* 自分の傷口の血で、他人の傷口の血を洗うな!
 その辺のシラミというより、人間というものは、他人の血の臭いを嗅ぎ付けると本能的に食いついてくる。
自分の傷口の血を相手の傷口に擦りつけたくなるのは本能のなせる業。結局、それは自分の傷を化膿させる。他人の不幸は密の味で、
シタリ顔をして評価が始まる。 その家系や過去の出来事をあたかも知り尽くした気になり、人物鑑定から始まり最後は嘲笑で終わる。 
それが共同幻想化をしていき化け物のように変異していく。 しかし実際の化け物は、それをつくり上げているシロアリ集団そのもの。 
 地方に痴呆が多いのも変化が少ないため。如何に何もしなかった、いや、出来なかった自分がマトモと言いたいのである。
逆に、それに縛られてしまっている自分たちの姿が見えなくなっている。老齢化社会とは、こういうことだ。
  * 4月29日といえば
 例年楽しみにしている天皇賞と日本柔道選手権も、ダークホースが優勝をした。それがGWの連休が始まりである。 梅も桜も散り、
鯉のぼりの時節になる。この数年来、信濃川沿岸近くの公園で鯉のぼりが多く上る。 初夏の到来である。 また季節の変わり目で、
軽い腰痛が出るが、トレーニングの為か何とか軽く収まっている。 積雪のため休んでいた早朝のミニサイクリングも、慣れてきた。
日本と世界経済も、何時、暴発するかどうかの緊迫の中、どうしてもマイナス思考になりがち。しかし、情報化の御陰で面白いことに
近づける。こういう時代、「よく見れば、なずな花咲、垣根かな」で、身近な楽しみを味わうこと。 TVの昔のドラマの再放送も、
ジックリ見るとけっこう面白いのが多い。だんだん、この生活に慣れてくると、味わい深くなっていく。御隠居とは、よく言ったもの。 
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2011年04月30日(土)
3687, 節目どきに ー11
  * 今年の桜
 今年の桜も、悠久山もほぼ散ってしまった。私の主観でいうと、「福島江の桜は例年並み、悠久山は、数年に一度の咲き具合。」 
だったが、丁度みた時間帯などにもよる。しかし去年の写真を見ると同じようなものだから、主観的な要素が強いということか。
大震災で花見という雰囲気ではない。ボンボリも殆どなく、人影も普段の散歩程度しか見かけられなかった。
やはり、何かが変ってしまったようだ。
  * 居間を追われ
 数日前、家内に「居間を昼間、占拠されていると自分のいる場所がないので、仏間の一角の書斎コーナーに行くように」と
強く言われ憮然とした。 が、考えてみれば、その通り。そこで事務所から引き上げてきたパソコンの荷をほどき、机に移動、
ネットに結んだ。パソコンの設定が違っているため、SEをしている知人にお願いをして苦労惨澹の末、結ぶことができた。 
そうなってしまうと、そこが最適の居場所になり、家内からのシェルター?にもなっている。 中古でも良いから以前より、
ここにパソコンを、もう一台置いておけばという、欲目が出てきている。 それにしてもパソコンの存在は大きい。
「酒に、タバコに、そしてiphne」と言われる位に、スマートフォンの影響は大きいというが、納得できる。
  * 生活保護者受給者数が200万
 生活保護受給者が200万人となり、10年前に比べ8割も多くなっているという。さらに、この震災で大幅に増えるのは明らか。 
震災・原発事故の問題で景気は一段と悪化、生活保護受給者が数十万は増加するのは必至。 現在の生活保護費は3兆円を超えており、
今後4兆円になっていくのだろうが、予算の一割が生活保護費とは! この大震災の経済における影響は底しれぬ影響を今後、
もたらすことになる。それにしても、現在おかれている状況からみる日本は、あまりに楽観的である。
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2010年04月30日(金)   
 3322、iPadについて
 iPadについて、「ウェブ進化論」著者の梅田望夫が、どのように見ているのか知りたかったが、
4月26日(月曜の産経新聞・一面)のコラムで以下のような感想を述べていた。
雑誌や、週刊誌の記者が実際に使ってみた感想と同じだが、同じことをいっても専門家の言うことは重みが違ってくる。 
私も使ってはいないが、ネットでデモの画面の内容をみて、「これは現在ある紙を媒体とした情報手段を叩き壊すだけでなく、
携帯電話や、iPodや、パソコンが生活様式を変えたより、大きなインパクトを与える革命的な存在になる」予感がした。
iPodやiPoneのソフトの下地にあるから相乗効果を出すはず。 書籍だけでなく新聞を、これを媒体として、
見るようになる。5年から7年で、本や雑誌の出版が1〜2割まで落ち込む可能性があるという。
 ■ 全てを“本”にするiPad   梅田望夫 (産経新聞)■
4月3日、米アップルがタブレット型コンピューター「iPad」を発売した。事前にネット注文していた私は
3日は外出の予定を入れず、自宅でiPadの配達を待った。そして、アップルストア開店から4時間遅れて中国から
フェデックスでiPadが届いた。 iPadは電子書籍端末としての期待も大きい商品だが、使ってみて私が直感したのは、
これは創業者ジョブズが昔から作りたかった「理想のマルチメディア・コンピューター」の姿そのものだ、ということだった。 
アップルの社名はもともとアップルコンピューターだった。しかし90年代に経営危機に陥り、携帯音楽プレーヤー
「iPod」の大ヒットなどで復活したあと、業態と合わせるために社名からコンピューターがはずれた。
しかしジョブズは執拗にコンピューターを構想し続けていて、いまiPadという製品に結実させたのである。
使い始めてしばらくして私は、ぜんぜん想像していなかった不思議な感覚を味わうことになった。
 「あれっ、本と雑誌と新聞とウェブサイトの区別がつかなくなってきたぞ」と。
昨年アマゾンが電子書籍端末「Kindle」を世に出したとき、人々は「本がまるで本であるかのように読める」ことに驚いた。
しかしiPadは、本や雑誌といった出版商品だけでなく、ウェブコンテンツであれ書類であれ、何でも読めるコンピューター。
しかも形状は電子書籍端末に近く、カラー画面上に指を滑らせるだけで、ウェブコンテンツにつきものの夾雑物をも取り除ける。
その結果、利用者に「本以外のすべてのコンテンツを、あたかも本を読んでいるかのように錯覚させてしまう」効果をもたらす。
「本がまるで本であるかのように読める」というのとは全く違うのである。 本も雑誌も新聞も、紙と印刷技術を前提にした
パッケージ商品である。 電子書籍とはこれまで、その「本という概念」を変えることなく電子化することを意味していた。
雑誌や新聞の電子化も右に同じ。 Kindleはその方向性に忠実な端末だ。
しかしiPadの登場は、逆に「本と本以外のあらゆるコンテンツの境界が揺らぐ感覚」を私たちに味わわせる。
そしてその揺らいだところに新しい技術が注入されれば、越境により新しいジャンルが創出できそうな予感に満ちている。
いまiPadにいちばん興奮しているのは、初期の利用者以上に、世界中の開発者やクリエーターたちだと言っていいだろう。 
iPadとは、ジョブズが仕掛けた「メディア産業全体に創造的破壊をもたらす時限爆弾」なのだ。
 iPadの米国での販売台数は発売から1週間で50万台以上と、事前予測を超える大ヒットとなった。
供給がまったく追い付かず、米国でもなかなか手に入らない。日本を含む米国以外での発売時期は1カ月延期されて5月末。
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 【ツイッター、3D/TV、そして、これ。 よくぞ次から次へと21世紀的なソフト、マシーンが出てくる!】
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2009年04月30日(木)
 2947,全日本柔道選手権  ー2009年
 毎年、全日本柔道選手権は(壮絶の試合になるので)必ず見ている。そして毎年4月30日は(一昨年を除いて)
前日の試合の感想を書いてきた。それを読むと、それぞれの時代の有力選手の姿などが見えてくる。
今年は24歳の若手の穴井が優勝をしたが、決勝戦の棟田との試合は極限の中での勝負であった。
最後の最後に若さの力を振り絞った穴井が逆転勝ちをしたが、見ていて感動的だった。
 去年までの数年間は、井上、鈴木、棟田、石井が準々決勝の常連だったが、今年は井上と、石井が引退、
鈴木も準々決勝で敗退してしまった。 時代の変化が、そのまま現れていた。
この試合は体重別でないのが良いし、日本人柔道家にとって思い入れの深い選手権。
次の主役が穴井と準決勝まで勝ち進んだ高井が浮き上がった。 毎年のことだが死力を尽くしきった試合は心を打つ。 
また、今年勝った、穴井が優勝をして男泣きしていた姿が何ともいえない純粋さが現われていた。 
石井が去年のオリンピックの金メダルを取った後の引退騒動。 彼によって柔道そのものが汚されてしまった。
それが柔道界全体に後をひいたように感じたが。 石井の醜態は、柔道そのものを汚した反面、
世界は柔道から「ジュウドウ」への流れを、石井は適応してオリンピックで優勝をした実績は実績である。 
 ところで毎年書き続けてきた文章を一切に目にしないで見たままを書いているが、
自分自身を試合を通して合せ鏡をみているようで面白い。 大相撲もそうだが、一つのことを
書き続けることも、何か自分の心を見つめる良い機会になる。
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この文章を書いた後で、これまでのものを読み返すと、「毎年書き続けた文章を目にしないで書いている」
など、同じ文言が書いてあったが、決まった言葉を疑問を持たずに繰り返す自分の枠を見せつけらる。
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2008年04月30日(水)
2583, 全日本柔道選手権
毎年、この大会を楽しみにしている。特に、オリンピックの年のこの大会は、異常な熱気に包まれる。
日本の柔道家は、オリンピックより、この選手権に勝つことを重要視している。
今年も、準々決勝から放送されたが、どの試合も熱気に満ちた劇的な試合が続いた。
特に、準々決勝の棟田・生田戦と、井上康生と高井戦が劇的な戦いであった。
それまでの全てをかけた男同士の極限の戦いということ。結果として石井と鈴木の三年連続決勝戦になった。
普通の人なら、この試合は凡試合で、後味の悪い幕切れと見るだろうが、私は違う。
 【以上、字数制限のためカット 2010年4月30日)
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2007年04月30日(月)
2218, 団塊格差は、かくもついたり      (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪    
団塊格差』三浦展著   ー読書日記ー
2005年12月に、この著者の『下流社会』について書いたことがあった。
今度は『団塊格差』という本が書店に並んでいた。丁度、団塊の世代が今年から定年を向かえるのでタイミングがよい。
これもまた買うほどでないので、ネットで概要を調べてみた。 時代背景が良かったので、格差がついたとしても、
それぞれの立場で納得しているところが、見かけられる。総中流時代の中で、結果として格差がついても、
時代の恩恵は受けていた年代である。歴史的にみても、団塊の世代は日本の黄金時代の背景があった。
格差がついたとしても、それが如何した!でしかない。格差は、その子供たちに直接影響を受けるから、問題は子供である。
それが大きい!が、 しかし、どれが如何した!と言えば、それまでのこと。
 ーまずは、ネットで調べた内容からー
月刊誌『文藝春秋』との共同調査で、2000人の男女から得られた様々な数字を基に、
団塊たち」の人生60年とこれからを考える
*貯蓄:   300万円未満ー29%、 2000万円以上ー19% 
*退職金:    なしー35%   2000万円以上ー28%
人生60年の棚卸しをしてみたら、実は団塊の世代にも大きな階層間格差が!
月刊『文藝春秋』との共同調査をもとに、所得、資産、仕事、結婚、定年、子育ての視点から現状を分析。
・女性にはもてたい43%、 ・不倫したことがある28%なども含まれている。
下流社会』の著者が、団塊世代の格差をとらえている。
 ー団塊格差ー
1.リッチ・シニア層
  退職金は2000万円以上、充分な年金、ある程度の資産を保有
  職業を持つ場合、実業家であれ、再雇用で会社従業員になるにしろ、収入のためより、社会貢献の一環として、好きで働く層。
  職業を卒業した場合は、ボランティア活動をしたり、趣味に生きたり、学問や研究をしたり、自分の好きなように、自由に、
  有意義にセカンド・ライフを送ることができる階層。
2.アクティブ・シニア層
  金銭的に不安があるため働かざるを得ないが、法制度の改正にうまく乗って、シニアになっても職業を得ている階層。 
  例えば、労働基準法の改正による、会社の雇用延長制度や再雇用制度を上手に利用して就職できている人々。
  健康で元気なうちは良いが、病気やケガで働けなくなると心配。
3.ワーキングプア・シニア層
  金銭的に不安があるのに、アクティブ・シニア層のように収入を得る職業に就くことも難しい層。
 ▼ 調査が浮き彫りになった団塊世代こととは何か。著者があとがきに記している次の一文が、それを端的に表している。
*「団塊世代はマスメディアによってつくられた大きな虚像である、という側面があるのではないか」。
  当然ながら、この世代にもいろいろな人がおり、‘リッチな趣味の人’というのが平均的な姿ではない。
*「男性の個人所得」には大きなバラツキがあり、「高所得1割、中所得7割、低所得2割」になっている。
  定年を前にして「所得150万円未満」の人たちが1割いることを見ても、団塊世代の殆どはリッチ」でない。
 「貯蓄500万円未満」が4割、「退職金なし」が35%。その一方、貯金も退職金も多額の額という人たちもおり、
  社会問題になっている「格差」「二極化」が進行している。
*「夫婦関係」というと。「世間のイメージはまあまあ正しい」と言えない。
 「女性のほうがより離婚願望が強めであることはたしか」「定年と共に捨てられる団塊男性が増える」と分析を行う。
  自分たちはがむしゃらに働きながら、しかし
  (字数制限のためカット 2011年4月30日)
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 2006年04月30日(日)
 1853, 全日本柔道選手権      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○
毎年、4月29日は全日本柔道選手権が行われる。この数年来、このテーマで書いているが、前年度を全く読み返さないで書く。
その後以前の内容を読むと面白い。同じ日に同じテーマで書いていると、その時々の選手の力関係だけでなく、それを見て
書いている自分が見えてくる。別に柔道が格別好きということではない。一年に一度の大勝負の真剣試合だから面白いだけだ。
年末の全日本相撲選手権も同じである。この大会は、階級別でないのが面白い!
今年の大会は、前評判の選手が順当に勝ちあがってきたが、19歳の最年少、初出場の石井選手が初優勝をした。
勝戦は優勝最有力の鈴木桂治選手が勝ちあがり、有力選手の中では伏兵の石井選手と対戦をした。最終まぎわまで
鈴木選手が一方的に攻めていたが最後の4秒前に、石井の捨て身の技で敗れてしまった。勝負とは面白いものである。        
もっと面白いのは、優勝インタビューで「自分は、この優勝より近くに行われる次の団体戦に焦点を合せているので、
気をぬかないようにします」と答えていた。聞きようによっては日本の全柔道人を馬鹿にした答えである。
何を自分が成し遂げたのか解っていなかったのだろう。大相撲の朝翔龍が、日本的儀礼を小馬鹿にして根こそぎ権威とやらを
叩き壊したのに類似している。それと、苗字に「井」という字がついている選手が多い。井上、高井、穴井、石井と。
昔、プロ野球国鉄に「田」がついている選手が多かった。金田投手がいた頃だ。何か?あるというが。
あるセミナーで、講師が「参加者の誕生日を、これから聞きます。必ず同じ月生まれの人に偏っているいるはずです」
と言って、それぞれの月ごとに挙手をしたところ、極端な偏りがあった。 話題が逸れたが! バイバイ♪(ノ´∀`*)ノ     
▼ 以上を書き終えたあと、以下の文章を読み直してみたが、数年来、出てくる選手の顔ぶれは変わっていない。
 鈴木に、棟田に、高井に、穴井とベスト8に出ていた。井上と、棟田の力が落ちてきたのが、流れから見えてくる。
 高井が次の有力選手と思われていたが、石井が割って入ってきた結果になった。
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  2005年04月30日(土)
  1488, 全日本柔道選手権ー4
この数年間、4月30日には全日本柔道選手権について書いてある。今年も書かなくては気持ちが悪い。
毎年、同じ日に同じ対象を書き続けるのも面白いものである。昨日は、去年に続いて鈴木桂治選手が優勝をした。
ライバルの井上康生選手が休場した為に、今ひとつ盛り上がらない大会になった。棟田選手も早々と負けてしまったし、
若手の高井選手も元気がなかった。そして予想通り鈴木選手が村元選手を破って優勝をしたが、僅差であった。
気になるのが、若手で生きのよい選手がいないことである。いつの時代にも必ず若手でいるものだが現在は見当たらない。
高井、穴井というのがいるが、井上、鈴木の若い時の輝きはない。仕方がないのだろ。
今年の総評も、書くほどの内容はなかった。相撲も、柔道も、どうしても時代の勢いによって選手のレベルが決まってくる。
そして、優秀な選手には必ずライバルによい選手がいるものだ。この4年間の文章を読んでいても年々、柔道のレベルが
落ちていくのが解る。桜も充分見たし、連休で英気を養って夏を向かえる何時ものパターンである。
そういえば鯉幟の姿を殆ど見かけないが、地震のためだろうか。この三年間の文章を読んでいて、同じような文章を書いている
自分が其処にいる。それと、殆どの記憶は忘却の彼方になっていることに気づく。
読み返してつくづく思う事は、とにかく書き残すべきことは書き残したほうが良いということだ。
TPOSの時の具体的な事と、その時の正直な気持ちを言葉に書き残す事は自分の気持ちの刻印になる。
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 2004年04月30日(金)
 1123, 全日本柔道選手権ー3
今年で3年連続で「全日本柔道選手権」について書く。日記を読み返してみても、この選手権はドラマがある。
なんといっても準決勝で鈴木と棟田のオリンピックをかけた勝負が伯仲をした面白い内容であった。
二人の実力は五分であったが、消極的ととられた棟田が注意・指導ー有効の差で負けた。
これで鈴木が100キロ超級でオリンピック出場が決定をしたが、終わってしまえばやはり順当というところであった。 
負けた後に涙をこらえていた棟田の姿もよい。最後は最優勝候補の井上康生を鈴木が勢いで破って優勝をした。
鈴木も前回、負けた井上に勝ったのだから、自信を持ってオリンピックに出場できるから、このオリンピックも
期待できるようになった。当分この三人が100キロ級と100キロ超級の二つの枠をかけて争いながら
日本の重量級を引っ張るだろう。これと、天皇賞と、連休が終わるとで春は終わり、初夏に入ることになる。
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 2003年04月30日(水)
 756, 全日本柔道選手権 ー2
去年も書いたが4月29日は講道館ルールでおこなわれる「全日本柔道選手権」がある。勝てば天皇杯をもらえる。 
毎年必ず楽しみにしてみている。無差別でおこなわれるのが面白いし、毎年何らかの因縁の試合がある。
今年は、・篠原選手が引退をかけて出場してきた事と ・鈴木と井上選手の勝敗がどうなるかである。
数ヶ月前の世界選手権をかけて争った体重別選手権で鈴木が勝った。しかし過去の実績で代表は井上が選ばれた。
もし今度も鈴木が勝てば、井上の代表はどういうことか疑問を持たれる。結果は井上が一本勝ちで面目を保った。
優勝インタビューで井上は男泣きしていたが、鈴木も表彰式で泣いていた。 篠原は僅差で負け引退をした。
去年準優勝の棟田は怪我をおして出たが早々に負けてしまった。感動的な緊迫した一瞬も見逃せない真剣勝負が多かった。
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 2002年04月30日(火)
 392, 「全日本柔道選手権」ー1
4月29日といえばこれである。この面白さは体重別でない事だ。軽い体重の選手が結構勝ち抜く。
それと真剣さを感じる、永年の歴史の重みであろう。柔道の面白みはもともと「小さいな男が大男を投げ飛ばす」
ところにあった。それが世界的に広まっていく過程で、階級別になっていった。
それぞれの体重別のトップが次々に出てくるところが面白い。その人が2?4ランク上の準実力者と闘うからだ。
100キロの井上が150キロの選手を投げ飛ばしたていた。最後は井上が一ランク上の棟田を破り優勝した。
この試合が近年まれなるよい試合であった。両者とも絶対に勝つというぶつかり合いで、会場も異様な熱気に包まれた。
一?二階級の違いなら、トップクラスの方が勝つ事が多い。勝ち方を知っている為だ。
四月最終日曜日の天皇賞と、これを見て初めて連休を実感する。ああそれと鯉のぼりだ。