下がりの移動年計のグラフを10年間にわたって見てきた裏ずけがある。世界の株価の総額が4千兆円というが、その十数倍=6京円の
不良債権が銀行、企業、政府の金庫の中に隠されている。これは、何かのキッカケで現れ出る日がくる。私の事業に早めに来たので、
会社をたたんだが、これから世界恐慌というカタチで、大荒れになるのは当然の理。 決して、悲観的過ぎないと・・
日本政府の財政を見れば分かるはず、この有様をみて、悲観的に思わないほうが変である。」等々、の話になった。
フランスも、ギリシャも、今回の選挙で、国民は緊縮政策に「ノー」の答えを出した。 綺麗事をいい国民におもねいた野党の毒入りの
饅頭の政策に傾いてしまった。それと現在の民主党自民党の一部の連中の、囁きは同じ。 10年前、5年前に、現在の事態を予測して、
警告を発した人は、当時は変人扱いをされていた。5年先から現在に戻ってきて、警告を発したら、私が言い続けてきたことなど、
大甘の論になると確信している。5年後は世界恐慌の渦中にあり、銀行閉鎖とか、食料の配給もありえる話。5年前、リーマンショックや、
東北大震災と原発事故を想像できただろうか。両者とも、500年とも千年に一度の大事件である。目先の応急処理で平静を保っているが、
株式の大暴落やハイパーインフレなど大クラッシュが起きて当然。 リーマンショックという大地震は起きてしまったのである。
その後の津波は1〜2年以内に押し寄せてくる。ただ、時間の問題でしかない。地方経済は半値八掛が現実。現場は沈黙しているが。
 ところで移動統計グラフとは、月単位とすると、毎月、去年の翌月から今月までの年間の売上合計をとりグラフ化したもの。それをみると、
一年単位の趨勢が見えてくる。この右下がり傾向が10年以上も続いているのが地方の現状。 それで6〜7割減といえば・・ 
一番先に現れるのが駅周辺のホテル、居酒屋、タクシー業界。 さらに携帯、パソコンなどの情報化が、消費者のシビアな選択を加速、
競争を激化させている。その結果としてデフレが拍車。この中で供給サイドの体力は大きく削ぎ落とされている。 悲観的になるわ〜
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3701, ジャズについて −2
2011年05月14日(土)
            ー 三枝成彰著「音楽の本」より
【 * スピリチュアル、ブルース、ラクタイム……ジャズのルーツは黒人音楽。 ニューオリンズブラスバンドだけがジャズの
母体となったわけではない。二百年にわたるアメリカ黒人の悲惨な奴隷生活の中から自然に沸き起こってきた‘魂の歌’の営々たる
蓄積が、今世紀初頭にジャズという人種の垣根を超えた新しい大衆音楽として花開いた、ともいえるだろう。
 そうした‘魂の歌’が、ワーク・ソング(労働歌)であり、スピリチュアル(黒人霊歌)であり、ブルースだった。
ワーク・ソングとは、その名の通り、長く単純な肉体労働の最中、少しでも気を紛らせるために、あるいは仲間主体となって
その苦行を乗り切るために歌った歌のことである。リーダーが即興で一声うなると、それ応じて全員がコーラスで応じるスタイルだった。
これは、たとえばかって日本の酒つくりで、極寒の酒造りの中で杜氏たちが作業中に歌った‘元摺り歌"などにも通じるものがある。
 ワーク・ソングはなにも黒人特有のものではなく、世界のいたるところでかつては見られた労働者の風習だったといえるだろう。
スピリチュアルは、西洋キリスト教の賛美歌などに影響を受けた黒人独特の宗教歌で、これは教会音楽を経由し、ゴスペルという形で
現代に継承されている。
 ブルースについては、他のページでも融れるが、奴蒙の身分から解放された黒人ひとりひとりが、差別や貧困に苦しむ私生活の哀歓を
個人的な感情を込めて歌ったものといっていいだろう。そして、そのブルースが持っていたミとシの音撰半音下がる「ブルーノート」と
呼ばれる音階構造は、とりわけジャズの発生に大きな影響を及ぼした。
 また、黒人とクレオールの融合は、ラグタイムというリズミカルな音楽を生んだ。ラグクイムはクラシックと同じように楽譜遍りに
演奏されるピアノ音楽で、即興性を大切な要素とするジャズとは直接の共通点はないが、十九憧紀後半から二十世紀初頭にかけて
流行した音楽で、これもまたジャズの源流となった音楽の一スタイルであることは間達いない。いずれにせよ、一方には
黒人の魂の歌やリズムがあり、他方には、クレオールからもたらされたといってよいラグタイムブラスバンドがあった。】
 ▼ ジャズのルーツはブルースやワーク・ソングなどの二百年にわたるアメリカ黒人の悲惨な奴隷生活の中から沸き起こってきた
 ‘魂の歌’の営々たる蓄積が背景にあると知って聞くと、また違って聞こえてくる。特にブルースが、ジャズの発生に大きな
  影響を及ぼしていると、この本で知った。ジャズに奥底には、黒人の差別と貧困の長年の哀歓がある。
  その辺を捉えて聴くと、今まで何気なく聴いていたリズムの奥にあるスピリットを少しは感じるようになった。
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3336, 2010年6の月、500万人が夜逃げする
 2010年05月14日(金)
 昨日の朝の書籍の新聞広告をみていると、「2010年6の月、500万人が夜逃げする 」ー水澤 潤著 が目に入った。
水澤潤の本は何冊か読んでいるので、何だろうとアマゾンで調べてみたら、以前聞いていた、いわゆるサラ金の1/3規制のこと。 
特に主婦は×で、結構厳しい法律。これで追い詰められる人が大よそ500万人というのも、決してオーバーの話でない。
その結果、夜逃げか、当面は闇金に走る可能性がある。大きな社会的現象が出てくることは間違い。
それにしても、この時期に、こんなことをするのか理解できない。
   「2010年6の月、500万人が夜逃げする 」水澤 潤 (著)
  ーアマゾンHPの内容説明よりー  = 緊急出版 みなさん、もうおカネは借りられなくなります!
 2010年6月、貸金業法が完全施行されます。これが実は、とんでもない法律であることを、ご存じでしょうか。
  (以下、字数の関係上カット2011年5月14日)  
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2961,300人のディナーショー
 2009年05月14日(木)
昨夜、地元の長岡駅近くのグランドホテルで福沢恵介ディナーコンサートに参加してみた。前夜の知人と福沢恵介さんとの
ガーデンパーティに招かれ楽しいひと時を過ごし、是非参加してみたくなったのである。 私らしからぬことだが・・・
これもライフレッスン!9割が50歳〜60歳代の中年の女性で、一割が和服姿。隣に昨夜、一緒だった同級生の席。
私の顔見知りが数人はいたが、ほぼ見知らぬ人ばかり。ところが、隣席の同級生が、あれは何処どこの誰、これは誰と教えてくれると、
正しくディズニーランドにいるよう??。歳をとってきたせいか、面白おかしく姿を正視することができた。 オバサンの
ファッションショーの趣きも! 武士の紋付・袴には胸に二つ、背中と袖に三つ家紋が付いていたが、あれは正しく家を
背負っていることを意味していた。 それと同じことが現在でも罷り通っているようだ。 家に縛られた閉鎖社会である。
同級生に「あんたも、大変だね。こういう社会で商売をしているのだから。よくノイローゼにならないね」と思わず言ってしまったが。
「いや、これが長岡。外部の人が長岡では中々、仕事をするのは難しい」とか。コンサートは、福沢恵介さんのギターの弾き語りで、
熱のこもった素晴らしいショーだった。一人で300人の観客を自分の歌の世界に引き込むのだから、大変な仕事である。
ところで、同じテーブルの前の席の女性二人、歌っている最中に平気でオシャベリをしていた。私に睨みつけられても、
隣の女性に「注意」されても、平気で話し続けていた。何処かの老舗の??。歌の半分は彼女らの声のバックグランド。 
途中から慣れて気にならなくなってしまったが、家内に聞いたら、かなり酔っていたとか。 まあ、ディズニーランドだから、
それもご愛嬌だが、オバサマは凄い。この二日間は、普段は経験できない楽しい貴重な体験をしてみた。 
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2597, みんなのたあ坊の哲人訓 ー1
2008年05月14日(水)
みんなのたあ坊の哲人訓」さんりお 辻信太郎著     ー読書日記
図書館で見つけた小型版の絵本のような本である。子供向けに サンリオの社長が選び抜いた言葉と、割り切ってみると
違った風合いがある。どれもこれも、耳にこびりついている言葉だが、子供向きにと思うと改め新鮮に思える。
何を今更というより、子供に道理の一部を伝えようという気持ちが伝わってくる。
今日は、100のうちの50までの印象に残った言葉を書き写してみた。
この中でも一番、好きな3つの言葉は
「虹だって15分続いたら人はもう見向かない」(ゲーテ
「失敗の最たるものは、何ひとつ失敗を自覚しないことである」(カーライル)
  (以下、字数の関係上カット2,010年5月14日) 
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2007年05月14日(月)
2232, しお壷の匙      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
 車長吉の本の評価は、それがどうした?とみるか、驚きの目でみるか?二つに分かれる。
私は「で、それがどうした?」という視点が強い!内容は事実をそのまま写生的だが、
何処にでもある話である。 人はそれぞれの人生を生きているのである。
 ー面白そうなところを抜粋してみた。
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私が物心ついた時分の勇吉は、すでに七十を超え、鍛冶仕事はやめていた。いつ行っても家の奥の暗がりに黙って坐っていた。
異様によく光る夜蜘蛛のような目で人のすることを見ていた。…そして何か癇に触ることがあると、たとえ相手が三つの子供で
あろうと、情け容赦のない険しい声で「ド畜生めがッ。」と言った。恐らくは人間は凡て畜生であることを見抜いていたのだろう。
   (以下、字数の関係上カット2,008年5月14日)       ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年05月14日(日)
1867, ブログは社会革命 ー1      (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ        ー読書日記
 HPを開設してまる五年経つが、「ウェブ進化論」と「グーグルGoogle」を読むまで、ブログがここまで進化ているとは
思ってもいなかった。そして「ブログ進化論」を読むにいたって、情報革命の行きつくのは,ブログだったのか?
と考えてしまった。 とくに‘トラックバック’という革命的な‘双方向リンク・システム’には驚いてしまった。
何じゃこれは!というのが実感である。 私も、この旧式?なHPはこれとして、ブログの世界に入っていくつもりで、
その内容を如何するか熟慮?をしている。自分の名前を出すか、仮名でいくか? 別人生の自分をつくって、遊ばせるか?   
まずは「グーグルGoogle 」(文春新書)第5章の中の『ブログについて』から抜粋してみる。
素人にはホームページ開設は敷居が高かったが、2,002年を境に状況が劇的に変わってしまった。
専門知識がなくても、ブログのサービスを利用すれば、誰でも簡単にHPをもてるようになったのだ。
アメリカで、ブログが世間に認知されるようになったのは 2,001年のこと。きっかけは、9月11日の同時テロだった。
この事件をきっかけに、アメリカ市民の間に『テロに対する自分の意見を言いたい』
『お互いの気持ちを交換したい』という情報発信に対する熱望が広範囲に広がった。
そして、HPやネット掲示板で政治的な意見を発信する人が急増し ある種の『インターネット論壇』のようなものを
形成するようになった。丁度その頃、サンフランシスコで「ムーブバブルタイプ」というソフトが生まれた。
このソフトを開発したのは、ミナ・トロットとベン・トロットという夫妻であった。この夫妻が作ったムーバーバブルタイプは、
ブログを簡単に解説できるソフトだった。日記を書くソフトは以前から存在していたが、他人の日記に対してコメントを
つけ加えたり、過去の日記の蓄積を簡単に検索して閲覧できるような使いやすいソフトは皆無だった。
妻のミナは自分のブログを書こうと考えて、「もっと使いやすいソフトはないの?」とベンに相談し、
プログラマーだったベンがムーバーバブルタイプの最初の版を作り上げた。
  (以下、字数の関係上カット2,008年5月14日)
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2005年05月14日(土)
1502, サラ川
第一生命が毎年募集している恒例の「サラリーマン川柳」の入選作100句が7日に発表された。
18回目の今年は全国から2万1878句が集まったというが、例年から見ると不況のためか五分の一以下である。
職探しや会社の競争に疲れた話題を取り上げた句が多く、サラリーマンには「逆風」が吹き付けている現状が、
そのまま反映されている。「帰宅して妻の気嫌を犬に聞く」など時代に翻弄されている庶民の実感が滲み出ている。
毎年、楽しみにして見ているが、それにしても川柳自体に勢いがない。捻りもないし、面白みも少ない。
時代背景のためなのだろうが、せめて川柳で笑い飛ばしたいところだ。
まず
1位は、「オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る」 と‘振り込め詐欺’と妻に利用され、
2位、「ペと言えば 母はヨンジュン 父加トちゃん」 と韓流ブームも反映、
3位、「『振り込め』と 言われた その額もってない」 と自嘲し、
4位、「ヨン様かあ オレは我家で ヨソ様さ」 といったペ・ヨンジュンのネタや、
5位、「有害だ 『混ぜるな危険!』 嫁姑」 という、家庭内の事情も加え
6位、「オレオレは マツケンサンバ だけでいい」 など松平健もあり、
7位、「『残念!』と 俺の給料 妻が斬り」と投げパッチになる。 
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2004年05月14日(金)
1137, 「ライフ・レッスン」ー14
  ー明け渡しのレッスン
 ー抜粋ー
・自分を明け渡すためには、毎朝、目がさめたときに「『わたしの意思で』ではなく、『汝の意思で』」といえばいい。 
そして、こういうのだ。「きょう、なにがおこるのか、わたしにはわかりません。きょうは自分がすることの計画はあります。
 仕事に出かけ、芝生をかり・・・。でも、その計画は青写真でしかないという現実に対して、わたしは自分を明け渡します。」
  ーーー
?明け渡すとは仏教でいう、諦念に似ている。死ぬとは、この世にすべてを置いて消滅することである。
定年で会社を辞めることも、自分の仕事を明け渡すことである。宗教の言葉に「死後残るのは、愛情だけだ」という言葉があるが、
両親からは深い愛情を残してもらった。 明け渡しのとき、すべてが空ということが解るのだろう。そして、
残るのは無心の愛情だけである。愛は言葉だけでない、その裏づけの明け渡しの中にある。人生には最後のイベントとして死がある。
すべてを明け渡して‘無’に帰さなくてはならない時、虚無の真っ只中で、自分の人生とは何だったのか、この人生で
何を学んだのだろうかを振り返ったとき愛情と感動こそが、すべてだったと気がつくのだ。
 感動はじゅうぶん経験してきたが、無心の愛を残してきただろうか?  いや、残せるだろか?
 ーいい日は幾らでもある。 手に入れるのが難しいのはいい人生だ。   ー アニー・ディラード
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2003年05月14日(水)
770、 私が二十歳の頃-時代背景
20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、ベトナム戦争が二年目であった。 
ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。また中国で文化大革命運動が始まっていた。 
高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」「霧氷」「バラが咲いた」「こまっちゃうな」
「思い出のワルツ」などポップスの全盛期であった。 翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の
「世界は二人のために」「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが 懐かしい。
こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。振り返ってみると高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かい
光り輝いていた。音楽も漫画も夢のあるものが多い。半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。
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2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと
 学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。現在と変わらない自分と
全く変わってしまった自分がそこに見える。 今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。
学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活   ・武澤ゼミと卒論  ・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業 ・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出 ・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、
出来事は数え切れないほどのことがあった。脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。20代30代は誰でもそうだが、
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。 武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、
個性的な教授と結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。
当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方をしようかという内容と、その批判である。 
未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。 ・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。 ・自分で事業を起こしてやろう。
そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
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2002年05月14日(火)
 406, 倒産の後先ー2 -失敗の条件
倒産にもいろいろある。特に自分で事業を立ち上げて失敗するケースである。実際経験しなくては解らないのが経営である。
早くいえば、実際は博打に似ている。博打は多くは場数を踏まないと上達しない。遵って、経営管理と経営は全く別物である。
経営に無知?の社長が大手の幹部を社長にスカウト。そこまではよい、経営を全面的に任せる?
その間違いという事に気づかないケースが身近にあった。「飾り」ならいいが、あるいは叩き上げならまだよい。
それをカバーするには、準備を何処まで周到にできるかにかかっている。自分が22年前、今の事業を立ち上げた時、
「500パーセントの成功確立」が、自分の信念の中にあった。そしてそれだけの準備を、15年間ー19歳よりーかけてきた。
その15年の中身は誰もわからない。そして表面を見て「運」と思ってしまう。ある人と飲んだ時、かなり深酒の後、
ふと横を見ると私の顔を不思議そうな眼でじっと見ていた。「何でこんな奴が、事業の創業ができるの?」 
何処でも捨てるほど失敗事例がある。起業、起業と最近いわれるが、そう甘いものでない。それだけの充分の準備が必要だ、
それも周到の。もう先年亡くなったが、以前地銀の次長として長岡の店にいた人が、支店長として私の会社の取引店に栄転できた。
 (以下、字数の関係上カット2,011年5月14日)  
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2001年05月14日(月)
 つれずれに‐変化の中で
数年ぶりにここにきての‐連休明けー客数の極端の減少で感じた事を書いてみる。
あまりこの(当社ホテル)辺りは、露骨な客引きや売春婦はいなかったが、急にここにきて増えてきたという。
売上ダウンで撤退したあとの店にあらての風俗系の店が入れ替わった結果であろう。私も飲むときは決まった店で恒例の会か、
10年20年飲んでいる気のおけない飲み仲間としか行かなくなった。そしてその時は1期1会 徹底的に楽しむ。
要するに安くいかに楽しむか、断るか。中途半っぱの飲み会は出ない。でもこれは私だけでない傾向のようだ。
TVもインターネットもますます面白くなってきているし、1日の中身がより濃くなっている。
大相撲も野球の巨人戦も全くつまらなくなった。格闘のk?1とかアメリカでの野茂や一郎の大リーガ‐戦等の為である。
時代が変わってきたのだ。情報化が今までの感覚を知らぬ間に変えてしまったのだろう。
この変化を面白いと言っていられないのが今の日本であり、我々各々の当面の課題である。